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2005年7月30日〜8月5日

| サンクトペテルブルグ1 | 7月31日 |
| サンクトペテルブルグ2 | 7月31日 |
| サンクトペテルブルグ3 | 8月1日 |
| サンクトペテルブルグ4 | 8月2日 |
| モスクワ1 | 8月3日 |
| モスクワ2 | 8月4日 |
| 「ロマノフ王朝」には儚い夢とロマンの香りがする。しかし、20世紀 は共産党の独裁政治が続いた。速いものでベルリンの壁がなくな って、旧ソ連が崩壊してもう15年がたつ。市民の生活はどう変わっ ているのか。 白夜のロシアの旅は出発前から楽しみだった。 |

ロシアの空(モスクワ)
| サンクトペテルブルグは今の時期、とてもさわやかな気候だ。昼間は27 〜28度、木陰に入ると気持ちのよい風が吹き抜ける。白夜はそろそろ 終わりだが、それでも午後11時ごろまで街は明るい。 ソ連からロシアになっても、ちっとも変わらないのがロシア人気質だ。 成田を出発したのが正午、10時間半のフライトでモスクワのシェレメチェ ボ空港に到着した。トランジットは3時間半のはずだったが、国内線が2 時間遅れ、狭い空港で6時間近く待たされる破目になった。 サンクトペテルブルグのホテル「ノボテル」へ到着したのは、午前2時(夏 はサマータイムがあり時差は5時間ある。日本時間午前7時)だった。成 田から19時間、ツアー初日にしてはきつい強行軍になった。 でも、これで終わらないのがロシアだ。 |
サンクトペテルブルグの街並み
| 朝起きると、ペテルブルクは雨だった。 窓に張り出したトタンに打ちつける雨の音がうるさく、うとうととしたらもう 朝だった。市内観光は10時からだったが、そのころになると、雨は上が ってきた。きょうは7月31日の日曜日、海軍記念日だという。ネヴァ河沿 いに家族連れがいっぱい群がり、河に浮かんだ軍艦の上に若い水兵が ずらっと並んで敬礼をしていた。 |
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| 最初に「血の上の教会」へ向かう。イスラム教会を思わせる派手な外観だが、 正式にはキリスト復活記念教会というらしい。 1881年3月、冬の宮殿(エルミタージュ)を出たアレクサンドル2世の馬車が 帰り道、この場所で襲撃され、爆弾を投げられた。爆弾は車列からはずれ、 護衛が死亡した。暴漢は取り押さえられ、皇帝が護衛のところに近づこうとた ところに、別のところからまた爆弾が投げられ、アレクサンドル2世の下半身が 吹き飛んだ。 アレクサンドル2世はそれまで六度暗殺にあっていたが、未遂に終わり、不死 身の皇帝と言われていた。7度目も無事だったが、8度目は爆弾が命中し悲 劇が起きたという。 |
![]() 運河を行く遊覧船 |
![]() ユスポフ宮殿の横にあった サトイモのような植物 |
| 教会はこの場所に建てられているため「血の上の教会」という名前で呼ばれ ているのだという。 中に入ると床のモザイクが美しい。見上げると天蓋にキリスト像が描かれて いる。この美しい教会も革命後は閉鎖され、政治犯の収容所になったり、資 材置き場になったりしていたらしい。ソ連崩壊後、やっとロシア正教の寺院と して修復された。 ところで、この暗殺されたアレクサンドル2世の銅像をヘルシンキの元老院 広場で見たことがある。属領だったフィンランドの自治を拡大したことが今も ヘルシンキ市民に慕われているのだそうだ。 ロシアの国内にはこの皇帝の銅像はないというから面白い。 |
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| みんながイサク広場でニコライ1世像の写真を撮ったあと、ホテルの両替に 行ってしまったので、ぼくらはイサク寺院に向かった。1818年から40年か けて建造された寺院で、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポ ール寺院についで世界で3番目に高いと、自慢している。聖人のイサク・ダ ルマツキーにちなんで命名された。 |
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赤い大理石の円柱が美しい。塔の上に上がれるらしいが、あれはちょっと 怖そうだ。扉のレリーフがとても美しく、ロマノフ王朝の栄華を伝えている。 サンクトペテルブルクは奥が深いなと思う。 |
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