東津汲〜鍋倉山〜関ヶ原山行報告 (2004.5.17更新)

日  時 2004年5月1日(夜行)〜4日(夜行2泊3日)  天気 2日曇 3日霧後曇 4日雨

参加者  旦那 鯛造 安ベー 庵

費  用 交通費 \22,460(新幹線、タクシー代含) 温泉 \500 飲食代 \5,000

コース  

5/1 23:50JR横浜駅集合 5/2 0:11発(ムーンライトながら)―6:53大垣(近鉄養老線)7:20―7:50揖斐駅(タクシー)―8:10東津汲8:30―9:40夫婦滝9:50―10:30清水川(しょうずがわ)名水―10:50和佐谷11:10―14:40鍋倉山―14:50南峰避難小屋着(泊) 歩行時間5時間50分 行動時間6時間20分

5/3 避難小屋7:10―8:45谷山廃村―10:00六合10:30―10:35六合バス停―12:00新丁バス停(食堂で昼食)13:00―14:00大津谷公園着(テント泊) 歩行時間5時間20分 行動時間6時間50分

5/4 7:00大津谷公園―7:40霞間ガ渓(かまがたに)公園―8:40円興寺越口―9:30円興寺9:45―美濃国分寺―11:30梅谷集落11:50―13:50伊富岐神社―14:50岡山烽火場―15:25JR関が原駅着16:04発「特別快速」に乗車、名古屋でみそカツ定食で乾杯後、新幹線で帰宅 歩行時間7時間45分 行動時間8時間25分

山行記

1日深夜、横浜駅に集合し「ムーンライトながら」に、2日0:11乗車。その3分後に臨時列車が有り、大垣に1時間早く到着する臨時列車と感違いし、揖斐駅からのバスに接続出来ず、揖斐からタクシー利用。4人なので、タクシー代はまあまあ。

2日のコースは昨年10月に到着していた、岐阜県久瀬村の東津汲バス停からスタートです。
鯛造さんの用意した、山蛭除けのスプレーを登山靴にかけ、今日の目的地「鍋倉山」を目指して、ただひたすら高度を稼ぐコースを進みました。

前半は苦手な舗装道路の連続でしたが、和佐谷に入るとまもなく登山道になり、快適なコースになりました。途中、何組かの登山者とすれ違い、小屋の情報を入手。1日中曇り空だったので、気温が低く良いコンディションで登れました。
小屋は、綺麗に使われており、室内にトイレも設置されています。早速近くの水場で水を確保し、ウイスキーで乾杯。私と庵さんは小屋で仮眠中、外では鯛造さん、安さんが寂しい?キャンプファイヤー。

 
   
        夫婦滝
 
           
                鍋倉山山頂

                   
                      安さんと焚き
     
                      
                           鯛造さん焚き火に乾杯!
 

3日 綺麗な小屋で睡眠タップリ。鯛造さんは昨晩の焚き火の疲れ??ちょっと風邪気味。朝から霧に包まれているので、全員カッパを着用して小屋を出発。鍋倉山を下りきると、再び恐怖の舗装道路です。大津谷公園も近付いてきたので、全員気が大きくなって?新丁バス停近くの川魚料理屋?で昼食、ビールを少々。

大津谷公園は、池田町の管理がいきとどき、利用者のマナーも良く綺麗な公園です。公園内の野外ステージにテントを設営し、タクシーを呼んで近くの池田温泉に直行。露天風呂で汗を流し、ビールで乾杯!夕食をとったあと食材の調達を済ませ、再びタクシーで大津谷公園に戻り、満足の一日を終了。


       霧の中の鍋倉山避難小屋

 
                 
                      六合集落

4日 昨夜半からの雨が止まず、雨具を付けて出発。今日のコースは、戦国時代の歴史をたどるコースです。
池田町は、春日の局のふるさとで、昭和61年に「全国池田町サミット」を開いて、知名度が高いようです。
美濃国分寺を過ぎてしばらくすると、水田地帯が広がり、田植えが一斉に行われていました。

関が原に近くなると、竹中半兵衛の陣屋跡が残されています。伊富岐神社で休憩中、庵さんの腕に山蛭がニュルニュル、私と鯛造さんが思わずその場から飛びのきました。

岡山烽火場(丸山烽火場)は、関が原の合戦場が一望できる高台にあり、天下分けめの合戦の夢の後が、偲ばれました。今回は関が原駅に戻り、待合所で雨具を脱いで、着替えを済ませ、ビールで乾杯!
次回は合戦場を歩きます。 旦那記
 

参加者コメント

鍋倉山は標高1050M、東海自然歩道岐阜県内で一番標高が高い山らしい。この日、天気予報は晴れだけど、なかなか曇り空取れず結局帰る日まで太陽は顔を見せませんでした。気温の低さには助けられたが、贅沢を言えば青空も見たかった。

一泊目の鍋倉山非難小屋は、ハイテク非難小屋で部屋も綺麗。トイレは二つ、天井には太陽光発電の蛍光灯(但し球切れ中でした)うわさに聞いた通り、東海自然歩道NO1の非難小屋です。

この日の夕食は、ない頭をひねって考えだしたすき焼きで、直前まで皆さんには内緒でした。肉は前日に煮ておき、野菜のねぎ、白菜、椎茸、そしてシラタキは切ってタッパに入れ、タレはペットボトルに、さすがに豆腐と生卵はあきらめました。皆さんの感想はまあまあだった様です。そして偶然にも安沢さんがラーメンに入れるつもりで、生卵を持ってきていたのにはほんとに驚きました。一つの生卵を四人で分けてすき焼きのたれにしました。おまけに残り汁は佐藤さん持参の「佐藤のご飯」でオジヤにして堪能しました。

小屋の外には、いかにも焚き火をしてほしいと石で囲った炉があり、焚き火好きの私は堪らず枯れ木を集めてキャンプファイヤーです。星空は見えなかったけれど焚き火に照らされた山霧が、異次元の世界にいる様な幻想的な雰囲で、都会では決して味わえない貴重な体験で、これがまた山の魅力でしょうか。この時塩川さんと安沢さんはお腹が一杯になった性か小屋の中で爆睡中でした。 鯛 造
 
 

恒例になった夜行列車「ムーンライト長良」で横浜駅を出発。揖斐駅からタクシーで久瀬村の東津汲へ。昨年の秋、ここに重い足取りで到着したことを思い出す。チョット懐かしい。

曇天の中、出発。出発してすぐに、自動販売機があり、安沢さんの目を盗みタバコを購入。千円札を入れて購入したが、おつりがいつまでたってもチャリン、チャリン、と出続け!そばにいたお店のお爺さんも大慌て。自動販売機のつり銭が、50円と10円しかなく、50円数枚と残りは10円玉でした。お爺さんは、販売機が壊れ,おつりが出っ放しになったと勘違い。つり銭を一緒に数えて納得。手のひらいっぱいの硬貨、リュックの荷も重さを抑えたのに、つり銭で重くしたくないので、両替をしてもらい一件落着。

5〜6分ロス。鍋倉山の登山道入り口までは、ほとんど舗装道路。登山道への分疑点で昼食。鍋倉山への道は歩きやすく、新緑を浴びて山頂へ向う。山頂まで1時間位のところで、下山してきた人に会う。鍋倉山の非難小屋でバーベキューをしてきたとのこと。掃除もしてきたし、きれいな山小屋だと話していました。山頂から15分位で非難小屋に到着。

屋根には太陽電池。便所の広いこと。水場迄往復30分。これで、夕食と宴会の準備完了。

3日朝7時出発。鍋倉山から下山の道も沢沿いに水音を聞きながら新緑を楽しむ。下山したところに東屋があり休憩。ここから舗装道路。お昼近くにバス停で休憩。バス停から100m位先に旗がはためいており、鰻屋と判明。昼食をとることに決定。豪華にお昼から鰻です。(1枚の鰻を4人で分けて食べる!)瑞願寺により、大津谷公園を目指し舗装道路を歩く。今晩の温泉を楽しみに黙々と歩く。

大津谷公園の野外ステージの舞台にテントを張ることに決定。もう一組親子連れがテントを張る。池田温泉までタクシーで行き、入浴後、食事しまたタクシーで公園まで。夜中、激しい雨でしたが、テントはそれほど濡れずにすむ。

4日朝7時出発。昨晩タクシーで行った池田温泉まで同じ道を進む。雨のなか、傘をさして歩く。田んぼのあぜ道、舗装道路、民家の間を通る旧街道、新興住宅地の間を抜けたり、舗装道路をひたすら歩き、目的地丸山狼煙場跡地到着。

小高いところにあり、関が原戦場跡が見渡せ、向かいには山があり、戦場としての要件がそろった場所でした。最終日は午後からかなり雨が激しくなり、気温も下がり、高低差はないが距離がありチョットハードでした。今回の途中に、岐阜県の名水が数箇所あり、改めて岐阜の水のよさを痛感しました。やはり、広葉樹が多いことと、産業廃棄物の処理場が少ないということでしょうか?  安ベー
 

昨年から左足膝不調で、今回の山行は出発前から気が重く、気乗りしなかったが乗りかかった舟と気を奮い立て、横浜発0:11”ムーンライト長良”に乗り込む。

膝にサポーターをはめ、トップを歩き私のペースでゆっくり歩きなんとか、本日の宿泊予定の1040m(標高差900m)の鍋倉山山頂の避難小屋に着くことができました。鯛造さんの用意してくれたスキヤキを肴にウイスキーで乾杯!! 私はダウン!ひと眠り、目が覚めたら鯛造さんと安さんがフアイヤーを楽しんで戻ってきて雑炊を温めてくれたのを食べ寝袋に潜り込む。

外は雨模様。2日目曇り空の中、鍋倉山を後に今日の宿泊予定の大津谷公園へ向けて下山。途中、木地師集団が住んでいたという谷山部落を通過、池田町大津谷公園に無事到着。池田町は大奥春日野局のゆかりの地。夜は池田町営の温泉に浸かり生ビールで乾杯!!いよいよ明日は関が原・・・

3日目夜更けから降りだした雨降りやまず。雨具を着て左右に広がるお茶畑の中をただただ歩き、小さな集落を過ぎ、最後の登り(大した距離ではないがくたびれた。私にはかなりこたえた)丸山狼煙台に着き関が原を一望する。関が原の戦いの時に、この丸山狼煙台は徳川方の西軍へ向けて一斉攻撃の合図をしたところである。体調不良の中、約50キロ良く歩けたものだと思う。これも仲間3人の心優しい支援の賜物であると・・・・感謝 感謝。この先も頑張りたい。 庵
 
 

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