川口能活こと林のご結婚と、そして幸せについて



11/1(土)

同学の男では初めてとなる、林の結婚式に行ってきました。


1週間前に出し物絶対参加の命を受け、
なんでか最近なにがどうなったって、なるようにしかならんとか思っているからか、
絶対断るべきところを、断ることもなく引き受けてしまったのですが、
まったく打ち合わせの時間もなく、
1日前に飯食いながらちょこっと話しただけで本番に挑む羽目に。


1週間前の通達では、
「1号が新郎のものまねでミリオネアつかマジオネアやるから」
っていうなんともアバウトな話だけ聞いただけ。


そして式までの1週間、
新郎のものまねをしている自分をイメージし続けるという、
はたから見ただけではわからんが、
実は俺の頭の中は、異常に寒い光景が常に去来していたわけで。

どんだけ考えても寒い。

こりゃだめだと思いました。


んなわけで、
急遽ちょっと案を変更してもらい、
普通に1号として出演することにしたんですが、
それでもやっぱり緊張しました。
久しぶりに。

結論からすれば、
周りのおっさんどもを怒らせることもなく、
無事に終わってよかったですが。




型どおりの進行で、
新婦の手紙とか、
いろんな方の挨拶とかあったわけですが、
式、披露宴、2次会を通して二人を見ていて思ったのは、
ここに進行形の幸せが確かにあるなってこと。


生まれてこの方、
大した不幸とかに見舞われたこともなく、
言ってみれば、幸せなのが当たり前というか、
そんな環境で生きてきたからか、
どうにも幸せって感じる瞬間ってあんまりないんです。俺の場合。

自分にとって幸せってのは、
ひとつ、またひとつと、
不自由だったり、自分の無力、無能さだったりを痛切に感じた時や、
取り返しのつかないことをしてしまった時とかに、
過去を振り返って、初めて感じるものだったなと思う。

感じるときには、
それはすでに失われたものであって、
自分にとって幸せってのは、
ある意味、後悔や絶望を示している。

まあちょっと大げさですが。



つまんねえ人生だな、俺の人生は。



そんなことを、幸せそうな二人を見ながら考えていました。



後ろ向きな幸せなんかになんの意味もないなと思いました。

進行形の幸せにこそ、意味があるのだと思いました。





さて、
出しものでネタにしておきながら、
実は肝心の新婦にあったことがなかったんですが、
ずいぶん気さくっちゅうかさっぱりした人やったなあと思います。

ヨシカツの昔の服とか全部捨てさせたらしいです。

社会人になってから妙にすかし始めた理由がわかりました。

あの伝説の紫ダブルのスーツまで、
自らの手で捨て去ったヨシカツの、
奥さんに対する並々ならぬ愛情が感じられます。

俺らとしては、あのダブルのスーツが見れないのは残念でなりませんが。





まあ、
人の幸せな姿を見るのは結構気分のいいもんで、
進行形の幸せに、
改めておめでとうと言いたいです。



おめでとう。









そういえばそれこそ久しぶりに竹上に会いましたが、
相変らず「ビウダー」って言っていたので安心しました。






2003/11/03
ポテンシャル1号