< 砂金掘り物語り>
脇とよ薯(渡辺良作の遺言より)ダヴィッド社
昭和31年11月20日初版発行
雨宮敬次郎(アメノミヤケイジロウ)の砂金探検団に所属し、明治19年
〜明治27年頃に活躍した体験談を主に、渡辺良作、63歳のときに著者の
脇とよさんに語ったもの。下記は、そこから砂金採取地に関する情報を抜粋
したものである。
1.胆振の二股山西南から発して、後志との国境にそうて流れているピリカ
ベツ川と長万部岳から発する利別川本流とカニカン岳から発するチュウシ
別川、この三本の川が合流している箇所で通称”三股”その三股の下流が
採取量が多いのでのちのちまで有名であった。(松前藩時代に既に大仕掛
けな採取方法がなされたらしい跡があった。)
2.後志の国の島牧地方、鱒(マス)川の方には砂金の量が特に多かったら
しい。湯沢温泉のある千走川の本流と第一、第二の支流(小さい沢)も採
取地として有名であった。湯沢温泉の下流におちる、賀老川もまた有名で
あり、いずれも雨宮さんの手によって探検、採取された。
3.良作が仲間から聞いた話、利別川の川口に川尻という村があり、この川
尻村から海岸線をつたって瀬棚町に行く手前に最内(モナイ)川がある。
この最内川と川尻との海岸線に浜砂金がある。(たぶん利別川から流れ出
た砂金で、浜にあるから浜砂金と呼んだのであろう。)
4.新冠川はその時既に孵化場に指定されていたので、川口から三里ほど上
流は砂金採取の禁止地であった。そのまた上流のオシャマンベの下流から
ペビリカップ、新冠御料牧場に近い脛内、滑若からかけて、上流の西では
リビラ岳から流れているモウレルカシュッペ沢、東はイドンナップ岳を発
してくるシゥレルカシュッペ沢にいたるまで登って採取した。また、ここ
から静内郡へ山越えして行くと、新冠川の東方にあたる、シベシャリ川の
上流で新冠郡に接した二本枝の沢にイドンナップ川がある。この沢には1粒
が五匁五分ぐらいの大粒の砂金がザラにあった。水に洗われた地盤の裂け
目に、一目でそれとわかる砂金が無造作にころがっていた。渡辺良作は三
匁五分もあるとてつもなく馬鹿でっかいやつをたくさん採り集めた。女の
帯止めにそのまま使えるようなすばらしい格好のものもあった。
5.元浦河の川口にある荻伏や、上流の姉茶、野深、ヒトツ、という部落の
あるところに行ってみた。ペッチャリ部落のある沢は、東から流れてきて
ここで合しているが、元浦河の本流を登ると沢の両側が、ガロー(絶壁)
となって「ヒトツ部落」からまったく道が無くなっている。この辺から上
流にかけての一里半の個所(右にクンヌジ山というのがある)は[寄せ金]
といって沢の地盤には関係なく、河床の砂礫のうちに砂金があった。ここ
では五、六人が「ねこ」を据えてごく簡単に流し堀りをした。砂金の粒は
小さかったが河床のいたるところの土砂に砂金がまじっているので採取し
放題であった。
6.元浦河の最も上流で静内郡との境のピリガイ山に接したほうに、ニシュ
オマナイ沢がある。この沢はソエマツ沢が左からおちてきて合する二股か
ら、上流へかけての一里ほどの個所であるが、ここには意外に多量の砂金
があった。ここの砂金は掘れば掘るほどでてきて、それは不思議なほどで
あった。ここを引きあげて十勝の国の茂寄海岸に行き、また石狩地方へ廻
ったり、処々ほうぼうを採取して歩きまわっている間にも人づてにこのニ
シュオマナイ沢の景気のよい噂はいたるところで耳にすることができた。
この沢の砂金は量の豊かなことで、良作の一生を通じて思い出のおおいと
ころとなった。砂金堀りをやめてからも「あの沢に行きたい、まだ砂金が
あるにちがいない」とこころのこりにおもった沢である。
7.シマン川は上流が二股にわかれていて、左の沢をメシマン沢、右をオシ
マン沢とよんでいた。この地方で有名な採取地である。この両シマン川の
おち口は、地盤などには関係なく、手当たり次第に「ねこ」の上に土砂を
流しさえすれば砂金が採れた。
8.沙流川−ここには砂金はないらしいという噂であった。
鵡川ーここも中流から下流にかけては砂金はないようであった。けれども
後半、この川の支流で穂別川の最も上流に「トヨカゲ採取法」が採用され
てからは立派に採取事業が成りたったようである。
渡辺良作は、この二つの川の中間に小さな沢ががあったので試しに掘っ
てみたら砂金は多少あった。黒色のどろどろした液体が流れていた。ここ
ら一帯の川の水面には赤や紫や金色にヒカルものが浮かんでいて、このひ
かるものは石油であったと、あとで知った。
9.ある日のこと、イツカトクというアイヌ人がやってきて自分の友だちが
石狩のトナシベツ川で拾った光る玉を持っている〜と語った。
平取を出発して沙流川の上流へ上流へと川筋をつたって、進んで行った。
ペナコレ、オーコッナイ、フンカウ、サンナコロ部落へとすすんで行き
胆振との国境から流れてくる沢について登っていった。すると胆振と日高
の国境の峠に出た。この峠からこんどは鵡川の支流のトマム川をくだって
行き、さらにこの本流のパンケシェル川の上流へと登りすすむ。それから
峠下部落をへて、石狩空知川上流の金山駅附近のトナシべツ川へ、入出し
た。砂金の質は上等で粒も大きく、ちょうど瓜の種子ほどもある細長く、
ふっくらとした福々しい格好をしていて非常に見事なものであった。
あまりたくさん砂金があるので「流し堀り」をするのがもどかしくなっ
て「板掘り」という簡単な方法を用いて掘った。これは「揺り板」のとこ
ろでのべた採取法であるが、砂金の粒が物すごく大きいので、ここでの場
合は、ごく小さい砂金はすてて大数ばかりを採った。
10.夕張川鉄橋付近、胆振の国境に接した夕張川支流のパンケモニューパロ
川は、上流から下流にいたるまで砂金のケがあった。
夕張嶽を御料地一帯から流れているパンケモニューパロ川、白金川、カ
ネオペツ川、などはどの川にも砂金はあるようだ。中でも白金川は最も有
名であった。だから、夕張嶽を中心とするトナシベツ川の上流一帯と、夕
張川の上流の各支流には確実に砂金がある。
11.砂金があって、しかも自由に採取できるところがあった。それは、トナ
シベツ川の支流のラウネベツ川・エマナオマンベツ川、そしてこの二つの
支流の中央を流れている沢にも砂金があった。
トナシベツ川の下流の「金山」の停車場から上流へ十数里、根室本線の
落合停車場にいたる大本流一帯にも砂金はあった。ここらは自由かってに
採取できるところであった。