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| 炭焼き男の放浪記 |
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1月21日 世界の中の小国、日本の法律でいえば平成12年、世界に通用する言い方であれば2000年。
今日はわが歴史において画期的な記念すべき日である。なぜならば窓際の小さな机上から針金を伝わってわが意が世界に伝達されるからだ。しかしそれは僕の勝手な思い込みであって、誰も見てくれなければ今迄と何ら変わらないが!
僕は絵はエッと言うほど不得意だから、文字を主体の日記を付けていきたいと、常々信仰している南アルプスの神々に誓った。
1月27日 早朝はあれほどの好天気だったのに、午後からは雲行きが怪しくなってきた。ちょっと時間が出来たので、このファイルマネージャーとかに挑戦して、この日記を追加しようと思った。初心者にとって、ここまで来るのに三千里、ちょっとやそっとでは・・・安易な気持ちでは出来ない。 従ってHPなるものを駆使している人達は、僕の信仰している神々よりもエラい人々なんだなと、観点を変えた次第。 2月21-28日 中国甘粛省蘭州市近辺、臨兆県、会寧県を訪問。ビザも無くインビテーションのみの入国で、急だった上に、発着は名古屋と言う条件もあり、天津−北京−蘭州とコース的に無駄もおおく、加えて近年希に見る大雪と言う事で交通混乱、滞在延期を余儀なくされ、予算的には普段の三倍もかかってしまった。 要件は甘粛省に希望工程による希望小学校の建設適地の視察である。 この希望小学校と言うのは、中国において経済的困難地区、扶貧地区の指定をされれば、国の内外からほぼ半額の援助を受けて小学校を建設すると言うもの。 この希望地は中国各地にあり、日本からも個人で、企業で、カンパで等々形態は異なるがかなり援助しているようだ。 我信州伊那谷にもそんな例が幾つかある。西安のある峡西省のあたりが多い。 そんな中、経過は省くが、甘粛省から我町に研修に来ている方と懇意になり、貧乏人の我も発憤、我人生の足跡と微弱なる投資が求める人々にとって少しでも貢献と思われるならば、我人生に悔いはなし、意を決した次第。 てな訳で現地とのコンタクトも取れたので訪問したような訳。 外国人が入るには旅行証が必要ないわゆる未解放都市なのだが、県中心部など我町より立派だ。なぜもっと多く解放都市にして外国人も多く自由に入れて、現状を認知、交流を簡単に深められるようにしないのか、ちょっと理解に苦しむ。 しかし目的の現地小学校と周辺住民に接し、その素朴さに曳かれた。 (ここで本日時間切れ、以後また書くつもり。でも読者はいるのかな?) 4月26日 久し振りにここに辿り着いた。と言うのも野暮用に追われてキカイの前に座れなかったからだ。 日が経てば老人の頭は(こう書くと老人全てがそう思われそうだから訂正:僕の頭は)自然にクリアされて、ここにそれこそようやくの思いで辿り着いたのだ。 まあそんな事はどうでも良い。 春ですねー。雪が消え、高山の残雪ばかりとなっても、相変わらず出っぱなしの「なだれ注意報」。気象庁は誰に注意するんでしょうねー。 なんてことを考えながら、裏山の山小屋に出かけて無事なる事を確認する。仕事嫌いの山男ではあるが、今年もまた世話になるぜーと、水場などを点検した。 ・・・上記の続きで言えば、3月27日から4月3日まで再度中国甘粛省蘭州を訪問。小学校の建設契約を結ぶ事が出来た。今夏には上棟の運びとなり、新学期には今にも落ちそうな天井を気にする事無しに、勉強する事が出来るだろう。 できれば当駄文を読み、行動を一緒にしても良いという、物好きな御仁は 現れないだろうかとも思うが、どんなものだろう。 素案では名古屋−西安−トルファン−敦煌−蘭州などを10日以上の行程で回り、予算は20万ほど、決して高くはないと思うが、世知辛い世の中ではチト無理かもしれない。 ・・・さて、この連休、どうしようか。相変わらず飽きもせずに、比較的混雑に巻き込まれない乗鞍高原の水芭蕉でも見に行くか。今年は寒いから牛留めの池周辺にはまだ雪があるだろうな、なんて他愛も無い事を考えている。 6月9日(金)天気雨のち曇り 周囲から「御老体」呼ばわりをされるようになると、人生は終わりだね、マッタク!! 指摘されるまでもなく、自覚症状は至る所に出ているのだから。そのもっとも著しいのが、この作業。前回が4月だったから、2ヶ月もノータッチ。これでは記憶のかけらさえ残っていない状態。 今日は朝からちょっと激しい雨が降って、我が崇拝の対象の神々がおわす南アルプスの峰峰は、当然の事ながら姿をあらわしていない。つかの間の修正追加では、ようやくたどり着いた「ファイルマネージャー」なのに、さて一体何を書こうかと、裏山に小首傾げて出た蕨の如くだ。 僕は今まで、いや今も無線で電話ごっこをしているが、なんと言っても一番楽しいのは、誰でも結構ですから、僕の話し相手になって頂けませんかと言う、CQである。 このインターネット、HP、E-mailいろいろな呼び方に惑わされるが、これとてそれと同類項で、見ず知らずの御仁が声でもかけてくれるのかな、なんて甘い考えも多少あったが、今ではそれがほぼ完全に空想であったと、思い知っている。 どうして苦労して(ここへ来て編集する事が簡単に出来ないから)誰も目など通さない駄文に挑戦しているんだろうかと。思えば若かりし頃の登山を思い出す。どうして俺はこんな重い荷物を背負い、こんな山道にいるのだろうかと。親の言う事を聞いて、少しでも手伝えば喜んでくれるのにと。 山頂に立ったとき、そんな思いは微塵も無く吹き飛び、下山に苦労しても、暫く経てばまた山行を目論む。しかし今のところそれに匹敵する楽しみは、HPには見出せない。 訴える趣旨もなく筆をとっても、やはり駄目だったか、しかしちょっとだけ、編集手段を思い出しただけよかったかな、今日は。 |
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2000年3月8日
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