関ヶ原〜養老〜美濃津屋 ( 2004年10月28日更新)
 

日 時  2004年10月9日〜11日 (2泊3日)  天気 9日台風による雨 10日曇のち雨 11日快晴

参加者  旦那 鯛造 安ベー 庵

費 用  交通費(往復新幹線利用) \21,870 旅館代(\8,500) バンガロー代@\780 飲食費\6,000

コース
9日 新横浜(新幹線こだま)7:15(20分遅れで発車)―11:20関ヶ原駅―桝屋旅館にチェックイン―12:20―12:40岡山烽火場―13:30笹尾山(石田三成陣跡)―14:25エコミュージアム14:50―15:40不破の関跡―16:25桝屋旅館(泊)  歩行時間3時間  行動時間4時間5分

10日 桝屋旅館7:40―8:00井上神社―8:50松尾山(小早川秀秋陣跡)9:00―10:50藤古川橋―11:40西沢田11:55―
12:50―桜井白鳥神社13:05―15:15神明神社―16:10養老キャンプ場(泊)  歩行時間7時間30分 行動時間8時間30分

11日 養老キャンプ場8:00―養老の滝―8:45養老キャンプ場9:00―9:45赤岩神社―12:40美濃津屋(近鉄養老線)13:39―桑名14:22―14:43名古屋16:01―18:33新横浜着  歩行時間3時間30分 行動時間4時間40分
 
山 行 記

9日 台風22号が紀伊半島に接近中で、新横浜発7:15のこだま401号が20分遅れでなんとか出発。関ヶ原駅に30分程の遅れで無事到着。早速今日の宿「桝屋旅館」にチェックイン。空身で雨具だけ着けて前回の到着点、岡山(丸山)烽火場を目指して出発。東軍の黒田長政、竹中重門が開戦の烽火をあげた所です。
 

          岡山烽火場
 

関ヶ原ウォークコースにそって遊歩道を進み、決戦地を過ぎて小高い丘に登ると石田三成の陣地、笹尾山です。関ヶ原の合戦場が一望できる所に、西軍、東軍の配置図のパネルが置かれ、音声で解説してくれます。

                    笹尾山陣形図
 

笹尾山を下ってアスハルト道路に出るころには、雨もあがり、台風の影響もまったく受けなくなりました。14:25にエコミュージアム到着。コーヒーの接待を受けて係の人と歓談後、不破の関跡を通って16:25桝屋旅館に投宿。宿は1軒しかなく、値段のわりに料理も質素でした。

                           不破の関跡

10日 7:40に宿を出発し、不破の関跡から井上神社を通り松尾山に8:50到着。裏切りの武将「小早川秀秋」の陣跡からの関ヶ原合戦場を一望。山頂にはテントが張れる東屋とトイレがあります。台風が来なければここがキャンプ地の予定でした。

      松尾山

松尾山を下ると舗装道路が延々と続きます。11:40西沢田バス停に到着。自販機で冷たいお茶を補給し、小休止。これから激しいアップダウンと、山蛭の巣と云われるコースを歩くとは、誰も予想だにしていませんでした。  沢ぞいの登山道を1:00ほどで桜井白鳥神社に到着、豊富な涌き水で喉を潤し、上方白鳥神社を過ぎるころからアップダウンと山蛭が待ちうけています。千体地蔵を過ぎるころから、地面に山蛭がう〜ようよ。両方の登山靴に3匹の山蛭が
居ます。蛭除けスプレーをかけて摘みだします。背筋がぞくぞくする光景です(3人が山蛭の餌食になりました)。

疲労困ぱいで養老公園に15:50到着。親孝行の泉「菊水泉」で喉を潤し、キャンプ場に16:10到着。 管理人さんのご好意で、シャワーに入れて頂き、車で和食の店への送り迎えまでしてもらいました。厚い人情に触れた一日でした。
今夜は広々としたバンガローで、反省会をしたあと熟睡できそうです。

11日 8:00キャンプ場を出て、養老の滝を見たあとバンガローにザックを取りに戻り、山蛭対策にロングスパッツを着けて9:00養老公園を出発。今日のコースは短いので楽ちんと思いきや、造水した沢が幾つもあり、山蛭のおで迎えあり、萱が生い茂って登山道が消えてしまったり、難解なコースとアップダウンは、なかなかの難コースでした。12:40美濃津屋に無事到着。庵さんの機転で、金物屋さんから調達した缶ビールで乾杯!  旦 那
 
                 養老キャンプ場
 

                        養老の滝
 

参加者コメント

おりしも台風22号関東地方直撃か、という朝のテレビニュースで、新幹線静岡県内で運転見合わせ中の放送。とりあえず大雨の中集合場所の新横浜へ。しばし待つ間運転再開の放送。

20分遅れで出発、何とか目的地の関が原駅に11頃到着(この後新幹線は再び不通に)。創業800年?桝屋旅館泊(8500円)、部屋は広いがさすがに古い。夕食もビックリ、ブタ鍋のみ。 この日岐阜県内は台風の影響はほとんどなく、天下分け目の関が原の戦いの戦跡ウォーク。いくつかの陣後の小山から戦いの地を見下ろし武将の気分。

翌日は養老の滝まで約8時間。山ビル多数生息、立ち止まるといつのまにか靴に這い上がって来る。 私は幸いにも食われなかったが、他の人は靴下の中、上半身、数カ所吸い付かれ、かなりの出血。 ヤマビルファイターを入念に吹きかけ、足元に常に注意していればかなり防げるかもしれません。

この日はバンガロウ泊、親切な管理人さんに車で送っていてだいて外食翌日は日本三大名瀑、養老の滝を見学,水がお酒に変わると言われる[菊水の霊泉]を飲んで近鉄、美濃津屋駅へ向かう、川原越えの分岐はかなり解りにくい名古屋できしめんを食べ帰路に着く。 鯛造記
 

10月9日

朝7時、新横浜駅集合。台風22号に向かって西に向かう。新幹線は台風のため、掛川近辺で徐行のため、約20分遅れで新横浜出発。向かうところ、関が原で、丁度、西軍の向かってくる、関が原におもむく東軍の気持ちとなりつつ、新幹線の中で、熟睡する。

関ヶ原駅近くの旅館に着き、荷物を預け、前回の続きで丸山狼煙場跡から関が原の古戦場跡をゆっくりと歩く。今までになく、観光気分で時間をかけて歩く。東軍、西軍の布陣も解説により良く理解できる。エコミュージアムでは、ウォークラリーが台風接近により中止になったと言う事で、コーヒーをご馳走になり、腹ごしらえ。台風の影響もあまりなく腹ごしらえが終わったころには、雨も上がって、薄日が差してきた。

旅館で、お風呂に入り夕食。この旅館は、各部屋の仕切りが全て、襖。廊下も畳敷き。各部屋の中心部に近い柱が、取り外せるとの事。柱を取り外すと、各部屋と、廊下を含めひとつの大広間になるとの事。

10月10日

朝食を7時にとり、旅館を跡に出発。まずは、小早川秀秋が陣を置いた松尾山目指す。松尾山からは、関が原が眼下に一望でき、要の陣であったことが良くわかる。松尾山を下りしばらくは、川沿に平坦な道が続く。西沢田のバス停に自動販売機があり、小休止。ここからは、アップダウンの連続と程よい湿気により、山ヒルが元気にうようよいるところが続く。途中小休止のとき、塩川さんが靴下の上から喰われたのが判明。他の人は無事。と思ったのが誤り。養老公園のバンガローに着き、靴を脱いだら安沢さんと私もふくらはぎ近辺を数箇所食われていました。鯛造さんのみが無傷。アップダウンの連続で、かなり疲れる。養老公園には計画より1時間ほど遅く到着。温泉も断念。でも、バンガローの管理人さんが、シャワーを使わしてくれたこと、また、食事のできるところまで、車で送迎をしてくれました。本当に感謝します。
夜、雨が降っていたが、明日の天気を気にしつつバンガローで熟睡。

10月11日

朝食後、荷物?oンガローに置き、養老の滝を見学。美濃津屋まで、相変わらずアップダウンが続く。山ヒルもいる。昨日の教訓で、山ヒルのいるところでは、小休止はしない。川原越え手前は、かなり急の上り。次回の厳しさを感じつつ、美濃津屋駅に向かって下る。

美濃津屋駅手前で、本来乗るべき電車を見送り、1時間後の電車となる。ゆっくりと着替えをし、安沢さんが調達してくれた冷えた缶ビールで乾杯。疲れが一気に吹っ飛びます。次回は山ヒル対策を万全にしなくては! 安ベー記
 

半年ぶりの東海自然歩道山行なのに, 台風22号到来の二ユース。9日の朝、新幹線が動くのか心配したが、20分遅れで出発。途中車窓より見た大井川は、濁流、目的地の関ヶ原方面の雨風を気にしつつ、関ヶ原駅に着いたら風はなく、雨は降っているもののたいしたことなく一安心。

宿に、荷物を置き、前回の最終地の丸山狼煙場、石田三成が陣を敷いた笹尾山から県の施設のエコミュージアム(県の自然を紹介している)そして不破の関。今日の予定はここまで。宿へ戻る。

翌10日いよいよ本番。不破の関へ戻り松尾山へ向け出発。途中、井上神社をへて松尾山山頂へ、結構きつい登りである。小早川秀秋が布陣した陣跡ですが、関ヶ原への戦場には、遠過ぎるような気がしました。平井の集落を過ぎ今須川沿いに、自然歩道も舗装道に変わり、今須川も牧田川と合流し大河となった広瀬橋を渡り山道へと。橋も、何もない沢を渡り、又今回も蛭に悩まされ(6カ所吸われた)、信長に焼き討ちされた柏尾寺跡を過ぎ、今日の目的地の、養老へ急ぐも予定より遅れて養老公園のバンガロー到着。管理人の好意でシャワーと夕飯にありつけた。

3日目11日今回の一番の難所標高差600メートルの川原越えである。普段からの心掛けが悪いため、かなりきつい登りでしたが、今回の最終目的の美濃津屋駅に付き乾杯。ちなみに乾杯のビールは駅の近くの金物屋さんに分けてもらいました。ありがとうございました。今回は、戦国時代の終わりを告げる、家康、三成の戦いが行われた関ヶ原を歩いて見て、当時の武将の思惑で陣取りが行われたのが、なんとなく解るような気がしました。 庵 記
 
 

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