Skysurf の歴史

Updated 2002.1.6


  • スカイフライSKYFLY(The Jumbo Kite)
  •  今からおよそ30年前になる1975年頃のことでした。ピンクレディが♪UFO♪なんて歌っていた時代です(2〜3年幅を持ってね)。ゲイラカイトという三角形で巨大な目玉がアピールポイントの洋凧が日本の冬の空を席巻していました。私もお年玉を握りしめておもちゃ屋まで走って買いました。右の凧をクリックすると「当時と変わらない値段で」売っているサイトに行きます。

     それまでの駄菓子屋さんで売ってた「奴凧」と異なり、簡単にしかも遠くまであがって壊れにくい凧なので小学生のブームになりました。また各地の電線や電柱に絡まって感電したり(凧糸は木綿なので凧糸を介した感電は少ないけど、雨天だと湿気を介して感電する、または無理に取ろうとして電線に感電した。)、高架道路等に墜落(空き地の横が高速道路だったり、大和川の河川敷を横断する高速道路もありました)したりしていました。郊外の公園では樹木にビニール製のゲイラの残骸がよく絡まっていました。

     そんな時代に洋凧の亜種である「スカイフライ(SKYFLY)」を 企画販売した会社(株式会社よもぎの部屋)が大阪にありました。スカイフライはNASAの技師(?)が設計したらしく、翼長1800mmとゲイラカイトの約二倍であり、頭頂部にパイプを持つことで少し強度を持たせていました。この凧は強風下では物凄い揚力を誇りました。デザインは子供向けの「目玉」ではなくアメリカ国旗をデザインした(当時はアメリカ国旗風のスキーウェアとか流行ってた)ものでした。一旦大空に舞い上がるとそのサイズから来る威圧感は目玉のゲイラよりも大きく、小学生では少し扱いにくい程のパワーでした。しかし当時から日本人のブランド志向は健在で洋凧と言えばゲイラカイトとなっていたことは想像に難くありません。


  • スカイフライフェリー SKYFLY Ferry
  •  洋凧もただ凧を上げるだけでは目玉がギョロ付いているだけで面白くない事に小学生も段々気づき始めます。 よもぎの部屋の社長は「何か付加価値がないだろうか?スカイフライの強力な揚力を用いた遊びができないだろうか」と考えました。

     そこで凧のことを色々調べると「風弾:フータン」という沖縄地方のからくり凧に巡り会いました。これは一旦高く上げた凧の凧糸に沿って羽を広げて上昇し、途中で羽を畳んで下りてくるという「からくり凧」の一種でした。竹の胴と扇子の様な羽根でできていてこんな感じですね。まさに揚力大魔神のスカイフライと組み合わせるべき相手です。社長は樹脂で試作品を創造しました。それがスカイフライフェリーです。(だいたい右の図に似ていますが、滑車を付けたりパイプの中にスプリングとロック機構を組み合わせたりと結構凝って造りました。)

     最近ネットで調べたところ「フータン:風蝶(沖縄地方・及び中国)」「シャクシメー(石垣島)」という名称で紹介されている事が判りました。以下に検索エンジンGoogleで検索したHPのさわりを載せます。タイトルはGoogleで紹介されたタイトルです。

    民芸館・沖縄県篇(2)ー1

    フータン(風蝶)

    フータンは「風蝶」と書き、凧揚げを更に楽しむもう一つの凧といえます。 蝶の形の羽は2枚の片羽からできています。このフータンには2個のコイル状のはり金がついていて、すでに揚げている凧の糸に取り付け中吊りの状態にします。フータンは風の勢いにのって、凧の揚げ糸をつたって空へ上っていきますが、やがて上の凧のみち糸に当たり、両翼を支えていたバネがはずれて、フータンの羽が閉じられ、糸にそって降りてきます。
     バネの部分に紙きれをはさんでおくと、バネがはずれたとき、紙ふぶきとなってヒラヒラと舞い落ちる光景が見られます。この地方だけでしか見られない凧の遊びです。

    伝統凧(石垣島)

    シャクシメー

    凧の道糸を使って遊ぶ遊具で沖縄本島、中国ではフータンと言って,開閉できる翼を持ち広げた状態で上昇し凧の糸目下のストッパーに当たり翼を閉じて手元に帰る仕組みになっている色々なカラクリが有り細かい作業が多く作るには高度な技術が必要で製作者も多くはなく大会等の出展も数点である。つくり方の説明へ。

    ともに蝶々の形に成っているところが興味深いところです。また、伝統工芸品である和凧の流れを組むため木製です(主凧の凧糸にかける部分は竹籤(ひご)から針金へ変わったようです)。

     さてに凧糸に沿って往復できるる樹脂製のフータン「フェリー」を 開発し、世(マーケット)に問いましたが、芳しいモノではありませんでした。フータン、シャクシメーもそうですが、主凧に沿って上がっていくところは非常に美しくて感動的ですが、上昇・下降を数回繰り返すと誰もが飽きてきます。しかも当時の凧上げブームの主役は小学生です。 目玉のゲイラカイト以外の洋凧は「マガイモン」として認識され、所有満足度が低かったと思います。そして彼らにわからない・理解できない付加価値(芸術性、文化)を付けても興味を示さないのは当然のことでした。(ま、遊び方を知らないのだから仕方がない)。そして数年後TVゲームの台頭(懐かしのインベーダーゲーム)によって凧上げブームは徐々に衰退していきました。


  • スカイサーフ(Skysurf)の誕生
  •  凧揚げブームが衰退していく中でよもぎの部屋の社長は色々考えていました。例えばフェリーが羽を畳む時の機構を用いてパラシュートを落下させるとか、フェリーにカメラを付けて空中撮影するとか(当時は使い捨てカメラがないのでカメラマンはカメラの提供を躊躇したし、当然民生用ビデオカメラも重かったので実現しなかった)。フェリーから花火を落下させるとか(危険なので取りやめ)なぜ考えなければならないか?それはSKYFLYとフェリーの在庫処理に追われたからである。少数ロットであれば在庫処分を深く考えなくても良いのだが、ブームでは(バブルと同じ)生産量が読めない。勢い多く造ってしまった。

     そんなある日、釣り好きの社長は当時の週刊釣りサンデー社長(現会長)小西和人氏と魚釣りをテーマに対談しました(釣りサンデーにその時の対談が掲載されたのはよく覚えています。)そこで一つのアイデアが実を結びました。小西さんは投げ釣りの神様のような人でして、当時は全日本サーフ連盟二代目会長であり、一介の新聞記者から一念発起されて株式会社週刊釣りサンデーを創立された偉業の人です。二人の対談からスカイフライとスカイフライフェリー、そして投げ釣りの仕掛けを組合せたら今までにない釣りができるのではないか?という発想になったのです。そして「スカイサーフ」が誕生したのです。

     さて、投げ釣りで最も重要な点は遠くまで仕掛けを飛ばすことです。しかし非力な女性や子供にはその課題を解決する術がありません。頑張っても数十メートル先へ仕掛けを投入することが精一杯です。ところが浜辺では足下が濡れない波打ち際からポイントまでの距離が百メートルほどであることが多く、女性や子供では物理的に仕掛けを投入できないことになります。また、投げ釣りは遠くまで仕掛けを投げた後少しずつ手前までたぐり寄せながらポイントを探るという方法もあります。これは釣果に結びつく重要な方法ですが遠投できてこそできる技です。

     先の対談の中で二人はスカイサーフは遠投能力が必要でない事、柔らかい餌(例えばオキアミ、生き餌、団子)を使えること、というメリットを直ぐに導き出しました。これは釣りに造詣の深い人でしかできません。しかし最大のデメリットは「風がないとできんな」と言うことでした。しかし風のない釣り場を二人とも殆ど思い出せなかったようです。

     スカイサーフは小西社長とよもぎの部屋の社長が命名しました。「スカイフライ」+「サーフフィッシング」=「スカイサーフ」です。サーフフィッシングは岸辺からの釣り全般を指しますが、日本では「投げ釣り」が有名です。

  • スカイサーフの実績
  •  投げ釣りなどしたことのない宮城静子(ミヤギシズコ?)と言う名前のアナウンサー(きっとMBS Radio)が、スカイサーフで30cmクラスのカレイを数匹、一度につり上げた記事が釣り関係の新聞か釣りサンデーに載った記憶がある。社長が後ろでニコニコしてた。彼女が釣ったときの餌はオキアミとかエビ粉をまぜたコンニャク様の餌で、投げ釣りだと引きちぎれる餌だった。多分社長のアーカイブをあされば何かの記事が出てくるだろう。

     一度NHKで紹介されたこともある。夕方6時のニュースだったと思う。この時は「フェリー」と言えないので「小凧」と言ってたと思う。しかし、ブームには成らなかった。

     社長と数回スカイサーフを試したが、風の向きとポイントが合致していないときは辛かった。

     スカイサーフ以外に「魚が釣れる阿波凧」と言ってパッケージにしたが、どうだったんだろう。

  • スカイサーフのこの頃
  •  あれから約四半世紀が経過して、スカイダイビングとサーフィンを掛け合わせたスカイサーフィンの方が メジャーになったわけですね。

     社長はスカイサーフを終生の楽しみとしておられます。どこかでスカイサーフを楽しんでいる私達と遭遇するかもしれませんね。その時はホームページを見ました!っと一声かけてください。一緒にスカイサーフを楽しみましょう。