W.痴呆劇場(我が暮らしの舞台裏)



 

 

 

2012年5月5日 こどもの日の潮干狩り

 

 何気に干潮表をみていると、もう春の大潮ではないか!しかも、干潮時刻11時。これは、子供の日の今日、潮干狩りをして、子供の成長を祝い、喜ばねばならん。

急ぎ準備をし、いつもの津市のとある海岸へ行こうとしたまさにその時、実家の母から電話が鳴ったのである。

 

いはく、「すぐ近くの海岸が、潮干狩りの人で昨日も今日も一杯なんだけども、今から一緒に行かない?」

 

そう、グッドなタイミングで潮干狩りの誘いの電話がなったのである。実家の両親の分のビールも、一緒にいく予定だった岡崎の義父義母の分とあわせてクーラーに詰め込む。

行き先は目の前の海岸なので、歩いても行けそうだけども、道具もあるし、クーラーも重いので、トラックにて移動。津の漁場に比べ、前の浜は、あまり獲れた記憶がない。が、昨日もたくさん獲っていたというし、9時20分に着いたときはもうかなりの人がいるし、これは急いで獲物を探さねばならない。

 

どんどん人は増えてきて、なんだか、佐渡の金山パークの砂金拾いみたいな様相になってきた・・・・

 

とりあえず、干潮時刻の11時前までに、虫かご半分程度のアサリを拾い、この日は終了。

 

ジジは長靴に水が入るまで浸かってがんばりました!

七海はスカートまで海水に入ってがんばりました!

 

 

 

 

 

ワタクシ、裸で上半身海水に浸かって頑張りすぎました・・・・

 

しかし、伊勢湾の汚さにも辟易しますな・・・・。砂をかき回すので、体中がヘドロ臭いです。透明度は5cmのこの海、なんとかきれいにならないものでしょうか・・・・・。

 

 

2012年3月24日  フットサルデビュー!

 

 建築士会青年部の春のイベントといえば、スポーツ大会。各支部が持ち回りでいろいろなスポーツを企画し、集まって親睦を深めるのが目的である。

 今回の担当は三重県北部、桑員地区。内容はなんと、フットサルという!大丈夫か、設計士の皆さん?、そして、ワタクシ???走れるのか???

 当日、長島町の輪中ドームに集まったのは、三重県各地から15人ほどと、愛知そして岐阜の建築士会フットサルチームのみなさん!なんと、岐阜や愛知には、建築士会内にフットサルのチームがあるというから驚きである。

 バスケットコート3面分ほどの大きさのフィールドに、4人のフィールダーとキーパー。正式なルールは知らないけども、7分一本勝負でケリをつける。

 アシックスのCW-Xを穿き込み、やや気合十分のワタクシ。入念にアップをしたあと、第一試合に先発出場させていただく。20年ぶり以上に蹴るボールはずっしりと重く、足につかない。それでも、トラップ、ドリブルと、ボールを触っているうちに、楽しくなってくる♪

 

 張り切って、いきなりハットトリック!!

 

 7分で3ゴールだから、相当なゴールラッシュである。体が軽い。

 

 次の試合も、ゴール。翌試合もゴール。おおおう!!今日のワタクシにはパスを集めてくれ!!

 

と思った4試合目以降、ずっしりと背中にリュックを背負ったような感じが・・・・足は、棒のようになってきている・・・・・。おいおい・・・・

 

その後、2時間30分間ノーゴールのワタクシ・・・・・。パスは集まるけども、ボールが足につかないし、ドリブルはボールが先に行くし、シュートは入らない・・・。

 

そして、次の日、起き上がるのも嫌なくらいの筋肉痛!!

 

運動は大事です。毎日、少しづつ運動をしようと、強く思った一日でした!!

 

 

 

 

 

 

2012年2月19日 会心の一撃!!

 

 今年の冬は、例年よりも平均気温が低く、冷たく寒い。日本海側の大雪ニュースを見るたびに、心が痛み、住まわれている方々は並大抵の苦労ではないと思う。

 でも、我が家は常春。それは、、土壁と木の壁、床の持つ調湿性と保温力、そして外部の断熱材のおかげもあるけども、まずは、薪ストーブの絶対的な暖かさのおかげである。「暖炉」とは、まさに字のごとく、我が家の冬の心臓として活躍している。

 その暖炉をほぼ24時間燃やし続けるのは、大量の薪がいる。一年をかけて薪集めをし、冬は毎週末薪割の日々である。2.3kgの斧をふりまわし、5kgの大ハンマで1.7kgの鋼製くさびを叩く。杉やヒノキのような素直な木なら、一撃でバ〜〜〜ンと割れる。カシや桜などは、石のように固いものもある。

 剣道の素振りではないが、斧も振り回している分、どんどんキレが出てきて、少々の丸太ならば、簡単に割っていく。

 

 でも、今日の会心の一撃はすごかった!!

 

 

今日、誕生日のワタクシ。そのことをすっかり忘れていたというポンタの顔を想い浮かべて振った一撃は、100kg、直径1mを超す米松の薪割台まで、一気に真っ二つにしてしまったのである!!!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・というのは冗談で、5kgの大ハンマでカシの木をがんがん叩いていると、バ〜〜〜〜ンと真っ二つになりました。びっくり!!

 

 

 

2011年10月9日 秋が深まってきたのである

 

 今年の夏も、しっかりと暑かった・・・。エアコンのない我が家は、いくら風の家であり、断熱や採光に工夫がしてあるとはいえ、暑い暑いとのたまいながら、扇風機の前でビールを飲むしか仕方がないのである。エコロジー気取りであるが、ビール代のことを考えたら、決してエコノミーではない我が家である。

 そんな殺人的な太陽も角度を下げ、気温も比例して下がり、ビール代は比例しないけど下がり、我が家にも秋の気配が漂ってきた。

 

そして、いそいそと薪ストーブをオイルで拭いて磨き、煙突掃除をして、玉切した丸太を割り、秋が深まるのを楽しんでいるのである。いつの間にか、手には、ウィスキーなんぞを持っているのである。

 

さあ、こい、冬!

 

 

 

 

 


2011年2月26日27日  清水(きよみず)の舞台??、完成す!!

 

 

 大学の大先輩と言えば、N先輩。その、N先輩のウッドデッキの製作を承った以上、国宝級の仕事をせねばならん。

 

 施工図をひき、材料の手配をし、準備を着々と続ける。高速道路が整備されているとはいえ、三重県鈴鹿市から静岡市まで、車で3時間以上の行程である。一気にデッキを作り上げるがごとく準備をするも、予定日前の悪天候もあり、なかなか進まない・・・。

 

 気は焦るが、ともあれ、静岡に向けて金曜日の夕方出発をする。材料を満載すると、最大積載量750kgのトラックはあっという間に一杯になり、持っていく工具を厳選せざるを得ない。予定よりも遅れ、静岡着はPM9:00である。毎回予定通りにスケジュールが進まないワタクシを先輩のN氏は暖かく迎え入れてくれ、着くや否や、焼肉屋へ直行・・。喰い、そして生中をガンガン飲み、それから新居で奥さんも交えてまたガツンと飲む。ビールを飲み、ワインも開け、日本酒も開けようとしているその時間はAM2:30・・・・。

 

 うむ、何をしに来たのかわからなくなりつつあるも、その日は風呂に入って布団にもぐりこむ。百年住宅の夜は暖かく、Tシャツで十分である。

 

 

 翌朝、二日酔いで完全に頭がふらふらしている中、早々に作業を始める。一日では終わらないであろう作業量を少しでも早く始めることで何とか終わらせたい・・・。

 

 昼ごはんは寿司をごちそうになり、寝不足もあって、満腹になってすぐに眠りの国へ落ちていきそうな自分を叱咤し、昼からもどんどんデッキを組んでいく。

 

 夜7時。ほとんど形はできたけども、近所迷惑もあり、作業終了。

 

 N先輩には申し訳ないけども、結果もう一泊し、作業を続けることを決め、そうなると、さっそく冷蔵庫からビールをもってきてプシュッ!とやりよる・・・・。

 

 

 美味い手料理と、ビール、寝不足と一日中の肉体労働で、まずはN先輩がチン・・・。

 

 おつかれさまでした〜と眠りに落ちていく先輩に声を掛けているワタクシも、テーブルの上で早々にフネを漕ぎ始め、風呂も入らず眠りの国へ・・。

 

 しまった!!と飛び起きた夜中の1時、N氏は一人、インターネットをチェックしていてびっくりした!!

 

 翌日曜日、またまた朝から作業をし、昼前、きっちりと清水の舞台が出来上がったのである!!これが国宝級かどうかは本人しかわからないけども、なんだか先輩と二人で作ったそのウッドデッキはなんだか本物の木の持つ存在感もあって、真っ白い外壁の百年住宅に大きなインパクト与える、いい感じのものに仕上がった。

うれしくなって、用宗港でがっつりとシラス丼を食べて、帰途に・・・。

 

 素敵な家づくりのちょっとしたお手伝いが出来て、うれしかったです。Nさん、ご新築おめでとうございます。いい家でした。なんだか、飲み散らかしてすいませんでした・・・。

 

 

 

 2011年2月11日 久しぶりの静岡

 

大学時代の大先輩・Nさんが豪邸を新築され、しかも、見渡す限りの大きな庭に、立派なウッドデッキを作りたいという!!

 

しかもしかも、ワタクシに依頼をしてくださるという!!!

 

それはそれは、清水(きよみず)の舞台のような、立派なものにせねばなるまい!!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

2月10日の夜中に静岡着の予定が、

 

2月7日から大地がインフルエンザでダウン↓

2月10日夕方7時30分からの修理依頼・・・。

完成現場の引き渡し

 

 

 

等、なんだかんだと忙しくて、結果、2月11日の朝5時起きで静岡に向けて出発。体調はあまりよくない。でも、大地がインフルエンザで寝込んでいるうえ、自分もずいぶん喉が痛いので、気になって、念のために、木曜日の11時30分ごろ、病院でインフルエンザの検査を受けたけども、結果は陰性だったので、気分的には楽になって、車に乗り込んだ。

出発するころはそうでもなかったけども、どんどん雪が降ってきて、愛知県は大雪。静岡は雨。それでも8時過ぎにはN邸に着き、まずは新居を案内していただく。レスコハウス(現在は百年住宅)という、地震に対して日本最強を誇るその工務店の家。寒い朝だけども、家の中は暖かく、間取りもすっきりとしていて使いやすそう。19畳のLDKから庭につながる掃出しの窓に、デッキを取り付けることとなった・・・・・のだが、あいにくの雨で、この日はまったく作業なし。体調もあまりよくないし、気温も低いし、もちろん、モチベーションも低い・・・。

 

 

ということで、Nさんのレガシーに乗って、久しぶりの静岡大学近郊。静大キャンパス。東静岡駅とそこでイベントされているガンダム。SBS通り。

 

雨の中、ゆっくりとドライブしてもらい、この日は帰路に。道すがら、焼津さかなセンターによって、マグロとアジを買い、ひたすら東名高速を西へ西へ。

 

 

うむ、やはり、青春時代の一ページを過ごした静岡はいいなあ・・・などと思っていた帰り道、大地の野球部のお父さん方から電話が・・・・

 

今日、これから新年会をやることにしました。参加でいいですか??

 

「・・・・・・・もちろんです!!・・・・・・・が、まだ、袋井なんですが・・・・・!!」

 

 

体調のすこぶる悪い中、三次会の後のフィニッシュラーメンまで食べて、帰宅。24時。長〜い一日が終わりました。

 

 

 

 

・・・・・・2月12日(土)。朝から二日酔い・・・・。頭が痛いの治まっても、なんだかだるくて、昼間、ぽ〜としていた。夕方6時、ポンタが「土曜日のこの時間でも開いている内科があるから、一度診察受けてみれば〜」と、人のことをウィルスの塊のような目で見ながらマスク越しに話してくるので、インフルエンザではないことを証明するために、いざ、病院へ。鼻からのどの検査棒を突っ込まれて、待つこと15分。結果は!!

 

 

 

・・・・・・・・・・・やはり、陰性!!

 

 

 

 

 

 

 

 

どうだ、ぽんた!!俺は無菌だ!!と叫びそうになっている隣で、先生が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・陽性ですね、A型です。

 

 

 

 

 

 

と言われるではないか!!!「いや、反応ありませんよね!」というワタクシに、先生は、じ〜と簡易検査の反応の窓を見て、「ほら、ここに、うす〜く青い線が見えるでしょう」と、うれしそうにおっしゃられる・・。「ウィルスがかなり少ない場合の反応ですね」・・・・・あ、そうですか・・・・。

 

 

インフルエンザ・・・・なめてかかってはいけませんね・・・。

 

 

 

2010年12月24日  冥福を心より、祈り続けます

 

  9月から入院していたワタクシの祖父が、12月24日クリスマスイブの夜、逝去しました。

 

 

                           ☆☆☆

 

 

  両親が自営業のワタクシ、子供のころは同居していた祖父母にしっかりと可愛がられていた。小学生のころ、家に帰るとおじいちゃんとおばあちゃんが必ず、「おかえり」と声をかけてくれた。我が家は一度も鍵を閉めたことがないのだけれども、それは毎日祖父が家にいたからである。鍵っ子などとは、全く縁のない小・中・高校時代だった。いじめられて泣きながら帰ってきても、途中でう○こを漏らして帰ってきても、じいちゃんばあちゃんはいつもにこにことしていてくれて、「まあ、よかよか」と温かく迎えてくれたものである。

 

                           ☆☆☆

 

 

  大学を卒業し、鈴鹿で働き始めたワタクシ、安い給料でこつこつと浪費を続けるワタクシ。カヌーを買うために、自分の車を手放し、毎日会社のトラックに乗っていた。乗用車に乗るときは、親か、妹に借りていた。そんなワタクシを見るたびに、「不憫や〜不憫や〜」と言っていたじいちゃんは、ある日突然、「まあ、何でもいいから車の一台くらい買いなさい。」とぽんと50万円手渡してくれたのである。

 

                           ☆☆☆

 

 

  結婚し、子供が生まれ、35歳になろうとしているワタクシは、築50年の借家に住んでいた。日当たりの悪い、寒くて暗い借家に住んでいるワタクシを見るたびに、「不憫や〜不憫や〜」と言っていたじいちゃんは、ある日突然、「まあなんでもいいから家くらい建てなさい」と、ぽんとン百万円手渡してくれたのである。

 

 

                           ☆☆☆

 

 

  じいちゃん自身は、3歳の時に父親を亡くし、盲目の母に育てられていて、赤貧中の赤貧の暮らしを送っていたと言っていた。時代背景を考えても、どう考えても貧乏な暮らしをせざるを得ないだろうなあ・・・・。それでも、兄弟の力もあって、健康に育ち、そして、戦争。海軍に従軍させられ、青春時代が過ぎていく・・・・。戦後、何もないところから結婚し、生活が再出発する。6畳一間のバラックに家族5人が住み、夫婦で懸命に働いて子供たちを育てていく。

 

 

                           ☆☆☆

 

 

  生活も軌道に乗り、家も建て、子供は皆結婚し、孫も生まれ、これから人生が楽しくなっていくという時に、ばあちゃんが亡くなり、それからも、同居しつつも、自分の身だしなみのことはすべて自分でやり、規律正しい生活を送っていたじいちゃん。孫であるワタクシはもちろん、曾孫の面倒もよく見てくれた。80歳を超え、最後に旅行に行こうということになり、自身でバスを手配し、親戚一同を連れて一泊旅行に出かけたのも、記憶に新しい。費用はすべて、じいちゃんが出してくれて、楽しい時間を過ごした。

 

 

                           ☆☆☆

 

  入院し、みるみる弱っていき、医者にも、余命は1か月と宣告された。その前に、じいちゃんは財産をすべて子供たちに分けて、名義もすべて書き換えて、自分が持っていた築100年の古家も解体していた。亡くなった時の財産は、貯金が数百万円だけだった。葬儀の積立金もしてあって、葬儀にかかった費用のほとんどは積み金で賄えた。院号も取得してあったし、保険もまとめてあった。見事な引き際である。見事である。

 

 

                           ☆☆☆

 

  2010年12月31日。葬儀や参りなど、一通りが終わって、一心地が付いた夜、NHKの紅白歌合戦をビール片手に見ていた。植村カナの「トイレの女神様」がながれると、ふと涙がこみ上げてきた。人は一人では生きていけない。ここに生ある以上、必ず、必ず、誰かとつながっている。じいちゃんから、おやじへ、そしてワタクシ、子供たちへ。血だけではなく、生き方も考え方も全部、つながっていく。つなげていかねばならん。

 

じいちゃん、安らかに眠ってください。

 

 

11月28日29日 東京お登りさんツアー

 

 毎年計画される、建築士会鈴鹿支部の研修旅行。ここ数年はずっと、鈴鹿支部の青年部が計画してきたけども、今年は久しぶりに支部執行部が計画。おそらく、一番計画が楽と思われる、東京と決まったのだ。

 

 何しろ、東京という街は、見どころたくさん。改めて、観光目的で訪問したことなんて、中学校の修学旅行以来だから、そりゃ、楽しみ楽しみ♪

 

 名古屋駅に集合し、新幹線で一路、東京へ。ガイドを見ているだけで、わくわく感が高揚し、売り子さんが通る度に缶ビールを飲み干す。ますます、わくわく感が高揚♪

 

 東京駅からバスに乗り、まずは「東京スカイツリー」に。天を衝くその塔は、現在497m。日本の建設の技術を集めている、天に伸びる塔を見ていると、自分も天に昇らんとするかのごとく、東京に来ている高揚感が最高潮に!!!気分は最高である!!!!

 

 

 

PHOTO:ミッドタウン

・・・・・・・・・・・・ぷるるるるるる・・・・・おや、携帯の着信が・・・・・・・、

大地からだ・・・・・・。

 

 

 

 

 

「お父さん、今、医者に行ったら、足の骨が折れていた。痛い。」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボキッ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

天を衝くかのごとく高揚感は、ぼっきりと折れ、心配になるし、なんだか気分もブルーになっていく・・・・。

 

ふと隣のアサヒビールの本社ビルを見ると、ビル全体金色に輝く反射ガラスに、銀色に輝く上部の反射ガラス。モデルは、そう、生ビールのジョッキ。

 

 

PHOTO:新国立美術館

気を取り直して、再びビール。バスに乗って、

 

「浅草 浅草寺」  「六本木ヒルズ」  「ミッドタウン」  「新国立美術館(ゴッホ展)」

夜は、屋形船に乗って、東京湾に係留し、東京湾から、お台場、汐留の夜景を見ながらの宴会。うむ、これは楽しい♪気分もいい♪

 

フネの揺れもあって、ふらふらと酔いながらも、そのまま東京の夜へ・・・・。片や、「恵比寿ガーデン」のイルミネーションを見に行くという。もう一方や、ホテルの近くの五反田の夜を楽しみに行くという。ワタクシは何人かの仲間と、ふらふら歩いて、新橋へ。ニュースによく出てくる酔っぱらいのサラリーマンは土曜日なのであまりいないけども、ガード下の立ち飲み屋などは、まさに、新橋である。

 

とりあえず、ホッピー。

 

 

 

適当に飲んで、ますます気分良くなって、そのままアイリッシュバーで、今度はアイリッシュウィスキーをひっかけているワタクシ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・の隣でアルコール度90度の酒?アルコール?をストレートでぐいっと飲んでいるM氏。

 

皆、気分よく飲んで、夜風に当たりながらホテルに帰って、爆睡。

 

 

 

よく日曜日は、15:30分まで、完全に自由行動。みなさん、それぞれ行きたいところが別々なので、また、起きる時間も昨夜のアルコール量に比例して遅くなるので、ワタクシ、単独行動決定。

 

 

映画「魚河岸三代目」で一躍観光スポットとして有名となり、また、移転で揉めていた「築地」。汐留でおりて、「濱庭園」を散策してから「築地」へ。ただ、日曜日なので、セリもなにもしていない。場外の仲卸問屋を廻っていると、これから本マグロの解体を行うという寿司屋さんがあって、とりあえず、その本マグロをいただけるというので、カウンターに座って、その解体をみる。ただ座っているだけともいかず、とりあえず、生中。時間は10:00。約40分の解体の間に、ビールのお替りと、ひかりものの握りを少々。解体したマグロも順次握ってもらい、中トロ、大トロ、そしてカマトロと、いただく。うむ、うまい。

 

 

腹ごなしに、そのままトコトコ歩いて、「勝鬨橋」を越えて、「月島」へ。はい、もんじゃの発祥地ですね。12:00、まだお腹がすいているわけではないけども、もんじゃを食べねばならん気になり、もんじゃ&ビール。初めてのもんじゃなので、おかあちゃんにしっかりと焼き方を教わり、いただく。

メトロで「銀座」へ。敷居が高そうな店が多いので、歩いて有楽町へ。「あいだみつお美術館」をみて、まだ時間があるので、「秋葉原」へ。話のネタに「メイドカフェ」とやらに行こうかと思っていたけども、生理的に受け付けず、街をぶらぶら歩いて、道行く人のファッションを見て満足(自分とはちょっと離れすぎているけども・・・)。

 

15:30東京駅(へべれけ)。

 

18:30若松駅(ちょい酔い)。大地は元気そうで安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

2010年11月4日 太陽の恵み

 

 

じゃじゃーーーーーん!ついに載せました。これ↓

 

太陽光発電パネル3.12kw分。パナソニック(サンヨー)製HIT215.これで我が家も発電所です。

 

 

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ずっと憧れだった太陽光発電。本来、新築時に設置予定だったんだけども、予算の関係もあって、すぐに断念。それでも、お客さんの家に設置させていただいたりすると、強烈に欲しくなり、晴れた日には、なんだか設置していない自分が損をしているんじゃないかとか、原子力発電所のニュースやコマーシャルを見るたびに、日本のエネルギー政策はこれでいいのかとか、いろいろと思っている矢先、なんだか日本はCO2の排出量を25%も削減をするという公約を掲げ、勢い太陽光発電を始め、自然エネルギーの利用に補助金を交付する政策が決定された。

 

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発電パネル1KWに対し、70,000円の補助。我が家は3.12KW×70,000円=225,400円

 

今年中の設置ならば、10年間は余剰電力を倍の金額で中部電力が買い取りをしてくれる(現在、売電価格24円に対し、買電価格48円)。来年以降はこの買い取り価格は10%程度下がる予定。

 

むろん、昼間の発電中は我が家の電気器具はすべて、太陽の光が作った電気で稼働。

 

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よく、お客さんに聞かれるのは、「太陽光発電はモトをとれるんですか?」という質問。

 

金銭的なことを指して聞かれるので、こう答えます。

 

「今なら、十分モトはとれますよ。」

 

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設置費用は、パナソニック(サンヨー)HITの場合、状況によりけりですが、200万円以上かかります。大きな初期投資です。

 

ちなみに、我が家にはそんなお金はありません。まったくありません。ぜんぜんありません。

 

ということで、スポンサーにお願いしました。母です。

 

母との契約?は、

 

「初期設置費用を捻出していただく代わりに、補助金と10年間の売電価格を全額渡す」

 

というものです。試算では、年間の売電価格は約180,000円

 

天気のいい日が続かないと、母はモトがとれませんね・・・・。

 

これから毎日、晴れの日には母が微笑んでいそうです。

 

 

 

 

9月20日(月) 産まれて初めての・・・

 

 

 キミは乗ったことがあるかい?そう、たまに街の中を走っている、白いワンボックスカー。やつらは、赤い回転灯をまわし、サイレンを鳴らして、そこいらの車を「そこのけ そこのけ」といいながら、信号を無視し、がんがん飛ばしやがる。渋滞で捕まっているときなんて、うらやましいと思うし、一度、運転したいと思うもんだ。君もそうだろ?

 

 この日の晩御飯は、

 

・カツオの刺身  ・マグロの刺身  ・アジのたたき  ・たこ  メヒカリのから揚げ

・トマトとレタスのサラダ  ・枝豆  ・冷奴  ・赤車えびのから揚げ

 

そして、当然、ビール、ビール、ビール。夏バテを一気に吹っ飛ばすかのごとく、怒涛の食べっぷり!飲みっぷり!!

敬老の日のこの日、岡崎のジジ・ババと、気分良く、楽しいひとときを過ごす

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のも、つかの間だった・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

ぎゅる!ぐえ!

 

 

 

おええええええええええええええええ!

 

ぎゅるるるるるるるるるるるるるるる!

 

 

トイレに閉じこもること、一時間。嘔吐は止まらないし、下痢も、すでに完全に水化している。唇は痙攣し、気がつけば、手も足も痙攣し、動くこともままならない・・・・。

 

 

ああああ、いよいよか・・・・。弱弱しく、「救急車を呼んでくれえ・・・」のワタクシの一声・・・。

 

3分後、けたたましくサイレンを鳴らしながら、ウチの前までやってきて、停車中も回転灯をくるくる回しながら待機。近所の人はわらわらと見学に来るし、ワタクシは写真を撮って欲しいけども、そんなこといえるような余裕はないし、まあつまり一言でいえば、

 

 

「近所に恥をさらしながら」

 

 

救急車に乗り込み、近くの総合病院へ。

 

点滴一発、絶対安静、痛み止め処方。

 

 

夜中12時30分、迎えに来てもらって、退院。歩くこともままならないけども、夜の救急病院は、あまりの忙しさに落ち着かず、帰宅。

 

 

教訓:食中毒くらいなら、這ってでも、タクシーを呼んででも、自力で病院にいきましょう。

 

今日は9月22日。この日の昼からお粥を食べ始め、やっと今夜からビールが飲めるようになりました。3日は断酒予定でしたが、あまりの月のきれいさに、ついつい、月見酒をしてしまいました。バカに塗る薬はないかもしれません。ちなみに、近所の方には、「アル中ですか?」といわれました・・。

 

 

9月2日 桂離宮にいく

 

 ・・・・・前略・・・・・

突然、桂離宮に行かないか?という話になり、こんな機会は滅多にないので、喜んで参加させていただくことになりました。

 

桂離宮は、天皇家の別荘で、京都の桂川のほとりにあります。現在は宮内庁の管轄下で、見学をする際には、宮内庁に往復はがきで申し込みをします。一時間に40人ほどしか見学できません。数奇屋造りと呼ばれる日本の伝統工法の最高と言われています。

 

残暑と言うには、あまりにも暑すぎる京都の9月。案内してくださる「大阪の自立する工務店の会」の方の車で京都駅にきてもらい、お昼を食べて(洋食屋くいしんぼう:有名なお店みたいで、この日もロケにきていました)、予約の時間までもう少しあったので、「鈴虫寺」にいき、それから「桂離宮」へ。

 

 

 

回遊式の庭園をまわり、ここかしこにちりばめられた「遊び心」を楽しむ・・・のだけど、ガイドの説明してくれる良さが、イマイチ、ピン!とこない。(もしかしたら、ワタクシは数寄の心がないのだろうか・・・)と本気で思い始め、一緒の組になった外国人の観光客を見てみる・・・。彼らも、やはり、なんだか良く分かってなさそうだ・・・。

 

侘び・寂びそして、遊び心を庭や建築の形にした傑作がここ、桂離宮。時代をタイムスリップさせ、古田織部や前田慶治といった数寄な人物にシンクロさせてみる・・・。おっ、なんだか、楽しくなってきた。

一時間はあっという間に過ぎ、もう一度、改めてガイドブックを見てみると、一つ一つが今でも新鮮で、色褪せていないことに気がついた。多分、明日もう一度訪問してみると、もっと楽しい数寄が見れるような気がする。

 

 

ピカソの絵とか、きっと同じなのかな。芸術は、難しいです。

 

 

7月10日 サンヨー ソーラーアークに行って来た!

 

 長良川の堤防道路を走るたびに、ず〜〜〜と気になっていた、岐阜県安八郡にある「サンヨー ソーラーアーク」。箱船型の建物の外壁は、太陽光発電パネルで出来ている。一般公開をしなくなって、3年位かな、今日はパナソニックがサンヨーを吸収し、そのイベントの一環として公開するということで、見学に行って来た。

 

 なんだか、ますます太陽光発電が欲しくなってしまったので、いよいよ我が家も発電所計画を本格化させようとたくらんでいる・・・。

 

 

6月16日 頭かくして・・・・・

 

 ある朝のこと。いつものように玄関を出て、新聞をとりにいく。

 玄関を出ると、すぐにシビックが留まっている。まったく、いつもの風景なんだけど、なんだか、ちょっと胸騒ぎがして、一歩シビックの向こうを覗いて見ると・・・・・。

 

 ↓こんなものが隠れているではないですか・・・・・!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなところにこんなものを隠すのは、T氏しかいないな・・・。・・・・・・・・そういえば、こいつを買ったことは、かみさんには言えないと嘆いていたっけ・・・。

 

 

 OLD TOWN  PATH FINDER

 

 

また、ダウンレバークラブの艇庫にひとつ、遊び道具が増えてしまいました。

 

 

 2010年5月21日 尊敬できる人

 

 ワタクシ37歳、かみさん、子供三人。いま、一番欲しいものは何ですか?と尋ねられたら、迷わず、

 

「時間」

 

と応える。時間が欲しい。多分、どれだけ時間があっても、同じことを言うかもしれないけども・・・・

 

 なんだか、時間が足りない日々・・・。時間がないと、当然だけども、余計な、不要な時間を過ごしたくない。なんだか気の合わない人と過ごす時間。そんな時間は、もうまっぴらだ。そんな時間を過ごすと、ぐったりと身も心も疲れてしまう。

 

 反面、寝る時間を惜しんででも、やりたいことがあるし、会いたい人がいる。

 

 いま、自分が同じときを過ごす人のことは、全員、なにかしら尊敬できるところがあって、そういう人と会うと、身も心もリフレッシュされる。人生には、師と友人は必ず必要だと、実感する時が、以前よりも増えた気がする。

 

 

 で、この方のことは、圧倒的に尊敬している。

 

 

 メジャーな建物を作ったとか、すごい知識があるとか、そういう点ももちろん、尊敬しているけども、

 ・行動力 ・プラス思考 ・性善説 ・醸し出す雰囲気

 人間性。

 

 もう一度、繰り返すけども、圧倒的に尊敬している。

 

 

 

 ・・・・・一月ほど前、事故で、頭を打ってしまい、体調はあまり優れないようである。でも、そんな気配は微塵も感じさせない。その事故の前に、彼はとぼとぼと国道を歩いているドイツ人3人組にひょんなことから偶然出会ってしまった。ドイツ人三人組は、ドイツの伝統的なマイスター制度の修行中の身だ。初めて知ったんだけども、ドイツにはマイスター制度というのがあり、それは、ビールとか、ソーセージだけでなく、すべての伝統技能の職人に「マイスター」の称号があり、修行を積んだものに与えられる。ドイツの建築マイスターは、一年以上、自宅よりも半径50km以上はなれたところで修行をすることが必須なのである。

 

 その、マイスターの卵が、たまたま、京都を目指して歩いているところに出会ったらしい。

 

 マイスターの卵は、彼の人柄、そして建築技術に惹かれ、彼(もしくは彼の仲間)の元で修行をすること一ヶ月以上。片言の建築用語も覚え、修行の集大成として(?)、5月21日、彼の作業小屋の建前の手伝いをしていた。

 

 コミュニケーションは完全とは言い難いけども、彼と三人のマイスターの卵の間には師弟関係があり、ひよこの面々は完全に彼のことを師と仰いでいた。

 彼を圧倒的に尊敬してるのは、ワタクシだけではないようだ。

 

 おそらく、これからの日本の建築の屋台骨を支えていくであろう彼(本人は、まったく全然そんな気はないけども)。マイスターの卵たち同様、 私もこれからも師と仰いで、いろいろ教えていただきたいです。まずは、体の調子を完全に戻してください。

 彼や、マイスターの頑張りは、5月26日夕方6時30分から、NHK放送の名古屋地方版にて紹介されると思います。NHKの若いスタッフが、彼らからどこまで感じ取れたか分かりませんが、熱意は汲み取れると思います。

 

 頑張れ!マイスター。

 

 ワタクシは、人生に必要な、師にも友人にも恵まれています。頑張れ、俺!ふと、周りを見ると、時間がないのは、仲間のおかげじゃないかと、気がつきました。ありがたいことです。 

 

 

 

2010年1月11日 薪棚兼自転車置き場兼艇庫兼車庫完成

 

 2010年1月4日から、大地が入院&手術。無事終了し、6日には早々に退院。手術という去年からの懸念もなくなり、今年はがっつりと外遊びが出来そうです。

 

 が、今は安静のひととき。このタイミングを逃すわけには行かず、ワタクシはせっせと薪棚兼自転車置き場兼艇庫兼車庫を完成させるために、頑張らなければならんのです。

 

 腰板に塗料を塗り、寒空の下打ち付けていく。明るさを確保するために、壁は透明フロストのポリカ波板仕様(安いしね)。薪棚を組み、割った薪を積んでいく。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・完成・・・・・・・・・・・・・・。

薪棚としては、規模が小さいので、もっと棚を増やさねばならないと計画中。

自転車の出し入れがしにくいので、置き方を工夫せねばと思案中。

まだまだカヌーを一杯おけるので、もっとフネを増やしたいと、ポンタと交渉中。

とはいえ、薪棚としても、自転車置き場としても、艇庫としても、満足のいくものです。

 

 

ポンタの意見はどうでしょうか?

 

「車(シビック)が全部入らないから、気に入らない!!」

 

 

だそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・たしかに、ボンネットが車庫から出ておりますな・・・。

 

ま、「車庫」は優先順位が低いもんですから・・・。

 

 

 

 

2010年1月2日 大阪喰い倒れツアー

 

新年あけましておめでとうございます。今年もここ地球を舞台に、たくさんの 公演=遊び をしていきたいと思います。

 

昨年に続き、家で過ごす元日は、時間もゆっくりと流れ、おせち料理をたべたり、年賀状を見たり、朝から晩までお神酒をいただいたりと、のんびり出来ます。

 

よく二日は、朝の6:30発で大阪へハイエースを走らせ、喰い倒れツアーの始まり始まり♪

 

 

まずは9:00に通天閣に登り、大阪の街を見下ろす。大地にとっては、これまでもっとも大きな街といえば「名古屋」だったけども、さすがにもう一回りも二回りも大きな街に感動した模様・・・。

通天閣から降りて、新世界で

 

・たこ焼き ・串揚げ  ・どて焼き  ・ビール

 

 

 

その足で天王寺動物園へ。美月1歳は初めての動物園で、ずいぶん御満悦♪

 

トラにおしっこをかけられそうになったり、水中のかばをみたりしたあと、

 

ふたたび新世界で

 

・寿司  ・関西風うどん  ・たこ焼き

天気もいいし、気温も暖かいので、道頓堀に行く予定を変更して大阪城へ。天守閣まで行くと、結構時間がかかり、かつ、大道芸が面白くて見入ってしまい、大阪城を出たのが15:30。

 

道頓堀に行って、

 

・お好み焼き  ・ケンタッキー  で満腹!   となるはずが、大阪城を出て、車に乗るやいなや、大地が眠りの世界に落ちていき、美月もうとうとし始め、やむなく阪神高速に乗って帰宅。

 

 

大阪に向かう道路の渋滞を横目に、さくさく走って帰宅は5:40。ま、1歳の子供をつれてのプチ旅行なので、無理をしてはいけませんね。

 

帰宅後はおせち料理とピザ、そしてビールで〆。今年も楽しい一年になりそうです。

 

 

 

 

 

我が家のクリスマス2009

 

 

ここ数年、12月23日は妹たち家族とともにクリスマスパーティーを開催。上の妹は、12月14日に二人目のベイビーが生まれたため、今回は不参加と相成りましたが、我が家の大人二人+子供3人、下の妹夫婦+子供二人、上の妹の旦那+子供一人、そしておばあちゃんが参加してのパーティーです。

 

会場は我が家ですが、これだけの人間が集まると、かなり手狭です。

 

朝から薪ストーブを燃やしているし、料理もしているので、暑いくらいです。

 

 

妹がスープを作り、鮭と白身魚の料理を一品出し。

ポンタはポテトサラダ、マカロニサラダ、グリーンサラダ@一部自畑製

ワタクシが丸鳥のローストチキンとピラフ。

それに、サンタの衣装を着たスタッフが届けてくれる宅配ピザ←これはおばあちゃんの差し入れ

 

 

ビールをがんがん開けて、ワインも二本ほど栓を抜き、楽しい大人のひととき・・・・。

 

 

 

翌夜中、子供が喜びそうなものがテーブルに並びました。

サンタさんありがとうございます。サンタさんのおかげで、子供は明日の朝、ものすごい喜びそうです♪

 

 

自身クリスチャンでもなんでもないですが、国を挙げてのこういうイベントは楽しいですね。

 

 

 

 

12月3日 カヌー小屋を作る

 

 よし、カヌー小屋を作ろう。

 

 我が家の「ヨド物置」の中をみていると、MTB3台子供の自転車2台、それに折りたたみのカヌーにキャンプセット・・。湧き水を汲んだポリタンクが120L分。明らかに飽和状態がつづく・・・。

 

 我が家の庭には、ママチャリとMTBが風雨にさらされているし、カヌーギアも置いてある・・・。なにより、大量の薪が散乱している状態が続く・・・。

 

 

 

 なんとかせにゃいかんと、一念発起し、自転車小屋兼カヌー小屋兼薪小屋兼一応名目上車庫を作る計画を進行させることに決定。実は、新築時に平行して行うつもりだったんだけども、もしかしたら、隣地が売りに出て、しかも、もしかしたら、購入することになるかもしれないと考えていたので、ちょっと待つことにしました。が、売る気配なし。

 一年が経ち、さすがに庭や物置の中の状態に我慢できずに、いよいよ着工しました。

 

 自分の家を作るのは、小さなものでも楽しいです♪

 

 家を建てていただいた大工の風さんに木材の加工(刻み)を依頼し、弟子のガーデンが一本一本丁寧に手仕上げで仕上げていく。壁面が極端に少ないので、金物を使わないというのは不可能ですが、それでも、釘やビスはほとんど使わず、貫工法と頬杖という斜材で強度を持たして設計。

 

 

 

 

 木材は、ポンタと大地・七海が天然塗料のプラネットコートをぬ〜りぬ〜り。かなり塗りムラがあるけども、それでも手作り感あふれる小屋はいい感じ♪

風さん、ガーデン君も来てくれて、ポンタもカケヤという木製の大ハンマーを持って、棟上。

 

 

 

 

後は、塗装と外壁と屋根。年末も忙しくなりそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月26日 悔しい思い

 

 今日は大地の通う小学校のマラソン大会の日。小学2年の大地は、約800mを力走します。

 

 

 

 実は、大地は11月19日から訳あって入院し、20日には結果的に退院となったのですが、その手術のために、1ヶ月ほど無理な運動を控えていました。スイミングも休会していました。ちなみに、病気ではありません。ぴんぴんと元気なのです。心配はなにもいりません。

 

 

 手術3時間前に発熱した彼は、今回も手術を受けることが出来ず(家に帰ってからは、熱も下がり、公園で野球をしていましたが・・・)、延期となりました・・・。

 

 となると、大地は大喜び♪

 

「やったー、マラソン大会にでれるーーーーー!!」

 

 

 そんなに、嬉しいものでしょうか??なんか、マラソン大会を休めるほうが嬉しいような気もしますが・・・。

 

 

 昨年のマラソン大会を1位という素晴らしい記録を残した彼は、今朝も

 

「今年も1位になると思うよー。だから、応援にきてねー」

 

と、上機嫌で学校に行きました。たまたまこの日の現場は学校のすぐ近くだったので、スタート時間に行くと、いますいます。スタートラインの一番前にいます。気合十分です。ぜんぜん知らないおばちゃんが大きな声で、隣のおばちゃんと話しています。

 

「あの一番前の子(大地のこと)、給食を毎日お替りするのよ。あーんなに食べてるから、きっと早いわよ。」

 

「・・・・・」

 

さて、グランドを一周し、正門を出る時点で3位につけていた大地。

 

約4分後、涙をぼろぼろ流しながらグランドに戻ってきたのは10番目。その後、校舎に戻るまで、整列中もずーと泣きじゃくっていた大地。悔しかったんだろうね。

 

今の自分の生活の中で、涙を流して悔しがることはありません。強くなって欲しいなっと、子供にエールを送ると同時に、なんだか、うらやましい気がしました。

 

 

 

 

 

 

・・・・・あれ、冷蔵庫に入れてあった最後のビールは??

 

 えっ??ポンタ飲んだの? ムッキーーーーーーー!!悔しいーーーーーー。楽しみにしていたのに・・・・泣ける・・・。くっそー。

 

 

 

 

 

11月14日 神戸小学校文化祭に行く

 

この日は、神戸小学校の文化祭です。ちなみに、我が子の通う小学校ではありません。

 

 

小学校でゆとり教育が取り入れられ、地域の人を呼んで授業をする取り組みを始めてもう10年近く。

 

一方、ボランティアで「自助具」を作り始めて、もう10年以上。

 

「自助具」という言葉が出来て間もない'90年代後半、福祉関係の人間でさえ、それがなにか、まったく分からないような頃・・・。

 

「自助具」とは、身体の不自由な人が、自立した快適な生活を送るために、日常生活動作を少しでもやりやすく、自分で出来るよう工夫し

た道具のことを言います。

 

 

神戸小学校は、その「自助具」を作っているワタクシたちの団体に、毎年授業の依頼をしてきます。

 

もちろん、我々は喜んで引き受け、実際に児童に作ってもらったりもしました。私自身は、平日のど真ん中に時間を作るのが難しく、他の

メンバーが毎回快く講義してくれます。

福祉に関心がある子供たちも、たくさんいます。そんな神戸小学校4年1組のみんなが文化祭の催し物に選んでくれたのは、なんと、

 

「自助具クイズ」

 

 

以前、このクラスに出前授業を行い、それに感銘してくれた児童たちが、文化祭に自助具を取り上げてくれたのです。

 

それぞれの児童が、すでに製作済みの展示用自助具を選び、各自助具に対して、自分自身で問題を作り、その3択問題を教室にきてくれた児

童や父兄らに解いてもらうというモノ。みんな、一生懸命自助具の事を調べ、画用紙にきれいにまとめていました。

入り口で渡された用紙に、問題に正解するとスタンプを一つ押してもらい、10個貯めると、賞状がもらえるという仕組み。ワタクシも参加

しました。11時15分までの展示に対し、到着したのは11時過ぎだったので、教室にはお客さんはワタクシのみ。先生も見守る中、「自助具

クイズ」は始まりました。

Q:この道具(左写真)は、どんな人が使うでしょうか?

 

 

@手が不自由な人

A耳が聞こえない人

B足が不自由な人

 

「さあ、おじさん、どれでしょう?」

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「わかった。頭を洗う人!!」

 

「おじさん、それ、あたり前やんか!!まじめに応えてよ!!」

 

見たいな感じです。児童は皆一生懸命問題を出してくれます。最後には、賞状も貰いました。なんと、100枚準備した賞状の、ちょうど100

枚目でした。

 

最後に先生に、「自助具を作っているサークルのモノです」というと、先生は飛び上がるほど驚いていました。子供たちは、もっと

 

 

「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 

 

と言う反応が・・・・。

 

 

しかし、ずいぶんの人が、「自助具」という言葉を知ってくれたのかな?神戸小学校4年1組のみんな、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月3日 竈の家を古民家再生

 

 

 四日市市采女にある、築100年の竈の家。ときどき、古民家が好きな面々が集まって、竈でご飯を炊いたり、楽器を弾いたり、お酒を飲んだりして、楽しむ場になっている。100年の年月を経てきた柱や梁、土壁やしっくいは、ただあるだけで、なんだか気持ちが落ち着いて来る感じがする。自分のお気に入りの場所のひとつです。

 

 その竈の家を、もっと気持ちのいい空間にするための改装工事を、時間をかけて、行おうというので、ワタクシも参加させていただいております。

 

 

庭に撒かれた大量の柴

 まず、中二階(この地域では、ツシといいます。洋風に言えば、ロフト)にあげられた竈の炊き付け用の柴をおろして、天井裏の空間を使えるためにする準備工事。人海戦術にて、中二階の柴を下ろす→庭に撒く作業。何十年もそのままになっている柴は、とにかくすごい埃で、中二階にいる人は、鼻の中まで真っ黒け。顔も服も手袋も、すべてすべて真っ黒け。

 

 

 半日かけてツシの柴を下ろし、1日かけて、その柴を木々の間に広げ、消石灰を混ぜる。時間がたてば、素敵な腐葉土の出来上がり。古民家に使われている材料は、「ごみ」になることがなく、次のなにかに使われる続け、そして、最後は土になる。この、大正時代くらいまでの当たり前のサイクルが、自分はじめ、今の時代には、なぜだか新しい気がする。

 

 ワタクシがツシで必死になって柴を下ろしている頃、竈がある奥戸さんではお昼の準備の羽釜が火にかけられた。火力が強いので、10人分以上の食事もすぐにできる。ほのかに煙がツシにはいってくる・・・。この煙が防虫効果があり、事実、大量の柴の中には主はほとんどいなかった。

 

 

一升のお米と豚汁が出来たので、お昼タイム。竈で炊いた白米は、これまた本当につやつやで、あまくておいしい。IHだの、ガスコンロだの、そんなものとは、まるで違うごはんになってしまう。

 

 午後からは、柴を下ろした後のツシの掃除。これまた、真っ黒けになって頑張るしかない・・・。しかし、合掌造りの屋根裏はとても広く、そして、丸太がむき出し、荒木のタルキも野地板もむき出しの荒々しい感じが、なぜか落ち着く。

 

 

 奥戸さんにある竈の煙突を、マンネンの古いものから、これまた庭に落ちていた?土管を使って、新しく?取替えをする作業も、大工さん4人+設計士サン一人+ワタクシで開始。大工さんの手早い作業にも感心するけども、やはり、何十年も前の土管を使って「新しくする」という、考え方に感心。

 車を入れる通路には、何十年も前に捨てられた瓦を砕いて敷き詰める。子供たちもハンマー片手に、コンコン コンコン 楽しそうに作業を続けている。土を焼いて作った瓦は、人や車に踏まれ、角が取れて、やがて土に返っていく。

 

 樹齢100年は越えるくすのきの枝を落として、本日の作業は終了。

 

 

 手を入れると、家そのものが息を吹き返したようになり、家の中にいると、なんだか、日本人のDNAのなかにある、「落ち着き」みたいなものを感じ始めます。

 

「古民家再生」

 

流行や一過性のものでなく、本質的な古民家の良さを、日本人すべてが認識していきたいですね。すべての人間は、自然の中で生かされていて、自然を大切にしなければいけない。じゃあ、どうすればいいのか?という答えのひとつが、「古民家再生」という言葉の中にあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月9日 ナナの運動会

 

 今日は平日金曜日だけども、ナナの運動会の日。前日に三重県含む東海地方にずいぶんな被害をもたらした台風18号の爪跡もまだ、そこかしこに残る中、本来ならば、間違いなく中止となる運動会。

 

 しかし、ナナの通う幼稚園では、運動会は予定通り開催されました。

 

 

 この幼稚園は、四日市市にある「四日市ドーム」で運動会を開催するのです!!

 

 

 

 雨でも予定通りに開催されるというありがたさ!これは、休みを取ったり、また、お弁当を作ったりすることを考えると、ありがたいです。

 

 使用料が高いので、平日に行われます。これは、参加できない父兄がいます。また、小学生の兄弟がいたりすると、何か対策を考えねばなりません。

 

 鈴鹿市にある幼稚園ですので、ほとんどの園児は鈴鹿市在住です。が、会場は四日市なので、朝の渋滞を抜けていくと、車で1時間かかります。

 

 

 

 メリット、デメリットがはっきりしているので、賛否両論だそうです。

 

 

 ワタクシは、賛成派です。上記メリットのほかに、秋の貴重な土・日曜日に学校のイベントがあるということがそもそも気に入らないのです。学校のイベントはすべて、平日に!うむ、これくらいの提案があってもいいですね。

 

 

 幼稚園というレベルでさえ、ランク付けされている昨今。他市町村とくらべ、鈴鹿市はのんびりしていて、「やれ、どこどこ幼稚園はAランクだからいいとか、何々幼稚園の学習内容は簡単すぎてCランクだ」とか、そんなことはほとんどありませんが、それでも、やはり人気がある幼稚園はあって、その幼稚園に入園させることは、ステータスになっているようです。 

 

 また、幼稚園児でさえ、水泳・英語・ピアノ・そろばん・リトミックと盛りだくさんで習い事をしています。

 

 

 幼稚園児は、大人の商業主義に巻き込まれて、すごい忙しいのです!!!

 

 

 ナナは、5歳の年中さん。他の子はどうか知りませんが、いま、ひらがなを書く練習をしています。絵本を読んで、たくさんの言葉を覚えています。

 

 着替えをして、脱いだ服を片付けたり、たたんだりする練習をしています。

 

 ご飯をきれいに食べるよう、がんばっています。

 

 一人でシャンプーできるよう、奮闘しています。

 

 1歳になったばかりの美月と遊んでくれます。

 

 

 

 

 彼女は彼女なりに忙しそうなので、習い事をする時間がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ナナが通う幼稚園。鈴鹿市でステータスになっている幼稚園に子供を通わしているママの話では、

 

「演奏や遊戯、学習の内容がかなり低く、先生方の対応も悪い」

 

そうです。他の幼稚園に通わしているママからも、そう聞きましたので、きっと、鈴鹿市内の評判はそんなものなんでしょうね。

 

 

 だけど、ワタクシは、満足しています。

 

 

 ナナは、一度も休まずに、楽しそうに毎日幼稚園に通っています。ひらがなも、お絵かきもきちんと教えてくれます。

 運動会でも、園児はみな、楽しそうに、そして、教えられたとおりに、リズムに乗って、踊ったり、走ったりしていました。

 

 チンパンジー並みの幼稚園児を、きちんと整列させ、あそこまできちんと教えていただいた先生方の頑張りには、感謝しています。ナナには十分すぎる内容でした。

 

 また、父兄の駐車や観戦のマナーも、決して悪くなかったです。

 

 

 

 5歳のナナは、時間がかかってもいいので、ひとつのことをしっかりと取り組める子になって欲しいです。

 

 

 トマトを育てるのに、時期も無視して、温室で大量に化学肥料を与えて大きくすることは可能です。虫もつかないし、すぐに赤く大きくなるし、見栄えはいいし、いうことなしです。

 

 庭でトマトを育てようとすると、まずは、土をじっくりと時間をかけて作ります。それから、タネを蒔く時期を待って、種蒔きします。虫や鳥に注意し、雨風にさらされ、太陽の光をさんさんと浴びて、季節の移り変わりとともに、大きくなって、そして、熟します。ぶっかこうな形のもあれば、青いままのもありますが、そんなトマトも、しっかりと甘みがつまっています。美味いです。

 

 

 5歳のナナという土壌には、まだ、どんな種が蒔かれているのかも、わかりません。どんな芽が出て、どんな実がなるのかも、わかりませんが、時期が来れば、きちんと発芽し、実が出来、大きくなるでしょう。今は、きちんと土壌造りに父として取り組まなければいかんだろうなあと、運動会で頑張っているナナを見て、思いました。

 

 

9月9日 父親の還暦祝い

 

よく行く、地元の日本酒がどえらい充実している酒屋・「たる安」。鈴鹿市ではピカイチの品揃えと良好な保存状態を保っている、日本酒通のお店です。

 

この日、オヤジの還暦の誕生日なので、日本酒を一本仕入れにお邪魔しました。

 

お気に入りの日本酒、関谷酒造の「空」も売っていました。一升瓶で8,900円なり。他店よりはグッと安いので、ちょくちょく売れるお酒だそうです。超人気の「空」です。美味いですね。

 

そして、今日奮発して買ったのは、これ↓

 

 

 

 

 

「吟」

 

 

関谷酒造の最高級の純米酒です。「空」の上のグレードです。一升瓶では初めておめにかかりました。たる安さんの最後の一本でしたが、譲っていただきました。本当かどうかはわかりませんが、「一現さんおことわり」のお酒です。

 

 

味は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒米の芯の芯だけを丁寧に醗酵させた、今まで呑んだことがないくらいの「甘い香りのする水」といった感じでした。最高に美味いです。

 

両親と三人で、一升瓶を30分で飲み干しました。喜んでもらって、なによりですな!

 

 

 

 

9月8日 オヤジの還暦を祝う準備が出来た??

 

 明日、9月9日はオヤジの還暦の誕生日。おめでとう。

 

 自転車で日本二周、バイクで日本一周した上の妹と、北海道大好きで、ユースホステルでガッツリバイトをし続けていた下の妹の三人で考えた結果、贈るプレゼントはこれ↓。

 

 

 ・・・・初めて一人で「旅」をしたのは、小学5年のとき。それからどんどん一人旅がエスカレートしていき、自転車で世界を走り回るくらいになっていった。「一人」旅が出来るのは、すべて、オヤジをはじめ、家族の支えがあったからこそ・・・。「一人」では、旅なんて、出来るわけがない・・・。

 

 来年還暦を迎える母と、二人でゆっくり好きなところを旅してきて欲しいです。

 

 

 

 

9月7日  何だか、時間が足りない毎日・・・。

 

 9月6日 土曜日の朝。とにかく5時過ぎにおきて、朝の準備をし、急いでトラックにカヌーの準備を積み込み、タクマパパを迎えにいって、二人で伊勢湾にてベタ凪カヌー。これ、目的は9月5連休に行く、四国吉野川・小歩危のトレーニングの一環です。(トレーニングになったかどうかは、自信がありませんが・・・・・。)    8時には事務所につき、ガッツリ仕事・・・。

 

 午前中に仕事はけりをつけ、我が家の艇庫新築工事の残工事の片付け等々・・・。

 夜は、あまりにも見事な満月に見とれ、一人月見酒・・・。そういえば、3人目が生まれるちょうど去年の今頃、、「美空」という名前をほぼ決定していたんだけども、彼女が生まれたその日、あまりにも月がきれいで、急遽、「美月」に変更したのを思い出した。

 「なんだか、懐かしいなあ」  思わず、4合瓶の日本酒をのんびりと飲み干す・・・うちに、外でうとうとと眠り始めてしまい、いかんいかんと布団に入る・・・。

 9月7日  日曜日の朝、とにかく5時過ぎにおきて、朝の準備をし、急いでハイエースに山登りの準備を積み込み、お弁当を作る。

 久しぶりの登山だし、美月は山登りのデビューだから、比較的簡単なコースを選択するも、あまりの暑さに予定を変更し、影のたくさんある公園にてピクニックに変更・・・。

 この日は午後から「御在所岳環境パトロール隊」の定期総会があり、今となってはワタクシは名前だけの参加なのだけども、とりあえず、総会に参加。昨年の豪雨の爪痕残る登山道の危険性を認識し、今期後期の活動内容を決める。

 

 終了後、急いで、「竈の会」が開かれている四日市市采女の竈の家に向かう。今日は、隔月程度開かれる、古い古民家のよさを認識しようという、」竈の会の開催日なのだ。竈の前には、いつもお世話になっている風さんが、どーーーーんと座って、薪をくべ、水餃子を作って下さっている。100年住宅のここ竈の家は、なんともいえない、落ち着いたたたずまいで、つい、長居をしてしまう、雰囲気のいい建物なのだ。

 

 もう、会に参加された皆さんはほぼ帰られ、竈管理人のFさん他、数人しか残っておらず、ワタクシはここ竈の家で、特に作業もせず、特にご飯も作らず、ただただ皆さんとしゃべって、水餃子をガッツリと食べて、片付けもせずに御無礼してしまいました・・。

 

 この日、晩御飯を作る約束をしていたので、急いで帰って、餃子を作り、子供たちとゆっくり食べて、またまた月を見て、やはりソファーの上でうとうとと眠りの世界に落ちていく・・・。

 

  なんだか、時間が足りないな・・・・。ふと、目が覚めて、子供たちの寝顔を見て、そう思う・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

8月29日  ヤフーオークションって、楽しいね♪

 

 いまさらながら、ヤフーオークションというのは、とてもよく出来た素晴らしいネットワークだと思います。ここまでの制度を作ったソフトバンクに、敬意を表したいですね。

 

 これまで、落札はもちろん、出品も何度かやりました。落札も楽しいですが、出品の楽しさは格別です。これまで、何度かちょっとしたお小遣いを得てきました。さて、今回の出品はこいつ。

 

 

 アップリカのハイローチェア。赤ちゃん向けのスイング付チェア。買った時はたしか、15,000円くらいだったかな?

 

 一円スタートで始まったオークション。さあ、落札価格は?!

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一円!

 

ま、そういうこともありますね。無料でさしあげました。

 

 

 

 

7月22日 ナゴヤドーム野球観戦

 

 最近の大地、マイブームは中日ドラゴンズ。一度ハマルと、とことんのめり込んでしまう彼は、野球観戦に行きたくてしょうがない。んで、春休みと夏休みには野球観戦@ナゴヤドーム。

5階パノラマ席

応援団横の席

 7月22日現在、首位を行く読売ジャイアンツと2.5ゲーム差の二位につけている、絶好調のドラゴンズ。この日もナイスゲームでした。

 

 基本的には、チケットは、オークションで競り落としています。今回は、ポンタと美月(0歳)も一緒に行くのが前提だったので、人が少ない5階パノラマ席を二席確保。

続いて、「応援きちがい」大地のために、応援団隣席を4席確保。計6席を、ワタクシ・大地・七海、そして、ババ、ジジの5人でゆっくり観戦。

 

ゲームにも勝ったし、ビールは旨いし、大地は声がかれるまで(応援歌を)歌っていたし、楽しい野球観戦でした。がんばれ!ドラゴンズ!!

 

 

7月20日 我が家の収穫

 

 大地の入院で、しばらく手入れを怠っていた我が家の畑。雨が多くて気温も高い今、きゅうりもナスもオクラもトマトもピーマンも、どんどん大きくなります。

とりあえず、また収穫開始ですな!

 

7月18日  入院生活もいいもんだ????

 

 さて、アレルギー性紫斑病の疑いが大きく、入院生活を余儀なくされている大地。関節が腫れて、歩けないし、点滴生活だし、何よりも、今日から夏休みだし、ものすごい落ち込んでいる・・・。

 

・・・・・と思いきや、手伝いはしなくていいし、TVは見放題だし、おやつやジュースは差し入れしてくれるし、トイレから何から介護付だし、、本人は何だか嬉しそう♪

 

せっかくなんで、宿題を終わらせるチャンスなので、朝6時から点滴ぶら下げて夏休みの宿題に取り組んでいます。

 

 

7月17日  なんだかわかんないけど、大地が入院・・・・

 

7月17日の今日は、小学校・幼稚園とも終業式。いよいよ、夏休みの始まりで、子供は楽しいし、お母さんはブルーな顔をしている。

 

大地も七海も、なにやら嬉しそうだ・・・。

 

 

・・・・・・・・・ところが、今週月曜日からずいぶん調子が悪い大地君・・・。昼三時過ぎ、ポンタから電話がかかってくる。

 

 

「・・・・・・大地が動けないんですが・・・・・・。」

 

 

よくわからないまま、膝がパンパンに腫れている大地を抱き上げ、近所の、先日血液検査をしていただいた町医者に連れて行く。

血液検査の結果を説明しつつ、先生は今の状態を確認すると、すぐに、総合病院の紹介状を書いてくださった。

 

なんだか、不安になるワタクシ・・・。

 

そのまま、総合病院に車を走らせ、検査を受ける。

 

 

月曜日から、調子が悪い大地。足に湿疹がかなり出ていて、関節もかなり腫れている。歩くのも大変そうなときが多い。

そんな状況なので、学校へは車で送り迎えし、大地には、無理をしないよう、走り回らないように強く言い聞かせておく。

 

・・・・・・・と・こ・ろ・が・・・・・・当の本人は、まったく自覚がなく、入院した今日も、

 

休み時間にキックベースしたよ〜

 

なに〜、キックベースだあ!!!なんて、馬鹿なことを言っていやがる!!

 

で、結果、入院・・・・・絶対安静。ハイ、今日から始まった夏休みが・・・もうすでに終わっていきそうですな・・・・。

 

 

 

 

 7月12日  懐かしのクロスファイアー

 

クロスファイアー。カヌーの名前です。この名前を知っている人は、カヌー歴10年選手ですね、はい。

大学の後輩Hの愛艇で、ワタクシ自身、カヌーを始めた頃、よく二人でいろいろな川に行ったのが思い出されます。

江の川・四万十川・北上川といった、遠方の大河から、気田川、長良川、木曽川、宮川といった、近くのおなじみの川まで、よく出かけたフネです。

思いで深いこのフネが、今我が家の庭にあります。このフネは、これからは、大工の風さんの愛艇として、活躍していくでしょう。

楽しみですね、風さん。

 

 

 

 

7月9日 大物退治

 

 

午前中は、自治会の清掃作業があった日曜日。10時過ぎに清掃が終わったので、汗まみれの体にシャワーを浴びる前に、先日の桜の木の退治の続きに行くことにする・・・。

 

何しろ、幹の直径は50cmを越える大物。自分のチェーンソーの刃渡りが約35cmなので、こいつは大変だ・・・。

まず、幹を倒したい方向にV型にカットし、残り三方を順番に切っていく。次第にみしみしと音を立てて傾いていき、30分後、何とか倒す!

 

しかし、この推定800kgの幹を運べるわけもなく、今度は玉切り。玉切りもずいぶん苦戦をし、何とかいくつかの塊にする・・・。これを、薪割り出来るのか、少々疑問があるけども、とりあえず、丸い塊にした・・・・。

・・・・・・、が、まだ持ち上げることが出来ない。推定60kg〜100kgのこの塊・・・。

 

 

一人で持つのは諦め、翌日、マート君と一緒にとりに来る羽目になりました。さ、来週は薪割りです。

 

 

 

 

2009年7月3日  我が家の夏

 

今年も梅雨がやってきた。もう、真夏も目の前である。

風の家に引っ越してきて、初めての夏。設計段階で、「エアコンを使わない家造り」を掲げているので、

その効果が今からとても楽しみなワタクシ。

 

 我が家の「夏を涼しくすごすための工法」は、

 

1.外周すべて、土壁t=80mm

 

これにより、珪藻土や、他のすべての建材に比べて、かなりの調湿効果が期待できる。日本古来から、住まいは夏の暮らしかたを旨とする、伝統的な工法ですね。

 

2.土壁のそのまた外周に、外断熱材をぐるりと巻き込んである

 

世間では、外断熱工法と呼んでいます。うちは、家そのものがフリースを着ている様な状態になっているので、外の熱が伝わりにくいです。

 

3.二重屋根

 

屋根を二回葺き、一層目と二層目の間には断熱材が敷き詰められ、さらに、屋根の四方すべて開放になっているので、熱がこもらず、さらに、伝わりません。

7月3日現在、二階屋根裏部屋でも十分普通に過ごせます。

 

 

そして、自然の恵みの「風」。

 

 ちなみに我が家、夜は二階の6畳の和室に、家族5人で寝ています。カーテンがないので、雨戸を閉めて寝ています。明け方は寒くて、布団なしではおれません。

 

さ、夏よ、来い!

 

 

美月対策の扇風機・・・。

 

  ・・・・・・・涼し気なのか、暑苦しいのか、わかりませんね・・・・。

 

 

 

 

 

2009年6月28日  平成21年梅雨時の、とある日曜日の過ごし方

 

 

 夏至も過ぎたとはいえ、日が昇るのは早く、また、長い。朝5時、昨夜は夜中まで飲んでいたにもかかわらず、まずは大地に起こされる・・。そうこうしているうちに、美月が起きてくる。

ともあれ、コーヒーを入れて、飲んでいると、5時30分、ポンタとナナミが眠そうな目をこすりながら起きてくる。・・・・早起きはいいけども、せめて、飲み会のあった翌日くらいはぐっすりと眠りたい・・・。

 「風の家」とよんでいる我が家は、何しろ風当たりがひじょうによろしいので、夜、窓を開けて寝てしまうと、非常に寒い。なので、日が昇ってから窓を開け、庭に目をやる。

 

 

 

庭には、採れ頃のトマトが身を真っ赤にしている。うむ、旨そうだ。きゅうりも今日収穫できそうなので、朝はサンドイッチにすることにする。

 

朝6時30分から家族で庭の畑に入って、物色する我が家・・・。

 サンドイッチとホットサンドの朝食をすまし、庭を見ると、なんだかアリがせっせと働いているのが目に入る。ああ、そうだ、我が家も冬支度をしないと・・・・などと、気温26度の太陽を眺めながら、斧とチェーンソーの準備をする。

 

 

 

 

 庭にたくさんまきがあるけども、何しろ我が家は、毎日ほぼ24時間薪を燃やしっぱなしなので、薪の消費量は多い。今日も、友人宅の桜の木を処分するというので、喜んでチェーンソー片手に駆けつけてきた。

 桜の木の枝をやっつけること1時間。薪割りをしようかと思ったけども、疲れたので、とりあえず、ビールを飲んで休憩。ビールをプシュッと明け、ウッドデッキのハンモッグで飲もうとそこに行ってみると…。

 

 

・・・・・・・・・・・占拠されていました・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふー、と一息ついて、ビールを飲み干し、丸太を二本だけ割って、今日の薪集めの部は終了。

 トマトでトマトソースを作って、パスタランチを食べて、この日は近くの公園へ。七海の自転車の練習に二時間付き合わされ、大地の野球の練習に1時間30分付き合わされ、今日もまた、梅雨らしく、うまいビールが飲めるわけなんですよね、はい。

 

 


2009年6月25日  我が家の改装  〜二階洗面所編〜 

 

 

  2008年12月に引っ越してから、はや半年。まだまだ残っている我が家の新築工事・・・・。「やらねばならん」と鼻息を荒くするも、外遊びの誘惑や、子どもの

 

  「おとうちゃん、あそんで〜♪」

の声に、ついつい、家のことは後回しになっていく・・・。

 

これじゃいかん!  ということで、久しぶりに我が家の改装工事をすることに・・・

 

  

  今日のノルマは、二階洗面所のカウンターおよび水栓・ボールの取り付け。

 

 青森ヒバの板に、カンナをかけ、ペーパーでこすること一時間。 

 常滑焼のボールを排水金具をつけて、穴をあけて固定。水栓金具用の穴を加工し、これまた固定し、一気にガツンとはめ込む。

 

手洗いカウンターとして、非常にシンプルにでき、これから我が家のセカンド洗面所として活躍するであろう・・・・。将来ここで、七海や美月がお化粧とかするのかなあ…、なんて考えている隣でポンタが一言。

 

 「ここ、私の家事専用カウンターにしようかなあ・・・。 もう一回、水栓金具とボールをはずしてくれへん?

 え?!     ・……、もちろん、却下ですね。

 

 

 

 あとは、ポンタがオイルを何回か塗るのみ。完成が楽しみです。

 

 

 

 

2009年6月22日 ホームページの更新

 

 全国一億二千万人の地球劇場ファンのみなさま、長らくお待たせしました。今日からホームページの更新復活です。

 

 

 

2008年2月2日  竈の会


 四日市市にある、築100年を越える古民家。ここには、「奥戸」さんがあり、そして、「竈」がある。「マンネン」で出来た煙突から、白い煙が上がっている。

 ここ、竈のある家で、「竈の会」という、素敵な集まりが定期的に催され、今回もまた参加させていただいた。


 この日、東員町の現場が終わってから駆けつけたワタクシと風さん、T橋氏とTジさん。寒々とした家の中でも、竈に火が入ると、わやわやと人が竈近辺に集まり、話がはずむ。火には、体を暖めるだけでなく、人の心の中まで暖める何かがあるようだ。左写真の右下に写っているものも、しっかりと体と心を暖めてくれるけども・・・。



 トンポーローの汁で作ったうどん。なんとなく、ラーメンぽいが、しっかりうまい!酒が進む!
 竈を中心に雰囲気がいい中、腹も膨れ酔い始めた頃、T橋氏が突然、吹き始めるではないか!風さんも!Tジさんも!そしてワタクシも!


 そこかしこで、長い筒状のものを見つけては、



「ぶおーーーー、ぶおーーー!」


 



 そうこうしている間に、「みかんさん」が登場!みかんさんは、プロの尺八奏者。みかんさんにかかると、でかい筒だろうが、小さい筒だろうが、なんでも音階を奏でる!


 ただ、「ぶおー」と音が出るだけの我々とは当然だけども、まるで質が違う!
 みかんさん指導の下、あらゆるもので音を出し、音階を奏でる練習をする面々。周りから見たら、怪しいだろうなあ・・・。

筒、指、竹・・・身近なものでも、音楽を楽しむことが出来るんだなあ・・。


 時間がたつにつれ、一人、また一人と「生きた方にこだわりのある面々」がやってくる。

 三重県中に自然素材をふんだんに使った、アイデア一杯の家を建てている『晴吉』のT上さん。

 職人気質な素敵な家をばんばん立てている『造家工房 亀井』のK井さん。

 自然のなかでのびのび育てる『こっこ保育園』の園長O田さん。

 愛知万博『サツキとメイの家』の棟梁M田さん。

 山小屋を愛し、自然を愛し、料理が好きなN谷さん。

 尺八のみかんさんに、これまた自然素材を使った建築、風さんにT橋さん。土いじりが好きなTジさん。

 イケメンのワタクシ。


この素敵な竈の家をきりもりする、竈の会の会長F市さん。

 
 竈に魅せられた面々は、とても面白く、ずっとお付き合いしたいとおもっている。

 

 みかんさんが音楽を奏でるなか、今夜を締める最後の酒はこれ(左)。

M田さんと初めてであった3年ほど前に、何気ない公園で摘んだ木の実の酒。甘くて、懐かしい味でした!


 自然が好きな面々は、やはりやはり、楽しい♪








2008年1月24日  さらば、青春の一ページよ!


 ポンタの青春の一ページを彩った、名車・エンペラー。

このたびの引越しで、ついに引退と相成りました。

日本全国、北海道から青森まで?、九州も山陰も、随分走りました。5年以上乗っていないので、ほとんど修理も不能なくらい傷んでいます。

 もう、いらないというのはわかっているのに、こういうモノを捨てるのはなんだか心が痛みます。






2008年1月1日  家造りをやろう!


 2007年初め、とある知り合いから、Nさんという地主さんを紹介していただいた。Nさんの土地を売って頂くという話がトントン拍子に進み、3月には仮契約が済んだ。ところが、近隣地主の立会い確認等が随分遅れ、やっとワタクシの名義になったのが10月。よし、ここに素敵な家を造ろう。


 悲しいけども、家は造る時代から、買う時代になってきている。出来る限り工場生産をし、安くてきれいで清潔な、無表情な家を、展示して、そして同じ家を販売する。何がなんだか訳のわからない材料を安価に生産し、大量に使い、挙句の果てに、ホルムアルデヒドはじめたくさんのシックハウスの原因子を放出しまくっている。もちろん、使い捨てで、リサイクルなんてことは全く考えられていない。子供がぜんそくやアトピーでも、まったくおかまいなし。メーカーは都合のいい広告や実験結果しか大々的に宣伝しないから、受け取り手はついつい、「いい家」だと勘違いしてしまう。もちろん、いい部分も多いから、一概に否定しないけどね。

 ワタクシの職業は、建築屋。収益の柱はリフォームだから、嫌でも住宅の裏側をみてしまう。名前は書かないけども、施主さんに同情をしてしまうほどのひどい手抜き工事をする複数のメーカー。吐き気がしたり、ジンマシンがでる天井裏や床下。カビだらけの壁裏。例えば、ここ三重県鈴鹿市の気候にあった家は、どういう家なんだろう。まさか、北欧や、カナダの気候と同じとは思えないので、ああいう家はありえないはず。日本の各地に、その地その地の風土にあった家造りがこれまでずっと継承されてきたはずだ。自分の家は、ここ鈴鹿市の風土に合う家にしよう。


 ワタクシは今、35歳。35年生きてきて、こんな言葉が大好きなんです。

・自然

・遊び

・お酒

・料理

・飲み会



これらのキーワードを当てはめた家を造ろう。。木と、土と、紙を使って、伝統工法で。造り手の想いが伝わる、昔ながらの家。竹を結い、土をつけ、完全に呼吸をする住まい。そこに、家族が団欒できて、また、気の合う仲間達が集まって宴会出来て、そして遊び心をガッツリと詰め込んだ家を、時間をかけて作り上げ、育てていきたい。

今年は、家を、造ります




2007年9月1日  『カプラ』で遊ぶ!


 「『カプラ』?なんだい、そりゃ?」

 思わず、大地(5歳)に聞き返した。彼曰く、2.5cm×13cm×1cmくらいの無垢の木の積み木だという。その、魔法の積み木を使うと、どんな形の建造物もできるんだよ、っと、彼は目を輝かしてワタクシに言い続ける。そして、彼曰く、三重県松阪市にある、『三重こどもの城』にこの『カプラ』が大量にあるという。そんじゃ、行ってみるか。

 『三重こどもの城』には『カプラ』専用の部屋があり、夏休み最後の土曜日の今日、10組以上の親子が『カプラ』で積み木遊びをしていた。どの親子も、積み木的に遊んでいて、その『カプラ』の積まれた高さは、せいぜい40cmくらいだった。

 いそいそと『カプラ』を大量に持ってきて、準備をする大地。準備周到に、椅子まで持ってきた。「おいおい、そんなに高く積むのか、ウチの子は?」なんて思っているワタクシの横で、積み始める彼。ウンチクをワタクシに言い、説明をする。しかし、ちょっと構造的に弱いので、ワタクシは「強い積み方」のアドバイス。納得した大地が一生懸命作り出したものは・・・・・・・・・・・・・・「バビルの塔」

 他の親子を横目に、積む。積む。積む。左写真くらいまで積むと、さすがに周りが注目し始めた。大地、いい気になって、どんどん積む。その横で、ワタクシも楽しくなって、子供以上に本気で積む。しかも、本気で構造も考えて積む。
 大分高くなってきて、ワタクシの手も届かない。ここまでくると、周囲の人、みんな見ている。もう、だれも近づけない・・・。2歳や三歳の子供が近づきかけると、そのお母さんが顔色を変えて止めに入る。周りで走り回る、七海の危なっかしさ・・・。


 いよいよ、ワタクシの手は届かない。こうなると、大地を肩車して、とどく限り積む。もうこれ以上積み上げれない・・。

 50cm×50cm×50cmくらいの、『カプラ』が入っている木箱も空っぽになった。さ、バビルの塔の完成だ!!!











 推定高さ2.1m。もちろん、部屋の全ての人間がじっと見詰めていた。そして、この塔に窓を作ろうと、大地と七海に指示をして、一つ一つ積み木を外していく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    ・・・・・・・・が、やはり5歳と3歳。失敗して、あっという間に大きな音を立てて、一瞬で崩れ去ってしまった。


 ふと、周りを見ると、いつの間にやら、1mくらいの塔が5本ほど、にょきにょきと林のように立ち上がっていた。どんどん大きくなっていくのは、面白いもんな。


 今日も、『こどもの城』で子供以上に遊んできたワタクシでした・・・・。





2007年6月1日  友人の料理店

 5月31日をもって、親友の料理店が閉店した。同級生の彼は、結構な額の借金をして、その店を作り、日々、シェフとして、経営者として、頑張っていた。彼に餃子やチャーハンの作り方を教わり、俺の料理の腕は飛躍的に上達した(ような気になった)。めっちゃうまい一品料理もたくさんあった。・・・・・・でも、閉店してしまった。

 若い世代の自営業者がやめると、なんかこっちも首の辺りが冷たくなる感じがする・・・。どれだけ努力をしても、報われないときもあるんだろうなあ。だからといって、何もしない人間が報われる可能性は低いはず。だったら、やれるべきことをやるしかないな。

 彼のチャーハンや餃子が食べれないのは、残念だけども、彼の次の生きかたを応援したいと思います。がんばれ!人生はまだまだ長い!!


2007年3月19日  アル・ゴア著 『不都合な真実』

 アメリカの元副大統領、アル・ゴア著の『不都合な真実』を読んでみた。人間の活動による、圧倒的に加速度的に進む温暖化。本当は、もう誰もが気がついているこの、『不都合な』真実・・・。変だろ?この暖かい毎日。この毎月起こる異常気象現象。花粉症の人間の増加。減っていく砂浜。気がついているのに、何もしない人間。俺の住んでいるこの家は、20年後は完全に海の底だ・・・。

 一本の木は、その成長過程で1t以上の二酸化炭素を吸収するらしい。

 関心のある方、ブナの植樹しませんか。今年も、御在所岳にブナの植樹を行う予定です。



2006年12月28日  新車購入!

 ・・・・・・・・・・・・・・まだ、残暑がきつい、9月の上旬だった。我が家から、約5kmほど離れたお店で、飲み会があった。ワタクシなんぞは、飲み会と聞くと、肝臓がうずいてうずいてしょうがないので、二つ返事ですぐさま参加、愛車のMTB・YETIにまたがって、10分程度で到着。そのお店は、最近、三重県内で何店舗もオープンしている、昭和の雰囲気が自慢の居酒屋さんである。

 愛車YETIを、いつものように二重ロックし、店内に気分上々で入っていくワタクシ。楽しい時間は飛ぶ様に流れ、二時間・三時間はあっという間だ。この日集まった面々は全員タクシーで帰宅ということになり、ワタクシは一人、見送りを済ました。ポケットから二重ロックのキーを取り出し、愛車の元に千鳥足で歩んでいく・・・・。

 見慣れたはずの愛車の、見慣れない転倒した姿・・・。おやっ、と思い、よく見てみると・・・・。

 後輪からフレームのリヤにかけて、完全に潰れているではないか!!!!

 明らかに、車で踏み潰した形跡が見られる・・・。しかし、YETIを踏み潰すとなると、多分、その車は周りの看板や、店そのものにも、接触しているはずである。しかし、そんなことはどうでもいい。自分にとって、大切なのは、目の前に愛車がぺしゃんこになって横たわっているという事実である。もし、ワタクシの目の前で、オオバカドライバーがそんな行為をしていたら、運転席から引きづり降ろしてぶん殴っていたところである。だけど、誰もいない。怒りのぶつけ先がどこにもない。

 怒りと悲しみとで心の中がぐしゃぐしゃになりながら、半泣き状態でとぼとぼ自転車を担いで家路に着く。夜中、1時。リヤのタイヤは一切動かないので、担いで歩くしかない・・・。さっきまでの楽しい気分は一瞬で消え去り、酔いも醒め、ただただ歩く。夜中1時30分。・・・・・・まだ、たった30分しか歩いていない。苦しい時間は全く時間が停滞し、時計の針が止まっているようにさえ、見える。

 完全に半泣き状態で、申し訳ないと思いつつも、ポンタに電話をし、迎えに来てもらう。ポンタは、大地と七海を車に乗せて、快く迎えに来てくれた。
怒りと悲しみでぐちゃぐちゃだった心の中も、ちょっとだけ落ち着いた。

 明るくなって、改めて自転車を見てみる。見るに耐えられない・・・・・。見ていると、またまた怒りがこみ上げてきて、精神状態が悪くなるので、そうそうに「JUNK フレーム」と銘打って、YAHOO オークションに出品する。フレームはジャンクだけども、全てのパーツは健在で、しかも、フルSIMANO XTR仕様。42000円の落札をしていただき、それと、他の臨時収入をあわせて、新車探しに明け暮れる。

 
 自転車のない日が、3ヶ月も続く・・・・。そして、今日、納車!

 今回の素敵な相棒は、  GIANT XtC COMPOSITE2   という、2006年モデルのイカシタヤツだ。

 カーボン一体成型のフレームはどえらい軽くて、高速向きの自転車で自分好み。トップチューブのポジションが高いのも、好み♪(というか、足が長いので、トップチューブは高い方がいい)。コンポはXTRには予算的に全く手が届かなかったので、今回はSimano DEOREで一式そろえる。細かいパーツはおいおい揃えていくとして、今は最低限の装備のみ、購入。

 帰宅後、まじまじと愛車を見続けているワタクシ。YETIに未練もあるけども、このGIANTも、気に入りそうだ。さ、冬休み、こいつにまたがって、何処に行くか、今から考えよう。


2006年11月2日〜4日  マ○ダ夫妻の素敵な結婚式


 7月。マ○ダさんから結婚式の案内状が手元に届けられた。ほのぼのとしたデザインの、手作り案内状、そこには、こんな内容の式次第が綴られていた。


「11月3日結婚式をします。ぜひご参加ください。」

結婚式:県民の森   披露宴:やまんば山  二次会:やまんば山

「なお、披露宴には、料理を一品お持ちください」



はて、県民の森に、結婚式が出来るような場所があったかしら??

はてはて、やまんば山とは、何処かいな???


 そんなことを思いつつも、迷わず結婚式・披露宴ともに参加の欄にマルをし、葉書を返信した・・・・・・。その葉書が着くか否かのタイミングでマ○ダさんから電話があり、この電話から、ワタクシの、マ○ダ夫妻結婚式の準備が始まった。


「サノサン、披露宴会場に水周りが全く無ので、せめてトイレと台所だけは何とか使えるように出来ませんか?」


 それは一体、どんな披露宴会場なんだ??? 
 
 ともあれワタクシは、会場である通称:やまんば山を現場確認に行ってみた。鈴鹿山脈のまさに麓、そこで目にしたものは・・・・・

400坪の広大な敷地に、ぽつんぽつんと建つ、3軒の小さな小屋。そして、20mを越える高さの木々・・

ここが、やまんば山か!

 山麓のこの一帯、水も空気もとてもきれいで、緑がとても深い。真夏でも、いくらか下界よりはすごし易い。いいところだ!

 でも、ここで披露宴をするのか!

 隣の敷地の畑には、明らかに猪垣と思われる、イノシシよけの柵が張られている(イノシシがでるんだろうなあ・・・)。
 お向かいさんも、お隣さんも、マイパワーショベルを所有している(開拓用だろうなあ)。
 樹齢250年くらいの大きな木の、地上5mくらいの枝にはブランコがぶら下がっている。けども、水道はない。

 10月。再び訪れると、マ○ダさんは、ひたすら、開墾をしていた
 そのとなりで、ともあれトイレと台所の給排水の準備をするワタクシとタクマ氏。週末には、マ○ダ夫妻結婚式準備委員会の会合(と言う名の飲み会?)が毎週開かれていた。


 準備は、着々と進んでいく。でも、みんな思っていた。本当にここで、披露宴が出来るのだろうか・・・・・・。


 11月2日、披露宴一日前。ワタクシとマート、そしてタクマ氏はダッチオーブン料理の仕込みのために、前日から泊り込む計画をしていた。11月2日夜、我々がやまんば山で見た景色は・・・・・・・・・


 きちんと立派な、舞台と客席、そして素敵な会場。そして、ちょっと疲れ気味の、新郎新婦・・・。
 


*ダッチオーブン料理をを朝からガッツリ仕込む
 たまたま、ここ数週間、会場の近くでワタクシが見たもの・・・・・

 ・仕事を休んで、片づけを手伝っている大工さんたち

 ・毎日弁当(とビール)片手に、開墾に通っていた義父

 ・3tクラスのパワーショベルカーを貸してくれた、お隣さん

 ・毎週打ち合わせを重ねる友人たち

 ・案内状はじめ、Tシャツ、看板、貼り紙全て手作りしてくださった友人達

 ・会場設営に、総出で力を貸していた工務店さん

 ・敷地の表面に敷くための砂利土を無償で提供してくれた?大工さん

 ・披露宴に花を添える、演奏の練習をする友人達

 ・倉庫に残っていた中古のキッチンとガス台と給湯器と、たくさんのガスボンベを持ってきたガス屋さん



それは、これまでの30数年間、二人の人柄が積み上げてきた人徳、言い換えれば、二人の素晴らしい仲間達でした。ワタクシも、この素晴らしい仲間達の一員である(自分で思っているだけかもしれませんが)ことが、とても誇らしく思えたものです。


 そして、11月3日。天気は快晴。

 県民の森での人前式は、結婚誓約書にサインをする形で滞りなく進められ、また、予想以上に熱い・熱いチューを見せつけられ、終了。記念の植樹のあと、オープンツーシーターの車にがらがらを引きづりながら、二人は手を握り合って、退場。


 やまんば山の披露宴会場にめでたい席を移し、披露宴に突入。

 今回の披露宴は、ワタクシ・タクマ氏のダッチオーブン料理を含む、何人かには、あらかじめ、料理を依頼してありましたが、いかんせん、参加人数は140人。我々も、それだけの人数分を作れるわけが無く、いきおい、参加者の「一品持ち出し」に頼らざるを得ない・・・。さて、どれだけの料理が集まるのか、とんと検討もつかない。

 ・・・・・・・結果的には、大量の料理が所狭しとテーブルに並べられた



 140人がたくさん食べたけども、それでも半分くらい残ったくらい、たくさんの「一品出し」があった。これもまた、二人の人柄だと思う


 舞台の上でも又、魅力ある仲間達が、二人の門出を祝っていた。

 大工の風さんは、司会に演奏にてんてこ舞。二人をモチーフにした、人形劇は、二人に対する温かい眼差しが感じられて、本当に楽しかった。
 手作りのだるまを手渡している大工さん。たくさんの演奏。


 ケーキカットのケーキは、6人で運ぶほどの大きな手作りのケーキだった!


 たこ焼きをひたすら焼いてくれている友人。パニーニを作っている友人。ローストチキンをさばいているワタクシ。そして、ビールサーバーの番人をしているマート。


 時間が過ぎるのは、あっという間で、あたりが暗くなる頃、楽しい手作りの披露宴はお開きとなった。


 人数は半分以下の40人ほどになり、そのまま焚き火を起こして二次会へ。大量の料理の上に、カレーまで加わり、全員胃袋が破れんばかりに食べ続け、飲み続ける。 焚き火は盛大に燃え上がる。焚き火の横では、JINさんが持ってきた、マイ フリークライミング壁に挑戦する面々が・・・。

 一番東の小屋の前には、ハンモックが吊り下げられ、子供達が休んでいる。樹齢250年の木には、カナディアンカヌーがブランコよろしくぶら下げられ、子供達の遊び道具になっていた。大人も子供も、楽しい時間を過ごさせてもらっていた。


 子供達は、なぜかワタクシのことを 「こんにゃくおじさん」 と名づけ、400坪の会場狭しと走り回る。おかげでワタクシは酔いがマワル。

 焚き火を囲む面々は、みな、一芸に秀でた、よい人生を歩んでいる面々ばかりだった。その面々が、新郎新婦を囲む。いい風景だ!

 AM1:30。会場の片隅に張らせていただいたテントにて、沈。気持ちよく眠りに落ちる・・・・・・・が、早朝、子供達の襲撃を受け、眠い目をこすりながらの起床。会場には、JINさんが朝からエスプレッソを点てていて、いい匂いが森に広がりつつある。・・・・・が、ワタクシは、朝起き抜けからいきなりビール。しかも、いきなり目に付いたのは、封を開けていない、大きな包み、それは、なんと、柿安本店の霜降り肉だったのだ!起き抜けいきなり、いきなり、霜降り肉をダッチオーブンの蓋の裏で焼く我々早起きの面々。さっさっと炙り焼きをし、殆ど生というような状態でバクッと食べ、ビールで流し込む。口の中に、肉汁がじゅわっと広がり、得も言われぬ幸せな気分に浸るそこにいる面々・・・。誰かが、言った。

「一応、新郎新婦には残しておこうか?」

他の誰かが言った。

「ま、いいでしょう。食べ尽くせば、肉があったことさえ,わからない筈ですから!」

皆、ひたすら焼けていく霜降り肉の方ばかり見ていた。なんか、気配を感じて、全員が顔を上げてみた。


そこには、箸と皿を持って肉が焼けるのを待っているマ○ダ夫妻がいた!

 とり急ぎ、一番美味しそうに焼けている肉を、どーんと夫妻の皿の上に載せたのである・・。他にも、手を付けていないデコレーションケーキを二個、そこにいる面々で食べ尽くし、さらに、昨日の料理をひたすら食べる食べる食べる!

 幸せな気分が充満したところで、撤収。本当に皆がきびきび動き、午前中にほぼ全てが撤収完了!次々に帰宅の途につく仲間達を見送る二人は、嬉しそうで、楽しそうで、そして、ちょっぴり、寂しそうだった。

 マ○ダ夫妻、お幸せに!

 帰ろうとするワタクシに、マ○ダさんが声を掛ける。

「サノサン、まだまだ料理と酒がたくさん残っているので、もうちょっと減らしてください。」



・・・・・・・・・もう一泊。ワタクシと、K保さんと、Lionさん。遠慮知らずのこの三人は、新郎新婦が家に帰ったにもかかわらず、夜中1時、まだ酒を飲んでいた・・・・。ここまでいくと、本当に、バカである・・・・・・ね、K保さん、Lionさん。





2006年10月21日  御稚児行列参列記 


 「サノクン、すまんが稚児行列に参列してくれんかの?」

 こう言われたのは、昨年の10月ごろだった。知り合いの浄土真宗のお寺の住職さんから、声を掛けられたのである。普段からお世話になっているお寺なので、二つ返事で「いいですよ」と応えたのである。

 「助かるよ。たぶん、20人くらいしか子供達は参加しないので、君の子供が二人も出てくれるとありがたい・・・。」

 
 住職さんの孫だけでも、4人いるはず・・・・。我が家の二人を合わせて、6にん・・・。子供の参加は20人くらい・・・。そう考えると、とても小さな、かわいらしいイベントなんだろうなあ・・・・・。



ところが、そのお寺では、半年前から、やれ掃除だの、ここは改装だの、御磨きだの、やたらめったら準備に勤しんでいる。大変そうだねえ、たかが20人ほどの稚児行列でも・・・・・、なんて思いながら、稚児衣装の予約をすると、なんと、我が子達の番号札は、87番88番ではないか!話が違うぞ、おい!

 そして、当日は・・・・・
100人近い稚児と、300人を超すそのトーチャンカーチャンジーチャンバーチャン。

 親鸞聖人の750回忌のこのイベント、盛大に執り行われ、子供達は、ありがたい説法もいただき、健やかに育つように皆にお祝いをされたのでした。





2006年6月3日  友人の冥福を祈る


 突然の、あまりに突然の訃報が6月2日(金)夜にワタクシの耳にはいってきた。

 大学の同じゼミの友人が亡くなった。心筋梗塞だそうだ。まだ、34歳である。いくらなんでも、早すぎる!

 学生時代から、本当に気遣いのできる男だった。彼の心使いは、周りの人に負担にならず、押し付けがましくなかった。人に頼まれれば、嫌な顔をせずに、気軽に引き受けてくれた。彼の周りにいる仲間達は、どいつもこいつも、とても気持ちのいい奴らで、それが、余計に彼の人柄の良さを物語っている。

 ワタクシにとっては、数少ないゼミの仲間。ゼミの仲間に恵まれたワタクシ達は、とても仲がよかった。特に、ワタクシと彼は、出来が悪い方から一番・二番だったので、結構固い絆があったものである。彼は、頼みもしていなくても、出席を取るときなどは、代返をしてくれていた。しかも、その事実を本人が知らなかったのである。 よく、人の書いたノートを写しあった。


 バイトも一緒だった。セブンイレブンで夜10時から朝の2時まで、ほぼ同じシフトで働いていた。嫌な仕事はほとんど彼が率先してやってくれた。2時以降のバイトがよく遅れてくるヤツで、そんな時、彼はすすんで残業していた。終わってから、彼の6畳一間の片付いていないアパートで、よく日本酒を飲んだものである。

「冷蔵庫に一升瓶をいれていると、他の食材が入らないから、早く空けていけよ〜、サノ。」

 なんていいながら、セブンイレブンから勝手に廃棄処分扱いしたつまみを食べていた・・・。

 バイクとギターと、タバコと酒。そしてシモネタ。女っ気のない彼の部屋には、なぜか野郎どもが集まっては、めいめい酒を飲んだり、ギターを弾いたり、音楽を聴いたり、勝手なことをしていた。人を惹きつける魅力のある男だった。


 社会人になり、彼は関東にそしてワタクシは三重にそれぞれ根を張り始めた。

 そしてワタクシが結婚することになり、彼に招待の電話をかけた。彼は、即、断りやがった。ワタクシの結婚式で招待を断ったのは彼だけである。

 なんと、彼も、同じ日に結婚式を挙げることが決定していたのだった!


 彼は、親族のみで結婚式を挙げた。もしかしたら、彼はワタクシの結婚式と重なったから、あえて、親族のみの式にしたのかなあ・・・。そんなことはないと思うけど、そう思わせるくらい、彼は気遣いをしてくれるのだ。


 平成13年10月、ワタクシに大地が生まれた。「生まれたよ〜」って連絡したとき、彼は嬉しそうに、「うちも生まれた!」って言ってた。3日くらいしか差がなかった。

 平成16年8月、今度は七海が生まれた。「生まれたよ〜」って連絡したとき、彼は嬉しそうに、「うちももうすぐ生まれる!」って言ってた。二ヶ月くらいしか差がなかった。「サノとはよくよく縁があるな〜。」でかい声が聞こえてきそうだった。

 平成18年3月。大阪出張の連絡があった。「近いから飲もう!」って言われたが、関東の人間が思っているほど、三重と大阪は近くない!「今度、名古屋出張のときに一杯やろう。」これが、最後の一言になってしまった。今は、この事実が一番悔いが残ってしまった・・・。


 さいたま市で行われたお通夜に参列させていただいた。ホールにまったく入りきれないほど、たくさんの人間が、参列していた。喪主席の奥さんと、ご両親と、二人の子供たち・・・・。献花には、「おとうさんへ」とかかれた花が・・・。式場に入っただけで、胸が熱くなり、涙がこみ上げてきた。

 最後、棺から顔をのぞかせている彼を見つめた。今にも起き上がりそうで、苦しんだ様子は微塵もない。なんだか、彼が「驚いた?びっくりカメラだよ〜。」なんて言いながら起き上がってきそうだ。でも、もう起き上がることはない・・・・。

 彼の死を目の当たりにして、ワタクシは、今、生きている実感を持った。当たり前のように、朝を迎え、仕事に行き、仕事を終え、帰宅する。そして、家族と食事をし、寝る。また、当たり前のように、朝を迎える。・・・・・彼は、起きてこなかった。

 この一瞬一瞬は、当たり前だけど、今しかない。そして、今、生きている。楽しいことを考え、まわりの人との時間を大切にしたいな。お通夜の席で、強く、強くそう思った。

 大宮から家に帰り、何気に子供たちと、ポンタを抱きしめてみた。生きているということは、それだけで素晴らしい。

 ナカノ ヒロユキ。なんだか、名前も似ているな。心から、冥福をお祈りします。

 「そんな陰気なこと言うなよ〜。まだコッチの世界に来ないように、閻魔様に代返しておくよ〜。」天国の入り口で、彼はあの口調でコッチに向かって言っていそうだ。 ナカノ、安らかに眠れよ!




2006年4月6日〜9日  珍客万来

 そもそも、来客の多い我が家。ワタクシは勿論、ポンタももてなし大好き。子供たちは、誰がきても物怖じせずに、体当たりをして遊んでくれる、彼らにとっても友人を大歓迎している。
 
 そんな我が家に彼がやってきた。

 ヨシハルである。

 彼は、「ハルの訪れ」で紹介をしている、サイクリストである。2005年の4月、中国の香港を出発し、電車で昆明まで行き、そこからイスタンブールまで自転車で自走して行ったツワモノである。(詳細は、彼のブログを見てください)

 


 世界ツアーを経験した彼は、光り輝いていた。はっきり言って、うらやましくてしょうがなかった・・・・・・。

 体重がかなり増え、特に下半身の肉付きが倍増したかのような彼は、アジア大陸を横断した自信に満ち溢れていた。彼の持っていたデジカメのコンパクトフラッシュはまさにお宝画像の宝庫だった。スライドショーで見ていたワタクシの魂は揺れに揺れ、そのまま全てを捨てて旅に出ようかと錯覚したくらいである。


  関空に午後3時過ぎに到着したハルが我が家に着いたのは、午後8時ごろだった。まずは乾杯をし、そして、ハルが食べたがるであろう和食と和菓子をテーブルに並べてみた。



 予想通り、ハルはドラ焼きを二個、桜餅を二個、イチゴ大福を二個食べて、ビールを飲んだ・・・。

 この時期、伊勢湾に訪れる春の魚・子女子(こおなご)の釜揚げ、かき揚、釘煮を食べ、赤出汁の味噌汁と大豆の煮豆を前にしたハルは、何気に米を二合も平らげた。ありえない風景である・・・。


 そんなハルと二時間余り話し、夜も更けて日付が変わる頃、睡魔に襲われたワタクシが眠りに落ちた。疲れているであろうハルも眠りに落ちると思いきや、時差のせいで3時ごろまで眠れず、しかも、昼まで起きれず、彼は爆睡をしていた。彼は、我が息子の大地が幼稚園から帰ってきたのを、今から登校すると本気で勘違いをしていたらしいのだ。

 そんなハルも、昼過ぎに輪行バックを担いで静岡に向かって帰っていった。ワタクシの手元には、彼のワールドツアーの写真が残っている。それを見るたびに、ワタクシは心が揺さぶられ、旅に出たい病が進行するのである・・・。



 ハルがさって、数日後の土曜日、今度は1歳7ヶ月の子供を連れて、彼女が遊びにやってきた。

 ミホコである。

 
 なんだか、終戦後の引き上げのような写真であるが、バックは三重県伊賀市・上野城である。

諸般の事情?で彼女は突如、愛娘との初の二人旅を思いつき、我が家に遊びに来てくれたのである。彼女の愛娘・コッチと七海が同じくらいの月齢なので、二人はなんとなく楽しそうに遊んでいるように見えた。



 ハルの時は、和食三昧だった我が家の食卓。今回は、ダッチオーブンを使ったインド料理で彼女を歓迎したのである。

・タンドリーチキン(うまい)
・二日間煮込んだカレー(商売できます)
・ナン(ナンというか、出来損ないのホットケーキみたいな・・・) 

 で、あとはまたまた伊勢湾の春の風物詩・小女子(こうなご)を釘煮・かき揚・釜揚げにし、ビールで流し込むという宴になるのである・・・・。我が家の子供たちは、カレーが大好きで(何処の子供もそうだけど)、バクバク食べていた。それを見ていたコッチも、かなりたくさん食べてくれて、作ったこちらは純粋に嬉しくなる。


 翌日は、大人三人子供三人で三重県の伊賀市に忍者を見に行き、その帰りに、最近すっかりお気に入りの「猪の倉温泉」という温泉に入って帰宅。この日も、ふわふわお好み焼きをガツンと食べて、やはりビールをガツンと飲んで、疲れて爆睡。


 翌朝、何故か大地の幼稚園に行くバスを、大人三人・子供二人で見送り、幼稚園の先生を驚かせてから、ミホコは帰途についた。


 来客があるたびに、子供たちは喜び、勿論ワタクシ達も喜び、ダッチオーブンはフルに稼動し、そしてプシュッという音が響き続ける。いつでも誰でも気軽に遊びにこれる空間造りをこれからも心掛けたいものである。









2006年1月22日  とある、冬の一日

 上の子供・大地の体調がどうにもすぐれない。本当は今日は御在所のてっぺんでスキー&雪遊びという一日の予定だったのが、さすがにキャンセルと相成った。今年は12月から天然スノー100%という、御在所としては十年ぶりくらいの降雪量なので、残念である。

 
 

 ということで、本日は室内で遊べるところに行こうということになり、三重県の川越町にある「テラ46」という中部電力の電気と地球のテーマパークに出かけてきたのである。ワタクシ、「子供を遊ばせるため」にここを選んだのだか、「地球劇場用の写真を撮るため」にここを選んだのだか、ちょっと微妙・・・・。本日の写真には、子供は一枚も写っていないし・・・。


 さてさて、いきなり駐車場から見える外観が上の写真。ビルの中に地球が埋まりこんでいるではないか!楽しい写真が撮れる期待を胸に、中に入っていく。休日とあって、家族連れは結構多い。入場無料だし・・・。

 

 3階から6階までは探索型の地球の歴史と電気の仕組みの展示&映像。30歳を越えた大人が見ると結構面白いのだが、4歳と1歳の子供にとっては、ただのオブジェ。それでもビル内探検気分で子供たちはどんどん進んでいく。

 原子力発電をやたら強調している点等少々気になるが、子供の後をついて上階へ上階へ。小学生くらいの子供の社会見学を念頭において展示等されているので、とてもわかりやすい。


 7階は展望台になっており、伊勢湾が一望できる。天気が良かったので、景色もいい。とはいえ、ワタクシは景色の写真など一枚も撮らず、ひたすら[地球]の写真を撮っていた。次に行く機会があれば、小物を準備していって、もっと面白い写真を撮ろうと誓い、7階から降りるエレベーターに乗ったのである。所要時間1時間20分。大地は又行きたいと言っていたので、楽しかったんだろうな、多分・・。







2006年1月15日  一眼レフカメラ復活!

 しばらく悩み続けていた。まだ、まだまだ悩んでいた。・・・・・すなわち、フィルムの一眼レフカメラを修理するか、それとも新しいデジカメないし、一眼デジカメを買うかどうか・・・・。カタログを見れば見るほど、デジカメは性能・携帯性・経済性と格段に優れ、まだ進化を続けている。新聞を見れば、あのカメラの老舗「コニカミノルタ」さえ、ほんの一部の機種を除き、フィルムカメラの製造を中止すると掲載されている。もう、時代はデジタルなのだ!


  でも、一眼レフを修理した。万を越える修理代もかかった。っていうか、見積もりだけでも万にかなり近かった・・・。

 その愛機・PENTAX MZ3 というカメラは、ワタクシのお気に入りの一品なのだ(本当はポンタのものなんだけどね)。世界最小の一眼レフカメラで、ボディの割りに、性能はかなり高い。ただ、残念なことにシャッターを切る人間のセンスがイマイチなのであるが・・・。


 日曜日、カメラを片手に、子供と写真写り映えしそうな公園に行ってきた。遊具に子供と一緒に登ると、カメラが手すりやら支柱やらにがんがん当たって、ちょっと気分はブルー。ちょうど子供の頭の位置にカメラをぶら下げているので、子供にもがんがん当たる。


 それでも、それでも、あの、一眼レフのシャッターの下りる瞬間の感覚は捨てられない。その風景の一面を切り取り、自分の中で一瞬時間を止める。子供の笑顔やしぐさを一瞬にして一枚の絵にしてしまうこの時代遅れのカメラを、ワタクシはまたまた改めて気に入ってしまい、毎週カメラバッグを片手に遊びに行きそうである。


2006年1月3日〜5日  湯治でリラックス

 我が家の愛娘、七海。彼女はここ6ヶ月ほど、アトピー性皮膚炎に悩まされている。アトピー性皮膚炎に対して、現在これという特効薬はなく、ひたすら気長に体質改善に取組むしか治す方法はない。ちなみに、医者に行くとかならず「ステロイド」なる塗り薬を処方してくれるが、副作用の可能性がかなり高い。ただ、即効性があるので、ついつい飛びついてしまうのが、親心か・・・。実は、ワタクシ達も一度、『ステロイド』を試してみたことがある。たしかに、数日のうちに、その部分はきれいに治った。・・・・が、結果的には、他の箇所にもっともっとひどくなってアトピー性皮膚炎が発症してしまった。二人して、後悔することこのうえない。

 さて、その反省から我が家が取組んでいるのは、体質改善と、皮膚の炎症の緩和、皮膚の角膜の保護。その一角として、「出来るだけ温泉に入る」ということをすすめている。そんなことから、この冬休みは、なが〜い湯治生活をする予定だったのである。


 ・・・・が、突然、近所で仲良くしているおばあちゃんが行方不明になり、年末は二日続けての捜索活動。最悪の結果に終わり、年始早々通夜&告別式。そんなばたばた騒動があって、出発は1月3日になってしまったのである。

 それでも気を取り直して、ニューハイエースバンは南へ南へ走っていく。行き先を紀伊半島の湯の口温泉にした理由の一つは、寒がりのポンタのために、暖かい気候の地に行こうと決めたからである。・・・・・・・やはり遠い三重県の最南端・和歌山県、奈良県との県境のここは、鈴鹿からでも軽く6時間はかかる。子供たちは飽き、ワタクシは運転に嫌気が差し、そんな嫌なムードだったけども、着いた湯の口温泉は、最高に気持ちよく、全ての疲れが吹っ飛んだものである。

 さて、湯の口温泉は非常に珍しい、湯治をする人間用の宿泊施設である。ワタクシ達が泊まったのは、コテージと呼ばれる、5部屋からなる建物である。その建物には客室が5部屋あり、その客室は10畳の和室、4.5畳の和室、ユニットバス、トイレ、洗面所から成り立つ。他に、休憩室と共同の台所、ランドリー等がある。料金体系はちょっと複雑だけども、家族4人で二泊して19,000円。勿論、温泉は入り放題である。

 ここでワタクシと子供たちは毎日毎日風呂に入り続けていた。風呂に入る以外、何もしなかった。近くに熊野古道があるけども、そして、トレッキングの用意は持ってきたけども、行かなかった。理由はただ一つである。それは、

 雪が降っていたから。

 暖かいはずの紀伊半島は、あたり一面、木々はすっかり雪化粧をしていた。おかげで、たっぷりと湯治をすることが出来、七海の肌は少しはすべすべになったものである。ちなみに、ワタクシの肌は、これ以上はないというくらい、すべすべになった。帰る日、峠に雪がないか心配だったけども、それは杞憂に終わり、無事に帰宅したのである。帰宅後二日たった今、七海の肌は、又乾燥し始めている・・・。


2005年12月10日  セキカワ、結婚おめでとう!

 大学時代の学部の友人、セキカワがめでたく結婚をいたしました。改めて、おめでとう、セキカワ。お幸せに。

 さて、そのセキカワ夫妻の人生の門出を祝うために、大学時代の人文学部の仲間達が各地から長野県飯田市に集合した。人文学部人文学科という、一体全体何を勉強するのかチンプンカンプンな学科で机を並べた仲の我々。チンプンカンプンなことしか勉強していないので、かなりの確率でコウムインという職業に着いたり、センセイなどという職業に着いたりした者が多い。セキカワも先生である。そんな同級生もみな、もう働き始めて10年超。それなりの肩書きを持ち、家庭を持ち、諦めに似たような落ち着きを持ち、いいオトナになりつつある。


 ・・・・・・・・・んななかで、ありえないことに、まだ学生を続けている友人がいる!

 友人K。彼はちんぷんかんぷんな学問を、すでに15年も続けているのだ!15年も続けている彼の肩書きは、世間的にとても素晴らしい。

 静岡大学学士。

 名古屋大学修士。

 そして現在、京都大学博士。

 チンプンカンプンな学問を志す人間のトップである。ちなみに、東京大学にも彼は修士課程の一部の単位を取りに行っていた・・・。


 ただ、肩書きに反比例して、年収は減り続けている・・・。 彼の生活は苦学生そのものだが、なにより本と自由な時間を愛する彼は、あまり気にならないようである。ワタクシ、そんな個性的な彼を圧倒的に応援している。彼の考え方には、本当に教えられることがたくさんある。彼のまじめさのおかげで、ワタクシはなんとか大学を卒業できた。ワタクシは、彼という人間が、とても好きなのである。

 友人Kは、前日に我が家に泊まりに来た。京都からでは、結婚式に参加する仲間の中で我が家が一番近い。彼は学割を使ってJRで現れた。しかも、京都駅からでは我が家の最寄の駅まで100km未満なので、わざわざ2つ前の駅から切符を買ってきたらしい。なるほど、さすが京大ドクター。ワタクシごときではとてもじゃないけど、思いつかない。

 ちなみに、割引金額は120円。500円出すから、学割書を一枚分けて欲しい・・・。

 翌日、二人で結婚式に向かう。その行きすがら、車内で祝儀をいくらにするか、ずっと悩んでいた彼。祝儀袋は準備してあるし、新札も持ってきている。そして式場に着き、そのロビーでもまだ悩んでいる彼にワタクシはこう言った。

「Kよ、1,000円入れるかどうか悩んでいるより、シュッセバライと書いて、今の自分の学歴をその横に書いたほうが、絶対にいいぞ。」
 
 Kも納得をし、さっそく祝儀袋に筆ペンで書き始めた。ふと、手が止まり、まじめな顔をして、彼はワタクシにこう尋ねた。

「なあ、シュッセバライの最後のイって、書いた方がいいのかなあ・・・。」

「 ・・・・・どっちでもいいと思うけど、バランスとしては、書かないほうがいいんじゃないかな??」

 そういいながら、ワタクシ、彼の祝儀袋を覗き込んでみた。其処で見たものは!

出生払

「・・・・・・・・それ、シュッセイバライやん!っていうか、イをつけるかどうかっていう問題以前の問題だ!」

 もうとにかくおかしくて、面白くて、大爆笑しながら、ワタクシは確信した。すなわち、絶対出世しないと!

 予備の祝儀袋など持っているわけがなく、また、結婚祝いの文字を塗りつぶすわけにもいかず、彼は仕方なく、そのまま提出した。

 もう一度書くけども、彼は京都大学のドクター(博士)である。その後の結婚式は、泣けるような場面でも、Kの祝儀袋が思い出されて、とても大変な思いをしたものである。


 セキカワ、彼は何も悪気があるわけではない。いたずらでも何もない。彼の誠意が、あの文字の中にある。せっかく招待をしてくださった君に対し、彼は今できる精一杯の気持ちを表した。結果、漢字は違うけども、彼は自分のお祝いの気持ちを約束したという事実は間違いない。20年後かもしれないけども、それまで、みなで彼を応援し続けようではないか!

 セキカワ、夫婦二人でこれからの人生、頑張れよ。K,出世しろよ。ワタクシは応援します。



2005年10月17日  U邸棟上式

 ひょんなことから、タクマ氏が家を作ることになった。ということは、棟上式をせにゃならん。この日、10月17日はその予定日である。ちなみに、本当は14日だったけども、天気予報があまりにも悪いので延期。ま、結果は快晴でしたが・・・。

 17日。天気予報は午前中雨。午後から回復。こんな感じだった。午前中なんとか天気は持ちこたえ、「板倉造り」のU邸は着々と進んでいく。みなで口々に「昼からは大丈夫だね」などなど言っているそばから、天気は下り坂を転げ落ちるように悪くなっていき、結局土砂降り!

 なんとか棟上まではおわったけども、皆やや不完全燃焼のような感がある・・・・。そんな大工さんたちを横目に、ワタクシとタクマ氏はひたすらひたすらダッチオーブンや燻製器からいい匂いをぷんぷんさせ続けていた。すなわち、この日は、U家が棟上に来てくださった大工さん達に感謝の気持ちを込めてダッチオーブン料理でもてなしたいという希望があったため、ワタクシは手伝う羽目になってしまったのである。

 ちなみに大工さん、皆、本当はダッチオーブン料理を食べることがメインで、棟上はオマケだと口々に言っていたのであった。

 出来たDO料理は、
・丸鳥(ローストチキン)
・カレイときのこの無水鍋
・マグロ兜焼き
・トンポーロー
・オイルフォンデュ
・鮎メシ

といったDO三昧。おまけに、生ビールサーバーつき!

不完全燃焼だった大工さんたちも、すっかり完全燃焼し、エネルギーをチャージして、明日の棟上の続きに備えることと相成ったのである。

 ちなみに大工さん、明日は天気予報では晴天ということで、しっかりガンバローっと口々に言っていた・・・・。

 ・・・・・・・・・・・翌日も雨!


 ・・・・・皆無言で空を眺め、そして、タクマ氏のほうを見てはため息をつくのである・・・。・・・・・・アメオトコ。彼ほどこの名が似合うオトコは、ワタクシの近くにはいない・・・。


2005年10月8日 F−1を名目に飲み会は続く・・・

 鈴鹿という街が唯一全国に名を広める日、それがF−1グランプリのこの日である。毎年多くの観客が訪れるこのイベント、その数万人のうちの何人かが、ワタクシの家に遊びにきてくれる。自分が持っている最高の財産が友人達と考えているワタクシにとって、とても楽しいことである。

 今年は、四国でとても世話になっているジュン夫妻とオーキタがやってくることになった。四国での一宿一飯以上の世話になっているワタクシ、きちんと恩返しをしなければならない。そう思ったワタクシとタクマ氏は、前夜からしっかりダッチオーブンの準備をし、

・チリコンカーン

を仕込んでおいた。この日、四国の友人達と会えるのが楽しみで二人遅くまで飲み続けていた。
当日は、さらに、

・イカスタコス  と、  ・ジャンバラヤ   を作り、メキシコの匂いをぷんぷんさせながら待ち構えていた。

 さてさてやってきた彼ら、メキシカン料理の数々に舌鼓を打ち、コロナビールをがんがん飲んで、とても楽しい夜は更けていった。言うまでもなく、タクマ氏はしっかり  「ダウンレバー」していたのである。

 彼らに駐車場の場所と自転車の組み方を教えて送り出し、そのまま豊川に向かうワタクシ達佐野家と海原家。この日は、義父も交え、しっかりと夜中まで焚き火を囲んでダウンレバーをする。

 翌日は悪天候で、することが何もないので、テン場でひたすらダウンレバーし続ける。タクマ氏の顔ももう見飽きてきたが、今や、見るとビールが飲みたくなる顔になっている・・・。

 翌火曜日、テントを干しに夜10時ごろ、タクマ氏の家を訪れる。テントを干し終わり、今日は疲れているからそのまま帰ろうかと思ったけども、どちらから誘うともなく、またまた一杯やり始める・・・。予定では、木曜日と金曜日も一緒に飲む予定があるので、この8日間うち7日間二人で飲んでいる計算になりそうである。

 それはそれで仕方がないけども、そのとき、タクマ氏がすごいことを言ってきた。

 「ここまできたら、水曜日も飲み会して、8日間連続飲み会の記録を樹立しないか?」

 ・・・・・・おいおい、学生時代以来だぞ、そんなバカなことをするのは・・・・。

 そして水曜日、結局は飲み会はしなかったけども、もしこの日飲み会を敢行していたら、このホームページの読者の皆様は喜んでくれた?かも知れませんが、カミサンは、ぜったいにぶち切れていたと思われる・・・・・・。なにしろ、飲み会の理由が、8日間連続飲み会をするというだけなんだから・・・・・。



・2005年4月29日 ババ結婚式

 大学のサイクリング部時代の後輩、ババがアキちゃんと結婚することと相成り、四国で行われる祝いの宴に招かれたワタクシ。彼の性格をよ〜く知っているので、宴そして二次会はとてもとても楽しみだった。

 まずは、あらためて、ババ・アキちゃん、おめでとうございます。


・結婚式場に到着したハイエース
 ゴールデンウィークの初日に当たるこの日、ワタクシは前夜に鈴鹿を出発し、瀬戸大橋の途中にある余島PAにてテントを張っていた。余島PAに夜中二時過ぎに着いたワタクシと清水、タクマ、トミダの4人は、瀬戸大橋の夜景を眺める素敵な展望台にて結婚式の前祝の乾杯をし、翌日の式への期待を膨らませながら、すばやく植え込みの裏側に隠れるように張ったテントにて爆睡していたのである。

 この日は、朝からうどんを食べて、早々に結婚式会場に乗り込んだ。
 受付のムロタが現れない・・といった多少のトラブルはあったけども、ほぼ時間通りに式は始まり、教会式は普通に厳かに執り行われていった。
 快晴の下に行われたガーデンウェディングも、二人の前途を祝しているかのごとく、明るく楽しく気分よく過ごさせていただいたのである。


 さて、結婚式が終わり、披露宴会場に一歩足を踏み入れて、ワタクシがテーブルで見たものは!

 「漕」という名のテーブル!
 
 なんと素敵なテーブル名なのかしら!彼の遊び心の一つをこんなところにも垣間見ることができるではないか!ふと、隣のテーブルに目を向けると・・・・・、あああ、こんな名前のテーブルまで(↓)!彼の生き方の一つが透けて見える!
 宴はほぼ時間通りに始まった。ババ・アキ夫妻の手作りの披露宴に応えねばならないワタクシは、仕方なくたくさんビールを飲まなければならなかった。キャンドルサービスの代わりに、二人がビールサーバーにて各テーブルにビールを注いで周ってくれた時も、ワタクシはさらに彼から口に直接ビールを注いでいただくというサービス?までしていただいたのである。
 お色直しで退場する二人は、何故かシングルパドルを握って、外にあったラフトに乗って退室していった・・・・。
 
 向こうでは、係りの人が顔を真っ赤にしてラフトを引っ張っていたのである・・。


 

 怪しい覆面レスラーと腕を組んで入場してきたかと思えば、入り口の反対側にも怪しい覆面レスラーが!なんだなんだ??どっちが本物だ???などなど考えているワタクシ達を横目に、怪しい覆面レスラー二人はプロレスを始めるし、エンターテイメント性に富んだ、楽しい披露宴でした。


 ともあれ、幸せそうな二人を見ていると、こちらも幸せになってきます。

 幸せのおすそ分けをありがとう。お幸せに!


 二次会は、素敵な海浜公園のオープンテラスのお店にて執り行われた。同じ海浜公園にテントを張ったワタクシ達、安心して飲み潰れることが出来るではないか!いつものようにがんがん飲み続け、三次会でもまたまた飲み続け、程よく酔った2時ごろ、テントにて爆睡。

 翌朝、目が覚めると、テントの中に見知らぬ虫がぞろぞろと行列をなして歩いている・・・。チャックが壊れて、かなりオープンなワタクシのテント、虫がいることにはそう驚かないけども、見たことがない赤黒い虫の行列にはちょっとびっくり!一匹潰してみると、ぶちゅっ!っと真っ赤な血が出るではないか!そして、やっと気がついた!この見たことのない虫の行列は、ただの薮蚊で、血を吸いすぎて飛べなくなり、腹を真っ赤にしてよろよろとしているという事実を!自分の手や首、顔にはきちんと刺された跡がいくつも残っており、3分後、ワタクシの手のひらは、自分の血で、真っ赤に染まっていたのである・・・・。しかし、それほど気がつかぬまで酔い、疲れていたのであろうか・・・・。祝いの酒だから仕方がないなあ・・・・、そうつぶやきながら、朝からうどんを食べに出かけていくのである・・・・。




・2005年2月11日 ヒライワ来鈴


 突然、ヒライワが来鈴することになった。久しぶりのヒライワの登場に、佐野家・海原家とも、熱烈歓迎の意を表して、ダッチオーブンに火をかける。テーマは、「ビールの美味いDO料理」今回、ヒライワは愛娘のゆいちゃんも連れてくるということなので、ワタクシが子供用のカレーを一晩以上かけて、ゆっくり煮込む。9インチの南部鋳鉄製・オイジンコンボクッカーからはリンゴの甘い匂いと香辛料の香りが混じった、独特の匂いを醸し出している。12インチディープには、大人用のカレーが・・・。

 12インチスキレットには、一晩タネを寝かした餃子が、勢いよく湯気をあげている。8インチのスキレットには、フライドチキンが次々と揚げられる。10インチのダッチオーブンには、殻付の牡蠣が高温で一気に蒸され、ぷりぷりにふくらんで、見ているだけでよだれが出てくる・・・。

 さあ、準備は出来た!・・・・・でも、まだヒライワは来ない・・・・。


 到着して、いきなりメシというのも、可哀想かね・・・、などと話をしているうちに、やってきました、ヒライワファミリー。ゆいちゃんに会うのは生後2ヶ月以来。可愛く成長しておりました。ヒライワの顔をみるのも、ワタクシは8月以来、ポンタは1年ぶりという様である。さて、DOおつまみフルコースがテーブルに並び、コップにビールがナミナミと注がれ、久しぶりの親交と子供たちの成長に乾杯する!


 ・・・・・ところがヒライワ、体調不良のため、たったコップ一杯でビール終わり・・・・・・。

 この、ただ酒を飲むためだけに作ったDOフルコースは、いつもの如く、ワタクシとタクマのみを喜ばせる結果と相成ってしまったのである。

 子供たちは仲良く遊び、タクマはいつものように眠りに落ち、楽しい夜は暮れて行ったのだった・・・。



・2004年12月29日〜31日  年末煩悩振り払いツアー

 ここ数年、年末の過ごし方が一定のパターン化してきたきらいがある。すなわち、12月29日は琵琶湖の北端・菅浦にて静大サイリング部のOBの面々と民宿半次郎にての忘年会、そして30日31日は京都散策である。2004年も最後に煩悩をしっかり振り払い、2005年を気持ちよく迎えたのである・・・・。

 まずはポンタ・大地・七海をポンタの実家に連れて行く。年末に伊勢湾岸自動車道と東名高速がつながったため、1時間5分という記録的な速さで到着。妻子を実家に預け、泣く子供を残して、ワタクシは単身伊藤さんの車に便乗して半次郎に向かう。ちなみに、伊藤さんも子供二人を残しての単身参加である。車内にて、女房・子供を残して遊びに行く夫というものを肯定しながら、心楽しく琵琶湖へ。

 民宿・半次郎での忘年会は、年々子供の割合が多くなり、次第になにかと子供時間にシフトしていくが、宴会だけは夜の二時まで続いていた(らしい)。


 翌日は京都散策。京都駅でいまだに学生の同級生・久保と合流し、今回の散策路である洛西にバスで向かう。年末の京都のいいところは、ツアーや修学旅行といった団体が皆無なので、とてもすっきりしてるところである。二人、まずは松尾大社に参りをする。ここ松尾大社は酒の神様が祭られている、とてもダウンレバーな神社なのである。肝臓の無事を強く願う。続いて、鈴虫寺まで歩く。とても人気のある寺で、不可能を可能にすることが出来る寺として有名である。ちなみに、その根拠は、通常秋しか鳴かない鈴虫を、温室で育てることによって、年中鳴かせることに成功したためといわれている。しかし、個人的にはあまりにも商業主義的なお寺なので、あまり好きではない。
 つづいて、苔寺へ。もちろん、寺内に入ることは出来ず、外からあの見事な苔むした境内を覗き見るに終わる・・・。

 竹の寺・地蔵院は、喧騒の洛西の中で、とても静かな、京都的なお寺だった。誰もいない寺の境内に座って座禅を組むこと10分。その間、物音は何もしない。誰も来ない。ただただ、今年一年をゆっくり振り返る時間のみが静かに流れていく。京都に来て、至福のひとときである。

 夜は久保と積もる話しをし、彼の6畳一間に流し付き、風呂トイレ共同という、断熱ゼロの素敵な下宿にて寝袋に入り込む。暮れていく2004年、その最後のときは京都の寺を巡って、除夜の鐘をいくつも突こうかとたくらみつつ、眠りに落ちていく・・・・。


 目が覚めると、大雪だった・・・・・・。やむ気配もなく、切れるような寒さの中、ふと思いついて、雪景色の銀閣寺が見たくなり、足を伸ばした結果、水墨画の絵のような風景に出会う。大きな感動に襲われると同時に、今年一年、悪天候に泣かされ続け、雨オトコのレッテルを完全に貼られてしまった自分の運のなさにも、ちょっと悲しくなってしまったのだった。2005年は、晴れたらいいな!



・2004年12月12日   DO会

 久しぶりにDO会を鈴鹿のチベットと呼ばれるキセイさん宅にて行うことに相成った。今回は、海外の香りのするDO三昧である。なにかと気ぜわしい年末であるが、それでもなんとか準備をし、仕込み、キセイさん宅にお邪魔した。

今回のレシピである

・スープ スペイン風ブイヤベース 12インチディープ 佐野家
・前菜 インディアンサモサ 10インチ 佐野家
・メイン1 タンドリーチキン 12インチスキレット 海原家
・メイン2 ラフテー 10インチキッチン 海原家
・ご飯 マツタケご飯 キセイ家


 そして、本日のメインディッシュはキセイさんの手によって作られた、「南欧風バターリゾット的チベットジャンバラヤ」という、忘れがたい味の、多国籍料理だった。

・・・みな、箸が進んだこと、言うまでもない・・・・・・・・・。

 しかし、キセイさん、いつもありがとうございます。


・2004年8月28日    シミズの結婚式!おめでとう!

 GWの北山ツアー。毎年参加をしているレギュラーメンバーから、シミズとその彼女、よっちゃんは外せない。例年、夜が更けてくると、よっちゃんのシミズとのランデブーの話に華が咲くのである。しかし、今年はGWの3日前に、清水から連絡があった。

「今回は単身参加となります!」

 この言葉を聴いて、ワタクシ達の大半は、こう思った。

「シミズ、フラレタな。」

 酒が進み、誰彼なしにシミズに事の真相を聞き始める・・・・・・・・。と、彼の口からは、信じられない言葉が発されたのだった!

 「出来ちゃったみたいですので、結婚します!」

 ちなみに、その場でもっとも話が盛り上がったのは、タクマ氏による「こういう場合の彼女の両親に挨拶に行くときの心構え」であった。やはり、経験者の言葉には含蓄がある。

 そして話は急ピッチで進み、3ヵ月後、左の写真のようになりました。

 結婚式は、彼ららしく、とてもアバウトな雰囲気だった。完全に遅刻したワタクシとババであったが(言い訳ではないが、ババが遅れてきた)、式が始まるような気配はまるでなかった。待合室には、新郎新婦もご両親も見え、ビールを始め、全てのドリンクを自由に飲んでもいいと言う状況だったので、式の時間になっても、シミズと彼のご両親と一緒にビールを飲んでいた。
 誓いのくちづけのない人前式が終わり、披露宴に突入。乾杯の音頭はあったけども、主賓のスピーチがあったようななかったような・・・・・・・。

 その後は、ひたすらシミズの親戚の面々がカラオケを唄って下さっていたような・・・・・・。ワタクシとババは、とにかくひたすら飲み続ける。

 最後に、20種類くらいのケーキをシミズ夫妻がカットしてくれたが、それでも酒を飲み続け、帰りはふらふらになってしまう。

 しかしシミズのお母さん、とても明るい方で今度実家に遊びに行こうとたくらんでおります。そして、よっちゃんのお姉さん。あまりにもそっくりで、初対面でよっちゃんと間違えてしまいました。


 よっちゃんは、さすがにお腹が苦しいのか、ほとんど何も食べておらず、お色直しのときに新郎新婦席に座っていたワタクシとババは、勢い余ってその料理を食べちゃうところでした。
 そして、二次会。我々サイクリング部OBからの二人への贈り物は、

                「紙おむつ一年分」

 この紙おむつのピラミッドをシミズがどう持ち帰ったか、誰も知らない・・・・・。

 二次会もババの司会でトントン拍子に進み、3次会・4次会と飲み流れ、気がつけば、またまたヒライワと二人でホテルの一室でアツイ夜を過ごす羽目になってしまった。しかし、毎回毎回ぶっ飛んでしまう彼だが、今回は女の子がいなかったせいか、飛ぶことはなかった。


 しかし、シミズ・よっチャン、改めておめでとう。とても楽しい家庭を築くことを期待しております。


・2004年8月11日   我が家に天使がやってきた!

 2004年8月10日午前2時35分、我が家に女の子が生まれました。2800gでこの世に降りてきた天使は、生まれたそのときから、本当にぴかぴかで、取り上げてくださった助産婦さんが「こんなにきれいに生まれてきた赤ちゃんは見たことがない!」と感嘆の声をあげたほどだった。元気に泣き声をあげ、時々にっこり笑う彼女を見ていると、とても幸せな気分になる。だけど、この微笑みを見るまでは、いくらかの苦労があった。

 ポンタは、二度目の出産である。一度目は、実家(愛知県岡崎市)のとても大きな病院で出産をした。かなり大きな病院なのは、大地と同じ日に産まれた赤ちゃんが6人いたということでもわかる。もちろん、医者も看護婦もたくさんいるし、施設はとても充実している。個室はホテル並みにベッドがあり、シャワー・トイレ・洗面付。食事はバイキングやコース料理。大理石張りのエントランスやふかふかのソファーのあるロビー。こんなきれいなところなら、入院してもいいな、と思わされるほどの近代的なビルである。


安保助産院の助産婦さん  中央が安保先生
 一方、今回出産の場として選んだのは、鈴鹿市にある、

    「安保(あぼ)助産院」

 家族経営のちいさな助産院である。個室は3室。6畳のその部屋は、畳敷きで、壁は全てヒノキの羽目板である。とても温かみのある、昭和40年くらいのたたずまいである。そしてそして、そこの先生は、94歳!日本の現役最年長の助産婦さんである。この、現役最年長の助産婦さんに何事もなかったかのごとく取り上げられた我が子は、その場で

                      「七海(ななみ)」

 と名づけられた。


 そもそも、助産院とは、なんぞや?何で、病院でなく、助産院での出産を選んだのだ?ワタクシはとても理解が出来ず、何度かポンタと膝を突き合わせて話をした。出産=病気みたいなもの? という先入観のある、ある意味極めて現代的なワタクシは、正直言うと、病院で産んでもらったほうが、安心できると思っていた。なにしろ、調べてみると、助産院というところでは、医療行為は一切できないと言う。診察は触診と聴診器のみなのだ。何かあったときは、すぐに病院に移らなければいけないし、数度ある検診は他の病院に行かねばならない。自分の認識の中には、助産院が進化して、病院になったというフローチャートが確立していた。

 それでも、なぜポンタは助産院を選んだのか?

 理由は彼女曰く、4点ほどある。最大の理由は、一人目の出産のときに、辛い思いをしたから。二つ目は、妊娠後の検診の時間(というか待ち時間)が長すぎるから。三つ目は、母乳で育てたいから。四つ目はその安保助産院の雰囲気がいいから。   である。現実に子供を産むのはポンタであり、本人がそこがいいと言う以上、ワタクシは賛成するしかない。そして、できる限りの応援をするしかない。それでも、生まれてくるまで、心配はし続けていたと思う。

 予定日は8月3日だった。ワタクシはおしるしのあった8月2日から、子供が生まれるまでずっと禁酒をするつもりだった。いつでも、ポンタを助産院まで運ぶためである。予定日が一日過ぎ、二日過ぎ・・・・、8月7日のサッカーアジアカップもしっかり応援し、8月8日は鈴鹿川に鮎捕りに出かけ・・・・、それでも、陣痛は来なかった。

 ワタクシ、あまり陣痛が遅いと、「陣痛促進剤」を打つという医療行為をしたほうがいいんじゃないか???などと考えたりもした。

 しかし、安保先生は、

「大丈夫大丈夫、子供の準備が出来ていないだけだから、何も心配はいらないよ〜。」

と、にこにこして言って下さったらしい。

生後15分

 8月9日午前2時。破水した。しかし、陣痛は一切ない。ワタクシは、実家の母に家に来てもらい、大地の隣で寝てもらう手配をしたあと、ポンタを連れて助産院に走る。真夜中にもかかわらず、温かく迎えていただき、その日は二人で病室に泊まる。


 お産の本によると、破水後24時間を経過すると、子供の脳に障害が残る可能性があるらしい。また、感染の危険があるので、必ず抗生物質を薬として飲む。朝起きた段階で病院ならば、間違いなく「陣痛促進剤ー分娩台」コースであろう。
 しかし、安保先生は

 「大丈夫大丈夫、子供の準備が出来ていないだけだから、何も心配はいらないよ〜。」

と、にこにこして言って下さった。このとき初めてワタクシ自身は安保先生にお会いしたのだが、94歳と言う若さ?に強烈に驚いた!とてもじゃないが、見えないのだ。

 「赤ちゃん、大丈夫かな〜」  二人で、やきもきしながら考えてみる。答えなど出るわけがなく、ただただ二人とも心配になるだけである。ワタクシなんぞは、いつどのタイミングで「促進剤の薦め」を口にしようか考えていたくらいである。ポンタも、不安のそうに病院への強制送還を心配していた。しかし、助産婦さんが1時間おきくらいに見に来てくれて、声を掛けてくれ、マッサージをしてくれ、励まし続けてくれた。

「大丈夫、破水後24時間以内にほとんど陣痛が来るようになっているんだから。」

この励ましが、とてもありがたかった。はっきりいって、ポンタ一人では発狂しそうに長い時間だったと思う。


  夜8時ごろ、この日の当直の助産婦さんが部屋にやってきてくれた。どうやらこの夜の入院者はポンタだけらしい。助産婦さんは、ワタクシに、「陣痛が起こるツボ」と言うのを教えてくださった。ワタクシと助産婦さん、二人でポンタの両足のそのツボを刺激し続ける・・・・・。心の中では、「原始的だが、大丈夫だろうか・・・・」と、またまた不安だった。


 ・・・・・しかし、陣痛は9時30分にやってきた!ポンタは「痛いけど嬉しい!」と言って、涙を流して喜んでいた・・・・と思っているのはワタクシだけで、かなり痛いらしく、マッサージをし続ける羽目になる。自分のなかで、前回の24時間耐久陣痛の思い出?があるので、おそらく生まれてくるのは朝の10時ごろだろうと、勝手に決め付ける。陣痛が始まってからというもの、助産婦さんはほとんど付っきりでマッサージと呼吸法のレクチャーをしてくださった。なんと心強いことだろう!


 前回の病院の時は、秋の3連休のど真ん中だったせいか、夜勤の看護婦が少なかった(と思いたい)。横で陣痛で苦しんでいるポンタは、やれ血だのやれ水だのと、のた打ち回っている。ワタクシはナースコールで看護婦を呼ぶのだが、一回だけ来てくれたきりで、後は受話器の向こうからひたすら「まだ大丈夫」の声声声・・・。こっちは、大丈夫の基準が全然わからなくて、尋ねたいことがたくさんあっても、部屋にも来てくれないのだ。ポンタはひとり、無機質な表室のベッドの上でのた打ち回り、ワタクシはその横でおろおろしていた。やっときてくれた看護婦さんは、義務的に血圧と体温を測って帰っていった。この日、ポンタは動くこともままならないという状況だったけども、診察のたびに、3階の病室から2階の診察室まで歩いて往復せねばならなかった。ポンタは泣きながら、血まみれになって這って行った。いざ出産と言う時には、分娩台待ちだった。そして、ポンタの順番がきて、掃除のしやすいように総ビニール張りをされている分娩台に乗せられ、様々な医療措置をされ、それから出産と相成った。産んだ後はすぐに点滴をされ、二時間、隣の部屋で待たされることになった。その部屋は大部屋で、産んでしまってぐったりしているポンタと、今まさに陣痛真っ最中の他の妊婦さんと同室である。隣のベッドで泣き叫び、実の母親?と喧嘩している陣痛真っ最中の妊婦さんを横に、どう休憩をすればいいのだろう?


 陣痛が始まってから、助産婦さんは隣にいてくださるし、まだまだ先は長いだろうという予想もあって、ワタクシはいびきをかいて眠りに落ちた。何処でも3秒で眠りに落ちれるというのは特技の一つである。夜中1時、目を覚ます。隣では、クライマックスに近いくらいうんうん叫んでいるポンタがいて、その彼女をずっと励まし、マッサージをしてくださり、しかも、そのときそのときの状況に合わせた呼吸法をいちいち指導してくださっている助産婦さんが汗を流して頑張っているではないか!

 飛び起き、ワタクシもマッサージに参加する。

 夜中二時。助産婦さんが、 「そろそろ出産の準備をしてきます」 と言って、部屋を後にした。

 と思ったら、すぐに帰ってきた。脇にはまくらを抱え、手には100円均一ショップで買ったようなバケツとタオル、そして防水のシーツを持っていた。

 ・・・・・・・おいおい、準備はこれだけかい・・・・・・

 ポンタの体を少し浮かせ、まくらを腰に入れ込む。呼吸法はラマーズ法になっている。ちなみに、ここ、普通の病室の、普通の畳の上である。コンセントに繋がっているのは、蚊取り用ベープマットだけである。そして、いよいよ大先生を呼んでいただく。94歳でも、しゃきっと夜中の二時に割烹着を着て登場。さすが大先生、後5分後に産むよ〜、といいながら、本当に子宮をマッサージして、呼吸をあわせてぽ〜〜〜〜〜〜〜〜んと取り出してくださった。まさに、ゴッドハンドである!!!!時間は午前2時35分。

 ワタクシ、すぐに股間をチェックし、女の子であることを確認し、命名「七海」と叫んだ。感動し、ポンタを抱き寄せて、何度もありがとうを連発しているそのとき、大先生がワタクシを呼ぶのである。

 「さあ、お父さん。へその緒を切ってね」


・・・・・・・・・・・・・・・・マジですか?そういうの、苦手なんですけども・・・・・・。震えながらのテープカット???気絶寸前・・・・。


 産湯に浸かったかのごとくきれいに生まれてきた七海だけども、それでも助産婦さんにあらっていただくと、とてもきれいになり、赤ちゃん特有のとてもいい香りがした。ふにゃふにゃの首やペコペコの頭蓋骨をもつこのベイビーを抱き上げさせていただいたが、緊張してとても疲れてしまった。七海はお母さんの隣で目をぱちぱちしたり、あくびをしたりしている。例えようがないくらい、可愛い。おかあさんも、大仕事を終えた満足感と、隣でうにょうにょ動いている赤ちゃんを見て、とても幸せそうである。もちろん、点滴等は一切なし。はさみとゴッドハンド以外なにも必要がない、太古から脈々と続いてきた出産の形がここにはあるのだ。

 一人目と二人目の違いはあるけども、陣痛の肉体的辛さは前回の10分の1以下、精神的辛さは前回の100分の1以下であった。

 そしてワタクシ、気がついた。何千万円もする機械がなくても、促進剤や点滴と言った医療処置がなくとも、とても素晴らしい出産ができると言う事実と、自分がいかに医療施設や医者を妄信しているかを!

  七海は、四十六時中お母さんの隣にいる。おっぱいは飲みたいときに、飲みたいだけもらっている。おっぱいはまだあまり出ないけども、吸っているだけでも満足しているようである。ちなみに、前回の病院では、粉ミルクのメーカーの営業マンの「粉ミルクが一番ですよ」と言う、おいしい粉ミルクの作り方講座から始まったらしい。母乳のあげかたも教える前から・・・・。鈴鹿で一番人気のある産婦人科は、赤ちゃんとお母さんを完全に別々に入院させ、授乳のときのみ面会をするというシステムなのである。それは、お母さんの都合も赤ちゃんの都合も聞かず、個人差も何もなく、全て3時間に一度、強制的に飲ませるという方式なのだ。ちなみに、ポンタはこの病院に通っていたけども、この授乳方式と診察待ち時間の長さがイヤで助産院に移ったのである。

 ポンタは、陣痛が始まってから七海を産み、それから約8時間ほど、畳二枚分くらいしか移動していない。出産と言うのは、限りなく普通の出来事なのかなあ・・・・。ここの助産院にいると、医学至上主義のワタクシも、しみじみそう思ってしまう。安保先生がおしゃっていた。

「赤ちゃんが自力で生まれてくる日が予定日なんです。人間が出来るのは、ただの予想日なのです。産む側の都合(勝手な予想)で、大事な妊婦の心や体をイジクッチャいかん。赤ちゃんは、必ず、生まれてくるから。」

  ・・・・・偉いお医者様が、スケジュール表を見て、「この日は予定者が少ないから、この日を予定日にしておくか!」などと、言っているのかもしれないなあ・・・・。


 人間は、全て自然の中で生かされている。      七海、誕生ありがとう。

・2004年7月11日 臨月と相成った今・・・。

 ポンタの腹がますますでかくなってきた。いよいよ、臨月に突入した。ちなみに予定日は8月3日だそうであるが、ワタクシの予想は8月6日、しかも、女の子だと思っている。臨月と相成った今、夫としてのワタクシ、やることがたくさんある。

 体重計の針を、自分の腹のせいで確認できないので、風呂上りには体重を測ってあげねばならない。
 「腹が痛い」「腰が痛い」というので、マッサージもしてあげねばならない。しかし、足が痛いとか、ふくらはぎもマッサージして欲しいとか、それは妊娠と関係あるのかはわからないが・・・。
 重いものは持ちたくないので、ビールは自分で買ってきてくれという。それなら仕方ないので、と、缶ビールを二ケース、ビンビールを一箱、焼酎も含めて、15,000円分の酒を買ってきた。


 さて、いろいろとリクエストが増えてきているこの頃のことである。伊勢湾ではアサリの豊漁が続き、我が家は毎日毎日アサリ三昧である。夕方5時。夕食のメニューを決める会話が始まる頃である。

 ワタクシ「今日、夕ご飯、なににするよ?」
 ポン 「う〜ん、アサリのパエリアが食べたい!」

 たしかに、アサリを消費したいが、もう味噌汁や酒蒸しは食べたくない・・・。しかし、こうして臨月に入った妊婦さんのわがまま?にふりまわされて、サフラン5g 600円を購入し、スキレットをプレヒートしてパエリアを作るのである。   うまかったけどね。

 しかし、臨月。ポンタは疲れやすいのだろうか、今日も夜9時前には眠りについていた・・・・・。




・2004年5月16日 土砂降りの日曜日

 土曜日の夜からとてもブルーな気分を引っ張って、日曜日の朝がやってくる。天気予報どうり、やはり大雨の朝である。前夜、大地は狂ったように叫び続けていた。

 「明日天気よかったら、絶対、湖に行きたい!」

 もちろん、フネに乗りに行く・・・わけではなく、湖畔の公園が目的なんだけどね・・・。その彼が目を覚まし、とても悲しい声でつぶやく。

 「おおあめや・・・・。」

 こっちも気分がよくない。朝からスキレットをプレヒートし、ベーコンエッグを作って、ビールを飲んでも、あまり気分は晴れない。大地に買ったばかりの長靴を履かせ、新しい傘を持って、お城のある公園に出かけても、こんなに土砂降りではそんなに心楽しくなれない。

 気分転換に温泉にでも行こうかと思って、車を走らせているうちに、大地は爆睡してしまった。仕方がないので肉屋さんに寄って、挽肉を1kgほど買い、餃子の皮もたんと買って、ストレス解消も兼ねて練りまくる。子供が目を覚まし、温泉に行く前に、前以て握っておこうと160個ほど握る。しかし、大地もポンタも起きてこない。5時。温泉に行くことを諦める。とはいえ、これだけの餃子を食べきれるわけもなく、時間的に遅いと思いつつも、いつものタクマ氏に餃子を食べにこないかと電話をかける。すると、彼はこう答えた。

 「庭で、ダッチオーブンの中にローストチキンが火にかかっているんだ。」

 なんとなく、今日一日がとてもいい日になった気がして、思わず、またまたビールを開ける。ビールによっているのか、料理を作っているオトコの姿によっているのかはわからないけども、「家族のために飯を作る日曜日」が、とても素敵な一日になった気がした。




・・・・・・・・・・・・・・とはいえ、160個の餃子を食べれるわけがなく、友人K家族を呼んで、なんとか120個平らげた・・・。それでも、明日も佐野家は餃子である・・・・。


・2004年4月7日 おめでとう! 市古結婚式!

 4月3日、市古の結婚式が名古屋で執り行なわれました。おめでとう、市古、友美ちゃん。

 

市古の挙式は、きちんと正しく出雲殿にて行われ、披露宴では杉山の心温まるスピーチもあり、ワタクシなんぞは3時間、しっかり食べて飲んで楽しい時間を過ごさせていただいた。真昼間から大量にビールを飲んでいても、誰にも文句を言われない、この結婚式に、改めて、乾杯!

 さて、二次会では、ババの司会により、新郎新婦が30分ほど遅刻をしてきたにもかかわらず、笑いの絶えない時間を過ごさせていただいた。イチゴ部屋のうそ臭いカクテルなどは、新婦の心をがっちり掴む、とても良いアイテムでした。二人の熱いちゅー♪も見せていただいたし、満足満足。



 三次会は、二次会会場のすぐとなりの店で、ほとんどがSUCC OBという状況で行われた。人数も30人ほどになり、ゆっくり話ができる時間が出来、楽しく過ごすことが出来た。楽しい時間はどんどん過ぎていき、12時には、3次会は終了し、そして、4次会に突入と相成ったのだ。

 さて、その4次会に参加したのは、ヒライワ・ババ(ニャンニャン共)・杉山・そしてワタクシの5人。

スーツでばっちり決まっている杉山の隣に、外は冷たい雨にもかかわらず、タンクトップのババ酔いよいヒライワ。そしてワタクシ。1時過ぎまでハワイアンバーで気持ちよく飲んで、皆でホテルに帰るその帰りのこと!

 雨が降る中、ヒライワを抱えて歩いていたワタクシだが、突然、ヒライワが、叫んだ


市古〜、おめでとう〜〜〜〜〜〜。俺にはこんなことしかできないよ〜〜〜〜。

 そして、冷たい雨にぬれた生垣に飛び込んでいった。全身を投げ打っての一発芸だが、もちろん、そこにイチゴはおらず、その思いは冷たい雨に洗い流されているかのようだった。あまりに突然の出来事でボー然となってしまったが、そのまま放っておくこともにもいかず、ヒライワをワタクシの部屋に連れて行って、とにかく寝かしたのだった。

 さて翌朝。私用があるヒライワは、朝の8時過ぎにはホテルを後にした。ちなみに、かれ、昨夜のことは全く覚えていなかった・・・。
彼が去ったその後には、たくさんの生垣の葉が点々と落ちていたのだった・・・・・・・。ホテルのスタッフに怒られるだけならともかく、イチゴに迷惑をかけてはいかんと思い、丁寧に掃除したのだった。まったく、お祝いの気持ちの伝え方をもう少し考えて欲しいものである(面白いからいいけど・・)。

 あまり良く覚えていないけど、イチゴ、友美ちゃん、本当におめでとう。お幸せに!また遊びにきてね。



・2004年2月15日 犬小屋奮闘記

 二週間かけて、犬小屋を建築しました。借家住まいのワタクシがペットを飼うわけではなく、広大な敷地を有するタクマ氏が、子供の情緒教育とカヌー犬を育てるためにと言う名目で、知人から一匹子犬を譲ってもらうことになったとのことでした。

 さて、そのワンちゃん。タクマ氏の話では、親犬はまあまあのサイズで、柴犬よりもやや大き目と言う。それならば、犬小屋も大きめにせねばならないと二人で会話を交わすのはいいのだが、なにしろ二人とも犬小屋なんてものを作ったことは一度もない。「大きめ」といっても、その基準がわからないのだから、最初の寸法取りが随分苦戦した。

 「普通は、90cm×60cmくらいか?」  などと、地面にスケールをおきながら、適当に考える。(この段階でかなり大きい・・・)。

 「120cm×90cmくらいあったほうがいいぞ」とか、試行錯誤した結果、平面寸法は 「100cm×80cm」と決まった。

 早速、廃材からそれらしい木材を見つけ出し(結構太目の木材だった)、それを寸法通りにカットしていく。なにしろ、大人二人に対し、4歳の子供と2歳の子供が周りでうろうろしているので、作業ははかどる訳がなく、例えば、電気丸ノコを一度使うたびに、コンセントをいちいち抜くと言う有様なのだ。しかも、ほとんど廃材利用なので、材料探しも時間がかかる。それでも、屋根には板金が巻かれ、立派過ぎる犬小屋の本体は完成した。

 しかし、作っている途中から、ワタクシもタクマ氏も、心の中で思っていた。そう、「でか過ぎるんじゃないだろうか・・・・?

 さて、犬小屋をタクマ氏の家に届けようとトラックに積もうとしたその時!

 重すぎて、一人では持ち上がらなかった。

 それでも二人で積み上げ、翌週には塗装も仕上げ(当初の予定のアーリーアメリカン調の白い犬小屋のイメージとは随分かけ離れ、飛騨の古民家風になってしまったが)、あとは、家主の到着を待つばかりとなったのだった。

 そして今日。命名 『大河』 と名づけられた彼はやってきた!

 彼は、その小屋の大きさに、まさかそれが自分の家とは気付かず、しかも着いた早々記念撮影などされたあげく、小屋の屋根という高いところに一匹ぽつんと残されてしまったのだった。

 大河。浄土真宗のお寺の境内に、すっかり馴染んだ犬小屋に住む彼は、子供達の情緒教育に大きな影響を与え、そして暖かくなってきたら、カヌー犬として、カナディアンカヌーの舳先に仁王立ちするだろう。たくましくあれ、大河。
 そしてもう一つ。










 ・・・・・・・・・・・・・・頼むから、大きくなってくれ・・・。犬小屋を作った者として、このままでは恥ずかしい・・・・・・・・・。ちなみに、ワタクシ、建築のプロである。



・2004年1月7日 平成16年年賀状評

 新年となり、我が家のポストにもたくさんの年賀状が届いております。一年間たくさんお世話になった方からのもの、一年間一切音沙汰はなかったけども、年賀状のみの付き合いは随分続いている方からのもの、人生の師匠と尊敬している方からのもの、どれもこれも、1枚1枚、とても楽しく拝見させていただいている。例年とても凝った年賀状くれる友人、手彫りの版画を作っている友人、家族の写真、子供の写真(一度もあったこともない子のがあったりもするが・・・。)、特に、遠く離れた友人のそれなどは、しみじみ彼(彼女)の今を想像できて、心温かくなる。

 さて、そんななかで、今年の年賀状のナンバー2は、サイクリングOBのハル&ゆきちゃんの「露天風呂にお猿と二人」であった。手の込んだ作品となっており、また、ゆきちゃんの色っぽさがオトコゴコロをくすぐっていた?ちなみに、同じテーマで合成写真を送ってくれた友人もいた。

 そんな素晴らしいハル夫妻の一枚を凌ぐインパクトのある年賀状が届いた。今年のナンバーワンは岐阜県高山市の友人からのものであった。昨年10月に結婚した彼、二人っきりの写真を掲載した。別に、それ自体はとても普通のことなんだけども、彼の場合、なにしろ、写真屋で撮影したタキシードとカクテルドレスの、いわゆる「結婚記念写真」を全画の写真で送ってきてくれたのだからびっくり!本人の許可が出次第、このページにも載せるかもです・・・。

 ちなみに、地球劇場の最多出場俳優・タクマ氏からの一枚は今年のサワヤカ大賞を受賞しました。他には、ヒライワ氏が自分の写真と干支が同じと言うことで「モンキー賞」を受賞いたしました。     ちなみに、審査は地球劇場運営委員長による独断に基づくものです。



・2003年12月14日  鈴鹿シティマラソン参加!

 最近、あまりマラソンに参戦していなかったのだが、久しぶりに鈴鹿シティマラソンを走ってきた。
 前日は結婚式の二次会・三次会があり、勢い余って午前に二時まで爆飲するという失態をさらし、当日朝は気持ちが悪くて目が覚めるという、最悪に近いコンディションだった。おまけに、下痢である。それでもなんとか鈴鹿サーキットに時間内に到着し、ウォーミングアップを始める。天気は最高に良く、気温も12月とは思えないほど暖かい。少し風があるけども、この時期鈴鹿に風が吹かない日はないので、仕方がない。コースはほとんどアップダウンの国際レーシングコース内を一周半と、これまたほとんど上り坂の市道の計13キロである。10時スタートのこのレース、9時50分の段階でうんこをしていたワタクシ、最後尾からのスタートと相成った。しかも、スタート前は二日酔いで気持ち悪くて、このままでは、スタートラインに到着するまでにゲロを吐くんじゃないかと本気で心配していた。一旦スタートすると、トイレもない・・・・・。

 スタートして約4キロ、市道の上り坂で本気で気持ち悪くなる・・・・・。ゲロは吐かなかったけども、こみ上げるものを飲み込むと、妙に酸っぱかった。そこを乗り越え、サーキット内のヘアピンカーブでまたもこみ上げるものを感じる・・・。ここでは、ちょっと立ち止まって、休憩・・・・。落ち着いて再び走り、最後は顔をゆがませてゴールイン。もちろん、結果は良い訳がなく、また来年の奮起を自分自身に期待する結果となってしまった。

 そして、夜10時30分。体中にバンテリンを塗ってしまい、全身が熱くて眠れなくなってしまい、この更新を行っている。



・2003年8月27日  体内にこんなモノがあるのか?

 飲みすぎのせいであろう、U氏の体調が悪い。今日も、胃が痛いとか肝臓が痛いとかのたまっておった。そんな飲みすぎの彼に、いい薬があるよ!っとポンチャンが紹介してくれた。肝臓の調子を整える、人の体内で生成されるその成分は、飲みすぎや美容、健康にとてもいいらしい。

その成分の名は「スクワレン」

体にいいのはよくわかったが、そのネーミングがあまりにもおもしろい。効き目が薄そうなこの成分、試してみてはいかがですか、Uさん?

・2003年7月1日 一日餅を食べる

 伊勢と言えば伊勢神宮。伊勢神宮と言えば、伊勢の名物「赤福」。全国有名お土産トップテンに入るほどのメジャー商品である。その赤福で、案外知られていないのが、毎月一日のみに販売される「一日餅」。各月の季節感を生かした、素晴らしいお餅である。例えば、4月は桜餅、五月はちまきといった具合である。さて、7月はと言うと・・・・・。竹に入ったお餅。細い竹筒に水羊羹状の餅?が入っている。名前は忘れた。その一日餅を頂いたので、さっそく食べることにしたが、食べ方がわからない・・・。なにしろ、竹筒から中身を出すことが出来ないのだ。思案した挙句、同梱されていた錐で竹筒の後ろに小さい穴を開けて、後ろから思い切り吹いてみることにした。まずはポンチャンがチャレンジしたが、まるで噴出せず、ワタクシに替わった。

 上の写真を見ていただいて、その苦労がとてもよくわかると思う。納得ですよね?よね?・・・・えっ?食べたことがあるって?写真が不自然だって?

 ・・・・・・そのとおり!実は、勢いよく吹いたところ、中の棒状の水羊羹は、勢いよく飛び出し、一番右の状態となったと思いきや、勢い余って、そのまま生きているかのごとく跳ね上がり、テーブルの上を転がっていったのだった。その後、また竹の中に戻し、真ん中の写真を撮るに相成った。隣で見ていた大地は大笑いである。





・2003年5月22日 不死身のオトコ・・・

 「スティーブンスジョンソン症候群」
 聞いたこともない病名に、自分の耳を疑ってみる。そして、どういった病気なのか、調べてみた。

 「年間発症数300件、死亡率30%」

 ・・・・・やいやい。すごい病気ではないか!たしかに、N氏の皮膚の発疹は尋常と思えず、とても人間のそれとは思えないほどだった。たしかに、目は真っ赤に充血し、まるで5日くらい寝てないくらいの血走り方をしていた。たしかに、まるで食欲がなかった。しかし、その場にいた誰もが、本人も含めて、そんな瀕死の場面に直面するような病気とは思っていなかった。
 皮膚の発疹は、ひどい日焼け。目の充血は、沈しすぎて、結膜炎にでもなったか。喉の痛みは、食べすぎ。そんな軽い気でいた。しかし、それは上記のすごい名前の病気で、ワタクシは自分の医学的無知さを痛感し、強烈に反省させられた。

 そして、そのオトコ・N氏。退院し、何事もなかったの如く、DO三昧という。ワタクシ、いつも思っている。N氏、不死身だと・・・。

 ちなみに、過去の病歴を挙げると、
・生イカをたべすぎて、アニサキスにヒットし、胃袋を食われる。
・ガソリンで火を噴くのを失敗したのが原因か?喉の調子が悪い(入院)。
・のどの痛みを抑えるために、座薬をぶち込みすぎたためか?ジローで入院。
・長良川の撃沈がきっかけか?スティーブンスジョンソン症候群。等々

・2003年4月19日 おめでとう!ゆっこ。

 三人兄弟の一番下、ゆっこが結婚式を挙げた。ともあれ、おめでとう。とても印象に残った点はふたつ。一つは、ひたすら手作りの結婚式だったこと。もうひとつは、とても怪しい友人達が集まったことである。全体的に、新郎新婦のキャラクターが滲み出た、暖かい式だった。

 新婚旅行から帰ってきたゆっこは、毎日毎日何か机の上でこちゃこちゃと作業を続けていた。周囲は紙くずやら消しゴムのカスやらで、とても汚くなっていた。それでも、嫁入り前の娘はひたすら作業に追われていた。思い返すと、案内状は、地図から封筒まで、なにからなにまで、手作りだった。このパソコン全盛時代に、コピーも使わずに、ひたすら手書きのそれだった。

 受付を済ますと、席次表を頂いた。これまた手書きの手作りである。コピーではない。メッセージカードしかり。入り口には手彫りのミラーウェルカムボードが・・・・。ブーケは母親の手作りである。ケーキは前日に友人達がテーブルの数分作ってくれた。ケーキカットは、全テーブルを回って、一つづつカットしていったのだ。
 
 席次表には、肩書きの書いてある人なんていない。ただただ、どいつもこいつも、一招待客として、お祝いに駆けつけた。ほんとうに、北は北海道から、南は鹿児島まで、二人のために集まった。右の写真は、新婦と美容スタッフである・・・・・、じゃなくて、新婦と、もう一人の妹・あっちゃんである。
 新郎のがんちゃんは、ライダーである。しかも、骨太のライダーで、海外にも数ヶ月の単位で旅をしている。その骨太ライダーの友人達が全国から集まってきた。ねぶたで知り合った面々。鳥沼キャンプ場で住み着いた面々。日本を自転車やバイクで長期ツーリングをしていると、必ずどこかにいるような、そんなやつらが集まってきた。かなり波長が合うワタクシ、そのまま二次会・三次会と付き合い、旅の話をしていた。顔は怪しいし、近寄りがたい雰囲気のやつらだが、根はさっぱりしていて気持ちいい。妹が、そんな仲間に囲まれていて、兄としては満足である。(しかし、ゆっこも、そしてあっちゃんも、日本のキャンパー内では結構メジャーで、その怪しい仲間達の中心にいるところがとてもおそろしい・・・。)

 よく日曜日は、鹿児島からきたくださったじいちゃんらを長島町にある「なばなの里」と言うところに案内した。チューリップが満開で、気持ちよく過ごしていただいたのではないだろうか。

 一方、新郎新婦の新婚初夜の夜は、20人のライダー達が雑魚寝をしていったらしく、「まるで北海道のライダーハウスのようだった」と妹は言っていた。







・2003年3月27日 佐野家・・・・・・。

 現在、ワタクシを中心とした血縁を紹介すると、両親、じいちゃん、妹(あっちゃん)妹(ゆきちゃん)、かみさんのぽんちゃん、息子の大地。そして、義弟(ひろくん)とその奥さん。近々、ゆきちゃんが結婚するので、また義弟が出来る。この新しい義弟を「がんちゃん」とワタクシは呼んでいる。どこにでもありそうな平凡な一家である。
 ただ、なんとなく、変なのだ。どことなく、他の一家と違うのだ。「ずれている」という表現が正しいのかもしれない・・・。

 例えば、一月に結婚した義弟(ひろくん)。新婚旅行は、(知り合いの中で)誰も行ったことがないアラブ首長国連邦のドバイに行きたいと言っていた。もちろん、実際に行ってきた。そして、今度結婚する妹ゆきちゃん。彼女もまた、知り合いの中で誰も行ったことがないドバイに行きたいと言っていた。
 しかし、イラクで戦争が始まり、結局、旅行会社の方からキャンセルがあり(出発7日前)、そして、今日出発二日前に行き先が決まった。なんと、
                               イースター島!
 それは、太平洋に浮かぶ小さな島。国籍はチリ。モアイしかないあの島へ、彼女達は新婚旅行に行くという。おみやげはモアイのキーホルダーか何かか?二人らしくて素晴らしい。
 おにいちゃんは、新しい生活の出発にふさわしいその島への旅が、とても楽しいものだと信じている。新婚旅行にはふさわしい島だと、信じている。だって、こんないいネーミングなんだから・・・・。
                               「いいスタート!」
 
 ちなみに、義弟のがんちゃん、インドに数ヶ月滞在し、タイにも半年ほど滞在していた骨太のライダー。野宿もノグソもお手の物。また佐野家の系譜にこんな人間が加えられた。


・2003年3月13日 ホワイトデーについて考える

 世間を見渡すと、バレンタインデー並にホワイトデーも定着してきた感がある。やれ、お菓子屋さんの経営戦略だの、日本人には関係ないだの、もてない面々はなにかと屁理屈をつけている。しかし、事実これだけの国民的イベントとなってしまい、人情的にも、チョコでもクッキーでも贈られればうれしいもの。屁理屈をこねずに、頂戴した方々にはお返しをしよう。そう思っている。(いかにも、たくさん頂いたかのような書き方だが、実際は家族から3個もらっただけです、はい。)

 子供が寝静まった夜10時、ちなみに、ポンチャンも寝静まっているが、余計に都合がいい。台所に立って、ケーキの元、ビスケットの元、牛乳、卵等々を見つめ、右手に泡立て器を握り締める。ケーキを作るのは生まれて初めてだ。妹やかみさんのために、夜中にケーキを作っている自分に酔ってしまいそうな勢いなので、その前にビールを飲み始めておく。準備は万端である。

 ・・・・苦労をすること45分。なんとか形は出来た。けっして、美味そうには見えない。かかった経費を考えれば、圧倒的にお店で買ったほうが安いのだが、うそ臭い満足感がある。もちろん、味もうまいわけがない。しかし、この見た目も悪く、味もイマイチのケーキを、ポンチャンや妹達は美味い美味いと言って食べてくれるのだろう(多分)。そんな優しい彼女達に、ワタクシはいつも感謝をしている(はず)。ホワイトデーという、人に感謝の気持ちを表せる記念日は、意味があろうとなかろうと、素敵な一日だとワタクシは考えています。



・2003年3月3日 無性に、突然に、食べたくなるのだ!

 花粉が目に見えるほどの勢いで飛散している日曜日の昼間のこと。天気はいいので、子供を連れて近くの公園に遊びにいくも、目のかゆみ、鼻水、頭痛にさい悩まされながら、お昼ご飯を食べに家に帰ってきた。無性に、突然にピザが食べたくなって、スキレットを出して、いきなりピザを焼く。大地は全く食べなかったので、仕方なく大地用にパスタを作る。しかし、これも食べない。ワタクシはすでにピザを食べ、ビールも飲んで、もはや料理をする気力もなく、ともあれ大地には黒糖ロールを食べさせておいた。ピザと言うものは、無性に突然に、食べたくなるものである。こいつを食べて、ビールを飲んでいると、何故かイタリア人的に陽気になってきて、全てのことがどうでもよくなってくるから不思議である。

 ポンチャンはMTBにまたがって、どこかを走り回っている様だ。大地は熟睡している。ワタクシといば、この日もアステカ文明のことを学術的に科学的に歴史的に検証していた。知的に過ごす日曜日も悪くない。メキシコに想いを寄せていると・・・・・・・無性に、突然にメキシコ料理が食べたくなってきた。急いで買出しをし、いそいそとスキレットとダッチオーブンをプレヒートし始める。反比例して、ワタクシの体内には冷たい液体が流れ込む。この日のメニューは

「チリコンカーン(ひき肉と大豆のチリソーススープ)」「ジャンバラヤ(鶏肉及びチョリソーソーセージのチリピラフ)」

 壊滅的にうまく、今度アウトドアでも実践しようとたくらんでいる。
 メキシコに想いを寄せ、セルベッサを片手にがつがつ食べる。遊びに来てくれた海原夫妻と二人の子供も食べる!食べる!食べる!彼らは、メキシコを征服したスペイン人の如く、メキシコ料理を蹂躙していった。無性に、突然に食べたくなるものって、ありますよねえ?

 余談:買ったばかりの燻製の本に「豆腐の燻製」が載っていた。ためしに作ってみたけど、とてもじゃないけど食べれるシロモノではなかった。今も、ふと台所を見ると、茶色いブロックのような塊がある・・・・・。失敗失敗。




・2003年2月23日 岡崎まで自転車で行く!(計画をした)

 左手骨折から丸三ヶ月が過ぎた。痛みもほぼ無い。天気もいい。なぜか、無性に且つ突然に自転車に乗りたくなってきた。前日からポンちゃんと大地は岡崎に泊まりで遊びにいっているため、単独ツーリングが行えそうである。突然突発的に決めたのが、土曜日の夜9時のことだった。急いでツーリングマップを取り出し、ルートの確認をし、サイクルジャージとレーサーパンツをタンスの奥から取り出した。鼻を突くナフタリンのにおいが、しばらく自転車から遠ざかっていたことを物語っていた。準備は万端!
 ただし、この時点で、知り合いの大工さんとかなり飲んでいた。大工さんを適当に追い払い(?)、すかざず、目覚ましを7時にセットし、8時には鈴鹿を出発する予定だった。久しぶりのツーリングに胸はときめいていた。東海道を東へすすむのかあ・・・・・・。昼は宮きしめんを食べながら、ビールを一杯飲んで、ういろうを買おう。などと考えながら、眠りに落ちていった・・・・・・・・・。

 起床:朝9時30分。

 何も考えず、そのままコーヒーを飲み、洗濯をして、愛車のYETIにまたがった。何も考えず、南へ向かって風を切り始め、15分ほど走ったところにある砂浜にまで力走した。腹が減り、おまけになんだかとても疲れて、そのまま引き返した。全力でペダルを踏むと、たったの5分で息が上がる。そのまま当ても無く少しスピード落として走り、何気に家に戻ってきた。

 玄関に置いてある中部地方のツーリングマップを見ながら、スーパードライをプシュッ!と開けた。

 このとき、まだ10時30分。決して、軟弱ではない。(と、強く自分に言い聞かせている・・・・)。ただし、7時に起床して、岡崎に向かって自転車を走らせていたらと思うと、少しぞっとした・・・・。


・2003年2月2日 冬の週末(佐野家の場合)

 冬のとても寒い週末。仕事の方は、冬は基本的に暇なので、土曜日は3時ごろに帰り支度をする。いそいそとスーパーに行き、この日の買出しをする。友人が遊びに来るというので、この日のメニューは「チリコンカーン」「フライドチキン」「チーズの燻製」「ししゃもの燻製」「チャーハン」とあいなった。コンロにDOやスキレットを並べ、エプロンをかけてうきうきしながら、もちろんビール片手に料理を始める。食べるよりも、この時間を過ごすことがとても幸せなのである。一応、ワタクシはこの行為を骨折のリハビリと考えている。全部うまかったが、「ししゃもの燻製」はヒッコリーとの相性も抜群で、評判がよかった。


バカご満悦のぽんちゃん
 二日酔いの日曜日。二年前にオープンしたフラワーパークと言う公園に遊びに行った。最近、どの公園に行っても、ローラーを連続させた化け物滑り台がある。あれに乗りたいと思うのはワタクシだけではあるまい。しかし、大人一人ではどうにも気恥ずかしいので、つい、
「大地、乗りたいか?」などと独り言をつぶやいてから、一緒に滑るのである。左の写真にもあるように、当の大地よりも、遥かに後ろの女性の方が楽しそうである。 滑り台に限らず、他にも大人の遊び心をくすぐるジャングルジムとかもあって、今度、月明かりの明るい夜に遊びに来ようと思ったくらいである。

ビビンバ!左に見えるのがきのこのキッシュ

 肝臓が痛いにもかかわらず、この日もいそいそと買出しを済まし、スキレットと中華なべで鉄焼きビビンバを作ってみる。激うまで、感動したが、かなりの手間を要したため、アウトドアには少々不向きであろう。きのこのキッシュもスキレットで作ってみた。ワタクシ、生クリームとホイップの違いを全く理解しておらず、生クリーム200ccのところ、ホイップをその分量だけ入れてしまい、とても甘い、気持ちの悪いキッシュが出来てしまった。大地は嬉しそうに食べていたけども・・・。

 さて、DO料理をどんどん作るワタクシ。日々ご満悦。勝手に我が家の財布から、好きなだけ買出しを済ます。今日2月4日、佐野家の一月分の食費4万円のうち、すでに2万円つかってしまったことを、ポンチャンにばれてしまった・・・・・。やばい・・・・。












・2003年1月11日 義弟の結婚式にゆく

 ポンチャンの弟が結婚することになりました。改めて、おめでとう。
 さて、義弟の結婚式と言うことで、ワタクシの出番は何もなし!スピーチもなければ、余興もない。少々物足りないが、何も考えずにバカ飲みできるまたとないいい機会である。乾杯の音頭を聞くや否や、手酌でがんがん飲み続けた。とても気分がいい。まるで写真を撮ってくくれと言わんばかりに、ワタクシの席の前においてある、義弟のコンタックスN−1がどうにも気になったが、数枚撮っただけで電池が切れてしまい、もうどうにもならない。ただただ、大地の面倒を見ながら、飲みっぱなしの結婚式である。
 唯一つ、義弟から頼まれていたことは、大地が新郎に花束を持っていくというそれだけである。しかし、その大役に対する備えはポンチャンが万端に準備してある。ワタクシは何の心配も要らない。いざ、その花束贈呈の時がやってきた。大地は新郎をめがけて一目散に走っていき、見事に花束を渡した!(と言うよりは、持ったまま突っ込んでいって、新郎である義弟が奪いとった形だけど・・・・)。周囲の方々は、素晴らしい一歳児だと感嘆の声を揚げたが、何ぞ知らん、実は、新郎の後ろにポンチャンがいて、ポンチャンはビール瓶を持って待ち構えていたのだ!大地にとって、新郎は全く眼中になく、ただただビール瓶をめがけて突進していっただけなのである。

 気持ちよく酔っ払って、披露宴が終わった。さて、ここでワタクシ、二組から二次会のお誘いを受けた。一組は新郎の参加する、新郎新婦の友人達による二次会。一方の一組は、叔父さんたち、である。気分的には女の子達も来る正規の二次会に行きたかった!しかし、自分が結婚して以来初めて会う叔父さんたちである。ないがしろにも出来ない。ワタクシ、後ろ髪を引かれながらも、叔父さんたちと飲みに行くことにした。
 さて、行き先は「フグ屋さん」だった。普段、ワタクシの生活ではなかなか敷居の高いお店である。叔父さんの一人は、とある信用金庫の理事を務めた方で、とにかく顔の広い御仁なのだ。店内に入り、ふと「本日のおすすめ」のホワイトボードに目をやる。 ・ふぐ刺し 4,000円 ・ぶりかま 4,000円 ・フグ鍋 6,000円 等々、いつも飲んでいる居酒屋とはゼロの数がなんとなく一桁違うつまみが目に付く。急に、軍資金が不安になってきてしまい、心の中で「おいおい、割り勘だったらどうするんだ・・・?」などと考え始めた。そこで、その御仁の一言。
 「ここの店はやすいからなあ。遠慮なく飲んでくれえ!おい、サノ君何でも頼んでいいぞ!」

 と言われても、即座に「ふぐ刺し」と頼むことも出来ず、考えている横でその御仁がもう一言!
 「おかみさん、この若い人に、ふぐ刺し三人前!」

 えっ!? ・・・・・・・・数分後、刺身が目の前に出される。確かにうまそう・・・。しかし、この一皿が12,000円なり!う〜ん、と迷いつつも、結局全部食べてしまった。その間、ハイペースで飲まされ続け、周りの叔父さんも全員酔っ払ってしまい、もう何がなんだかわからなくなった頃、突然、叔父さん同士がチチを揉みあい始めた。「おい!サノクン!君はちゃんと嫁さんのおっぱいを揉んでいるか!俺はなあ、毎日揉んでおるのだ!今日は岡崎に泊まっていくから、このおっさんのおっぱいを代わりに揉んでおるのだ!」なんて、わけのわかんないことを言っている・・・。義父の前で、「はい、揉んでいます!」ともいえず、これまた返答に困ってしまった。
 結局、何がどうなったか記憶が飛んでしまい、気がつけば朝だった。岡崎の実家でみんな泊まったようである。ワタクシが起きた朝7時、叔父さんたちは礼服のまま、朝から銘酒 『空』 を飲んでいた。叔父さん、恐るべし!




・2002年12月23日 ワレイマダコッセツチュウ・・・

 11月13日に骨折(詳しくは下記参照)。そしていまだにギブス生活のワタクシ。左手小指の骨折ですが、ギブスは左手の甲から指までびっちり巻いてあるという状態なのです。左手で動かすことが出来る箇所は親指のみ。本当に不便な生活をしています。実生活で不便なこと・困っていることをつれづれなるままに書いてみますと・・・・・。
 ・右手の袖のボタンをはめることが出来ない。⇒ぽんちゃんにはめてもらっています。
 ・袖のきつい服を、ギブスのせいで着る事が出来ない⇒風邪をひきました。
 ・お風呂で右手と背中を洗うことが出来ない⇒ポンチャンを呼びます。
 ・靴紐を結べない⇒ゆるゆるの靴を履いています。
 ・片手で押さえる事が出来ないので、包丁を使えない⇒ぽんちゃんがいないときは外食。洗い物も出来ないし・・。
 ・茶碗を持てないので、お茶漬けを食べれない⇒犬食いしますかねえ
 ・キーボードを打ちにくい
 
等々、何かと大変なんです、ぽんちゃんが!もうすぐギブス生活ともおさらば!とてつもなく臭い左手をやっと洗うことが出来そうです。

・2002年12月23日 YAHOO! BBに接続したい!

 ついに、我が家もBB時代を迎えました。圧倒的接続速度に強く感動する日々!それはそれでいいのだが、なにしろワタクシ極めて文系的ノウミソしか持ち合わせてないゆえ、何かと大変でした。
 事の発端は、これまで利用していたプロバイダが吸収合併されたことに遡る。同時に、住んでいるこの地区にYAHOO! BBの局が開設することになった。友人の強い勧めもあり、ヤフーに登録をしたはずだったが・・・・。なんと、一番肝心なIDを入力ミスしておるではないか!とてもまぬけなIDに苦笑い・・・・。しかも、入力ミスに気がつくまで3日かかってしまった・・・。そのまえに、LANポートを取り付けるのに4日かかっているし・・・・。おまけにまだこのHPの引越しも終わってないし・・・・。
 おかげでいまは、ヤフーにも、今までのプロバイダにも二重で基本料金を払っているという始末。近々、メールアドレスとHPのアドレスが変更になると思います。・・・・多分。理系的ノウミソのみなさま、笑ってください・・・。


・2002年11月30日 エド&モギちゃん結婚披露パーティー

1.ベールに包まれた花嫁

 東京・青山という、とてもじゃないが、エドには似つかわしくない場所で執り行われた結婚式及び披露宴。今回は我が子大地を実家に預けて、ポンちゃんと二人で参加させていただいた。改めて、おめでとう、エド、もぎちゃん。手作りの人前式及び披露宴は、二人の人柄がにじみ出ていて、とても楽しい宴でした。
 さて、式は正午に始まった。司会者は、生まれて初めて司会と言う大役を任されたエドの同僚である。最初はやはり緊張もあり、ぎこちない。新郎・新婦が登場した。しかし、なんと、エドのネクタイが大いにいがんでおるではないか!!いきなり笑いそうになってしまったが、エド曰く、こういうネクタイらしいのだ。ちなみに、スギヤマも勘違いをしており、笑いをこらえていた。
 新郎も緊張しているのか、「(誓いの言葉を)どうぞ!」と言われて、座席に座りそうになったり、純白の手袋を持て余したりと、落ち着きがなかった(いつものことか?)。一方の新婦モギちゃんは、最初からニコニコと笑顔をふりまいて、エドの隣に降り立った天使のようにかわいかった。司会者さん・新郎ともに緊張の中、結婚誓約書へのサイン、指輪交換が終わり、クライマックスの誓いの口づけとあいなった。カメラを持つ手に汗がにじんでくる。司会者曰く
「では新郎、新婦のベールを優しく上に上げてください!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すでに、ベールは上がっていて、笑顔むきだしのままじゃないか!!!
 完全に雰囲気が一瞬固まってしまい、そして、場内大爆笑となってしまった!もう、口付けどころでは、なかった。収拾がつかず、新郎新婦見つめあって大笑いをしながら、そのまま退場していったのだった。

2.ベールを脱いだ花嫁

 披露宴は、打って変わって打ち解けた雰囲気で始まった。なにしろ、上司だの仲人だの、固い話をしそうな方が列席していない。ちなみに、私自身が、来賓として真っ先に挨拶をさせていただいたくらいである。その場の雰囲気で挨拶を考えようと思っていたワタクシ、充分笑っていただけるスピーチをさせていただいた。終始楽しい披露宴だったのは二人の人柄だと思う。モギちゃんもとてもアウトドア度の高い女性で、スキューバダイビングが趣味だと言うことは聞いていたけども、他にも山登りをしたり、自転車で別府から熊本まで走ったりと、とても充実した人生を歩んできている。エドはいうまでもない。そして、彼女はとてもおっちょこちょいらしい。エドは、いうまでもない!とてもお似合いのカップルに、我々全員、とても心楽しくなってしまった。
 しかしエド。君が大学時代、100人を超すサイクリング部の部長だったことは知っていた。君が高校時代、1000人を超すマンモス校の生徒会長を努めていた事は知らなかった。
 ちなみに、乾杯の音頭は、こうだった。
 「(前略)ここにいる皆様のご多幸とご健康、そして私達の幸せを祈って、かんぱ〜い!」
 乾杯の音頭をとったのはなんと、新郎新婦だった!

3.二次会

 渋谷で二次会を行い、35名ほどが集まって祝福し、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。・・・・・・・・・・が、その影で、ワタクシは大忙し!冗談ではなく、二次会中は何も食べることが出来なかった。というのも、幹事を頼まれたのが1週間前。参加人数が判ったのが一日前。16時30分集合だが、幹事が集まったのが16時50分。披露宴に列席した我々がそんな状況だから、主役はもちろん間に合わなかった。ちょっとバタバタしたのが残念でした。
 さて、ここでエドの一言。「二次会の会費は4,500円で予定しています」・・・・・・・・たしかに、居酒屋の料理+飲み放題4,300円。しかしそれは税抜き価格。税込み4,515円×人数分の最低経費が必要なのに、どうなっとんねん!おいおい、まさか、幹事の負担でしょうか・・・・?

4.三次会

 人数もこなれてきて、やっと新郎新婦ともゆっくりしゃべれるようになってきた三次会。楽しく飲んで騒いで、気分は最高でした。
 いざ、会計。エドの同輩のA氏(理系出身)が素早く計算をし、これまたすばやく集金を始めた。
 「純粋に割り勘すると一人3,400円ですから、一人3,000円づつお願いします。」
 しかし、どう考えても足りない。どうするんだろう・・・・。
 「不足分は大先輩方にお願いします!」
 おいおい!まさか、先輩って、三人しかおらんだろう!

5.余談
 翌日、ユリカモメに乗って、お台場に行ってきました。フジテレビとか・・・・。完全にオノボリさんな我々。エド、招待してくれてありがとう。お幸せに。




・2002年11月14日 障害者の大変さを実感するために・・?

 仕事柄、障害者や高齢者と打ち合わせをすることが多いです。障害者リフォームのマニュアルを覚えたり、そういった方々のお話を聞いたり、これまでのお客様の経験を活かしてワタクシから提案をさせていただいております。しかし、どうにも親身になって話を聞くことが出来ない。考え方がシンクロしない。そうか、自分自身、五体満足の健康体では芯から不自由な体を持つ方々の気持ちが解るはずがない!そう思ったワタクシ、自ら手の指を一本へしおり、片手をギブスで固定して、生活の不便さを実感してみることにした。これまで、こんなに仕事に一生懸命な自分を見たことがない!!・・・・・なわけがなく、実は不覚にもへべれけに酔っ払ってしまい、自転車で帰る途中に、後ろから来た車にクラクションを鳴らされ、後方をチラチラ眺めながら高速走行をしていたその時(夜中一時)、左側のコンクリートブロックにかすってしまい(本当にかすっただけだった)、ふと気がつくと、小指のみがあさっての方向を向いていたでした。
 そのときは脱臼と思い、ともあれ無理やりねじ込んで元に戻して眠りについた。しっかり麻酔も効いていたのか、よく寝れた。・・・・・・・・が、夜中三時、激痛に目を覚ますと小指はあさっての方向を向いている上に腫れ上がっている!その後一睡も出来ず、翌朝一番で医者に行き、しっかり説教を頂いてきた。
 先生いはく「君、骨折をなめ過ぎ。全治6週間です。」

 片手では満足に日常生活もままならず、嫌がおうにも障害者の気持ちを痛感する事が出来てしまった。ちなみにポンチャンは「介護者の気持ちを痛感できるわ」とおっしゃっていた。今、全く頭が上がらない・・・・・・・。

・2002年11月9日 おめでとう、城所!

 大学の同級生の城所が結婚しました。おめでとう、とても明るい奥さんで、こちらも心楽しくなってきました。披露宴は名古屋にて催されました。その一幕を紹介します。
 新郎新婦ともに高校の先生であるため、来賓の方々も勢い先生ばかり・・。皆、いい方ばかりだし、お話もとても上手。ただし、話が長い・・・・・。仲人さんが、新郎来賓の教頭先生が、新婦来賓の校長先生が・・・・・・・、そして、乾杯の大任を任された先輩の先生が!・・・・話が、長すぎる!!なんと、乾杯することが出来たのは、開始してから一時間後だった!!
 そのストレスもあって、ハイピッチで飲み続ける。 滞りなく進む披露宴、ワタクシも余興を無事終わらせ、余裕を持ってまたまた酒を飲み続ける。そして、クライマックス?の親族代表・新郎のお父さんの挨拶とあいなった。お父さんは、緊張していたのか、マイクを持つや、突然歩き始め、高砂の隣まで行って挨拶をしようとした。司会者が慌てて「お父様、新郎・新婦の前でご挨拶をお願いします。」と言ったためか、もう頭の中は真っ白!何がなんだかわからないまま、しゃべり始めたお父さん、最初の一言は
 「新郎の父のキドコロヒロヨシです」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それ、新郎自身の名前なんですけど・・・・。
 ともあれ、幸せのおすそ分けを頂いたワタクシ、気分よく二次会・三次会と楽しませていただきました。

 ちなみに、翌日は名古屋港水族館に行ってきました。あそこのいるかとペンギンはとてもいい!本当に癒しの空間で、三十男5人で訪れたけども、三時間もくつろいでしまった。名古屋のお薦めのスポットの一つです。


・2002年10月20日 バリアフリーを真剣に考える

 

 左の写真、なんでしょうか?そう、障害者用のレース仕様車椅子です。ちょっとした知り合いが車椅子レースから引退すると言うことで、ワタクシが譲り受けました。随分前の話です。しばらく会社の倉庫に眠っていたんですが、今度、車椅子マラソンに出ようかとたくらんでおり、久しぶりに練習に出掛けました。ちなみに、トップクラスの選手は、フルマラソンを1時間20分くらいで走ります。自分の足で走るよりもかなり早いはずです。ワタクシ目が出場を考えているのは、かなりアップダウンの激しいコース(6km)。近くの堤防にて、登坂トレーニングを執り行った。
 苦戦をするだろうと予想した登り。勢いをつけて、登りはじめる。予想外に駆け上がるのか?そう思った頃から、徐々にスピードがなくなり、必死になって、車輪を廻すが、まるで誰かが後ろからひっぱっているかのごとく、びくとも動かなくなった。坂の途中で完全に止まってしまったのである!「おいおい、どないすんねん?」はっきり言って、ただ停止状態を維持するだけでも腕が痛い。オマケに、怖い。恐る恐る前輪のブレーキをかけ、一気に車椅子から足をついて立ち上がった。ワタクシ、普通に立ち上がれるから、無事済んだけど、もし、障害があって、立つことが出来なかったら?考えてだけでも空恐ろしい。
 下りは快適!!自転車よりも遥かに安定しているし、ラクチンだし。
 気を取り直して、もう一度登りにチャレンジしてみる。・・・・・・が、やっぱり途中で止まってしまい、足をチョコチョコ着きながら(多分、反則だと思う)、登り切った。本番が不安である・・・。そして、直線の練習。前傾姿勢でひたすら車輪を廻し続ける。トップスピードが気持ちいい。風を切って走る感覚は、自転車のそれととてもよく似ている。あまりの快感に、ふと車輪から手を離し、天に向かって伸びをする。・・・・・・とその時、突然、車椅子は見事に後ろにひっくり返ってしまった!もちろん、もろ落輪である。本番が、限りなく不安である・・・・・。




・2002年10月7日  おめでとう、木内!

 秋の結婚ラッシュの幕開けは、大学時代の友人、木内からでした。サイクリング部時代、一緒に佐渡に行ったり、NZ RUNを勘考した仲間が、ついにサイクリング部の先輩、そのちゃんと結婚しました。改めて、おめでとう。
 目出度いオハナシなので、とてもいいことなのですが、披露宴会場は、長野県軽井沢!三重県からは7時間の高速ドライブです。今回は大地も連れて行くことになっていたので、親の2500ccのナビ付きセダンで中央道をぶっ飛ばしていきました。元来、運転はあまり得意ではなく、オマケに嫌いで、長距離の移動はほとんど人任せでしたが、今回は頑張りました。自己記録の連続運転時間記録を更新し、(といっても2時間30分だけども)、大地が寝ている時間はほとんど休まず運転をしました。そのせいもあって、9時に鈴鹿を出発し、到着したのは午後4時。かなり疲れていたけども、そのままゼロ次会に突入!翌日の披露宴は、禁酒と聞いていたので、新郎が帰った後も、最後までバーで土屋と塚本と三人で飲んでいた。

 翌日の結婚式。神父さんのありがたい御言葉が耳に残る。いはく、
 「結婚をするということは、車にカーナビをつける様なもの。カーナビを信じて運転するかのごとく、新郎は、しっかりと新婦の指示に従い、脇道に逸れない様、人生をともに歩んでいって下さい。」

 さて、初めて経験する禁酒披露宴。信州オリジナルのジュースで乾杯か?と思いきや、乾杯の音頭もなしで、いきなり始まった。目の前にあるのは、ジンジャーエールとウーロン茶。うーん・・・・・・・。そうこうしているうちに、スピーチが回ってきた。今まで、スピーチをさせていただいても、ほとんどが飲み始めの時間帯で、あまり聞いていただけないことが多いのだが、今回はしっかり静聴していただいた。あまりに静かなので、あまり受けないかと心配したが、それなりに笑っていただいて、とりあえず大役を終えた。ちなみに、そのチャン側のスピーチはかどちゃんでした。

 ともあれ、軽井沢の紅葉のなかで、すがすがしい結婚式は無事終わり、ノンアルコールのワタクシは、楽しい時間と仲間達に感謝しながら帰途につくことになった。道すがら、ぽんちゃんと楽しかった時間をふりかえって、はるばるやってきてよかったねと話していた。我々が走る国道18号は爆裂的に渋滞している。途中寄ったGSのおばちゃんが、圧倒的に山麓を走るサンロードの方が早いよと教えてくれた。カーナビはひたすら18号線を勧めていたが、何も気にせずサンロードを突き進んだ。神父さんの話を思い出しながら、心の中でつぶやいた。

 「カーナビなんて、絶対信じねえ!

 スピーカーからは、カーナビの「次の信号左です」という声が、まだ鳴り響いていた。

新郎&新婦、そしてつっちー夫妻




・2002年9月14日  商品力

 「ゴアテックス」・・・・・学生時代、初めてこの素材の合羽を買ったときの感動は今でも鮮明に覚えている。20歳の当時、25000円という大金をはたいて合羽なんぞを買っていいものか、とかなり強く心配したものだ。それは全くの杞憂に終わり、今改めて過去のアルバムを紐解いてみると、ただただ、ゴアテックスの赤い合羽を着ている自分がそこにいる。北海道を走っていたときも、八ヶ岳に登っている時も、ウィンターキャンプでも、そして海外のツアー中も、ずっとゴアテックスの合羽を愛用していた。そのゴアテックスも、新婚旅行に持っていく頃には、すっかり剥離し、防水性も撥水性もまったくといっていいほどなくなっていた。
 三重県にポンチャンが引っ越してきて、再び仕事を始めた。その初任給で買ったものは、ゴアテックスの合羽だった。新しいゴアテックスの着こごちのよさに改めてその商品の素晴らしさを認識した。私は靴も、帽子もゴアテックスになっていった。ぼろぼろになった赤いゴアテックスは、記念にタンスの片隅に入れておいた。

 時がたって、この夏、知り合いから「ゴアテックスの保証制度」というものを聞いた。ゴアテックスという素材は、永久保証で、剥離が見られたり、防水性がなくなったりすると、新品に取り替えてくれる、というのである。そんなわけがない!私は思った。そんな制度があれば、このモノに溢れた資本主義を完全に否定することになる。そもそも、永久に持つ素材なんて、存在するわけがない!半信半疑で、私の赤いゴアテックスの合羽を鞄本ゴアテックス社に送付した。とても丁寧な対応で、好感が持てた。しかし、この段階でも、私は新品に取替えなんて信じていなかった。

 数週間後、ゴアテックスから連絡があり、なんと!新品に取り替えてくれるという!しかも、色・サイズとも選ぶことが出来る。
 驚き、感動し、そして、商品力に対する自信に感服した。これから先、自分が手がけていく商品にそれだけの自信を持つことが出来るのだろうか?私のゴアテックス信奉はこれからも変わらない。


・2002年8月19日 親になるということ

 友人達が結婚をし、親になることが加速度的にワタクシの周りで増えています。本当に素晴らしいことで、お父さんにはおめでとうと、お母さんにはお疲れ様と、声をかけることが多いこのごろです。
 私の友人にトミタ君がいます。彼は、エンターテイメントな人生を送っています。かなり、面白いです。恐怖を感じる心や、満腹と感じる中枢神経は確実に麻痺しています。疲れというものには、縁のない人間です。昨日も、このくそ暑いのに、24時間マラソンに出ると言っていました。
 そんな彼も、先日二人目が生まれました。二児のパパです。一人目のベイビーの名前は「テント」君。さて、二人目のベイビーの名前は?ワタクシ、前から随分楽しみにしていました。彼は、どんな名前をベイビーにつけるのか?そして、初めてその名前を聞いて、とても心楽しくなってきました。
 彼の二人目のベイビーの名は、「楽(たのし)」君!お父さんの生き方や考え方がしっかり名前に出ています。
 親になるということは、まず、一生呼び続けるであろう我が子の名前を、自信を持って決めることから始まるのだろう。楽(たのし)君、いい名前です。
 おめでとう、トミタ!


・2002年7月1日 資格を持っていれば有利であろうか?

 大切な日曜日を一日潰して、福祉住環境コーディネーターというちょっと耳慣れない資格試験を受けてきました。これで、3週間ほどベイビーの日曜日に顔を見ない生活です。将来に対して不安がある自営業。周りを納得させるのは、社名ではなく、自分自身のみ。その自分自身を資格武装しているのが今日のワタクシ。資格なんてなくても、充分実力で仕事をすることはできる、と思っていても、周りはそう視ない。嫌々でも、資格という鎧をまた一枚はおわなければならない。(もちろん、合格したらの話だけど)
 ぐったりと心身ともに疲れた日曜日・・・。このままでは精神衛生上あまりにも悪いので、タクマの家に行って、ピザ釜をいそいそとセッティングし、ピザ生地を丸く伸ばして、大ピザ会を行ってしまいました。もういや!というほどピザを食べるのも、たまにはとても楽しいものです。

 ところで、ブラジル優勝おめでとう。

・2002年6月4日 ポンチャンおめでとう?歳!

 今日はポンチャンの誕生日。読者の皆さんは、それぞれの配偶者の誕生日に何かプレゼントを贈りますか?ワタクシは、今回デジカメをプレゼントしました。というよりも、ほとんど強制的に買わされました・・・。しかし、支払いは我が家の家計のクレジットカードから・・・・。来月彼女は驚き、そして怒ることでしょう。今日は随分喜んでもらいました。

 今日、大地がすごいゲロを吐きました。その様は、まるで、マーライオンのようでした。我が家のじゅうたん、ついに交換か?

 頑張れ日本!しかし、稲本のドリブル、なぜあれがファールなんだー!雄叫びを上げたら、大地が大泣きしました。

・2002年5月25日 おめでとう!まっつん&みほこ 〜エンターテイメントな披露宴〜

 おめでとう!まっつん&みほこ。二人はこの日、焼津グランドホテルで結婚しました。その披露宴がとても面白かった。料理もおいしかったし、だらだらした長い挨拶がなかった。みほこの衣装もきれいだったし、会場も、品性あふれる素晴らしいセッティングだった。しかし、この日を生涯忘れれないものにしてくれたのは、余興である。今まで、たくさんの余興を自分自身で披露してきたし、また観賞してきた。でも、この日が一番素晴らしかった。
  一番手はみほこのおばあちゃんの剣の舞。日本刀を振りかざして踊る姿は、日本の美だね。さて、引き続き、二番手で登場したのはお母さん。今まで、披露宴で花嫁の母親が余興をしたのは見たことがない。得意の手品を披露してくれた。しかし、時間があれば、あのまま落語をして、さらに歌まで歌っていただろう・・・・。
 トリを飾るのは、お父さん。加山雄三の曲を、ピアノの弾き語りで聴かせてくれた。なんてエンターテイメントな家族なんだ!!!!
 ワタクシ、出る幕無し。
 しかし、焼津グランドホテル、すごい気分よかったです。とくに、露天風呂!最高でした。ありがとう、そして、重ね重ね、おめでとう。

・2002年5月12日 がんばれ!海外で働いている君よ!

 久しぶりに、イタリアで働いている友人からメールが届きました。企業に勤めているわけでもない彼女ですが、得意の英語、スペイン語を駆使して、イタリアでがんばっています。ちなみに、最初はイタリア語はほとんど知らなかったそうです。単身サルディーニャ島に渡り、自分の力で、今の仕事を開拓したそうです。ちなみに今は観光ガイドをしています。さっぱりした性格の彼女です。イタリアという陽気なお国柄が性に合うのでしょう。現地に彼氏も作り、楽しく生きているみたいです。今度、イタリアに行く予定のある方、紹介しますよ。
 がんばれ!応援します。 今度、5月24日発売の雑誌に彼女の記事が掲載されるそうです。



・2002年5月5日 初節句とは、なんぞや?

 10月に男の子が生まれて、この日は世間で言う初節句らしい。もとより、時事のイベントに疎いワタクシ、何をすべきなのか、どういうイベントなのか、さっぱりわかんない。わかんないうちに、ポンチャンの実家からは武者兜が送られてきた。気がつけば、ジジババや、オオジジに節句のお祝い金などというものまでいただいておる。そもそも、初節句とはなんなんだ?いわゆる、常識本を読んでみると、『誕生を祝い、ジジババを招待して食事などをする』などと書いてある。他の皆は、きちんと正しい、常識本通りの初節句を迎えてのだろうか?おそらく、我が家の大地は、一生節句を祝われることなく、ただひたすら、ワタクシに振り回されて、山だの川だの行っているのだろうなあ・・・・。


・2002年3月25日 ドリームウェーバーから再びホームページビルダーへ

 私は、とても機械音痴である。ちなみに、歌も音痴である。下の日記を見てみると、パソコンの達人にわざわざ三重県まで来てもらい、使い方まで丁寧に指導していただいたというのに、なんと、今日まで説明本を買い、毎晩机に向かっていたにもかかわらず、使いこなせなかった・・・・。そして、再びホームページビルダーへ。なじみの画面、わかりやすい説明書。今日から、本当にがんばって更新していこう。今、そう思っています。haru、800町さんどうもありがとう。


 

・2002年3月3日 パソコンを替えました!

 パソコンが壊れたのが、確か、12月ごろだったと記憶している。あれから3ヶ月。なくしてみて、初めてわかるこのありがたさ。

パソコンというこの箱が、いかにおもしろく、いかに生活に根付いていたか、よーくわかった。そして、パソコンの中に、何が必要か。

これも、よくわかった。

 とりあえず、パソコンの達人にアドバイスを受け、秋葉原の『フェイス』というショップのオリジナルを購入。しかし、説明書を

読んでもちっとも理解できないので、パソコンは放っておいて、とりあえず、パソコン用のデスクを作成。

 パソコンの達人にわざわざ家まで来てもらい、とにかく、使える形にしてもらい、やっと今日を迎えた。

これまで、HP作成は『ホームページビルダー』を使っていたが、今回から、『ドリームウェーバー』を使用することになった。

まだ、説明書さえ読んでないので、この文章は実は練習で打っている。これから、おいおい充実させていきますので

皆さん見捨てず、これから先も『地球劇場』を楽しんでいってください。

 

 

2001・12・16 鈴鹿シティマラソン

 

 今年も、鈴鹿サーキットレーシングコースで行われる鈴鹿シティマラソン、別名(?)M−1グランプリが開催され、私も参加しました。天気は快晴、気温もまあまあ高く、風もそれほど強くなく、マラソン日和でした。

 今回、ひょんなことから、私の所属する草野球のチーム、VIVIDSのメンバーも出走することになり、何はともあれサーキット前に9時集合の予定となった。近年のマラソンブームのせいか、右肩上がりに参加者の増えているこの大会、もちろん、他の大会もそうだろうけど、

「わし、マラソンに命かけとるけんね!」とか、

「レース中に死ねたら本望やね!」とかいう感じのじいさんが多い。

 振り返って、我が野球のチームのメンバーといえば・・・・平均年齢は28歳と若いのだが、二日酔いのヤローがいる。14年ぶりにマラソンを走るというやつもいる(もちろん、シューズは新品)。靴がないからといって、普通のカジュアル靴の運送屋のうんちゃんがいる。タバコを持って走っているやつもいる。

 

 季節柄、変装しているといえば、サンタクロースばかり。例年のことだが、やはり少し芸がない。トナカイでもいれば話は別だが・・・・。

 

 今回はクォーターマラソンを走ったのだが、アップダウンしかないコースにやはり苦戦をした。それでも、青空の下、激走し、完走した後の風呂とビールは最高にうまかった。最後、野球チームの一員の運送屋の運ちゃん、マット君。彼は、普通の靴で、おまけに最後尾で、すぐうしろにレスキュー用の救急車がいたにもかかわらず、最後まで完走し、スタッフや観衆(そのときはほとんどいなかったけど)の暖かい拍手を浴びていた。

 とてもきれいな、いいシーンだった。


・2001年11月17日 我が家に天使(小悪魔?)がやってきた

 10月8日生まれの我が息子、大地(♂)。約一月が過ぎたこの日,我が家にやってきた。既に体重5kg近い彼(ちなみに、デブ)、よく泣よく眠りよく動く健康優良児である。
 彼がやって来て以来、すっかり酒の量が減り,HP更新時間が減り(パソコンが壊れているんだけど),振回されっぱなしの日々。
 でも、楽しい。詳細,写真等は、また後日。

・2001年11月10日 井下さん挙式!

 静大サイクリング部の大先輩,井下さんがご結婚された。披露宴会場は、かの徳川慶喜の居宅だった「浮月楼」である。幸せ太り(失礼!)の井下さん,とても幸せそうでした。新婦の多賀子さんは、とてもきれいで、面白くて,アグレッシブで、イカモノな女性でした。新婚旅行にパタゴニアに行くというお二人に幸多かれ!
 二人に贈られた,主賓平野先生のお言葉
『モノ作りが得意な井下君のこと、きっと、子作りも励むでしょう。』
 ↓新美さんの時といい,これでイイのか大学教授(元)!

・2001年10月11日〜14日 とても忙しい週末
 
 1.宇宙人捕獲作戦
 ポンちゃん所有のカヌー『エイリアン』を気田川の川底に沈めたのは9月15日のこと(地方劇場参照)。結局そのフネは、静岡県にあるアウトドアショップ「クリークサウンド」の皆さんによって引き上げられ、その後,春野町役場にて保管されていた。平日にひきとりに来て欲しいと言われてはいたが,なにかと忙しく,ついつい10月12日(金)になってしまった。
 前夜鈴鹿を出発し,秋葉神社前に着いたのは夜の1時30分。毎週末キャンパーでにぎわう河原も,この日は私のベットと一人用のツーリングテントがあるのみ。夜は静かに更け、朝を迎える。テントから出てきた青年が、一人さりげなくファルトボート(組み立て式のカヌー)を組み立て,何気なく出航していった。あまりの自然な景色に、声を掛けるひまもなかった。・・・・・・というより、寝坊してしまい,寝ぼけ眼で挨拶もしてもらえなかったという感じだったが。
 役場に出向き、一筆書類をしたため,エイリアンを引き取る。いやみの一つも言われず(手土産の「伊勢の名物赤福餅」が効果適面か?)気分良くフネを積み込む。フネは傷まみれだが、一応カヌーとしては使用可能と思えた。エイリアン,捕獲成功!
 「クリークサウンド」に寄ってみたが,やはり営業時間外だったので、とりあえず電話にてお礼をし,また後日改めて伺うことにする。
 

そのまま、浜松インターから高速に乗り,一路岡崎市へ。ポンちゃんはここの病院で出産をし,この日,退院である。必ず休憩する浜名湖SAも止まらず,取り急ぎ病院へ。まだ目も見えない、耳も聞こえない、妙に頭でっかちで、泣くことしか出来ない我が息子『大地』をチャイルドシートに寝かせ,ポンちゃんの実家に連れて行った。もう一人,エイリアン,捕獲成功!!



 2.ケツ乱舞の披露宴in焼津  
 翌10月13日(土)、新美さんの結婚式の為,朝から元静大サイクリング部の三谷と共に焼津に向かう。岡崎ICから高速に乗り,約2時間で焼津の『ホテル松風閣』に到着する。それまでに、我々は,必死になって披露宴の余興のネタを考えていた。何週間も前から決っていたことなので,お互いメールで余興の内容を考えて、意見交換しようと約束した。しかし、三谷からは一度もメールは来なかった。私は、一度だけ・・・・。
 さて、車内はあれこれ意見が出たが、結局クイズをやることで意見が一致した。なにしろ、新美サン、人の披露宴の時は、火は吹くケツは出すの狼藉者。にもかかわらず、自分の時は火は吹くなケツは出すなと、リクエストをしてきたので、無難な余興を考えた。
 私たちの余興は、新婦のお父さんに参加してもらい、また新婦側の全テーブルにも協力してもらい、楽しく,格式高く終わらせることが出来た。他にも,バイオリンを弾く新婦の友人がいたりした。
 会場は、太平洋を眺める、ロケーション最高の高級ホテル。料理もうまい。従業員も皆すばらしい。
ところが・・・・・、内容は・・・・・・・、素晴らしく,楽しかった。こんな楽しい披露宴は初めてだし、きっともう経験できないだろう。
 新郎側主賓の、前静大サイクリング部の顧問の先生の一言から、披露宴は幕を開けた。
「後ろを出すくらいなら,前を出せ!」
 

その後,元気 安さんのお笑い芸?があったり、退場の際のケツ乱舞があったりして、腹を抱えて笑ってしまった。最後は新美さんの一言で終止符が打たれた。
 「格式の高い披露宴を目指しましたが,やはりいつもと変わらない楽しい宴でした」
              ケツ乱舞

 3.WANTED!日本一周サイクリストを捕獲した!
 前夜,静岡の呉服町にて二次会が催された。そこでも、元気さんの「ノドチンコ芸」というすごい出し物があり、「目玉のオヤジ」という恒例の芸があり,とても盛り上がったのはいうまでもない。フルチンで会場を跳ね回る元気さんに、熱い芸人魂を感じてしまった。
 結婚式の二次会というと,特に,大学の友人のそれは、半分は同窓会である。やはり10年も5年も前に、一緒に自転車に乗っていた仲間と、昔の旅の話に花が咲くのも楽しい。そんな友人が,結婚をし,そして子供が出来た、という現況を聞くのも、また楽しい。気分は,いつもの間にか学生時代にスリップしている。
 翌日10月14日(日)鹿児島県在住のいとこ(大学4年生)が、日本一周自転車旅行の途中で静岡にいると聞き、携帯電話で連絡をとって待ち合わせをすることにした。携帯の普及により,旅と日常が随分身近になった気がした。家で待つ家族にとっては、とてもありがたい文明の進歩である。
 三保の松原で待ち合わせをし,富士山を眺め,お約束の登呂遺跡に行き,丸子の丁子屋にて、とろろめしをおひつお代わりするくらい食べる。
 人生で初めての自転車旅行が日本一周という彼。見るもの全てが新しく,聞くこと全てが新鮮で、食べるもの全てが美味い。五感は開放され,全身で,この経験を吸収しているのが分かる。しみじみ、10年前の自分がシンクロされる。
 毎日120km走る。夜はいつも野宿。風呂は2日に一回。飯はドンと食う。金はないが,根性はある。日本一周サイクリストである。
 九州ツアーでは12km走ってすぐダウン。3時には寝床を決めて直ぐ飯の仕度。風呂は一日2,3回。酒はいつも飲んでいる。根性はあるが曲がっている。日本一升サイクリストである。気分は学生時代にスリップしていても,体力は40代にこれまたスリップしている。だめだこりゃ!
 その後,彼は私の車で自転車ごと鈴鹿に運ばれた。現在(10月18日)も、実家にて毎晩宴の渦に巻き込まれている。ゴアテックスのカッパのない彼。その存在さえ,知らなかった。トゥクリップもない自転車。ばかでかい封筒型の寝袋。ヘッドランプも知らない。技術も知識もないない尽くしの彼。しかし、限りない好奇心と、底抜けに明るい魂と、バレーボールで鍛えた体力で、彼は、自転車にまたがって鹿児島まで走っていくだろう。そして彼の追及心は近く、海外にも目を向け、一サイクリストとして羽ばたいていくように思われる。前途洋々の彼に乾杯と、それを名目に、我が家は毎日毎日宴会をしている。

4.そして一国一城の主に
 日本一周サイクリストを鈴鹿に連れてきた夜、エイリアンもハイエースに乗せていた。いきおい、たくまの寺に寄り,カヌー小屋にフネを置いていかねばならない。もちろん、夜中の訪問にもかかわらず,ビールを飲むことだけは忘れない。
 ここで、海原家から出産祝という名目で,家を一つプレゼントされた。ウィークエンド専用の移動式別荘である。「大地」の将来のアウトドアライフが楽しみである。生まれてまだ6日の彼の寝顔を思い浮かべながら,一国一城の主となった僕は、ふふふっと思い出し笑いをしてから、忙しい週末を振り返り,眠りに落ちた。


・2001年10月8日(日) コウノトリがやってきた!
 
 心待ちにしていた。毎日毎日、携帯電話の着信履歴を、繰り返し繰り返し見ている日々。出産予定日は9月の30日だった。ポンちゃんは、必ず予定日より早く生むんだと、熱弁を振るっていた。そんな彼女を見ていて,私自身,9月25日に生まれてくるんじゃないかと予想していたくらいだ。
 外に飲みに行くのを止めたのが9月26日。
 それからが長かった。もちろん、ポンちゃんの方はもっと長く感じたに違いない。待てど待てど連絡はない。そして,10月のハッピーマンデーを含む3連休を迎えた。
 

10月7日朝6時ごろ,やっとそれらしい痛みがやってきた。そして、8時30分に病院に行き,陣痛の感覚が五分おきになったため,そのまま入院。そのあと、時間が立つにつれて,痛みが体全身を襲いつづける。痛みをこらえ,必死に歯を食いしばる。声を出すと駄目なので,叫びたいのを我慢している。まだまだ半ばだというのに,私は義母と代わってもらった。
よるの20時30分のことである。病室の広さの関係もあって、私は一度(ポンちゃんの)実家に帰ることにした。なにしろ、はっきり言って,なんの役にも立たないのだ!こういう時に母はやはり強い!男は駄目だこりゃ!
 その後の朝五時までは、想像も絶する状況だったらしい。

 私自身が朝7時に病院に入った時、ポンちゃんと義母はかなりぐったりしていた。正直言って,このままあっちの世界へ行っちゃうんじゃないかと本気で心配したくらいだ。しかし、私のすることは何もない!しょうがないので,ポンちゃんに出された朝食を全部平らげた。横でポンちゃんはやはり痛みで顔をいがめている。背中をさすりつつ、励ましつづける。彼女はもう、立つことも出来ない。
 しかし、この病院の方針は、「妊婦はひたすら歩くこと」。
 朝8時,分娩室へ移動するのだが,ここにはストレッチャーなぞない。両肩を抱えられるようにして分娩室に入っていった。痛々しい。
 約30分後,すごい叫び声の後,30秒ほどしてから、「おぎゃー!」
 命名「大地」。10月8日午前8時28分、地球劇場の新しい役者が誕生した。
 ポンちゃん,本当にお疲れ様。そして、ありがとう。








・2001年9月23日(日) 平岩来鈴!

 私の毎日の飲み代は、建築屋さんとして、日々働いて得ている。プロマイドが売れたり,サイン会をしたり、貢物をもらったりというのも、周りの皆さんが思っているほどは、ない。・・・・・・・という事は多分,ゼロ。
 今日は建築士の試験だったのだ。そもそも、カリスマ建築士を自称するワタクシ、今更2級建築士なんて楽勝!当然今年もそう思っていた
 しかし、相変わらず4時間30分休みなしのぶっ通しの試験は厳しかった。おまけに内容も厳しかった。また,来年頑張ろう!
 夕方,開放感と疲労感を伴って、ダッチオーブンとスキレット,そしてベットを携えてたくまの家に向かった。今夜は平岩がここに遊びに来るという。それならアウトドア料理のフルコースで迎えてやらねばならん!6時過ぎにたくまの家に到着した。広い境内にはすでにダッチオーブンが炭に掛けられ、燻製器(金属バケツだけど)はヒッコリーの煙をもくもくとあげ,テーブルといすはセッティングされていた。気合十分である。早速、私もダッチオーブンで「ローストあじの和風きのこ
」を作る。隣ではたくまがスキレットで「焼き豚」を作っている。外のダッチオーブンには「ローストチキン」がいい香りをさせている。
 それに加えて、燻製が二品。スモークサーモンとスモークチーズ。準備は万端!決して、平岩の奥さん,ツッキーの友人(24歳)が来鈴するからこんなに張りきったんじゃない!
 その平岩。今日は伊吹山に登山に行くと張りきっていた。愛知県から伊吹山まで車を走らせ,ふもとから登ると思いきや,車でそのまま山頂へ。車で3時間。登山は30分。天気は上々で、気分は最高に良かったと熱く語る平岩。
 到着するや,いきなりカヌー小屋の写真を撮りまくる彼ら。たくまの目はただひたすら友人(24歳)を追っていた(ような気がする)。
 テーブル一杯のアウトドア料理に彼らは感動し、楽しく夜中まで飲んで食べて楽しい時間を過ごしていった。気持ちよく食べてもらい,作ったほうも満足である。たくまは11時過ぎには疲れて爆睡してしまった。そのあと,私と平岩で、彼の秘蔵の「越の寒梅」を全部飲み干したのを、彼は気がつく事はなかった。・・・・・すまん。


・2001年8月27日(月) すぎ、来鈴!

 この日,突然だがスギが三重県に遊びにくることになっていた。すぎは、とある県にて中学校の教師をしている後輩である。彼女は近鉄を利用し,桑名で友人に会ってから鈴鹿に来るという。彼女に会うことをワタクシもそしてポンちゃんもとても楽しみにしていた。
 こんな日に仕事している場合じゃない!ワタクシは5時半に急いで帰宅した。30分前にスギから電話があり、時間通りならば,今頃着いているはずである。・・・・・・が、しかし、彼女はいなかった。しかししかし、ポンちゃんはなんと!庭にて燻製をしているではないか!何気ない月曜日の夕方、我が家だけが,キャンプ場の匂いが漂っていた。出来た妻である。
 チーズの燻製は5分もあれば完成するが,魚の場合はそうはいかない。前日から風乾し、2日にかけて燻製をする。この日はししゃもの燻製を作っていた。
 おまけに、ダッチオーブンを使ったローストチキンと、スキレットという鉄のフライパンを使ったイサキのキノコグリルも作ってある!なんとアウトドア度の高い女房なんだ!あらためて、惚れ直してしまう。
 しかし、肝心のすぎはというと・・・・初めて乗った近鉄列車の乗り心地の良さのせいだろうか,いきなり爆睡してしまい、駅を4個も乗り過ごしてしまい(津新町まで行ってしまった),軽く40分は予定より遅れてきた。やいやい、初めて乗る列車で寝過ごすかね!
 すぎは、ポンちゃんのアウトドア三昧の料理に満足し,一人がんがんしゃべって楽しい夜は過ぎていった。内容は,教師らしく、16世紀のアジアにおける日本の立場を考える、といった固いものだった・・・・・・・わけはなく、複雑な女心を、特に聞いてもいないのに、自らいろいろ話してくれた。 酒も、バンバン飲んでいた。日本の将来を担う若者の教育はばっちりである!
 翌朝,起床時間は11時だったらしい・・・・・。というか、我が家が広すぎて,起きてもキッチンまでたどり着けなかったんだろう、きっと。だって、教師だもん,6時には起きてラジオ体操をしているはずだよ。ね、すぎ!
 又誰か来鈴しないかしら・・・・

 ・2001年8月18日(土) ノブ&昌ちゃん結婚疲労パーティ

 この日,3月に結婚したノブと昌ちゃんの結婚披露パーティが行われました。
 焼津サッポロビール園。ここがパーティの会場です。集まったメンバーは、北は北海道から南は青森まで,日本各地から総勢50名ほど。全員静大サイクリング部のOB(もしくはその配偶者)という状況でした。祝宴というよりは、同窓会のような雰囲気のなか、宴は始まりました。幹事さんであるハルや、司会の平岩のおかげで,ケーキカットなども行われました。
 さて、今回の驚きは何と言ってもこれ!

 新美さん結婚!(10月) 井下さん結婚!(11月) 長島結婚!(3月)
 小栗さんのカミさん登場! 阿部のカミさん登場!

 さて、今回の悲しみはこれ・・・

 三谷・サノ自己紹介させてもらえず!!

 ちっ、若い女の子もたくさん来ているこの場で,アピールをする場所がないなんて!
きっと,三谷のせいだろうなあ。

 前日まで河原に四連泊していたわたくし。いつも地面にロールマットを敷いて飲み会をやっていた私たち。久しぶりに街に出れると、かなり喜んでここに来ました。
「二次会は何処でやるんだ幹事さん?ちょっとおしゃれなバーに行きたいのですが・・・・・。」
 そんな私の思惑とはまるで異なり,二次会の場所は『河原』。うーん・・・。
しかも、台風接近のため、強風のなか、実施。大きな木の下で,ランタン一つを囲んで,
おまけに風を避ける為に、体にブルーシートを巻きつけて、車座になって飲み会。
これ、周りから見れば,どう考えても、ホームレスの集会だなあ・・・。
ただし、昌ちゃんがとても楽しそうで,それはそれで良かったと、ワタクシ納得したしました。
最後に,のぶ、昌ちゃん、おめでとう。末永くお幸せに。

・2001年8月2日(木)
 先週の日曜日のこと。我が家のポンコツテレビがついにイカレてしまいました。既に14年も使っているし,ここで廃棄にしても、誰も異存はなかろう。んで、隣町の地域で一番安いという評判の「F‐1マート」というお店で新調しました。確かに,ここは安い。全国区の「ヤ〇ダ電機」よりも安い。おまけに、リサイクルの搬送費が500円というのもうれしい。しかし、一つ困ったことがありました。なんということだ!ここは、現金のみ!普段の生活で,一万円札など縁のない我が家。当然のごとくカードのみ持って買い物に出かけてきた夫婦。二人の所持金の合計三万円なり!当然,お目当てのテレビは買えません。
 急いで近くのショッピングセンターに駆け込み,キャッシュディスペンサーにてお金をおろしたのが16時45分。
 ホット一息,抹茶アイスを食べながら,何気なく見た掲示板に書いてあったのは!!

カヌー一式5万円

 その後、無事,テレビを買いました。でも、心の中にはあの掲示板の文字が・・・・。そして翌日,掲示板の連絡先に電話をし、そして今日、カヌー一式,ゲット。やってしまった。また買ってしまった。
 ダウンレバークラブの艇庫は現在、9艇のカヌーが横たわっています。どうなってんの?



・2001年6月29日(金)
 今日は何の日か?そうだ,私の給料日だ。早速ビールをワンケース買ってこよう。6月から衣替え?で、ビールも350mlから500mlになったし。これから暑くなっていく毎日,帰ってまず冷蔵庫を開けて、ぷしゅっ!と一気に飲み干す。
 そうだ、今日はたしか、藤原紀香のドラマ『昔の男』の最終回の日だ。私自身,あまり見たことはないけども,昼間、車の中で流れいるAMラジオを聞いていると,社会現象を引き起こしているようだ。ラジオのリスナーが赤裸らとした自分の「昔の男(女)」の話をしている。たしかに、自分の昔の恋人の話をすることは,普段ない。特に結婚なんぞしていると、しゃべりたくても決して口に出してはいけない。そんな人々はこれを機に、これまでのフラストレーションをぶつけるかの如く、ファックスに書き綴っていた。はっきりいって、自己満足の自慢大会みたいだったけど。今夜はドラマを見ている人が多いんだろうなあ。
 そうだ、今日は,ポンちゃんの引退日だったっけ!三重県に来てからの1年と3ヶ月、ご苦労様でした。


・2001年5月28日

 広島に結婚式に行って来ました。サイクリング部の後輩の式で、彼は福岡出身,彼女は広島出身。
盛大な式でした。披露宴は各地方それぞれの特色があって,いつも新鮮で楽しいです。今回目を
引いたのは,「新婦の母の友人」が5人も6人もいたこと。広島って,母親の友人を呼ぶのかなあ。


 原爆ドーム,そして平和記念公園にいってきました。普段の生活ではまず見ることのない写真を目の当たりにし、久しぶりの社会勉強をしてきました。何気ない平和,当たり前のことだけども,とても素晴らしいことです。
おもわず、核兵器廃絶の署名をしてきました。


そして,広島といえばお好み焼き!なんと、お好み屋だけのビルがあるのだ!
他の地方では,間違いなく共倒れしているだろう。ここの人間はいつもお好み焼きを
普通に食べているのかなあ。
しかし,焼き方は覚えてきた。また今度家で作ろう。