楽しい旅
1995ローマ・フィレンツェ涙雨
この年はオウム真理教事件が起きた年だった。
年末ぎりぎり
まで仕事で慌しく、イタリア行きを決めた
のは12月半ばだった。
当然、ツアーはどこもいっぱいで旅行会社から「今ごろ年末の
イタリアなんて無理ですよ」と馬鹿にされた。
「やっぱりだめか」と思ったが、旅行会社や航空会社を走り周
り、やっと個人自由旅行というかっこうでチケットが取れた。
イ
タリアにこだわったのは、オウム事件を見て「宗教とはいったい
なんだ」という吹っ切れない気持ちがふつふつと湧き「やはりそ
れなら一度バチカンを見ておかないと」と考えたからだった。

シャルル・ド・ゴール空港で2時間のトランジットのあと、ぼくらが
ローマ・フィウミチーノ空港に到着したのは午後8時55分だった。
もちろん真っ暗に日は暮れているし、ツアーではないので迎えの
現地ガイドがきてくれるわけでもない。空港のタクシーは危ないと
言う。特に夜の空港で「ローマ?」と近寄ってくる運転手はたいてい
雲助だとか。
「あぶないわよ」と妻
夜のテルミニ駅
ぼくらは重たいスーツケースを引きずり、空港をうろうろし電車乗
り場をやっと探した。だが、難問は切符を買うことだった。
自動販
売機にいくら紙幣を入れてもダメ。
隣のひとのやり方をじっと見て
またやり直すが、やっぱりダメ。
市内へのノンストップの電車は1時
間に1本。
最終は22時10分。10分くらい格闘しただろうか。
あ
ちこち自販機を替えてみたり、なんどもやり直ししたり最終電車
の発車間際にやっと切符が出てきたときには、ほんとに感激した。

ぼくらのホテルはテルミニ駅のすぐ近くのメデイテラネオホテル。
テルミニ駅はビットリオ・デシーカの名作「終着駅」で名高い駅だ。
「いいホテルですし、駅に近いのですぐわかります」と出発前、旅
行会社に言われた。
ふんふん、駅の近くだな。ぼくは自信まんまん、妻に「こっちこっち」
と、列車を降りたぼくはすたすた歩いて行く。
午後11時近い駅はか
なり暗く、暗闇に変なイタリア人が
あちこち佇んでいる。妻はかなり
不安そう。
「まかせなさい」と僕。
駅を出てどんどん歩く。歩けば歩くほど暗く、物騒になる。さすがの
ぼくも地図を見ながら不安になる。
「だいじょうぶう」と妻。
ガラガラとスーツケースの音だけがむなしい。
ぼくはこわごわ、向こ
うから歩いてきた人に
「メデイテラオネホテル」と尋ねてみた。
イタリ
ア語で何とか言っているが、ぼくの言っていることが
まるで通じない。
「そうか。メデイテラネオだったか」
といったってまるでダメ。またとぼとぼ歩く。だんだん不安になってき
たとき、向こうから警察官がやってきた。
やっとホテルにたどり着き、あとで聞いた話では「あんな時間にあんな
ところを歩く旅行者はよっぽどのおばかさん」と警察官が言っていたら
しい。いいホテルだといわれたが、2階の何か汚い部屋でおまけにシャ
ワーもお湯がまったくでない。旅の疲れがどっと出た。

翌朝、早めに起きたぼくらはヴァチカンに向かった。
朝早くまだすいて
いるバスがローマ市内を通り抜けていく。
やがてカトリックの総本山サン・
ピエトロ大寺院が目に飛び込んできた。
サン・ピエトロ広場に立つ。大伽藍に圧倒される。
「これがヴァチカンか」
284本の柱列が広場をぐるっと囲んで、その奥に大寺院が広がっている。
ミケランジェロが作ったドームにエレベーターで上がる。そこからさらに
537段ものラセン階段を上がるとパアッと眼下にローマの市街が広が
った。
「ワア、すごいすごい」
でも高所恐怖症のぼくは足がすくんで柱にしがみついて大展望に震える。
システイーナ礼拝堂、ラファエロの間、バチカン宮殿、ピエタ像。ため息
が出る。宗教の力はなんとすごいのだ。
「ねえ、わたし足が痛い」
僕が一人で感動していると、妻がしきりと足をかばい始めた。

花のフィレンツエ
午後、ぼくらはテルミニ駅からフィレンツエへ向かった。
午後2時45分発の506列車だが、これがまたどの列車やら、
どのホーム
から出発するやら頼りない。
天気がちょっと悪い。16時24分フィレンツエ着。
フィレンツエに着いたら真っ先に妻の靴を買わなくては。妻はなぜか履きな
れないおしゃれな新しい靴を東京から履いてきたので、
足に豆ができてしま
ったのだ。
Hotel Sofitelにチェックインしてすぐ街に出かけた。だが、なんと言う事だ。
きょうは12月30日、おまけに土曜日だ。ほとんどの店は午後からシャッター
を降ろしていて、街を歩いても目当ての靴が買えない。疲れるばかりだ。
疲れついでにしゃれたレストランに入った。
トスカーナ料理の定番、フィレンツエ風の大きなビフテキ、それにピザ、パス
タ、それにワインがなんといってもうまい。
トスカーナの美味をたっぷり堪能 した。

大晦日の朝、今日は日曜日だ。
花の都、フィレンツエの観光に出かける。花のサンタ・マリア大聖堂、ジョット
の鐘楼、ベッキオ宮殿、いろいろ見たいところがいっぱいあるが、その中で
も第一のねらいはウフィツイ美術館だ。
だけど、大晦日それに日曜日。なんという不運だ。
これだけの観光都市なのに
せっかく訪れてもしまっていたり、入れないところばかり。
ウフィツイ美術館に
着いたのは午前10時ころになっていた。
もう長い行列。
「きょうは正午で閉館です」といっている。
みぞれ混じりの寒空。ぼくらは長い行列の一番後ろについたが、列はなかなか
進まない。日本ならどんどん入場させるのだが、名画鑑賞の雰囲気を
壊さない
ため、少しずつしか観光客を入れないのだ。
寒い。みぞれが激しくなってくるが
ぼくらはひたすら待つしかない。正午までに入れるのかしら。
11時20分ころやっとチケットが手に入った。
ジョットの「荘厳の聖母」、、ボテイッチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」、アンジェ
リコの「聖母の戴冠」「聖母子」、なかでもぼくはラファエロの「ひわの聖母」をど
うしてもひとめこの目で見たいと憧れに近い感情を持っていた。
なんと穏やかで甘いマリアだろう。慈母の眼差しがイエスと聖ヨハネに注がれる。
やさしく伸びた手の先にはひわ鳥を手のひらに包んだ二人の幼子。三角形の
絶妙な構図の中に見るものの目が集約される。
マリア・ブリッツイオが「あらゆるアカデミシアンを満足させる構図の科学ともっと
も庶民に受け入れられやすい美的調和とを同時に達成している」
と言ったその
ものだ。
イエスと聖ヨハネはいかにも聖母に抱きかかえられながら
天空に昇って
行くようだ。
午後4時51分、708列車でフィレンツエ発。
午後6時45分、ローマ着。

元日のポンペイ
きょうは元日。
イタリアはどこもかしこもお休み。ローマの市内でショッピングでもと思ったが
、もち
ろんお店も閉まっている。どうしようかなあ。
それにしてもついていない。出発の12
月29日が金曜日、30日が土曜日、
31日は日曜日、そして元日。ヨーロッパではこの
スケジュールは最悪だ。
年末年始のヨーロッパ旅行は暦を考えないとどうしようもない。
思案投げ首で悩んでいると、救いの神があった。手元の「地球の歩き方」をぱらぱらと
めくっていると「年中無休」の観光地があるではないか。
ポンペイの遺跡。ベスビオ
火山の突然の噴火で火山灰と泥流で埋まった古代都市。
「よしポンペイへ行こう」
ナポリで鉄道を乗り換え、半日がかりでポンペイへ行く。遺跡の入り口のポンペイ・
スカーピ駅で降り、わくわく胸を躍らせ歩く。きょうは一日、遺跡見学で過ごそう。
「あれえ、なんだこれ」
遺跡の入り口に着くと、ひとっこ一人いない。ぼくはポンペイの遺跡は自由に歩ける
ものと思い込んでいたが、ぐるっと城壁のような塀がめぐらされ入り口の門はぴたっと
閉ざされている。

「なんだ、年中無休じゃないじゃないか。地球の歩き方のうそつき」
しょんぼりしてぼくらはナポリに戻り、サンタルチア港などを散策した。まあ、ナポリを
見て死ねというくらいだから、これもいいか。
ナポリ民謡で有名なフニクリフニクラ(ケーブルカー)に乗ろうとスパッカ・ナポリを歩く。
古代ローマからの古い街並み。狭い路地がくねくねと続く。
両側のアパートから洗濯
物がはたはたとはためく。
車が近付いてきて何か聞く。「フニクラ」というと「乗れ乗れ」と手招きするが、親切な
のか強盗なのか分からない。結局断った。
腹が減った。ナポリもお店がみんな閉まっていたが、やっとピザ屋を見つけた。
ピザとスパゲッテイーを注文する。
アツアツのうまそうなスパゲテイーが運ばれてきた。ひとくち食べると、うん?、堅い。芯
がある。手振りで「生煮えだ」と文句をつけたら、店主が真っ赤な顔で
「これがナポリ名
物のアルデンテだ」。怒られてしまった。
ともちゃん泣く
いよいよきょうがイタリア最後の日だ。
暦の具合でほとんど観光できないという最悪のス
ケジュールだったが、
この日もまだ観光地はほとんど動いていない。
朝コロッセオとフォロ・ロマーノにでかけたが、どちらも堅く門が閉まって入れない。やは
り年末年始のイタリア観光はツアーで効率よく回るほうが良いかもしれない。
グレゴリオ通りを下ってカラカラ浴場跡に向かう。
212年、カラカラ帝が作った浴場跡。当
時のローマ人はよほど風呂好きだったらしく、
朝風呂、昼の休憩にまた一風呂、仕事の
後にももう一回という具合にぬるま湯、
熱い湯、さまざまな工夫をしたらしい。その名残
りがいまも残っている。
広い遺跡を歩き回るうち妻が「足が痛い」と言い出す。「タクシーを拾って三越に行こうか。
三越なら運動靴があるかもしれない」と僕。
「タクシーはいや。怖いから」と妻。
妻(ともちゃん)はこんどのイタリア旅行でちょっと怖い目にあっていて、イタリア人不信に
陥っている。
「じゃあ、歩く」
「うん、我慢する」
僕らはカラカラ浴場を出て、歩き始めた。石畳の気持ちよい街道。

「こっちに行けばバスか駅があるよ」
でも僕らは旧アッピア街道のほうに向かって歩いていたらしい。どこまで歩いても、バスも
まして駅なんか見つからない。人通りも少なくなる。
我慢して歩いていたともちゃんがだんだん悲しげな顔になり、しくしく泣き出した。
「足が痛くてもう歩けない」「ごめんネ。歩けないよ」
といってもどうしようもない。30分ぐらいそこに座り込んで、やっときた客を乗せたタクシーが
また、戻ってくるのを捕まえて、ホテルに戻った。
イタリアのスリ
イタリアはやっぱりスリが多い。
僕らが地下鉄に乗るとなんとなく何人かの人が囲むようによって来る。「気をつけたほうがい
いよ」と僕と妻は慌てて背中のナップザックを抱え込む。
バチカンの近くからバスで戻るときだった。
乗るときから結構混んでいたが、乗って間もなく小
さなこどもがぼくのポケットに手を突っ込んできた。
バチンと手をたたく。しばらくするとまた、
同じ手が。
妻は僕からちょっと離れたところでもじもじしている。
なにか取り囲まれているらしい。
「こっちにおいで」というが、身動きできない。
そのうちもっとひどくなる。
「降りよう。降りよう」といったんバスから降りようとすると、なんと妻が背負った
ナップザックの
チャックを開け、手を突っ込んで中のものを引っ張りだそうとしている。
必死で抵抗するともち
ゃん。
スリが手をかけていたのは妻の化粧ポーチで、チャックより大きかったので男が引っ張
っても取れなかったのだ。やっとバスから降りた。

バチカンあたりのバスにはほとんどスリがいると思った方がいいようだ。地下鉄もお上りさんと
みると、変な集団が寄って来る。個人旅行はよっぽど注意が必要だ。
トレビの泉で写真を撮っていると、「お二人で写しましょうか」と女性が近付いてきた。
観光地で
写真を撮ってやると言って、カメラを持って逃げる窃盗犯がいると
聞いていたので、一瞬身構え
る。でも冷静に考えると
きれいな日本語で日本の観光客の親切だった。
スペイン広場を回って、この日の観光はおしまい。翌日午前10時10分のエールフランスで成田
に向かった。今度の旅はちょっと疲れた。