馬旅日記 2000

 2000年春、四国巡礼の旅から帰ってきた僕らはしばし休養をとった後、北海道へと「ふ〜てん号」で向かいました。そして北海道を旅した後、東北を南下する旅を11月28日まで続けたのです。以下の文章は「馬旅人の日記」として旅の間、Site上に持ち歩いていた Computer から Upload していたものです。特に編集せずに載せます。写真の準備が出来たら掲げるかもしれません。お楽しみに〜

三日月と北海道へ

蘭丸にも乗ったし     2000年06月26日
 放牧から帰ってきていた木曽の種馬「蘭丸」に久々に乗りました。でも放牧すると筋力が相当落ちるんですね。やっぱり働いてない奴は駄目じゃ。彼の Rocket Start を体験してから旅立ちたいと思っていたのですが、とりあえず乗っただけで終わってしまいました。秋に帰って来たらまた乗せてもらおうと思います。その頃にはきっと、うっしっしな状態に戻ってるでしょうね。やっぱり玉付きはある程度荒っぽくなくちゃね〜。筋力は落ちて Power Down はしていたけれど、まじめに良く動いてくれました。本当にいい奴です。早く三日月との仔がぁ〜、こればっかですね(^^;
 実は新しい鞍使って走ったら、何と僕のももに鞍ずれが出来てしまいました。そんなに痛みは感じないけれど、ズボンが体液でバリバリになるので困ったなぁって所です。馬運車の運転に差し支えなければいいけど。とりあえず牧場を6/28に出発する事にしました。北海道入りはまだ未定です。

志賀高原にいます     2000年07月04日
 牧場を6/28の午後出発し、昨年お世話になってからも時々遊びに来ていた志賀高原にある丸池ホテルに来ています。なぜ長野なの?北海道に行くんじゃなかったっけ?って言われるけれど、僕は浮浪者の身。北海道に早くたどり着いて、さまよい歩きたいのはやまやまなのですが、それ以前に三日月と好きな場所に行き、好きな人達の顔が見たかったのです。実はそれだけじゃない、この丸池近辺には素晴らしい遊歩道が数多く存在するのです。昨日、ここにいる馬 StepByStepと三日月に乗り早朝外乗に行って来ました。朝露がおりた山の香は、いつも外乗の楽しさにリラックス感を与えてくれます。もうホント最高です。いつか牧場の連中と大好きな木曽馬達を連れて遊びに来たいものです。

いまどこですか?     2000年07月11日
 ぎょ、歩き人のふみさんから電話がかかって来た。「まだ長野なのよ〜、ゴメーン」という会話の後、僕達は志賀高原を後にした。その日は、やはり昨年お世話になった新潟にあるOUTLANDというキャンプ場に泊めてもらう。昨年一緒に三日月に乗り、幼稚園まで送っていった遙香君はピッカピカの小学生になっていたし、家族は皆元気そうでキャンプ場の楽しい手作り遊具も増えていた。ここでも額に汗して着実に生活を楽しむ家族を目にして、根無し草の僕は多少うらやましくもあった。
 そして新潟から磐越、東北道を八戸まで走り、フェリーで室蘭に渡った。7/08に旭川で、やっと歩き人「ふみ」、そしてもう一人の歩き人「じゃりてん」に会う。この日は桝澤畜産という馬屋さんでお世話になる。あのドロンズがロシナンテというロバと共に訪れた所でもある。桝澤さんの所に3泊お世話になって、僕達は北に向けまた出発した。歩き人達も個々に自分の旅を再開した模様。楽しかったよ(⌒_⌒)、また何処かで>ふみ、じゃり

新たな出会い     2000年07月25日
 7/17 宗谷地方・豊富町で銭湯に入った。そこの馬好きのおばちゃんが声をかけてくれたおかげで、地元の個人宅にいる馬に会いに行く事になった。そこの親父さんに馬を見せてもらう、バンバ馬だ。でも悲しい事に、ここでもやっぱり親父さんの代で馬を飼うのは終わりになるだろうと聞く。
 でも悲しいだけで終わらないのが、三日月との旅だ。内地から移り住んだ人がいるから、話しが合うだろうとその親父さんが連れて行ってくれた。北海道に移り住んで10年になる人だった。自分の建てた小さな家に住み、無農薬というより循環型の畑仕事を実践していた。彼と1920年頃のBluesを聞きながらCoffeeを飲み、色々な話しをした。また農作業を手伝わせてもらったり、合間に放牧地を眺めながら馬で駆ける。そんな楽しい1週間だった。こんな出会いがあったのも、全て三日月のおかげなのだ。これだから馬旅は止められなくなっちまう。

オホーツク海との出会い     2000年07月30日
 サロマ湖で東側の岬先端付近まで三日月と歩いた。ここサロマ湖ネイチャーセンターには重種の馬が引く豪華な馬車がある。その馬車か徒歩、あるいは自転車でなければ、この自然保護道路には入れない。馬車が入っているのだからと、オヤジさんが三日月で行く事を許可してくれた。この人は現在でも馬を飼っているという。馬を理解してくれる人と出会うとそれだけで嬉しくなる。日差しが強かったけれど、風があって気持ちのよいトレッキングだった。ここで初めてオホーツク海の砂浜を駆けた。暑かったので、ホンノ少しだけね(^^;

潮風が気持ちいいな     2000年08月01日
 能取岬に三日月と行く。ここにも放牧場があってバンバ馬達が放牧されていた。潮風が気持ちいい。本当にこんなところでの放牧は、馬にとって幸せだろうな。風があるので虻も少ない。三日月もそこらじゅうにある牧草に夢中になってた。そんな三日月は景色に溶け込んでいたのだろう、モデル料はいくらかと尋ねられた。写真を撮るならご自由にどうぞ、僕達も旅行者なのだから。いい記念になったと喜んでもらえた。初めて馬に触れる人でも、三日月くらいの大きさ(体高143cm)なら恐怖心もなく近寄れるようだった。
 もちろん僕は三日月に乗ったが、暑かったので無口に引き綱を付けただけの裸馬で散歩。灯台を一回りして、岬に沿って歩いた。帰ってきたら三日月は結構汗をかいていた。僕のズボンも内股が彼女の汗で濡れていた。久々に水浴びをさせて、美岬キャンプ場で泊。感じのいい管理人の親父さんが、三日月を歓迎してくれた。宿泊料金は僕一人分だけ@320円也。

何てスリリング     2000年08月02日
 なかなか馬と入れるキャンプ場は少ない。泊り客がそんなに多くなくて、管理している人の許可がないと泊れないからだ。この日、美岬キャンプ場は人が少なかったので、出発する前にキャンプ地近辺を三日月と散歩。人がいない場所で、木々の間を三日月で駆ける。映画 Star Wars でエアロバイクに乗り、木々の間を走るアレだ。これこそ、僕の事を理解している馬とこんな Location がなければ絶対体験できない事だ。神経を使うので、とても短い時間だったけれどエキサイトしてしまった。こんな遊びはなかなか出来ないからなぁ(^^)

元気でやってます     2000年08月04日
 馬運車を使った旅にもだいぶ慣れて来ました。本来なら回り道なんて絶対しないような所まで三日月を連れて、馬を飼う個人宅にお邪魔しています。今日は20kmも来た道を戻って馬達を見てきました。けれど北見近辺はバンバ馬ばかりで乗用馬にはなかなか出会えません。「道産子は釧路や函館にいるよ。」とよく言われるのですが、道北では結局会えませんでした。興部(おこっぺ)で、朝鮮Ponyの血が入っている道産子と同じ位の大きさの馬やPonyが沢山いましたが未調教で乗れず。うう残念。変わりに三日月で牧草地を爆走して、脚の筋肉痛で辛い夜を過ごしました。
 いよいよ阿寒・摩周を訪れたいと思います。その後は、釧路、帯広と続きます。歩き人「ふみ」は層雲峡を歩いて無事抜けただろうか?

笑ってやって     2000年08月05日
 昨日の日記「馬運車を使った旅にもだいぶ慣れて来ました。」の翌日、屈斜路湖に向う峠道で僕のミスで「ふ〜てん号」を路肩に落としてしまった。結構落差のある部分に後ろからズルズルと落ちたものだから、前輪のタイヤは宙に浮き車は万歳をした形で停止した。三日月は車内で立っていられないほど急だったので、すぐに出してやると不満を訴えていた。スイマセン_o_
 ふ〜てん号はマフラーが地面に埋まってしまい固定具が壊れている程度。自力で何とかしてやろうと1時間近く濡れ鼠になりながら色々やってみたのだけれど、一人の非力を強く認識させられただけ。段々強くなる雨の中、サルベージを携帯電話で呼ぶ。僕の1ヶ月分の食費が飛んで行った。でも、いい勉強になったと思う。大きな機動力となる機械類も扱いを間違えると致命的なミスになりかねない。トホホ

またやっちまったぜ     2000年08月16日
 野付半島に入る。霧もなくナラワラやトドワラの景色を楽しむ事が出来た。ミズナラやトドマツの森が海に没したところだ。そして半島の行き止まりまで行く。とりあえず三日月を放牧して、Coffeeでもいれて本を読もうと車を海に向って進めた。
 ヤバイなと思った時には既に車は止まり、砂海に捕まってしまった。三日月を車から降ろして放牧し、僕は難破した「ふ〜てん号」と格闘する。少し離れて見ると、本当に海に取り残された難破船のようだ。こんなときの三日月は時々僕を心配そうに見つめていることがある。いや情けない相棒が、ただ不安なだけかもしれない。
 疲れて来たので、Coffeeをいれて簡単な食事を食べる。そして本来の目的どおり、本を読んでいたら少し寝てしまったようだ。今日は天気も良いし、このままここで泊まろうかと考えていたのだが、ガスが出てきて寒くなってきた。しょうがないので重機の助けを借りて「ふ〜てん号」を脱出させる。何て間抜けなんだろうと自分でも笑ってしまった。寒くなってきたので、僕達は立ち去ることにした。帰り際にはナラワラもトドワラも霧に隠れていて、印象が随分変わる事に気づく。

霧多布にて     2000年08月23日
 霧多布岬のキャンプ場に泊まった。昨晩は霧雨のような状態で何も見えないし寒い。明日は晴れるけれど、濃霧注意という予報を聞きながらテントにもぐり込んだ。朝起きると霧というベールに隠されていた景色が沖まで見渡せるほどの快晴。食事を手早く済ませて裸馬で散歩。三日月は元気で、僕は落ちそうになる。鞍を付けて灯台のある岬まで三日月に乗ってtrekking。素晴らしい天気と景色。途中から降りて三日月に道草を食わせる。霧の中、湿った気分で眠ったから、この天気のありがたみが一層増す。素晴らしい景色と本当に気持ちのいい trekking だった。こんな日は全てに感謝してしまう、ありがとう。(⌒_⌒)

さよなら「ふ〜てん号」     2000年08月27日
 8/27中標津町で行なわれる草競馬に参加するため釧路を5時半出発した。せっかく北海道に自馬と来ていて草競馬があるなら、見に行くだけでなく出来たら参加したいと考えていた。
 8時前に中標津市街から2kmの地点まで来たとき、一時停止を怠ったバンが交差点に飛びこんできて、僕達の車と衝突、そのまま引きずられて電柱に衝突して横転して止まった。当然、三日月も乗ったままだ。下肢を挟まれ、ガラスの破片が散乱する車内から何とか抜け出して三日月を確認したら、大きな怪我はしていないようだった。扉をこじ開け、ロープを切って三日月を連れ出す。普通に歩いて出たので一安心。その後、事故処理に追われ草競馬どころではなかったけれど、三日月はすぐに近くの馬屋さんが競馬場に待避させてくれて休まされていた。僕は身体中痛くて動くのが辛いけれど、大きな外傷は無し。三日月は釧路の馬屋さんに預かって休ませてもらう事にして、僕は事故処理で中標津に残る事になったので少しの間離れ離れだ。すごく心細くて寂しい。
 大破した「ふ〜てん号」を見ると、この怪我程度で済んだのがウソみたいだ。電柱の位置がもう少しずれていたら、僕の身体は肉サンドになっていただろう。とりあえず三日月が大丈夫そうなので一安心。他の怪我人も骨折程度で命に別状は無いと聞いた。今は三日月の身体と精神へのDamage がどの程度かが一番の心配事だ。そして僕は三日月と進めるなら、まだ旅を続けるつもりでいる。

津別にて     2000年09月03日
 Guestbookに書き込んでいただいた西村さん達がつくっている「津別ホーストレッキング研究会」で外乗させてもらう。北海道に来て三日月以外の和種馬に乗るのは初めてだ。僕が乗せてもらったのは西村さんの自馬、側対歩の「ハツ」。丁度日 曜日で会員さんたちが集まってきた。少々の雨は馬乗りには関係無い。前の馬から跳ねあがる泥を避けながら山中を駆ける。ロケーションが最高だ。外乗中、鹿とも遭遇するなんていうのは北海道ならではだろう。しかし何よりも嬉しかったのが、山中を約25kmも走り続けられる体力を持った和種馬に会えたことだ。こんなに動く馬は普段からきちんと乗られていなければ作れない。道内にこんな和種馬はそういないんじゃないかな?外乗好きの馬乗りは連絡してみると楽しいでしょう。またここではエンデュランスを視野に入れ、アラブの血が入った和種馬生産も始めているようでした。今後が楽しみです。
 「津別ホーストレッキング研究会」 Phone&Fax: 01527-6-3130

今度は白滝村     2000年09月05日
 西村さんから白滝村の本田牧場にも良く動ける道産子がいると聞いた。ここも道産子でトレッキングを行なっている牧場だ。牧場主の本田さんに、側対歩の道産子「りょうま」で3時間の外乗に連れて行ってもらう。牧場から川を渡り、馬の背より高い木々が生えている地を駆け、スキー場近くの放牧地まで山中を行く。トレッキングなんてもんじゃなかった。ほとんどクロスカントリーだ。時には思いっきり爆走するもの楽しい。和種馬の本当の力を再確認する事が出来るからだ。それは、つい過保護にしてしまいがちな馬との関わりを新たに考えさせられるきっかけとなる。北海道和種馬は内地から連れて来られて置き去りにされ生き残った馬達の末裔だ。そんなにヤワじゃない。しかし普段から首を下げてトボトボと歩く姿しか見れない和種馬は誤解されてもしょうがないのかもしれない。荒地や山中を駆け抜けられる和種馬は人の目に触れることは少ないからね。多分、和種馬以外の馬しか知らない人達はびっくりすると思う。適材適所で馬を活用できれば、和種馬の生き残れる場所はまだまだあると思う。北海道を訪れる機会が持てるなら、こんな和種馬達が残っている間に体験しておくことを強くお薦めしたい。
 「どさんこトレッキング牧場」Phone: 01584-8-2628

再出発の準備整う     2000年09月09日
 9/07夕刻、中標津町に入った。車が用意出来たとの知らせを受けたからだ。翌日、三日月を乗せられるように中にロープを張って緩衝材を取りつけ、桶をSettingする。壊れてしまったバケツ、水入れ、ライトや餌のふすま等を購入して三日月の受入れ準備が整った。そして久々の三日月との再会。彼女の後右足のびっこは解消されている様子。ただ、まだ乗ってないので100%安心は出来ない。しかし元気になって白い粕毛が抜け落ちて行く三日月を見ていると一緒に居られるだけでも満足してしまう。さてさて、また2人そろって歩き出せそうです。心配してeMailをくださった方々ありがとうございました。また僕らの道中を三日月通信やHP上で報告したいと思います。

輓馬競技を観に行く     2000年09月10日
 今日は弟子屈町で行なわれた輓馬競技大会を観に行った。8/27に草競馬で少し見たけれど、事故処理でゆっくり楽しむ余裕がなかった。弟子屈町の輓馬は大小の2つの障害を含む200mで競われる。僕が知っている乗馬とは全く違った馬の世界だ。しかし家族と共に馬で遊ぶお祭りの雰囲気は草競馬でなじみのあるものだった。
 馬と接していると「かわいそう」という言葉を時々耳にする。僕の大嫌いな言葉だ。馬だって生きて行くために働かなければならないし、また使われなくなってしまった馬ほど惨めなものはない。そんな馬のほとんどは食用の肉になってしまうのが現実だ。僕は馬に対して鞭を振るう必要があるなら迷わずやる。それには自分が絶対に間違っていないという強い意思が必要だ。僕は出来た人間じゃないから、怒りで鞭をふることも多々ある。しかし、それは自分を責める結果を生む。馬を通して自分の真の姿がわかる。恐い事だけれどね。
 輓馬競技は、馬に負荷重量を乗せた橇を輓かせて走る。障害の坂の前では息を整え、馬の状態を見極めて鞭をいれる。馬の事が理解出来てないと、坂の途中で馬は止まって動けなくなる。タイミングを読める騎手が操ると、何百kgという橇はゆっくりとだが進み、障害を越える。それはとても力強い走りだ。こんな形の馬との関わりもあるんだと思った。そして輓馬競技や輓営競馬がある限り、この大型の馬達や力強いponyは生きて行く事が出来る。馬だけでなく、携わっている人々にも頑張って欲しいと思った。

三日月に乗ったよ     2000年09月12日
 十勝川温泉から山間部に入った所にあるオサルシナイ林間キャンプ場に泊まった。そろそろキャンプ場を利用する旅人も減ってくるだろうと思っていたが、何組かのBikerがロッジに泊まっていた。三日月をクローバーで埋め尽くされたサイトに放牧し、僕は近くにテントを張った。夜半から雨が降り、そろそろ寒くなってきて秋を実感する。その証拠に広葉樹が色付き始めている。昼前に雨が止んだので、事故後三日月に初めて騎乗する。随分乗れない日が続いたから、随分張っていた。走らせてみたけれど、とりあえず問題点は見つからなかったので、今後少しづつ乗る時間を増やして行こうと思う。
 そして夕方、馬関連誌で有名な「旋丸 巴」さん宅に行く。アラブ馬を見に行くためだ。僕は純アラブを見るのは初めてだったけれど、柔らかそうな馬体としなやかな首、大きすぎない馬体が特徴的だった。動いている姿が見れなかったのが残念だ。わざわざ厩舎から出していただいたので何枚も記録を撮らせてもらい、お話を伺う事が出来た。旋丸さんは、馬の種類は数多く、各品種の特性の違いも知って欲しいと言っていた。個々に目を向けるともっと面白いのだけれど、それ以前に馬と接する機会が少ないのが悲しいね。

北海道和種馬の聖地を見た     2000年09月13日
 川原さんの「剣山どさんこ牧場」にお邪魔した。すごい数の北海道和種馬に囲まれてゾクゾクした。100頭ぐらいいるとのこと。ここの道産子は、とても人馴れしていて寄って来るのだ。川原さんによると、放牧してあっても無口をすぐに付けさせる馬ばかり残したというから淘汰された結果が現れているのだろう。何と!ここの道産子は側対歩だけじゃないのがいい。斜対歩も淘汰せずきちんと残してあるのだ。道内で始めて斜対歩の道産子に遭遇したぞ。うれしいな〜。(僕のHP上では、側対歩以外は道産子じゃないという視野の狭い人は無視する。歩様の差はあれ、僕はどんな道産子だろうと和種馬だと考える。)
 牧場を始めて9年になるという暖かい人柄の川原さんのもとで、ひっそりとだが確実に和種馬達は命を繋いでいた。種馬「秀王」も元気そうだ。本当に頑張って欲しい。和種馬保存に関して、国内最大の馬産地である道内を見てきて感じたのは、結局最後は少ない本当の馬好き人に頼るしかないのかもしれないということだ。海外援助と同じく金を出すだけでは、絶対に良い結果は出ないと思う。もし本気で和種馬を残すつもりがあるなら、実際に脚を運んで現状を自分の目で確かめて欲しい。純粋種ばかりにこだわって血が濃くなり使えない馬ばかり残して、それが和種馬だと胸を張って言えるだろうか?
 午後から、僕は三日月を川原さんに預かってもらって、帯広市内の「馬の資料館」に行ってきた。プラウとか馬用の農機具を沢山目にした。これで一度畑をおこしてみたら面白いだろうな〜。そんな農作業なら一度経験してみたい。さて、明日は帯広動物園内にある「植村直己記念館」に行くのだ。(^^)

「ふ〜てん2号」日勝峠でダウン     2000年09月14日
 帯広から日高を抜ける雨の峠道で、新しい僕達のアシ「ふ〜てん2号4WD」が止まってしまった。車のトラブルばかりだねと言われてしまいそうだ。(^^; 今思い返すと、納車してもらった頃からクラッチ板の滑っている気配があった。少し坂道になって負荷がかかると、Engineの回転数が上がるのだ。最近のComputer搭載インジェクションは、AT車の様にこんなところまで面倒みてくれるのか凄いな〜って思っていたんだから笑わせるでしょ?
 結局、レンタカー屋さんの手配で同系列の清水トヨタの車で回収されることになった。レンタカーって三角の停止表示板が車載されてないのが普通なのかな?雨の中、主要国道で大型車がバンバン走るなかで路肩に止まってるのって凄く恐かったゾ。
 これでまた2,3日予定が遅れてしまうなぁと嘆いていた。翌9/15が祝日で、その次は土曜日の週末だったからだ。しかし清水トヨタのメカニックはパーツがあればすぐにでも直せると言う。レンタカー屋の担当者が代車がどうのこうのと言っている間に、メカニック達はパーツを取り寄せ修理にかかってくれた。翌日から会社が休みになるからと、晩飯も食わずに残業をしてくれたのだ。本当にありがたかった。こんな勤勉な部分は日本ならではだろう。そして、ちゃんとした技術をもったメカニックに感謝したい。現状を見て、手早く解決処理できる技術屋さんは尊敬に値する。それは僕が常に自分もそうなりたいと思っていたからだ。最短距離で問題を解決するのを見ているのは本当に気持ち良い。僕はすっきりした気分で、また三日月と峠越えに向ったのだった。

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東北を歩いて南下しよう

八戸にて     2000年09月17日
 フェリーで八戸に渡った僕は、昨年十和田市で開催された日本障害者乗馬協会の全国大会で知り合った黄綿氏に連絡をとった。実はこの方も和鞍乗りで紅葉台にもいらした事がある。乗ってない状態が長く続く事になってしまった三日月の蹄は伸びきっていた。にもかかわらず鉄は全然減っていなかったのだ。前足の蹄が歪み始めているのがわかったので、きちんと装蹄師さんにお願いしたかった。これからの旅に備えて不安材料をできるだけ減らしたかったからだ。そこで黄綿氏に連絡をとったのだけれど、装蹄師さんの予約から、場所のSettingまでしていただいた。獣医さんでもある平野さん経営のポロライディングクラブの一角をお借りして、三日月の蹄鉄はあたらしくなった。いや〜職人さんの仕事は近くで見せてもらえるだけで嬉しくなる。無駄のない動きと、美しく削蹄された蹄。そして装蹄作業はあっという間に終わった。場所を提供してくださった平野さん、谷川田装蹄師さん、本当にありがとうございました、これでまた安心して旅を続けられます。(^^)
 そして黄綿氏の案内で、美しい大須賀海岸や天然芝の種差海岸で三日月に乗る。
当然黄綿氏にも乗ってもらった。後日聞いたところによると、種差海岸で馬に乗ったと言っても信じてもらえなかったらしい。旅を終えたら証拠写真お送りしますね。でも本当に天然とは思えないくらい美しい芝だった。あまりに美しいので芝上では歩かせ、砂地の海岸を思いっきり駆けた。そりゃぁ〜、気分は最高です。(⌒_⌒)

寒立馬に逢う     2000年09月20日
 9/18もう一度ポロライディングクラブに立ち寄らせていただいて、馬達が動いているのをゆっくり見せていただいた。このクラブは普通の乗馬クラブだが、その名の通り騎馬打毬をやっている牧場主がいたり、障害者も乗馬を楽しんでいるようで、僕には中々興味深かった。昼飯をご馳走になり、平野さんの奥さんに障害者乗馬の現状を聞く。どこも金銭的な問題以外に、どうやって障害者を安全に馬に乗せるかが大きな問題のようだ。海外のように何百年も淘汰された乗用馬ないこの国では、障害者乗馬に使える馬を作るのも難しいだろうが、馬を扱えるボランティアの協力が不可欠で圧倒的にそんな人達が不足している。安全に皆が楽しく馬と遊べるように、平野さんには今後も頑張って欲しいと思った。
 そして午後から、寒立馬に逢うために下北半島へと旅立ったのだった。そして2日後、灯台のある岬の先端部分のかなり広い地域が放牧場となっている尻屋崎で、ブルトン種のような馬達に出会う事ができた。(^^)

田代平なつかしいなぁ     2000年09月28日
 八甲田山の近くにある、昨年お世話になった田代平のキャンプ場へ行く。管理人をしている長谷地さんの懐かしい笑顔で迎えられた。三日月に車で移動する旅の疲れが見えはじめていたから、数日ここの牧草地でゆっくりさせたかった。そして僕もネ。ここで休んでいる間に、三日月の餌を買いに十和田湖町のJAに行ったり、長くなった髪を切ったりした。長谷地さんに教えていただいて、出来たばかりという馬の文化資料館「称徳館」に立ち寄れた。馬だらけの展示物に僕は何だかとても嬉しかった。
 雨ばかりだった牧野が晴れた9/28、やはり昨年お邪魔した高原茶屋のおばちゃんの所に立ち寄った。昨年三日月と一緒に撮った写真をいただいた。今年は三日月に乗ってもらって写真を撮る。そして人の縁は奇妙で面白いねとおばちゃんと話す。本当に三日月がいたから、こんな出会いがあったんだと三日月に感謝したい。
 何十年ぶりに馬に乗るという長谷地さんにも三日月に乗って楽しんでもらった。またまた昼飯をごちそうになって僕らは旅立った。本当にありがとうございました。写真楽しみに待っててね。(^^)

新たな旅のStyleで     2000年09月29日
 田代平にいる間に僕の頭の中にある考えが浮かび上がってきた。この車を使った旅は、広い北海道内では必要不可欠であったけれど、東北では車での移動という形で旅をしたくない。僕には車を使った旅は楽過ぎて、あまりにもつまらないものだったからだ。三日月と歩いていると偶然の出会いが数多く、それらは旅を楽しませてくれた。
 そして9/29、八戸市内の馬淵川大橋の下から僕はまた三日月と歩き始めたのだ。目的地に向って、三日月に乗ったり、挽いて歩いたりという旅のStyleは昨年のものと同様だ。しかし僕達には「ふ〜てん2号」というサポート車がある。コイツは餌や重い装備も積める上に疲れを知らない。ふっふっふ、詳しくは後日。(^^)
 初日は無事R104を約20kmを歩いた。現在はR4を盛岡に向って南下中。もし経路の途中に立ち寄って欲しい学校や幼稚園があれば声をかけて欲しい。見せ馬程度なら喜んで三日月と訪問するつもりだ。

北上川を見ながら     2000年10月06日
 当初の目的地だった盛岡に到着した。明日から約1週間、僕と三日月は休暇に入る予定だ。その前に今回の旅のStyleを説明しておきたい。
 八戸から盛岡までの約120kmの一本道を僕と三日月の肉体だけで進んだ。実はこの馬旅では3人の旅人が同じ距離を歩んでいる。三日月に乗って進む旅人。スタート地点に置いてある「ふ〜てん2号」までヒッチハイクで戻る旅人。車を走らせ三日月を回収する旅人だ。もうお分かりだろう。3種の方法で毎日の工程、約20kmを一往復半しているのだ。こんな馬鹿な事を考えて、実行してる野郎がここにいるわけだ。おー恥ずかし(^^; でも頭の悪い僕には、こんな形でしか歩いての馬旅を実現する方法が思いつかなかったんだからしょうがない。
 しかし、ヒッチしているおかげで色々な人に出会う事が出来る。そして運が良ければ、その中から馬に乗ってみようと考える人が現れるかもしれない。それは道で三日月に乗った僕とすれ違う人々にも言える事だ。こんな小さな可能性も僕達を進めるEnergyになる。何はともあれ、僕を車に乗せてくれた方々本当にありがとうございました。_o_

北の馬文化     2000年10月07日
 盛岡を発つ前に岩手県立博物館に立ち寄った。「北の馬文化」という特別展が開催されているのを知ったからだ。ちょうど週末で「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の衣装を着けた馬達も2頭来ていた。彼らの写真を撮って同好会の人々に話しを聞いた。
 過去は南部駒を使ったらしいのだが、現代ではバンバ馬が使われていた。その馬達も常に仕事があるわけではなく、飼主が好きで馬と暮らし、時々観光用にかり出されるとのこと。こんなに有名な行事があるにもかかわらず、馬達が数多く生きているわけでもない。そして在来和種馬の姿が見れるわけでもなかった。一昔前まで人々の生活を支える為に働き、動力としての存在価値が無くなった現代の馬達。もうすぐ馬と共に暮らした経験のある老いた人々も去るだろう。珍しい動物になってしまった馬、そして残り少ない和種馬を僕は出来るだけ多くの人に見てもらいたい。そして触れて、乗って、遊んで欲しい。馬と一緒に遊ぶのは、実はそう難しくないのだ。金もそんなにかかる訳じゃない。もう少し他人と違った価値観を持った人が現れると僕は嬉しい。ピッカピカの乗用車が持てるんなら、和種馬なんて幾らでも買えるし、飼える。まあ、そんな事より乗って遊んでみて、楽しいから(^^)
 装束だけで8kgはあるという「ちゃぐちゃぐ馬っこ」。僕は短い時間だったが乗せてもらった。随分視線が高く、一歩一歩が力強いな〜と独特の鈴の音を聞きながら、揺れるたてがみを見て思ったのだった。

遠野に到着     2000年10月17日
 秋田に三日月と車で向い、昨年お世話になった佐竹南風さん宅に1週間お邪魔する。僕も三日月もゆっくり休める事が出来た。昨年は三日月が疲れていて乗ってもらえなかったので、南風さんと彼の友人のご家族に三日月に乗ってもらう。よろこんでもらえて僕も嬉しかった。馬に一度も乗ったことのない人でも、三日月なら安心して自分の手綱操作だけで散歩してもらえる。初めてというのに速歩までして遊んでいた、若い子は違うな〜。
 10/14に盛岡に戻り、翌日からR396を進む。遠野 道の駅・風の丘に着いたのは17日。岩手日報社の新聞取材をしてもらった。そして菊地さんの知人・佐々木さんに連絡をとる。三日月を休める場所として高橋さん宅に連れて行ってもらった。佐々木さんの友人で、職場のあった都内から馬と暮らすために遠野に移り住んだ人が高橋さんだった。僕は初めてお会いしたわけだが、すぐに馬を通してうちとけられるのはありがたい。三日月を降ろすとすぐ厩舎に入れてもらえた。三日月は久しぶりに馬族と会い、またまた嬉しい休暇だ。そして23日の朝まで、三日月とお世話になることにした。21,22日と遠野・馬の里でFestivalと馬市場があるのだ。この間に馬をたくさん見て回りたいと思っている。間の20日だけは、風の丘から陸前高田に向けて1日だけ歩くつもりだ。峠と長いトンネルがあるし、少しでも先に進んでおきたいと考えているからね。

顔も知らぬ馬友達     2000年10月19日
 お世話になっている佐々木さんや高橋さんもそうだが、馬と一緒にいるだけで何も知らない僕のような浮浪者を受け入れてくれる人は結構いるのだ。これは全て馬の三日月のおかげだと思う。馬という動物が取り持ってくれる不思議な縁だ。
 そして19日UmaNetというMaillingListに参加しているおかげで、遠野市の近くに住む馬好きの女性と会う事が出来た。仕事が忙しいのにもかかわらず、午前中だけだったが平日に会いに来てくれた。最初に電話があった時、三日月に乗って歩いている最中だったので、蹄がたてるポコポコという音が聞こえていたらしく喜んでいた。馬好きは些細なことでも、馬を感じるだけで幸せになれるからいいよね〜。(^^)
 彼女は身体的な理由で1年くらい馬には乗っていなかったらしいが、せっかくだから三日月に乗ってもらうことにした。久しぶりと言いながら、初めての和種馬で駆歩までして遊んでいた。初めてという小型の馬の歩様を楽しんでもらえたと思う。ホンノ少しだけど馬に乗って公道も歩いたものね。どう感じただろうか?気が向いたら教えて。
 数少なくなってしまった馬、だからこそ馬に関わっている人は人のつながりを大切にするのかもしれない。逆に言えば、馬達が人々を繋いでいるのだろう。この不思議で美しい生き物のそばに居られて本当に幸せだと自分でも思う。かなえさん、わざわざ僕達に会いに来てくれてありがとう。_o_

パトカーがぁ〜     2000年10月20日
 10/20 丸2日間休ませた三日月と一日だけ進む事にした。道の駅・遠野風の丘からR283を歩き始める。曇り空で僕には少々寒いが、暑さに弱い三日月にはいい気候になってきた。途中からR340に入り陸前高田方面に向う。随分車の通りが少なくなった。しかし今日は全長2kmの赤羽根トンネルが控えている。無理そうなら迂回路の峠道がある事がわかっているので、多少気が楽だった。もしトンネル内を歩くなら、車の通りが少ない方がいい。でもヒッチハイクはどうなるやら少し不安だ。
 三日月とこんな長いトンネルを歩くのは初めてだった。幅は狭いが車道より少し高くなった歩道があったので、トンネルを進む事にした。三日月への精神的な負担を考えれば迂回路を選んだ方がいいのだが、僕は三日月なら歩けると思ったしトンネル内が結構明るく安全に通過出来ると思ったから、長いトンネルを経験することにした。そして、僕の期待通り三日月は無事通過してくれた。でも彼女には辛いものだったのは確かだ。僕はもう、これ以上長いトンネルを歩くつもりはない。十分三日月の能力はわかったつもりだから。
 トンネルを抜けると雨が降っていた。下り道は馬にとってキツイので降りて一緒に歩く。そして道が平坦になった頃、神社があったので今日の行動を終える。雨は止んでいて、車の通りが少ないにもかかわらず5分程度で一台目の車に乗せてもらえた。本当にありがたい。そして三日月のもとに馬運車で戻ると、なんと!パトカーが停まっているではないの。ひえ〜マズー(^^;;;
 隣家の親父さんが馬だけつながれていて、飼主がそばに居ないので心配して駐在所に届けたらしい。僕が戻ったので、三日月だけでなく警察官のおじさんも隣の親父さんも安心したようだった。お騒がせしました。_o_

筋肉疲労     2000年10月29日
 10/27 宮城県志津川町まで約 6km の所まで歩いた。しかし僕らは車でその手前の本吉町まで戻ってきた。河川敷にゆっくり休めそうな場所を見つけたからだ。三日月はその夜、四肢を伸ばして休んでいた。前脚をマッサージをしようとすると痛いらしく嫌がった。翌日、全身を触診すると前脚だけではなく、あちこちに筋肉痛があることが判明。昨日は地元の人にお茶を呼ばれ話し込んだにもかかわらず、約20km も進んだ。それも今までで一番長く三日月を引いて一緒に歩いた日だったから僕は気を良くしていたのに。
 というわけで、28日だけ休むつもりが29日も丸一日、この河川敷で過ごすことになった。僕も久しぶりにのんびりと昼寝と読書を楽しんだ。実は三日月の為というよりは僕のための休暇だったのかもしれないな。焦って三日月を壊す事だけは絶対にしてはならない。だから進みたいという気持ちを少しリラックスさせて、自分を開放する時間が必要だったのかもと思う。
 三日月に昨日、クラーゲンというシップ薬を塗った。今日は短い時間、調馬柵で身体をほぐした程度。最初の数分は久しぶりに走りまくっていた。公道を歩いてばかりで気持ちは張ってるのに、身体を思いっきり動かす機会もなかったから、筋肉痛なんて消し飛んでしまったような動き見せた三日月だった。僕達にとって価値ある停滞日だったと思う。

小学生に拾われる     2000年10月30日
 宮城県に入って、ヒッチハイクに時間がかからない事が多くなった。それまではヒッチハイクに必要な時間は不確定だったので、行動を14時には切り上げていた。しかし、多少時間が遅くなっても、毎回三日月を暗くなる前に回収して、その日の放牧地を探す事が出来ていた。だから最近は行動を15時頃までしている事が多くなった。そのおかげで小学生の下校時間に僕らが道を歩いている事となり、彼らと僕らが出会う機会が増えたのだった。そして今日もそんな下校中の小学1年生3人組に出会う事となった。丁度、通り掛かりの人に人参と僕の食料を差し入れしてもらったから、彼ら小学生の手から三日月に人参を与えてもらう。こんな時いつも人々は馬の口の柔らかさに驚く。僕達の事は忘れても、きっとこの感触は彼らの中に残ると思う。
 くりくり目玉で好奇心の塊のような尚之(Naoyuki)は「僕の家においでよ。ばあちゃんの田んぼがあるから馬もつなげるぜ。」と言う。三日月と浮浪者の僕は、彼に声をかけられふらふらとついて行った。子供達は、知らないおじさんについて行ってはいけないと言われているだろうが、変なおじさんを自宅に連れ帰ってはいけないとは教えられてはいないらしい。(^^; 結局、彼が家に帰って三日月と写真を撮りたいというので、いいよと返事をしてしまった。馬と一緒じゃなければ、小学生に自宅に招かれることなんて無いだろうから僕は喜んでついて行くことにする。蹄のパカパカという音と共に息子が帰ってきたので、彼のかあちゃんはそりゃあ驚いたことだろう。ヒッチハイクをしていると、この中山家の母上がわざわざ車を出してくれた。薄暗くなりつつある頃、車で中山家に帰ってきた僕は三日月を積んで放牧地を探しに急いで出かけようとしている時、ばあちゃんが「行くあてがないのなら、泊まってけ。」と言ってくれた。その晩、僕は尚之と風呂に入り、彼と妹の千裕(Chihiro)と三人で同じ部屋に寝た。三日月以外に家族を持たない僕は、何だか嬉しかった。子供達に絵本を読むなんてことも初体験したのだよ。ありがとう、温かい中山家の人達、そして三日月。(⌒_⌒)

仙台放送・ヨジテレビ     2000年10月31日
 中山家を出発し歩道の無いR45からわき道に入ろうとしたその時、一台の車が止まった。「やっと会えた。」と言う言葉と共に、10/26気仙沼の市内を歩いたとき、仙台放送局製作‘ヨジテレビ’に馬の目撃情報がFaxで入電して以来、5日間も周辺道路を走り回り僕らを探していたという人が近寄ってきた。それが仙台放送の田村さんだった。
 というわけで初めてのTV取材。昨年はMediaに出るのが非常に嫌だった。こんな馬鹿なことやってるのを自分から言いふらしたくはなかったからだ。昨年秋、地方版だと思って受けた朝日新聞の取材が全国版で取り上げられて僕は腹を決めてしまった。最近は、少なくなっている在来和種馬の歩く広告塔として三日月を祭ったのは僕自身なのだから、嫌だと思っていた取材もできるだけ受けたいと考える様になってきていたからだ。最近では鹿のカブリモノを身につけて歩こうかと、そう文字通り「馬鹿」なことを考えていたりする。(^^;
 そして同日16時の番組で、謎だった宮城県下を歩く馬の三日月とその添乗員の某浮浪者が放映されたらしい。天気が良くてさわやかな日だったから、うまく写ってるんじゃないかな。見てないから知らないんだけど(^^; カメラを持って飛びまわり汗だくだったもんね、田村さん。そして5日間も探し続けてくれて、ありがとう。今度はカメラ持たずに三日月に乗ってみてね。(⌒_⌒)

のんびり村でのんびり     2000年11月01日
 北海道和種馬、通称・道産子は人によって本土から北海道に連れてこられ置き去りにされた。その厳しい自然の中、自力で生き残ってきた馬達。だから少々悪条件でも租飼料でも動けてしまうタフな奴ら。僕の相棒・三日月も彼らの血筋の馬だから強いのは言うまでもない。それに比べて、僕も純潔の倭人なんだけれどひ弱だ。昨年はテントも無い旅だったのに動けなくなったのは志賀高原でのみだった。しかし今日は雨の中進んだ後、ヒッチハイク中に身体を冷やしてしまった。マズイなと思っていたがこんな濡れねずみを拾ってくれる車がいるだろうか?という不安で道路から離れがたく身体を温める事を怠ったのだ。おまけに、ここ何日か三日月に乗って進む事より引いて歩く事が多くて、自分の認識以上に疲れていたようだった。つまり風邪を引いたわけ。雨の日に行動する事を自分で決めておきながら、自分で体調を崩してしまった。バッカで〜(T_T) 今日は一日中雨だったからなー。馬にとっては雨自体は何とも無くても、濡れた道路を通る大型車がたてる音はすさまじいもので、そのうえ今日は途中から歩道がなくなってしまった。国道は人のためではなく車のために作られているのだろう。でもわき道が無ければ、その道を進む以外僕達に選択肢はないのだ。だから三日月へのプレッシャーも考慮に入れて、歩道のある部分では挽いて歩いたわけ。でも結果はトホホ、まあこんな日もあるさと能天気に立ち直る馬旅人だった。
 本日は仙台放送・田村さんの紹介で長面浦にある「のんびり村」の坂下さんの所に泊めてもらう事になっていたので、雨の中拾ってくれた若い女性に感謝しながら、暖房を最大にして車を走らせる。のんびり村に着いても雨は止まず、三日月は久しぶりの車中泊、僕は暖かい湯船に浸からせていただいて、生カキをいただく。おいしいなぁ、何て幸せな雨降りの夜。けれど僕は熱を感じたので、短い時間だけ坂下さんのご家族と話をして床につかせてもらった。また訪れたいと思う場所がひとつ増えた日となった。

元気をくれる人々     2000年11月02日
 いつ仙台に着くのだろうか?こんな調子で目標まで歩けるだろうか?自分でもわからない。けれど僕は焦りはしない。毎日たとえ10kmでも歩けば、目標にそれだけ近づいたことになる。その積み重ねでここまでやって来たのだから。そう歩いてきた僕自身でさえ、地図で歩いてきた経路を見るたびにすごいなぁと他人事のように思う。まあ三日月のおかげなんだけれど。(^^;
 今日も雨。熱は下がったけれど、喉が痛くて風邪が完全に抜けていない事がわかる。とりあえず三日月を放牧するために、草のある場所を探す必要があるので、のんびり村を離れる。僕達は北上川沿いに三日月の食える草が生えている場所を見つけた。雨の中、放牧。昨晩、馬運車の中で過ごしたから、雨なんてものともしない勢いで草を孕む。雨風が凌げ餌もある車内よりも、開かれた場所で雨に濡れながら草を食べれる方を望む所は、人とは違う強い生命力を感じる。一度、草を食い終わった様子だったので、車に戻したのだが前掻きをして出たいよ−と訴えるので、また放牧したところ。風の強いこんな雨の日、馬達はひたすら食べて熱量の元を身体溜め込みます。そして食べ終わったら風上に尻を向けて雨雲が通りすぎるのをひたすら待つのです。そして僕は、そんな雨に濡れる三日月のそばに居れて嬉しく思うのです。これは何とも言い表せない気持ちなのですだ。(^^)
 そして僕達に暖かい贈り物が届きました。eMailで応援してくれている人々の声が聞けるのです。こんな雨の日、停滞することは全く気にしないけれど、HPの旅日記や日誌等の雑務に追われて過ごす孤独な僕を勇気づけてくれます。そんな声は僕にとって、とても励みになるのです。どうもありがとう、三日月と僕を応援してくれている見知らぬ人々。こんな体験が出来るなんて、旅に出る前は考えもしなかったです。(⌒_⌒)

旅疲れでダウン     2000年11月12日
 11/05に仙台に入りました。何とか押さえ込んでいた風邪も疲れでぶり返していたようです。青葉区・荒井牧場に車で移動した僕達はボロボロでした。初めての晩に僕は荒井さんとの馬談義に時間を忘れ、喉をつぶしてしまい声が出ない状態が続きました。仙台に入れば休めると無理をさせた三日月の脚も、筋肉痛を通り越し炎症まで悪化させてしまっていたのです。結局、僕は風邪で寝こみ病院へ行って来ました。三日月は炎症を薬で治療しながら、時々身体を動かして回復に努めました。いや〜ホントに荒井さんにお世話にならなければどうなっていたやら。そこら辺に倒れていたかもしれません。旅の疲れがドット出たのでしょうね。部屋は暖かいのにもかかわらず、1週間も身体の中に熱源を感じられなくて寒くて動けませんでした。今では、僕も三日月も回復に向っています。その間Mailをいただいた方々、お返事遅れすいませんでした。_o_
 荒井牧場にいる間に大切な事に気づきました。こっちの話しは長くなってしまうので、また別の機会に話したいと思います。

さあ、歩き出そう     2000年11月18日
 11/15 大変お世話になった荒井牧場を離れ、旅を中断した仙台市内に戻ってきました。僕も三日月も、何とか旅が続けられそうな状態まで回復しました。もう一つ気になっていた問題も解決。「ふ〜てん2号」は北海道での事故のため代車のレンタカーなのですが、11月中旬頃まで旅をすると言う事で借りてきた車だったのです。その返却のため旅を中断しなければならないかもしれないと思っていたのですが、11月末返却可能となりました。つまり、僕達はもう少し旅を続ける事が出来るのです。
 11/16 は様子見のつもりで歩き出しました。まだ喉がまともじゃないので、話しかけられるのは辛かったのです。僕はゴホゴホやりながらトボトボと・・・。三日月も道草を食わせながら騙し騙し。昨年同様、やはり疲れの蓄積される後半はほとんど挽いて進む事になりそうです。名取まで進みました。翌17日は、12月中旬の気温とのこと。冷たい雨の中歩き出す気になれず停滞。そして今日18日は阿武隈川を渡り亘理町に入りました。体調が回復しているのが実感出来ます。咳も減ってきて、やっと出会う人々と話す余裕が出てきました。馬旅はこうじゃなきゃ。さて2日後には県境を越え、福島県に入る予定です。いよいよ野馬追で有名な相馬です。(^^)

馬に触れてみたい     2000年11月20日
 11/31に仙台放送局で僕達の旅が紹介されたのがきっかけで、数多くの方々から応援Mailをいただける様になった。その中に今まで馬に触れたことも乗った事もないという人がいたのだが、ちょうど僕らが歩く道のすぐ近くに住んでいるという。これも縁だからと三日月と立ち寄ることにした。ちょうど今日は仙台放送の田村さんと再取材で会う事になっていた。そこで山元町に住む引地さん宅に昔からの友人のようになってしまった田村さんとお邪魔した。Mailをくれた裕子(Hiroko)さんや近隣の皆さんに、三日月に触れてもらったり、人参を食べさせたりしてもらう。ここでも彼らの初めての馬との出会いを僕は目にすることになる。こうして馬の事を理解してくれる人が増えるのはとても嬉しい。でもそれ以上に嬉しいのは、初めて馬に接するという人の目が輝いているのを見る時だ。彼らの興奮が僕までも上気させてくれる。
 お茶をいただいた後、僕らは旅の続きに戻る。田村さん達に三日月へと山ほど人参のお土産、どうもありがとう。県境で田村さん達と別れる。そしてこの日、僕達の足取りがヨジテレビで放映されたらしい。田村さんは僕のHPを読んでくれたという。そして僕の代わりに和種馬の事を伝えてくれたらしい。夕方、三日月の餌の入手でドタバタして放映が見れなくて残念だった。
 夕方、裕子さんに迎えに来てもらって三日月を回収し、車で引地家に戻る。ご主人の雅之さんや中学生になる2人のかわいいお嬢さんや引地さんの友人と楽しい食事。eMail という出会ったきっかけも新鮮だったけれど、人の縁って本当に面白いねと話す。楽しくって夜遅くまで話しこんでしまった。静かに雨の降る1日だったけれど、僕の中はほんわり暖かかった。人との出会いや関わりは、僕達に大きな力をくれる事を実感した一日だった。

相馬中村神社にて     2000年11月21日
 天候が荒れるとの予報で停滞日として決めていた。午前中、引地夫妻と近隣の親父さんと僕の4人で、小さな三日月試乗会を開いた。本当はここの2人のお嬢さん、彩ちゃん、めぐみちゃんにも乗ってもらいたかったが、彼女達は三日月に触れた後に学校へ向った。ご主人の雅之さんもBike乗りだけあって、すぐに自分の手綱操作で三日月に乗って遊んでいた。楽しんでいただけたと思う。後日、馬飼えたらいいなっていう話を聞いたから。 (^^)
 とりあえず昨晩、馬運車内で夜明かしをした三日月を放牧して休ませる。夕方から車で相馬中村神社を尋ねる事になっていたからだ。数日前から野馬追に参加している宇多郷騎馬会の鈴木裕彦さんにeMailで連絡をもらって、訪問できる事になっていた。ここでは騎馬会の橘会長や宮司の田村氏、そして数名の会員の方々に話しを聞く。千五百年も続いている相馬野間追はこんな熱い人々が支えて来たんだと実感できるものだった。野馬追にはほとんどサラブレットで和種馬はほとんど見られないという。しかし中には、本来の侍が乗っていた和種馬で野馬追に参加してみたいと考える人も居るようで、今後が楽しみだ。僕は是非、相馬野馬追を自分の目で見てみたいと考える様になった。毎年7月23日〜25日の暑い日に行なわれる熱い馬と人の伝統行事だ。

うまうまな家族、鈴木家     2000年11月23日
 11/23朝、馬装して出かける準備をしていると、孫を2人連れた母さんが「馬を見せてね」と近づいて来た。話しを聞くと自宅で馬を飼っているという。そして彼女は僕達に会いたがっているという親父さんを電話で呼んだ。間もなく現れたのはメルセデスの大型ダンプに乗ったカッコイイ親父さんだった。ここ何日か僕達を道端で見つけて、ずっと気になっていたらしい。話しをしていると親父さんが、風呂に入りに来いと言ってくれた。僕は相馬野馬追に参加している地元の人に凄く興味があったので、すぐに今晩泊めていただくことにした。僕は彼らと別れた後もワクワクしながら歩き出したのだった。
 その日の行動を終え、暗くなってから訪れた鈴木家。三日月の馬房は既に用意されていた。彼女はふかふかの藁の挽きつめた暖かい馬房で休ませていただける事となった。三日月を案内してくれたのは鈴木博章さんの息子・広美さん。三日月は
久々に馬達と語らっただろう。そして僕は野馬追の装束を見せていただいたり、年に2回開催される草競馬のVideoを観せていただいたりした。当然馬の話しをしなが
らの食事。手作りの食事はいつ食べても暖かく、大変嬉しいものだ。広美さんの話しを聞いていると、福島民報社の朝刊で謎だった馬と歩いていた僕の行動パターンが理解できたという。というのも、道を歩く僕達を見つけていただけではなく、道端に停まっている我らの馬運車「ふ〜てん2号」が毎日少しずつ移動しているのに気づいていたからだという。だから前日僕らの車を見かけたというのを聞いて、今朝出かけた場所に僕達が来る事がわかったのだ。んー鋭い、推理。(^^)
 風呂に入るのも惜しいほど、楽しい時間を過ごさせてもらった。そして暖かい布団でぐっすり眠らせていただいたのだった。

旅が終ってしまった     2000年11月28日
 11/28 目標の地であった「いわき四倉」I.Cまで僕達は無事たどり着きました。高速道I.C.を旅の終点に選んだのは、僕自身の気持ちに整理をつけたいためです。レンタカー返却のため月末には牧場に戻らなければならないという理由もありますが、日が短くなるのと寒くなるので旅を続けるのが辛くなってきたせいでもあります。しかし道端に立っている東京まで何kmという表示板が凄く気になっていたのです。そう、もう10日もあれば栃木まで足を伸ばせるのに、東京までたった200kmほどなのに、という思いです。
 旅の終りとした地点を決めた段階で、三日月と僕の体力配分を決めて動いていたため、実際にはこれ以上歩く事はできません。本当は三日月も僕もボロ雑巾状態なのです。三日月は流石に和種馬だけあって、乗って「動け」と言えば進んでくれます。現に最後の5kmは全て騎乗して進みました。しかし僕の方がもう限界なのです。片足の腱に痛みがあって、足が勝手に反応して歩くには少々辛いのです。僕の面倒まで三日月がみてくれたから、僕が満足できるところまで進めたのでした。ありがとう三日月、本当に素晴らしい体験だったよ。(⌒_⌒)
 さあ、これから僕にはやるべき事がたくさんあります。三日月は当然休暇です。皆さん、ありがとうございました。でも牧場に無事連れ帰るまでは、本当に旅が終ったわけじゃないんだよね。今は訳あって足止めくらってるけど、明日29日には牧場に戻れるかな?(^^;;;

放牧地での休暇      2000年12月06日
 11/29 予定通り僕達は牧場に戻ってきました。11/30 三日月の蹄鉄を外しました。長い間、お疲れさん。(^^) 三日月は牧場から少し離れた放牧地へ移動しました。彼女は他の繁殖牝馬とともに長期休暇に入りました。きっと三日月も長い旅の話を馬達にしてるんでないかな?
 僕の方は足の痛みで牧場にいても何も出来ないので、東京の自宅に戻って来ました。これから旅の記録整理に入ります。今回の旅だけで36枚撮Film20本、日誌2冊もあります。どこから手を着けたらいいかわからないけれど、とりあえず写真が上がってきたら、お世話になった方々に発送して無事戻ったことを伝えたいと考えています。足の状態にもよるけれど、この感じだと年始も東京で資料整理に費やされそうです。牧場は僕の知らない新馬君がたくさんいて、「早く乗りたい」って言う気持ちが強いのですが、身体が言うことをききません。(^^; 社会復帰に努めなければ。

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