【第1区 日本橋〜鴻巣 7/25〜7/28 村上孝史、山本仁史】

7月25日(金)晴のち雨 村上
 中山道のコース (改正なし)
 途中神田から東京駅へ
 その前にデパートヘ行く(レジャーシートを買う)(逓信総合博物館)
                        (電気通信科学館)
 また神田から歩く、そして交通博物館へ               
 大正大で右折、飛鳥山公園へ    そこで一泊
 電気通信科学館と逓信総合博物館は、中山道に近いため寄った。前者100円後者50円、値段より多くの資料を集める。
 電気通信科学館へ行く途中、変わったおじさんが、山本と話していた。
山本 「中山道を歩くんです。」と、偉そうに言うと、
へんなの「僕は、昔その3倍も歩いたなあ」と自慢しながらバカにした。
山本  「・・・・・!」言うことなし!
 逓信総合博物館では、受付のおばさん連中が話しかけてきた。
 「日本橋から京都まで二人であるくの?」
 「いいえ、リレー式で僕たちは鴻巣までで、野宿しながら歩くのです。」と答えると、
 「なんだ、それなら簡単じゃない。それに野宿しながらなんて汚いわね。」またしてもパカにされ何も言えなくなってしまった。
 交通博物館へは、何度も行ったことがあり、行きたくなかったが、山本がトイレに行きたくてどうしようもないらしく、体に鳥肌が立っていたようなので、150円を払って交通博物館に入る。別に見るところなし。その次は、東大に入る。埼工大の規模の小さいことが一目でわかる。学生の目つきが違う。教授の品の良さも違う。
やはり天下の東大だ。東大の先で、資料を貼るための糊を買う。100円。
・・・「喉が渇いた。」山本がそう言ったのでアルギンZを貰う。「150円もした。」と嘆いていた。
しかし、たった8kmでも博物館巡りのため疲れる。
 飛鳥山公園に着く。そして食堂でカツ丼を食べ早くも9時に寝る仕度をする。すると、周りのベンチはアベックだらけ。山本「ニタッ」
10時に寝る。・‥が、周りで音楽の練習が始まる。サックス・ギター・トランペット、大きな声で歌う始末。処置無し。とうとう睡眠ゼロ。
・・・言うことなし。

   

7月26日(土)晴のち雨 山本

 コース  飛鳥山公園 ⇒ 大正大学前 ⇒ 荒川 ⇒ 浦和 ⇒ 大宮
  (コーース変更、荒川を渡る旧中山道はないので17号を通った。)
  ( 〃 、雨のためオールナイトの映画館大宮オリンピアで宿泊。)
 飛鳥山公園、午前7時出発。朝食、歩きながらパンを食べた。
 睡眠不足のために荒川の土手で休息。日が照って暑いので、橋の下で横になった。しかし、あまり眠れず12時頃荒川を出発した。
 浦和に入ると、どこかのオジサンに話し掛けられた。「どこへ行くの?」とオジサン。「京都へ」と答えたら、「ああ京都へ、じゃああっちじゃないか」と今まで歩いてきた方向を指すのでおかしいなーと思っていたら、中山道を歩いて、日本橋から京都まで行くということが、解っていなかったようでした。
 そして、大宮へ着いた7時頃、吉野家で牛丼を食べていると大雨が降ってきた。
 浦和の運動公園を変更して大宮公園にしたのだが、雨のため映画館へ行き、そこで寝ることになった。映画は、スタートレツタとリトルダーリング。

7月27日(日)雨のち晴のち曇り 村上

 ついに、映画スタートレックの3回目「もううんざりだ」その声と共に二人は、映画館を出る。午前3時30分。しかし、まだ昨日の雨が降り続けていた。その上、ちょっと間の抜けた山本君は、席を前に移勒した時、傘を忘れてしまい、そのまま誰かに持っていかれてしまったため、傘なし人生である。仕方がないので、ポンチョを貸してやった。少し歩くと雨がやんだ。もう少し映画を見てから出れば良かったと思ったが、また雨が降ってきた。今度は、大粒である。もっと先まで歩こうと思ったが、仕方なく大宮公園で雨宿りをすることになった。
 狭い椅子の上で横になったら数十分眠ったらしい。起きると明るくなっていた。が、雨は止んでいなかった。そしてまた歩く。バス停で山本が休みたいと言ったので休む。山本は、前の日の日記を書いていた。その間私は寝ていた。数十分眠れた。雨が止み始めたのでまた歩く。途中で臭そうなパンを臭そうな店で買い臭そうな神社で臭そうに食う。9時に上尾の運動公周(水上公園)に着く。そしてまた眠りにつく。マミーマートで昼を食いゲームセンターでTVゲームをやる。その時初めて山本君のTVゲームの才能を知る。新式のゲームで二人は熱中する。山本は、そのゲームに500円を注ぎ込む。
 帰りがけに、ピンボールマシーンが並でいる所で、山本はリプレーができないかと、すべてのリプレーボタンを押す。当然できない。
 てな訳で非常に疲れました。終わり。夜は、スカイラークで食べるでしょう。
 コース変更なし。地図に書き込んだとおり。
 大宮 ⇒ 大宮公園 ⇒ 運動公園 ⇒ ちょっと散歩 ⇒ 運動公園

7月28日(月)曇り  山本
 コース 上尾(水上公園)⇒ 桶川 ⇒ 北本 ⇒ 鴻巣(変更なし)
上尾運動公園では、飛鳥山公園の時のようなことはなく、ぐっすり眠ることができた
午前8時運動公園を出発、途中上尾で道沿いの自動販売機で天ぶらそばを食べた。
睡眠をよく取ったせいか、体も楽に動きハイペースであっという間に鴻巣に着いた。
時間は午前11時15分。途中の休憩は、朝食(上尾)と桶川でアイスクリーム、北本バス停でスポーツドリンクを飲んだ。

   

第2区 鴻巣〜安中 7/29〜8/1  安野元 立花卓】

7月28日(月)曇り 安野
 
午後3時鴻巣駅で、前班の村上・山本と受け渡し、30分後出発、1時間かからず地図No4を脱出し、地図No5に入り吹上を通過し、そのまま根性で久下橋まで至る。久下橋宿泊の予定であったが、あんまり状態が良くないので近くの小屋にて宿泊、橋には7時30分頃到着し、飯を食いに食堂を捜したが、みんな閉まっていたので飯を断念しパンを買って食った。パンを食ってすぐに9時前には寝ていた。

7月29日(火)小雨後曇り 安野
 
午前2時頃に起こされた。相談の上、30分後に出発。熊谷の八木橋デパート前で、3時半頃休憩。休んでいると、変なおやじが来て、雑誌をくれるといったが断った。そのまま地図No5を午前5時ごろ脱出、地図No6に入る。深谷市内を6時半頃通過、7時半岡部柿沢寮到着
反省点:コースを少し歩き過ぎた感じがする。「時間があまりにも狂った。」

7月30日(水)曇のち  安野
 午後0時寮を出発、地図No7に突入。小山川を渡り2km程いった神社で休憩したところ、先頃から降っていた雨が段々と強くなってきたので雨具の用意をし、そのまま本庄市街地へ午後2時半頃入り、そのまま神流川に到着。到着時刻は午後5時半頃。その途中で、車が水を跳ねるので水がかかり腹が立った。神流川橋の下に荷物を置き新町へ入る。そして新町の中で宿泊地を捜すが、雨が降っていたため気に入った所が見つからない。途中ラジオ用の電池を買い、飯を食う。そこで「カレーラーメン」という奇妙なものを食って腹がおかしくなったと、安野氏は語っていた。
そして結局、神流川橋の下にテントを張って寝ることにした。下が石でいっぱいだったので痛くて眠れなかったと、立花氏は語っていた。
又本日は、雨または曇りだったので、撮影は不可能であった。

7月31日(月)晴れ  安野
朝4時過ぎに起床した。
そして火を焚いて、濡れていた物を乾かそうと努力したが、結局はだめだった。6時ごろ神流川橋を後にした。新町を通過中、群馬県か新町の「歩け歩け会」の会長さんとその奥様と出会った。会長も中山道を歩く計画があるという。後で細かな資料をアドベンチャー愛好会に問い合わせるといっていた。絶対に忘れてはいけない。それと東松山市で、歩け歩け会の全国大会が開催されるそうなので、参加してはどうかといっていた。会長夫妻と別れ、地図では橋がないので鴻巣橋を渡り、群馬の森林公園に行き休息を取る。中仙道に戻り一路高松市内へ向かう。
市内に入って神社で休息をする。そこでTAXIの運転手をしていたという人に会い「君が代橋」を渡るについての注意事項を幾つか教えてもらった。
高松市内のデパートに入り休息を取った。地図No8に入り無事君が代橋通過。
上豊岡の神社に泊まることに決定、午後3時頃到着。地元の小学生が邪魔をして仕方なくテントを張るのをやめ、途中浅間山古墳で、休憩の予定だったが失望し、これもやめた。
アドベンチャーTシャツを着ていたため、ただでさえ目立っているのによけい目立って、人の視線が集中してとても辛かった。近所の小学生が、「歩いているのは学校の宿題か」と言っていた。

8月1日(金)雨のち曇り 安野
朝4時半頃、雨の音で目が覚めた。6時頃、神社に参拝に来ていた近所のおばさんが、お茶に誘ってくれると言うのでついて行った。そちらでお菓子やお茶をご馳走になり、その上お土産まで戴いて帰って来た。帰って来てから、雨に濡れたテントを片付けて、朝食を食って9時15分に神社を出発した。
10時35分に、地図No9に入る。10時50分に、地図No9を終了。その地点に橋が無いので、別の道を通った。11時20分、国鉄安中駅到着。駅を出て、中山道には橋が無いので、R18の久芳橋を渡る。


【第3区 安中〜岩村田 8/2〜8/5  外館幹雄、羽石正二

8月1日(金)曇り時々晴れ  外館
続けて
安中駅で、安野とパンダさんに会う。安野は「帰る」と主張する、それではいけないと論したがダメ、だったら責任を取る覚悟があるのかと脅してみてもダメ。帰る理由もわからにまま荷物を受け取り、旅館へ向かって歩き始めた…。そのとたん軽トラックにはねられそうになる。ウ〜〜〜
安中市内に近付くと、グロリアの人が手を振ってくれた。こちらも振り返す。気持ちがいい。5分とたたないうちに車から、「ガンバレヨ!」と声を掛けてくれた。子供らも手を上げて、ガッツポーズで答える。歩き始めて30分しかたっていないのに、すごい声援だ。正二君は、「恥ずかしい〜…。」と言っている。
 それにしても中山道Tシャツの異力?(字を間違ったのではありません)は、大した効果があった。これは、冷んやりした旅館の部屋の中で書いています。イヒヒヒと意地の悪い外館君。
 アッ、思い出した。高崎で同じ電車に乗った大学生らしい女の子が、安中で俺たちが下りたら(先に僕たちが笑って挨拶をした)笑って挨拶?をしていた。この娘とは席が離れていたので話をしなかったが、超美人ですばらしいプロポーションをしていたなんて、口が裂けても言うもんか!
 メシじゃ〜!おかずは、タラの煮物、鶏の手羽、サラダ、賊と青柳の刺身、お新香、味噌汁にご飯という素晴らしい食事でした。!?羽石君は、メシを3ばい、ボ・ボクは、イッヒッヒッヒ、ナント7はいも食べたのです。日頃、 な物を食っていない反動であろう…。事件は、その食事の後約5秒後に起きた?何と羽石君は旅館で用意してくれた浴衣を、裏返しに着ていたのだ。俺の発見が遅れたため、宿のおばさんに見つかり、「アハハハハ、お客さん、裏返しですよ、浴衣が…」そしてまた笑い。僕も一緒に笑っていた。8時10分頃から、安中の町を  う。羽石君はパチンコをする。僕は、横で観戦する。予想を裏切り、彼は、逆転勝利。彼は快心の笑顔。9時半頃に帰宅、「宇宙戦艦ヤマト」を見ている。ラストシーンで彼の目からはナント涙が一筋、二筋と流れていたなんて、口が裂けたって言うもんか!明後日の山越えを思うと、その涙をその時に取っておいたら…。(羽石君、談:感動するじゃない)
 明日は、8時半に出発の予定。心配なのは天気です。先頃は霧雨が降っていた。明日は晴れなくてもいいから雨だけは降ってほしくない。だって予備のパンツが、一枚しかないんだもん。
 明日からは地獄じゃ〜。そろそろ寝んべ〜。

8月2日(土)曇り  外館
 朝7時20分頃目が覚める。夕べは車の音が煩くて、良く眠れなかった。隣を見ると、羽石君は頭から毛布をかぶって寝ている。トイレに行き顔を洗ってくると、彼はまだ眠っていたが、戸を閉めたときの音で目を覚ます。8時10分頃に朝食、僕は3ばい、正二君は2はい飯を食うが、もっと食いたいような顔をしている。8時40分出発。旅館の人たちと記念写真を撮って、暖かい見送りを受けて出発。   は女子高生が来ると、いやらしい目つきでねちねちと見ている。   は、とても恥ずかしい(田舎の言葉では、しょうしいと言う)。9時36分公園で休憩。彼は一人でブランコに乗り、はしゃいでいる。途中でコインスナックがあったので休憩し、ジュースを飲む。空を見るとどんよりと今にも泣きださんばかりの空模様である。そこを11時45分頃出発する。外では、サイクリングの人がジュースを飲んでいる。僕はここぞとばかりに、100万ボルトの笑顔を作り手を上げる。すると、彼も負けずに200万ボルトの笑顔で答えてくれた。羽石君は、ただ恥ずかしそうにうつむいているのでした………。又歩き昼食とする。場所はお寺。ここのお寺は、かなり年月がたっているようです。とても落ち着いて聞こえてくるのは、蝉の声だけです。近くの店で買ってきたカップヌードルとパンが昼食で、コンロでお湯を沸かして食べていると、意外においしく感じられます。そんなことを考えていると噎せてしまい、鼻からラーメンが出てきた「ゲホ、ゲホ」ウ〜鼻が痛い。しばらくは、ここでお昼寝。ここで一句「静けさや〜ハナに染み入る蝉の声〜」お粗末でした。
 さて歩くぞ〜!ヒェー目の前に碓氷峠が迫ってきた〜。ここまで来るのに、地図通り歩いてきたら山の中を通り、そして獣道を歩き、蝉が飛びかい、バッタが跳ねて、挙句の果ては、蛇までが足元を這っていくという凄じさである。ともあれ、ここまで来た。
 しかし、話が少し変わるが、道すがら良く見る立札に、このようなものがあった『安政遠足』である。僕の推理によると、きっと安政の時代に、日本で初の遠足が行われたコースを記念して、今だにその道が残っているのだろうと思った。しかも、それは旧中山道と大まか同じ道を辿っている。しかし「坂本」に来た時ついに通行止めの立札があり、それ以上は前に行けなくなった。少し離れたところをR18が通っているのに。しかし、こちらの足元は、草がぼうぼう。蜘蛛の巣が終始顔に掛り、その度に、「ウワ〜蜘蛛の巣じゃ〜!」と、そのつど悲鳴を上げて、挙句の果てに逆戻り、「クソー、これが人の通る道か……!」
 二人でブツブツ文句を言いつつ、疲れた足を引きずり歩く。「ああ、しんどいなァ〜」これをサメが言うなら「ああ、えらいなァ〜」と言うだろう。「きっとそうさ!」(これは一人言)パンパカパーン!!
 今日の宿は、近代的な設備がすべて揃った?超豪華版の神社であります。地面は水でグチャグチャ、天然のエアコン、蚊が飛び交い隙があったら力一杯血を吸ってやろうと常に狙っている、なんて口が裂けても言うもんか!もう暗くなってしまった。空き缶で作ったカンテラにロウソクを灯して、(このロウソクは、神社のそばの店に水を貰いに行った時に、貰ったもので買ったものではない。貰えたのは、たぶん中山道Tシャツの力であろう。)これを書いている。飯も食ったし、後は寝るだけ。
 明日は山越え、これからぐっすりと眠って明日に備えよう。みなさん「おやすみ〜!」

8月3日(日)雨時々曇り  外館
 朝7時頃目を覚まし、小便をしてから下の家に行き水を貰う。アクビを連発しながら飯を炊く。夕べ降り出した雨も今は止んでいるが、飯を食い終わった頃からまた降り出した。後片付けをしていると後ろで「ガサガサ」という不気味な音がする。羽石君はまだ寝ている。振り向くとゴミが勝手に動いている。しかし良く見ると、一匹のネズミがいるではないか。飯の残りを投げてやると、素早く逃げて行くが5分と経たぬうちに戻ってきて、飯を食っている。チーズを投げてやったが、匂いをかいだだけで口をつけない。ウォルト・ディズニーのマンガでは、まるでチーズが主食のように見えるのだが…・。きっと日本製のネズミなのだろう。足の裏かどこかにきっとMADE IN JAPANと書いてあるに違いない。
 今日は山越えなので、天気の様子をもう少し見る。羽石君は、電車で行くと言い出した。しかし俺はあくまでも二本の足で山越えをするつもりだが、天気次第である。「ああ、ここで中山道が中断したら、他の奴からいじめられてしまう。」特に、目がつり上がって顔に青筋の立った西沢さんの顔が、頭から離れない。おお恐わ。
 雨の中を、見晴台目指して出発。でも10分位歩いたらドライブインがあったので、そこでトイレタイム。これで少しは体が軽くなったと信じて、またポンチョをかぶって歩き出す。しかしポンチョをかぶっていると、体が蒸れてしょうがない、と言って脱ぐわけにも行かない、とか思っているうちに『旧中山道はこちら』という立札があり、雨に濡れての初めての登山の始まりとなった。
 ここからは、二人それぞれのペースに合わせて、別々に登ることを夕べ打ち合わせたとりに登り始める。羽石君は、一つ目の山を(全部で3つの山がある)30分で登るんじゃと言って、パワーで行く。僕は、武甲山で山岸に散々いじめられているから、自分のペースでゆっくりゆっくり登る。約10分道端にどこかで見覚えのある人が、赤と青の混じった顔で座り込んでいるではないか。(ここからは一人言)『あれは、まさか羽石君ではないだろうなぜなら、彼はこの山を30分で登ると夕べから偉そうに言っていたし、エネルギーを充蓄するため夕べは10時頃から寝て、朝は9時過ぎるまで寝ていたのだから、こんな所にいるはずがない。』と思った。『しかし、見れば見るほど似ている。もしかして、ひょっとしたら、あそこにいるのは……、いや、そんなことはない。』ここで頭の中が混乱してしまう。そして、謎の人物の前で立ち止まり、つらつらと顔を見て驚いた。『そんなバカな……!』僕は声も出せなかった。その僕に手で合図してこう言った、「先に行ってよ……。」もう完全に頭の中はパニック状態に陥り、体は痩れたように、彼の言ったとおり先に向かって歩き出していた……。約30分後、僕は正気に戻った。
 これ以上彼について考えると、気が狂いそうになるので、努めて考えないことにする。
 この道は、人が一人やっと通れるだけしか、幅がない。しかし、本当の中仙道というのは、ここで初めて実感として感じられた。そのことについては、まずここは道が険しく未開発のため辺りは鬱蒼としている。この感じがいい。それと道の脇には石碑とか、お地蔵があったり、茶店の跡が残っていて、昔、ここを歩いた旅人のことを思い浮かべながら、僕もここを歩けた。今まで歩いた道は、アスファルトの固い道でも、ここは木の葉が積もり辺りには家もなく車の音も聞こえない。でも現代の世に毒された僕は、疲れるにしたがって、コーラの自動販売機でもないかと、辺りを半ば本気で見回してしまった。何というか非常に空しい気がする。僕は、休まず歩いて1時まであと10分程の時、待ち合わせの所に着く。いくら待っても、羽石君は来ない。体がすっかり冷えてしまい、寒くなってきた。焚き火をしようと木を集めるが、火が点かないので石油をかける。油がなくなった所で、木がやっと燃え出した。火にあたって暖をとる。しばらくしたら、羽石君が来た。時計を見ると約1時間半遅れてきたわけだが、そのことについては、考えないことにする。しばらく歩くと、見晴台に着いた。茶店で『力もち』を食べていると、どこかのオッサンがあれこれ話しをして別れた。熊野神社で羽石君のカメラが壊れた。修理のため、痛い足を引きずり、軽井沢の町に降りてくる。しかし、修理してもらえずに、今日の宿を駅と決めて、ベンチに座っているが、とても寒いので待合室に避難してこれを書いている。じきに人が減ったらベンチで眠るでしょう。

8月4日(月)雨時々曇り 外館
 朝7時を過ぎた時に、羽石君に「恥ずかしいから起きろよ。」と言われて目を覚ます。辺りを見ると、人がかなりいる。ここで慌てたら、人に笑われてしまう。そこで、わざと余裕を見せて、後片付けをする。朝になっても、夕べの雨が止んでいない。朝食は、幕の内弁当を食べる。値段の割に量が少ない。それから、9時頃駅を出発する。軽井沢の町は、僕にとっては、あまりいい印象を与えない。別に人が多いからとか、天気が悪いせいでもない。ただどうしても好きになれそうにもない気持ちだけが、はっきりとわかる。途中で、何とかの池に寄り道をするが、池というより川の水が少し多く溜まった所という感じだ。そこで一休みしてから後は、追分の向こうの町の神社へ向かって、休まずに黙々と歩く。
 途中で国道からはずれて、裏道に入る時、少し前を歩いていた羽石君は、何を思ったのか真っ直ぐに歩いて行く。始めのうちは、冗談かと思ったが、どんどん行ってしまう。僕は呆気にとられて見ていたが、気を取り直して、彼を呼ぶ、「羽石く〜ん!羽石く〜ん!羽石く〜ん!羽石…羽…・」ああ、行ってしまった。僕は捨てられてしまった?しょうがないので僕は中山道へと進み、彼と別々に歩く。たまに国道が見えると「あっ羽石君だ!」手を振るが気がつかない。一応二人とも地図を持っていて、目的の神社は二人とも知っている。そこできっと会えると信じて歩き続ける。ここは、追分道に沿って茶店があり休みたいが、そこからは目を逸らして歩く。1時に約3分ばかり足りないころに、神社に着く彼の姿は見えないので、昼と夜の食料を買うのと、水を貰いに町へと行く。すべてを手に入れて神社へ帰ったら、羽石君がやって来た。彼は、声を出して泣き出した、なんて口が裂けても言うもんか!
 それから昼食を作り、食べてから6時頃まで昼寝をして、晩飯を7時頃に食べ終わり、それからまたテントの中で寝るつもりだが、日記が残っているので、疲れた体から最後の力を振り絞り、書いている。自分の受け持った区間は、あと7、8kmという所なので、明日はゆっくり寝ていられそうです。

8月5日(火)晴れ 外館
 今朝は、たっぷりと睡眠をとって起きた。テントから頭を出すと、木々の間から久しぶりに青空が見える。何というか、今まで毎日雨に降られていたのに、最終日に限ってこんないい天気になるなんて、何と感動的なのだろうと思いながら、朝食の準備に取りかかる。10時をちょっと過ぎた頃に食べ終わり、また、テントに潜り込んで寝る。しかし、昨日から寝てばかりで、どうしても寝られないので、11時50分から、荷物をまとめて出発する。
 まず、駅に行きトイレに入る。駅には、サイクリングの人が一人いたが、ひどく無愛想で「こんにちは」と言っても、聞こえないような声でモゴモゴ言っていた。すっかりめげてしまって、話をする気にもなれずに駅を出て、岩村田へ向けて歩き出す。途中の小田井宿は、道沿いに昔の家が残っていて、なかなか良い雰囲気が醸し出されていた。国道に合流してからは、車の量もぐっと増えて、景色も悪くなる。こうなったら早く岩村田まで行くしかないと思って歩き、2時ちょっと前には、駅に着き、長い間一緒だった羽石君と別れて一人で宿に行く。これで、与えられた区間はすべて歩き終えた。
 今の気持ちは、半分ほっとして、あと半分ではもっと歩きたいという感じがしてくる。
 振り返って見て、できるだけ予定に従って歩いてみたら、思いのほか楽で、楽しく歩けた。確かに、無理をすれば2日かかるところを、1日で歩けたのはわかる。しかし、のんびりと辺りを眺めながら歩いたお陰で、文字では書けないことをさまざま見て感じることができた。一区間の距離は、ほんとに短かったが、このことはきっと良き思い出として、ずっと残ると信じている。後を続けて行くグループもガンバッテ歩いて下さい!


【第4区 岩村田〜諏訪 8/6〜8/9 駒井信朗、山岸秀行

8月5日(火)  駒井

18時1分、岩村田の駅に到着。先に行っていた山岸が迎えに来ていた。一泊3500円だけあって、おんぼろ旅館であったが、とにかく玄関を潜り部屋に入ると、とっても元気な外館の顔があった。夕食後、旅館の人から聞いた焼き鳥屋「春さん」へ行ったが、「今日はもう終わりだよ!」の一言が帰ってきた。なんと夜の7時ですよ!まるで深谷並!仕方なくピエトロという喫茶店に入る。純喫茶であったが、特別に、水割りを出してくれた。もちろんタダ!小さな店だけどとても良い雰囲気であった。帰り道、缶ビールを買い旅館で乾杯!外館君ゴクロウサン!

8月6日(水)晴れ  駒井
 岩村田――――塩名田――――八幡――――望月――――茂田井――――芦田
(8:10) (9:05〜9:15) (10:00) (11:10〜12:45) (13:45〜13:55) (14:40)
 朝8時10分、旅館を出発。出発前、旅館の人から餞別を貰い(リンゴ、イカ、ヤクルト)記念撮影をした。駅まで外館と一緒に歩いた。駅で見送りのバンザイをしてくれた。
 岩村田から塩田まで、約1時間ほどで到着。途中で数人のサイクリストに出会う。とっても元気そうだったので、小諸あたりから来たのであろう。望月では、昼を食い(うどん、もち)出発。曇り空がいつの間にか青空に代わり、とにかく日差しが強い。
 天来記念館に寄る。もちろん今日は閉館日なんと…!
 普通は、月曜日が閉館日なのにな?
 茂田井の村は、国道から離れているためか、昔の面影が多く残っていた。特に、酒蔵はすてきだ。酒蔵の前には、若山牧水の記念碑があった。芦田の町では、土屋さんという本陣があった。(小生たちが歩いていたら、おじさんが小生たちに、ここの家は昔の本陣だから見せてもらうといいよと、声をかけてくれたのだ!しかし見知らぬ家に突然行き、部屋を見せてくれとも言えず、外から見て通り過ぎた。)今日は神社に寝ることになった。小高い丘にあり、桔梗の花がとても美しく咲いています。ラジオでは、ヤクルト、巨人が1対1で四回裏です。山岸は隣で眠っています。小生は日記を書きながら、今日つぶしたまめの痛さに耐えています。
 明日は4時起きです。目覚ましをセットしておいたので、まず起きるでしょう。
 おやすみなさい  19:45  コマイ  神社にて

8月7日(木)晴れ  駒井
 
4時起床、外はまだ暗い、とにかく朝食の仕度を始める。パンとスープとチーズ、あまり力が湧きそうにもないメニューだ。5時25分出発。松並木が数キロにわたり続く長い上り坂だ。車からクラクションの合図があったので、手を振る。傘取峠をなんとなく越えた。
 6時、「峠の茶店」という茶店があったが、まだ閉まっていた。長久保の町に入る。
 7時、お寺で小休止。お寺の屋根に、葵の紋があった。なんとなく親近感がわく。(五雲山)
 8時5分、下和田に着く。これから昼食を食う予定。(スパゲッティー)
          8:57  コマイ  下和田の神社にて
 12時20分唐沢に到着。あまりの暑さに昼寝を2時間ほど行う。この辺りから、旧中山道とR124と分かれるため、道を探そうと思うがよくわからない。3時から夕食の準備を始める。トンボやチョウチョが飛び交っていた。(イチモンジチョウ、コムラサキ、オオミスジ、ベニシジミ、ウラギン、ヒョウモン、モンシロチョウ、モンキチョウ、ヤマトシジミ、クジャクチョウetcこれは見たチョウチョの種類)夕食後は、まめの治療を行った。なんと小生ばかりでなく、あの登山のスーパーヒーローの山岸君にも出来たのですよ!
 今は、テントの中ですがまだ5時半なのですよ!これを書き上げたとしても、6時には寝られそう!でも川の音と発電所の音がうるさいので、眠れるでしょうか?!
          17:35  コマイ  発電所の横で

8月8日(金)晴れ  駒井
 今日も、昨日と同じく4時に起きる。ガスが濃い。5時20分出発。今日は4区最大の難関、和田峠を登る。5時30分、R142より旧中山道らしき道へ入る。約10分ほど歩くと、行き止まりのため引き返す。R142と有料道路の分岐点を5分ほど過ぎた所から、「歴史の道(旧中山道遊歩道)」へ入る。約5分位登ると、真新しい休憩所のわきに石仏群があった。6時35分、接待に到着。バスは往復で5本しかない。R142を約50m歩きまた歴史の道へはいる。7時35分、東餅屋に到着!
 霧が峰有料道路という、地図にはない道があり驚く。霧が峰有料道路をつっきり、歴史の道を行く。二又に分かれている所で、扉峠と和田峠と書かれた立札があったため、和田峠方面へ向かうと、約1km位で元来た道へ戻ってきたため、有料道路の料金所で道を尋ねると、「和田峠」とは新和田峠であり、私たちの目指す「和田峠」とは、旧和田峠であった。
 扉峠方面と書かれた立札から、約30分ほどで旧和田峠へ到着。諏訪方面は、霧のため見えず、とにかく寒い!歴史の道は、旧和田峠までは和田村の管轄で、道幅も約2m位あり下草もよく刈ってあったが、和田峠を越えて諏訪の管轄に移ると、「歴史の道旧中仙道」と書かれた棒が立っているだけで、道らしい道もない。それでも下り道のため、赤い頭の棒を頼りに下ることができた。西餅屋から落合までは、R142と旧中仙道と所々分かれるが、道が全くわからない!樋橋を40分位過ぎた頃で、何と諏訪からザックを背負った人に会う。名古屋から、途中中仙道を通って、長野県にある自分の家まで帰るそうです。名前は吉田さんという、ある大学の工学部の4年生だそうです。今日は和田村まで行くと言っていたが、あまり健脚といった感じではないので、とても行き着けないでしょう。記念に写真を撮って別れた。(さださんを崩したような顔の人。バミューダにTシャツ、サングラス、白い帽子といったいでたち)ガンバッテクダサイ!
 2時過ぎに落合に到着。今日はこの辺で野宿をする予定であったが、何故か今日は元気がまだ相当有り余っているため、諏訪まで行くことにした。そこでスワコYHに電話をする。もちろん断られたので、やはり落合で野宿することになる。諏訪第8保育園の横で夕食をを食べる。4時半頃、お母さんたちが子どもを迎えに来始めるめる。もちろん私たちは、注目の的になる。5時半頃、保母さんが帰りがけに、車から小生たちに、「何やってんの?」と聞いてきた。もちろん夕食を食い終わったところだが、そうとも言えず「中仙道を歩いているんです。」と答えた。「学生さんでしょ?」「は〜そうですが」その他の会話の後「ガンバッテネ!」の一言を残し、車は走り去った。小生たちは、次に第8保育園の園長さんに会いに行く。もちろん、今夜この保育園にテントを張らせてもらうことを頼むためだ。火を使わないことを条件に、OKを取る。小生の学生証を見せ、小生の住所と電話番号を書いた紙を渡し、園長先生と保母さん一人と記念写真を取り、園長先生は車で、保母さんはバイクで帰っていった。
 とにかく、保育園内にテントを張った後、近くのドライブインで前祝をした。明日はYHに泊まるため、酒が飲めないのだ!明日もやはり、4時に起き諏訪に向かいます。明日も天気になるようだ。
          21:19  コマイ  諏訪第8保育園にて

8月9日(土)晴れ  駒井、山岸
 ついに今日、最終日となる。なんとなく4日間が過ぎてしまったといった感じで、2日目あたりは、足にはまめができ、疲れも溜まっていた感じであったが、今日あたりは、「元気一杯」といった感じ!だいぶ慣れてきたのだろう
 5時50分頃出発!1時間ほどで、下諏訪の町に入る。江戸より五十五里という一里塚があった。約220km位かな?道の左側に温泉マークがあったので、入ろうかと迷っていると、おじさんがこっちの温泉は熱いからこの先にある児湯温泉の方が良いと教えてくれた。児湯温泉は、旧中山道より少し奥まったところにあり、風呂場は、4人も入ればいっぱいになるといった、小さなお風呂屋さんだった。番台のおばさんがおもしろい人で、色々と雑談し、ドーナッツをもらった。おばさんの話によると、諏訪の温泉は、すべて市営とのこと!
 下諏訪神社秋社へ行くと、人はほとんどいない。やはり7時半では早過ぎるのであろうか?8時半、新鶴屋の塩羊羹を買う。2本で900円。下諏訪の名物。
 駅に着いて暇なので、小生一人パチンコ屋に行く。700円投資するが、すべて失敗に終わる。駅に帰ると、長谷川たちが来ていた。近くの食堂で、それぞれ飯を食べた後、みんなで下諏訪の町をほっつき歩いた。下諏訪神社秋社では、旧中山道縦断を祈願して、絵馬を買った。とにかく自分の持ち場を完歩できたことは嬉しい。これから以後の人も、自分の足を信じてガンバッテクダサイ!
      S55.8.9  17:15  スコワYHにて  コマイ
 4日間歩き終えて、荷物の重たさが異常的に重く感じられて、体が引き締められたようだ。初日から足にまめを作り、2本で計6個もでき、自分としても初めての経験で、中山道を歩く前に、高校の時の山岳部OBとして、穂高に行った時に軽いまめを作って、この後遺症も祟った。
 一番きついというところは、別になかったが(自分としては)、和田峠の諏訪側の下山は道がなく、目印の杭が点々と打ってあるだけで、今まで山歩きした中では考えられない所だった。
 感想としては、アスファルトの道というのは、人間の足に害を及ぼし、相当慣れなければまめのひとつや二つは確実にできると断言します。(土の道は良いなと思った。)自分としては、こういう歩きより北アルプス・南アルプス・中央アルプス・八ヶ岳南部・東北の朝日連峰・飯豊連峰などを登るのが好きです。
      山岸秀行


【第5区 諏訪〜木曽福島 8/10〜8/13 長谷川修、小池光広

8月10日(日)晴れ 長谷川
 コースがずいぶん「随分」違っていた。諏訪市内では、人によって言うことが多少違っていたので、ずいぶん迷わされた。でも、だいたいNo16に訂正したようである。坊さんに聞いたんだから多分確かでしょう。
 それから、塩尻峠からのコースが違います。中仙道は、そこを左に曲がります。
 「疲れた」その一言に尽きる。一日にして、さっそくまめができた。明日は「この世の地獄を」見るだろう。塩尻峠はきつかった。本当にきつい。やはり、駒井さんを無理にも連れてくるべきだっただろうか?
 今日は、なかなか日本国民の反応があった。数々の人々が、「どこまで行くか?」と聞いてきた。だから、偉そうに「京都まで」と答えてやった。深く追求してくる人には、「リレーでやっている」と説明してやった。今日は、スターだった。
 西田寿子 さん (神戸大学) 大西宏和 さん (なぞの4回生)が、京都三条大橋に2時に(8/29)来てバンザイ大会に参加してくれるそうだ。     よろしく
彼らの手前、もう失敗は許されない。がんばろう。
今は、洗馬の奈良井川でキャンプしています。夕食は、ククレカレーとご飯、実に質素です。コンロは非常に調子が悪い。  メゲそうよ!

8月11日(月)曇り 長谷川
「疲れた」「足がメチャ痛い」「まめ二つ」今日もなかなかスターだった。
サイクリングの人々とかわす無言のあいさつ。
「ああ、旅は良いなあ」
 店でベプシコーラを飲んだ時、店のおばさんといろいろと会話をした。おばちゃんは、「大変だね、これをあげよう。旅先でお食ベ。」とトマトとなすの漬物をくれた。差し入れ第1号。
 我々は、ある所で中年夫婦にシャターを押してもらった。そして彼らといろいろ会話があって、お菓子とゆで卵と梅の変なものを我々にくれた。差し入れ第2号。
 我々が歩いていたら、突然車が我々の行く手を阻み、「がんばれよ」と一言言い残して去っていった。
 それから、撃中川関所のおばさんともお話をしてきた。
 それから、きれいな女の子が「どこまで行くの?」と声を掛けてくれた。
 今日は、奈良井川宿の川原ででキャンプ、奈良井川宿はいいぞ。
 昔の面影を、そっくり残した町だ。本当に宿場町だという感じ。
 明日は、鳥居峠だ。がんばろう。
     以上 長谷川
P.S
 店のおばさんの話によると、この辺では、コカコーーラの500は無いそうだ。
 1リットルが出てからは、500はもうこないのだそうだ。

8月12日(火)晴れ時々曇り 長谷川
 朝、コンロの調子が悪い。極めて悪い。ついに途中で使用不能となる。
 おかげで米は、不完全の芯あり飯。ゆで卵を3つづつ食う予定が、生卵。それに生ハンバーグ。小池は、泣きそうな顔をしていた。
 本当に大パニック。おかげで、生卵を5個も食べた。
 しかし、それにもめげず、鳥居峠を登る。峠の茶屋がいくつかある予定だったが、すべて峠の茶屋「跡」ばかり。非常につらかった。
 途中、4年かかって、中山道を撮り続けているカメラマンに出会う。いろいろお話してきたが、「歩くだけでは、意味ないよ。他に何かをやりながら旅しなければ、何も威張れない。」などと言っていた。
 鳥居峠を越した後、藪原宿の自転車店で工具を借りて、コンロを修理。コンロは、極めて快調。
 途中のゴンベエ茶屋で、ついに、ついに・‥
 あの夢にまで見たゴヘイ餅を食べた。実に感動的な味だった。
 今日は、宮ノ越の木曽川で休憩。今日は、ここでキャンプの予定。
 お宮のおばちゃんが、親切に水をくれたし、後で漬物もくれるって!梅ジュースも飲んじゃった!
 明日は、いよいよ木曽福島だ。
       長谷川 修  筆
追伸
 今、おみやげ屋のおばちゃんから差し入れがあった。
  ・きゅうりの漬物
  ・鳥のからあげ
  ・みそ汁
 「木曽は、いいぞ〜」
  今日の飯は、最高に豪勢!

8月13日(水)晴れ 長谷川
 朝、おみやげ屋のおばちゃんに見送られて出発。
 なんか足のまめも飼まって、非常に調子がいい。なんとなく軽やかな調子のうちに、木曽福島の駅に青く。
 「やった。グ・・・・・。これで、すべてが終わったんだ。」
 もう少し歩きたい気分。
 小池は、「絶対もう歩きたくない。」と言い切った。
 駅には、鮫島君が待っていた。彼は、1日日程を間違えて早く来たそうだ。
 途中、福島関所に寄ってきた。アドベンチャーの名を残してきた。そこで高知県から来た女の子と知り合い、途中まで一緒に歩いた。
 まあ、なんだかんだで、ついに使命を果たした。
 今日の旅は、つらいこともあったが、全般的に楽しい旅だった。
     記 長谷川
追伸
 最初はゲリをおこしていて心配だったけれど、正露丸をたくさん飲んで、奈良井の駅で糞をしたら、治ってくれたから安心した。疲れたのは、塩尻峠と二日目全部と鳥居峠だった。野宿は、川岸と駅のそばだったので、不自由しませんでした。
 最悪だったのは、コンロが不能になり、シンのある飯と、石井のハンバーグを湯につけないものと、塩でといた生卵を食ったことで、またゲリが復活しないかというよけいな不安を生じたことでした。
 最後の日の前日に、テントで寝ていると、先に寝た長谷川さんが、オレの尻にひざげりを食らわした。いびきは、そんなじゃなかったけれど、寝相が悪い人ですね。
 それから、差し入れや歩いている途中で、自転車やバイクの人とあいさつを交わし合ったことなどで、勇気づけられた。
     記 小池

8月12日 鮫島君の長い長い1日
 朝6時、新築の家を出発。目指すは、木曽福島。
 電車の旅は早い早い、浜松を8時6分発の快速電車、10:00に名古屋、そして12:52分には、木曽福島に着いた。が、ここからがパニックの始まりだった。
 駅を出た。僕ちゃんは、ちょうどいい時間だと自分なりに納得して、ベンチに余裕を持って腰を下ろす。
 30分が経ち、そろそろみんなが来るだろうと思い、目を皿にして周りを見渡す。・・・誰も来ない。何か不吉な感じがし、中山道出発の日から数えてみる。1日足りない。僕ちゃんどうしよう。かすかな期待を抱いて、ユースに「予約してあると思いますが?」。返事はナント「明日ですよ。」この言葉が、僕ちゃんの心臓に突き刺さった。なんと僕ちゃんはバカなんだ。こんなに自分がいやになった時はない。
 なんとかその日は、ユースに泊めてもらった。次の日、みんなに会った時、あの怪物みたいなみんなの顔が、何と優しく見えたことだろう。  疲れた!


【第6区 木曽福島〜恵那  8/14〜8/17 鮫島宏計、石山陽一

8月14日(木)曇りまた雨時々晴れ  鮫島
 AM9:00木曽福島駅を出発。
 11:45分位に雨が降ってきた。上松駅にPM2:00に到者。
 午後は、ハイペースで歩き、須原に予定より1時間早く着いた。ユースを少し間違えたが、まずまずだった。須原の夜、ちょうど盆踊りがあり、二人で出かけた。石山さんは、女を捜し回ったが、ヒットがなかった。ただでもらった酒(木曽の地酒)を3ばい飲み、真っ赤になって酔っ払い、口が軽くなった。「酒を飲むと目が良くなる。」とか、「かわいい女がいた。」などと言い始め、最後にはマンガを読んで、大声で笑い始めた。
 この鮫島君も圧倒された。「木曽まできて酔っ払いやがって、まったくも〜」と書いてる。俺も少し酔っている。ふと窓の外を見ると女の子、もうこんなもの書いていられない。

8月15日(金)晴れまた曇り  鮫島、石山
 8月14日の夜、日記をつけ終えてからパニックが起こった。
 酔っ払っていた石山さんが、ついに吐いてしまった。朝、新聞屋のおばさんが、「駅にプリンがこぼれている。」と石山さんのヘドを見て言った。何と幸せなおばさんだ!
 その日の夜、Tokyo dancing lave machineという人たちが、全身に金粉を塗りつけ、ステージ上で踊っていた。仏像が踊っているようで気味が悪かったが、近くで見ると、飛びつきたいはどきれいな女の人であった。
 そして腰に一本帯のようなものを着けただけで、あとは何も着けてなかった。生のド迫力!
 今日8月15日は、朝雨に降られ出発が遅れてしまった。須原の駅を、7:00頃出発した。前夜の酒がまだ残っていて、頭が痛い。定勝寺に立ち寄ったが、別に見る所はない。まあまあのぺースで、昼に十二兼に着く。昼をここでとる予定だったが、たった一軒の店が「食物衛生日」とかいうもののため休み。
Herbert F Carter
RR5 Box 288
High RIDGE MO 63049 U.S.A.
Mitsubishi yagumo mansion
ApT C−104
54 ya
 やっと国道からはずれて旧中山道を歩けると思ったら、登り道が延々と続くし、それが終わったら今度は下り道が続くのです。どうにか妻籠に到着。16:00ふらふらしているうちに腹が減ってきたので、近くの店に飛び込む。18:30から開くという。
 鮫島君がど一ルを注文。ビールを飲んでいる時、アメリカ人と一緒に日本人が入ってきた。披らは、ワテ等に興味を持ったようで、話しかけてきた。こちらも英語と日本語で対応する。そのアメリカ人は、カーター夫妻といい、セントルイスに住んでいるという。ご主人のハーバート・カーター氏は、マグタネル・ダグラス社に勤務していて、日本に技術伝達のため、派遣されてきたと言っていた。上記されている住所は、アメリカにおけるも
のと、現在日本におけるものとである。披らは、今年11月に帰国するということだった。気楽に話せるうえに、向こうの人が、こちらを理解しようとしているので、下手な英語でも、どうにか通じたようだ。なんだか嬉しくなった。
 鮫鳥君が、「日本人や日本の国をどう思うか」と尋ねたところ、カーター氏は、「日本の人も、日本の国も、私は大好きだ。」との答を返してくれて、鮫鳥君は、嬉しがっているのやら、恥かしがっているのやら・・・
 この時ほど、英会話の必要性を、身にしみて感じたことはなかった。
 また、その店に、「ゆうこちゃん」と呼ばれる、好みの女の人が働いていた。歳は、20歳前後であろうと思われる。スラリとしていて、プロポーションが良い人だ。
 その後は、バスの停留所で寝ることになった。
 その停留所に先客がいた。羽生の清水君という、高校3年生のバイクツーリストだった。
 鮫鳥君は、よく話をしていたが、ワテは眠くてボーッとしていた。日記は明日にしよう。そうしよう。ということで明日になった。

8月16日(土)雨   鮫島
 8:00出発、6:30頓には起きたが、外は雨。ついでに雷が鳴り、歩いていたら死んでいたかも。出発してすぐに、土坂、朝飯も食べてなかったからきつかった。もちろんこの坂は、馬籠峠である。行き交う人たちに「こんにちは」と言うと返事をしてくれる。峠の頂上で、五平餅を食べた。
 11:30馬絵に着いた。
 4:00中津川に到着。この駅は、あまり寝られそうにない。木曽路をぬけたのだが、妻籠・馬籠は、観光地だけあって人が多い。町はきれいだが、あまりいい感じではない。それに比べて、馬籠から落合の間にある石畳の山道は、静かでとても良い所であった。それから、夕方また雷が鳴り、駅が停電したりした。
 話は変わるが、村上のアイスに対抗するものを見つけた。石山さんのジユースを飲む数である。僕の倍は楽勝に飲むのだ。ついにでた「ジュース男」

8月17日(日) 鮫島
 7:00頃中津川を出発した。前夜PM12:00頃、テントを張った付近に住んでいると言う、酔っ払ったオッサンが、どこかのおばさんに絡んで、腕を絡ませて騒いでいた。見ていて「この糞ジジイうるせーぞ、いーかげんにしやがれ」と言ってやりたかったが、しばらく見ていた。
 「このジジイが絡んできたら、金玉けとばしてやろ」と思ってひそかな期待を持っていた。それなのにこのジジイは、その期待をも裏切って、一人で騒ぎまくっていた。そのうちに駅員や警察官がやって来て、連れていかれてしまった。ハイ、メデタシ、メデタシ。
 それでいくら待っても、JJ1達が現れないので、バスに乗ってYHにやって来た。YHでで手続きをすましたら、ヒョコッとJJ1と薄井が出てきた。彼らは、7:00頃に着いていたと言っていた。
 その夜は、このYHで、夏のカーニバルをすると言うので全員出席した。場所は、保古の湖YH空少し離れた恵那山荘で行われた。カーニバルでは、ビール、ジュースの飲み放題、その他のものも食べ放題であった。これで終わります。
 JJ1、薄井 ガンバッテ!!


【第7区 恵那 〜新加納  8/18〜8/21 鈴木伸二、薄井秀秋

作文 1年D組 薄井秀秋
8月18日(月)時のち曇りのち雨後大雨  薄井
 今日は、たいへん疲れました。
 恵那 → 大湫 → 細久手
 AM11:50鮫島君、石山君と恵那駅前で、寂しい別れ。(内心‥鮫・石が7区も歩けばいいのにナ)出発してすぐ約3分、道を間違える。戻ってちゃんとした道へ、そこで鈴木君が、おばさんに道を尋ねる。おばさんと鈴木君と座談会(あやしい仲)薄井君あっけにとられてぼけーっ。おばさんと話しは終わり、15分ほど行くと、地図通り山道へ。と、突然、ヘビさんに遭遇、薄井君驚く。何分か経って、休憩。東海自然道へと途中、中山道の説明があった。喜び写真を撮る。
 歩き始めて、またしても約3分、道を聞違える。5分ロス。地名四ツ谷へと入る。別に怪談はなし。数分歩き一里塚発見、内容は、江戸へ89里、京へ45里、証明江戸へ約90里とする、京へは、その半分の45里。そういうことは、今まで9区中6区が終わると言うことは、2/3が終わったこと。道中プラスして、135里。2/3は、90里。距離的に考えれば、ここで6区と7区の交代だ。誰の陰謀だ?中山道計画委員だ。外館さんだ。長谷川さんだ。掟じゃ〜。
 谷を下り、山道へと、なんと説明によると、この辺は中山道でもたいへんな難所といわれる「13峠」と言うことである。がんばるよ〜、途中、大湫へ着く。今の地名<オオクテ>、鈴木君いわく<オオマキ>別に笑わないよ。大湫宿場町の石碑あり、休憩。そして歩き始めて3分、またしても道を間違える。距離、約1キロより多い。もどって2キロ以上、30分のロスだった。大湫では、おばさんから差し入れ第1号があった、トウモロコシ。
 なんだかんだで細久手に着く。雨、屋根のある所でテントを張る。では、またですね。

8月19日(火)晴のち曇りのち雨のち晴れ  薄井
 10時、細久手出発。朝はラーメンでした。
 郵便局があったので、5円切手を買う。消印は、押してくれなかった。20円でないとだめなのです。なぜならば、郵便の最低料金にならないから。しかたなく、15円投資しました。
 今日もまた、山の中、たすけてくれー。途中コースの変動あり、茶色に入る。ここで高校野球を見ながら、スパゲティーを食べる。ここの女の子がきれいだった。
 目的地伏見へと向かう、この辺が疲れと足の痛さで大変だった。今日の最終地伏見に着く。寝るところはまったくなく。少し少し歩いた。結局、8kmも先の太田こ来た。今思うと、あの足の痛さで、歩くのもいやだったのに、8kmも予定より来た。信じられない。エスバーじゃー、エイトマンだー、先輩だー。風呂有り、2日間の疲れ。薄井君は、3日間風呂に入っていないので、疲れを取るために入る。鈴木君は、頭を洗わないで出た、キタネー。
 飯を食う。唐揚げ定食。結局、今日も夜の8時まで歩く。今日は、木曽川の川原にテントを張る。明日の朝は、雨が降りそうだ、たいへんだろうナー。

8月20日(水)雨のち曇りのち小雨のち雨  薄井
 9時、超きる。やっぱり大雨が降っていた。予想的中100%(前の日のことは、今日書いたのである。)すぐに店に入る。モーニングを頼む。鈴木君は、モーニングを2つも食べた、変態だ。
 11時に店を出た。なんと1時間半ぐらい歩く、1回休みまた歩く。日本ライン沿いで良い所だった。K.Yairiのお店があったので、お昼を食べた。野球を見た。天理×横浜 7回天理1点取る。横浜もうだめかと思った。しかし、7回裏横浜2アウト後、3点やったー。この辺の人は、天理が地元なので、こっちに来る視線が怖かった。結局、愛甲くんがんばって、優勝しろよ!
 この店は、とてもおもしろい店で、K・yaのギターの販売と、喫茶店が一緒になっていて、おまけにステージと録音室があり、ついでに日本ラインが見渡せる。お店の人は、暖かく歓迎してくれた。
 そして鵜沼に来る。ジュースを飲んで、犬がいたので遊ぶ。
 今日の予定はここまで、しかし、力を入れて各務原へと、各務原に来る。なんと国鉄の駅は、ゲームセンターだった。名鉄の駅に来る。ここはなんと、切符売り場にお菓子も売っていた。へんだなー。電車に乗る、犬山遊園まで90円、約5km今来た道沿いを走る。電車のありがたみが、すごく感じられた。犬山YHに着く。なんかしらないけど、ガキが50人くらいいる、子供会だって。うるさいのなんのったら、半端じゃない。
 ここには、外人さんが3人いた。フランスの人だって、薄井君はフランス語がペラペラで、その人たちと話せたらいいなー。
 鈴木君は、今日も風呂に入らなかった。変態だー。

8月21日(木)曇り
目指すゴールまで後8km。
1時間半ほど歩いて、ゴール!
やったー、長い長い道のりをついに完歩。


【第8区 新加納〜鳥居本 8/22〜8/25 高井正博、原浩一

8月22日(金)曇り時々雨

 コース修正、新加納 → 美江寺
 今日朝9時出発、3時間ほどで岐阜に到者。岐阜でどこをどう間違えたのか、町をぬけるのに2時間ほどかかる。そののち1時間後、合渡橋の標識を見つけると同時に雷雨。ここでまた1時間のブランク、川を渡ってから写真を1枚。5時ごろには、計画の目的地に着くが、周りに何もないので、距離を延長する。途中、中山道という焼肉店で、牛丼並300円を食べる。そして、6時に修正後、美江寺に着く。
   カタコッタ  ああ、実感
 今日の感想、我々の様子は、わりかし目立っていたようである。
 美江寺の小学校で1泊しようと思ったので、1時間ほど中山道を歩き、巣南町立中小学校に到着した。だが、泊まれそうにもないので、寺の方に行こうとしたら、その小学校の人間に呼び止められて、「学校のホールに泊まってもいい」という許しをもらえたので、また、中小学校に引き返した。
 そのホールは、広くもなく、狭くもなく、かといって、2人だけだとだだっぴろい感じだった。ここには、約2〜3cmぐらいのゴキブリが住んでいた。なんだかお化けでも出るような気がする。昨日は、ユースで夜中まで話をしていたので、今日はとても疲れた。

8月23日(土)曇り時々雨遅くなって晴れ
 コース修正あり。美江寺より、第3日宿泊予定地<今須>まで。
 朝8:00に小学校を出発する。6:00頓より、旅仕度をしていると、7:00頃小学校の管理人のおばさんが、朝食にと、おにぎりとお茶を持ってきてくれる。二人そろって朝食が無料になったことを喜ぶ。
 9:00頃、 鷲田橋に到着。更に先を急ぐ。
 橋を渡りきった時、昨日会ったらしきおじいさんに再会する。何か言われていたが、訳がわからない。適当に振りきり、再び歩きだす。
 本日宿泊予定の赤坂は、10:30頃に通過する。美濃国分寺跡を通過の際に、どしゃ降りの雨に当たる。近くの神社で、雨宿りの後再び西に向かう。
 垂井の町は、12:00を10分〜20分過ぎた頃に到者。
 一休みを兼ねて、昼食をとっていると、突然の雷雨。その店を出たのが、PM3:00頃、再び雨が強く、近くの書店で立ち読みをする。<5分くらい>
 垂井の町を抜けたあたりから、日が雲の間々に顔を出した。明日の天気に望みをかけて歩いていたので、徳川家康初陣地や、その他の史跡を見落とす。誠に残念。
 PMの5:00近く今須の町に入る。ぐったり疲れたので、今夜の宿を捜しているうちに、妙応禅寺で泊めてくれることを知る。6:00頃、住職の了解を得て、PM7:00より夕食を頂き、PM8:00現在この日記を書いている。
 さあ、明日で予定よりも早く、我々の旅は終わりを告げるゾ!

8月24日(日)晴れ  高井
 本日、最終コースの、今須より鳥居本までを歩くことになった。早朝妙応寺にて禅を組んだ後、AM9:00に出発。途中、長沢で地図が切れているために、距離的感覚が多少おかしくなる。醒井が今日は、地蔵祭りらしく、町の中が随分にぎやかであった。小学校にて、トイレを借りるまでの休憩が、途中一か所のみ。番場の町に着くころには、すでに、AM12:00を過ぎ、原が、空腹と疲れを訴えてくるので、食堂を捜すが見当たらない。この町には無いらしい。しかたなく、町を抜けたところで缶ジュースを飲み、鳥居本まで行くことにする。この間は峠道である。この時ほどバック・パックが重く、歩くことがこんなに苦しいと思ったことはない。番場・鳥居本間では、もう何も考えることができず、ひたすらに歩き続けた。
 番場の町は・PM2:00に抜け切る。峠の中に人家があり、よくこんなところに住んで居られるなぁ〜と思う。地図通りに、神社の角を回ると、目前に琵琶湖が広がる。この時は、すでに下り坂である。鳥居本の町の手前で、一休みする。町の一歩手前にて昼食にした時は、すでに、PM3:00を過ぎて、PM4:00に近かった。
 駅に着いた時、PM4:30頃"終わった"ついに予定よりも、1日早く終わったゾ。バンサイ。
 明日は、この付近の観光地を回ることにしよう。宿は彦根に取れたし、もう何も考えることはない。しみじみと疲れた。

8月25日(月)晴れのち曇り  原
 今日は、7時過ぎに起き、8時に宿の飯を食い、10時に「ひので旅飴」を出た。もうすでに、中山道の区間は完歩したので、今日は、まず彦根城に行った。
 城の中は、結構狭くて暗かった。そこの受付のようなところで、左のスタンプを押した。本当は、鳥居本の駅の判こが貰いたかったのだが、判こが無い駅だったので、押せなかった。
 昼になり、高井さんは北海道の旅行があるので、帰ってしまった。僕は、仕方がないので、琵琶湖の方へ歩いていった。普段でも重い荷物に加えて、テントがのしかかってきたので、ものすごく重く、かといって手で持っていくとなお大変なので、しようがなく重い足を引きずり、琵琶湖まで歩いた。
 そこで、高速艇に乗ろうと思ったが、金がなく、発音湖にある島(名前も忘れて、切符の半券も落としたのでわからない。たぶん?待てよ、近江ニュースに載っているゾ!あった、この島じゃ〜。恐怖の多景島じゃ〜。)まで、2等船のぼろっちいポンポン船の親戚のような船に乗って、約30分。ほんの小さな島だった。なんとそこには、これまた小さな小さな寺がありました。そこに小さな小さな小さな「おみくじ30円」の札があった。それが目について、ついに引いてしまったら、なんと「凶」が出てしまった。頭にきたので、めちゃくちゃに引きちぎり、琵琶湖に捨てた。これは、推理すると多分、おみくじの箱は悪い運勢しか出ず、よって、そのお寺で一緒に売っているお守りを買わせるために、そうしてあるのだと推理した。事実、他にもおみくじを引いた人を一人見かけ、その人は、「ナンジャこの運勢は!」と、嘆いていたところを拝見したので、こう感じた。
 おみくじを引いた後、順路に従って(と言ってもはんの10分くらいである。)右の階段を昇り、小高い所に着いた。いい景色でも見られるのだろうという、甘い考えがいけなかった。そこには、なんと木がうっそうと手を広げていた。こういう訳で、琵琶湖がちらほらと見えただけだった。奥へ進んでいくと、もう終わりという感じであった。
 その島から帰る船で、島を回る時に、なんと寺にたった一人とも思われるおじさんの住職が、ナントナント大きな日の丸の旗を振って、船を見送ってくれた。
 遊覧船の港から、彦根の駅までくる途中、サッポロラーメンの店に入った。そしたら、変なオバサンと中年のオバサンがいた。そのオバサンがペラペラと色々話してきたが、適当に頷いた。中山道のことを話すと、犬山からなら4時間位で来れるでしょうといった。何たる事か!2泊もかかったのに。
 なにしろ今日で終わりだ。疲れた。第9区の西沢さんや柴田君、「京都まであと少し、ガンバッテ下さい。」


【第9区 鳥居本〜三条大橋 8/26〜8/29 西沢正人、柴田好幸

8月26日(火)曇りのち晴れのち雷雨  西沢

 朝7時頃目が覚め、すぐ外を見る。雨は降っていない。「ヨーシ、ヤルゾー」と自分の心に言い聞かせ、柴田を起こした。
 ここは、鳥居本の「四つ目屋旅館」、前日、駅にいる原・柴田とオレでやっと見つけ、飛び込んだ旅館だ。この旅館は、他には誰も泊まっていなかったので、朝メシはなかなかのものだった。(夕食は、遅かったので外で食べた。)
 四つ目屋旅館を9時頃出発し、まず鳥居本駅のそばでフィルムを買った。出発して10分もたたないうちに、ここで早くも、名刺貰うほどの知り合いができてしまった。その人は一見ヤクザ風、ヒゲをはやし、坊主頭。その人は、そのお店の知り合いの人らしく、買ったフィルムがカメラの中に入らない事から、その人との会話が始まった。
 オレが旧中山道の話をすると、えらく感心し、オレはその人がえらく感心してくれたので、写真を柴田と一緒に撮ってやった。そうしたら名刺を出してきたのである。ようするに写真を送ってもらいたいのだロー。でも、オレは「写真を送ります」何て最後まで言わなかった。
 午前中のペースは、予想していたとおり、ものすごいハイペース。最初は、話をしながら歩いていたが、だんだん会話がなくなった。そして、無言の行進が始まる。これも、いつものパターン。これを3時間続けると、普通の人は、バテル。そのとおりオレ達もバテた。でも、距離はグ〜ンと伸びて、今日の宿泊地愛知川橋の下まであと4km、という所へ来ていた。ここまでの道は、国道でなく、いかにも旧中山道という町並みの中を歩いてきたので、まぁ、神経を使うことなく、ユッタリとした気分で歩いた。
 豊郷町で昼食を食べた時、食堂で、あるサラリーマン風の男が、オレ連にまた話しかけてきた。オレは、また旧中山道をリレーで歩いていることを詳しく説明してやった。その男は、納得してくれた。旧中山道のことを、1日に何回も説明することは、大変なことであると、私は痛感した。
 目的地、愛知川まで、2時に着いてしまったが、初日であるので無理をせず、橋の下で野宿することにした。買い出しに行き、テントを張り、食事をすましたのは、6時ころであろう。多少、雨が降ったり止んだりしていたが、橋の下だし、ここまでは、普通の楽しいキャンプという感じであった。
 これからオレ達は、「この世の地獄を見ることになった‥‥。
 食事が終わって、川で体を拭き、寝袋を持ち、テントの中へ入ったのは、7時頃だと思う。ものすごい雨と共に、カミナリの連発。橋の下とは言え、川原、横なぐりの雨で、まずテントの全面がビショビショ、これで、テントの中に何本かの川ができてしまった。まぁこの位なら許せる。許せないのは、「カミナリ」と「川の水」、カミナリは、もうすごいのなんて「ピッカ」と光って、少し経って「ゴロゴロ」ならまだいいが、もう「ピカ、ゴロ」オレと柴田は、水が入ってきたテントの中で、寝袋を抱え「どうか、ここへ落ちないでくれ」と祈った。もし、オレ達が、橋の下でなく、あの広い美しい川原にテントを立てていたら、落ちたかもしれない。それほどひどいカミナリだったのである。
 次に、川の水である.カミナリが少し少なくなった後、大雨の中外へ出て川を見てみると、確かに川の水が増え、それに新しい川が、テントの右側にできているのである。ここで思い出したのが、秩父の時の、荒川本流の増水。オレと柴田は、雨が小降りになったと同時に、荷物・テントの移動を、9時頃おこなった。川原から少し離れた高い所に、今、テントは張っている。とにかく、なんとか生きているという感じである。
 今、PM11:08疲れたのであろう、柴田は、グッスリ眠っている。オレも一服して、寝るつもりだ。
       京都まで あと52km
       やらねばならない あと3日
                         会長より

8月27日(水)曇りのち晴れ  柴田
 今日、朝6時30分に、僕は目が覚めた。覚めたと同時に、昨日の夜の出来事を思い出すとゾ〜っとする気持ちだ。昨日の夜は、本当にすごかった。昨日のことはもう忘れて、今日の予定のコース(22km)を歩こうと思った。愛知川を出発したのは、9時頃だった。太陽は、かんかん照りであった。10分ほど歩いてから、僕はもう疲れてしまった。どうしてかというと、昨日歩いて足に豆が二つもできていて、そのまめが、何とつぶれているではないか。なんとか、5kmほど歩いて休んだ。そこで俺は、思いっきり水を飲んでやった。気持ちよかった。しばらく休んだあと歩いていると、前から自転車に乗った二人の小学生が、こちらに向かってきた。そこまでは良かった。その後小学生が言った言葉は、「おっさん、どこいくんぇ〜」と言ってきた。俺はその言葉に返事はしなかった。俺は、おっさんではない。西沢さんが返事をして、「京都まで」と言った。納得した。
 しばらく歩いて国道に入った。ダンプが通る度に、風で体のバランスを失ってしまう。国道を歩くペースは、非常に早かった.国道に入ってからの中間地点で、食事にした。西沢さんと俺は、ピラフを頼んだ.しばらく、二人ともピラフがくる間、新聞や雑誌を読んでいる。俺が何気なく西沢さんの顔を見ると、顔は正面を向き、目で店で飽いている女の人の方に、いっているではないか。
 1時間ほど休憩した後、変化もなく歩き続けて、5時前に、目的地の野州川に着いた。
 それから、川原にテントを張り、ご飯は外食にした。そして今は、午後9時20分、日記をテントの中で書いています。
 明日は、YHで布団の中で寝られる。うれしいです。
 今は、テントの下は、石だらけです。その上に寝袋を敷いています。
 そろそろ眠たくなったので、寝ることにします。石だらけの上で‥・・・
       京都まで あと30km
            あと 2日
                      柴田好幸様より

8月28日(木)晴のち曇り時々雨  西沢
 野州川橋の下を、8時頃飯を食わずに出発。守山町の中に入ってから、東門院という古い神社と寺を混ぜたような所で、パンを買って食べた。そこで、プールへ行くという、小学生のグループと会話をする。
 小学生「お兄ちゃんどこから来たの? ネ東京、東京から歩いてきたの?」
 会 長「そ、そうだよ」
 俺の心の中に、何か重たいものが伸し掛かる。そう、私は、そこで嘘をついてしまったのです。守山を出て、一路大津へと向かう。守山・大津は、旧中山道の面影を残す所が多い。特に大津は、確か東海道と中仙道が交わる所なので、大津本陣跡など、宿場町を感じさせてくれました。そうそう守山には「左、美濃路、右、中山道」という石碑があった。
 大津では、立木神社という所で休憩した時、もう野宿をしないので、余った米を神社の人に貰ってもらった。突然、「米を貰って下さい」なんて言ったら、神社の人はビックリするかと思ったら、別に気にもせず、反対に神社の人は、その米を待っていたかのように、お酒とお菓子をくれた。俺は反対に、ビックリしてしまった。
 大津の先、一部コース変更があった。国道8号線を、大江町まで歩くつもりだったが、大津から8号線を横断し、そのまま野路町へ入ったのである。前から予想していたとおり、やはり大江町までは、この裏道が東海道と中山道であった。
 大江町で食事をした時、ある青年が、「埼工大ってどこにあるの?」と聞いてきた。俺は、「熊谷の方」と簡単に答えた。するとその青年「俺、国が埼玉なんだよねぇ〜」と言った。俺「ヒャ〜」後でいろいろと推理すると、その青年は、滋賀医大の人であることが大体わかった。
 大津までは、ハイペースで国道を歩いていった。大津に着いた時間が早かったので、大谷まで歩を伸ばし、そこから国道をたまに走るへんてこな電車に乗って、大津コースヘと向かった。大津コースは、大きくてりっぱなコースだけれど、でもちょっと本当のコースより感じが出ない。高校生の団体が、3グループくらい来ているからかもしれない。でも国学院大学3回生の女の子二人と知り合い、いろいろと話をしました。それに三条大橋万歳大会にも、来てくれるかもしれません。そうそう、大津コースヘ長谷川君が来まして、その長谷川君がお得意のペースで、その女の子に話しかけたのです。その女の子、性格はなかなか良い子だと思います。
 みなさん、写真を楽しみに!
 今日は、3時頃から少し雨が降って、いやになったけれど、明日は、降らないで欲しい。
     京都まで あと10km
          三条大橋に来るみんなのためにも歩くゾ後1日。
                                 会長

8月29日(金)雨   柴田
 今日で歩くのも最後です。後もう少しだと自分に言い聞かせながら、出発した。外は、雨です。今日は、大谷という駅から歩くのです。そこから京都まで、あと10km程です。雨の中を、ポンチョを着ながら黙々と歩きました。1時間はど歩いた所に神社があったので、休憩しました。その休んだ所が、背中中山道を歩いている人が皆、ここで休憩したそうです。そこで初めての差し入れがありました。ジュース2本です。うれしかった。30分ほど休んで、また歩き始めました。歩いていると、西沢さんが足が痛いと言い出しました。西沢さんは、休もうとも言わずに歩いたのです。ゆっくりと・‥「さすがだなあ〜」と思います。
 そしていよいよ、終着の京都まであと3km位の所に来ました。その時の時間は、午前11時半位でした。西沢さんと僕は、近くにあった店で昼を食べ、そこで時間を潰しました。それでも時間が余っていたので、美術館を見に行きました。そこでなんとか時間が潰れて、あと3kmをゆっくりと歩き始め、いよいよ三条大橋が見えてきた。仲間の姿も見えてきて、「やった〜。ついに歩いた〜。」と思い、皆にゴールを迎えられました。
     京都まで あとOkm

  みなさん ごくろうさん

 ゴール地点では、途中でナンパしたと思われる女性グループ数名とクラブメンバーが迎え、ゴールを祝しました。その後に近くの民宿に皆で泊まり、祝賀宴会を実施しました。めでたし、めでたし。



 第1区 日本橋〜鴻巣 ( 7/25〜7/28 ) 村上孝史、山本仁史

 第2区 鴻巣 〜安中 ( 7/29〜8/1) 安野元、立花卓

 第3区 安中 〜岩村田 ( 8/2〜8/5) 外館幹雄、羽石正二

 第4区 岩村田〜諏訪 ( 8/6〜8/9 ) 駒井信朗、山岸秀行

 第5区 諏訪 〜木曽福島 ( 8/10〜8/13 ) 長谷川修、小池光広

 第6区 木曽福島〜恵那 ( 8/14〜8/17 ) 鮫島宏計、石山陽一

 第7区 恵那 〜新加納 ( 8/18〜8/21) 鈴木伸二、薄井秀秋

 第8区 新加納〜鳥居本 (8/22〜8/25) 高井正博、原浩一

 第9区 鳥居本〜三条大橋 ( 8/26〜8/29) 西沢正人、柴田好幸

その他の区の写真等がありましたら送ってください。メールをお待ちしております。!

【旧中山道リレー形式による完歩(夏合宿)】
 愛好会としての初年度の夏合宿、再び”歩く”というテーマで、東京日本橋〜京都三条大橋までリレー形式で行った活動です。まだ愛好会として活動していた頃の活動、秩父完歩はこの旧中仙道の予行練習でもありました。そして、本番を迎えます。本来は日本橋から京都まで一チームが全てを歩き通せばよいのですが、全体を9区に分けリレー形式で行うことになりました。それは、活動中の日記にもあったようにギャラリーには楽に見られてしまい、それぞれにジレンマが残ったことでしょう。しかし、遊びざかりの大学生、1ヶ月もの時間をこれに費やしてしまうほど、打ち込めるパワーはなかったし、もちろん、金銭的にも1ヶ月はきつかったのも要因の一つでしょう。又、メンバー全員で歩くには多すぎるし、かといって代表というのもつまらないし、やはりこの形はいたしかたなかったことでしょう。1区間、3日という短い期間ですが、大きな経験をそれぞれ得られたことと思います。

 その時の日記をまとめたものを石山さんが編集しなおしたので載せておきます。今回はその一部、もちろん自分が参加した部分、出発の東京日本橋〜鴻巣間の写真を載せておきますが、もしこれを見た方でその他の区の写真等がありましたら送ってください!。
 
「ただ歩くだけでは・・・・」という指摘もあったようで、確かに何か意味を持たせて実行することで注目度は増したのでしょうが、その無意味な活動だからこそアドベンチャークラブだったと思います。これからも意味がない活動であったとても、とにかく何か始めよう、そしてやり通そう!

 これは、旧中山道に関するさまざまな資料を色々な角度から検討し、その結果から得たルートを基礎として、我々アドベンチャー愛好会が最大の主旨とする「自然にどこまでせまれるか」に則して、おもに江戸時代末期に使われていたといわれている旧中山道日本橋〜京都(三条大橋)間を9つの区間に分け一区を2人のチームとして合計18人がリレーによりすべての道のりを自らの足を使って歩いた、男たちの活動記録です