著者

著者石本の海洋履歴書
(仲良しリンク付き)


1988年
初めて海を漕いだのは網走のイベントだった。同じファルト(リバースチールのトランパー)で参加していた井上幹生君と気が合い、最後尾をずいぶん遅れて漕いでいた。
「みんな何でそんなに急ぐのかな」と二人で漂っていたら、サポートの人たちに迷惑をかけてしまった。ああ、これはやはり個人でのんびりやらなきゃダメだ、と思った。
その後井上君は翌年の日本一周へと突き進み、逆にぼくは川下りに没入していった。

1988
すでに身体はできていた井上君


1990年
『秀岳荘』で出す川下りガイド本のため道内を飛び回っていた頃、ひょんなことから日本一周帰りの井上君と知床を回る機会に恵まれた。
自動車免許もなかったぼくは、シーカヤックはいつも飛び入り便乗。それも日帰りばかりで楽しくなかったのだが、井上君の一言で俄然、海旅への好奇心が噴出してしまったのだった。彼曰く
「海の旅も川下りと一緒ですよ。岸が片方にしかないだけ」

1990
左が井上君、S荘のT海氏、T内氏と


1992年
目からウロコを落としたぼくはさっそく金を稼ぎ、FRPのカヤックを買って、92年の6月に銭函を漕ぎ出した。海までは『WILD-NAVI』の真下さんに運んでもらった。
夏の三ヶ月で一周できると踏んでいたのだが、道東太平洋岸のガス(濃霧)に阻まれ、「通しの旅」というこだわりはあっさり捨ててしまう。
この年は結局、三分の二地点にあたる尾岱沼で断念した。

1992
納沙布岬で観光客に撮ってもらった


1994年
翌年で片付けるべく知床を漕ぎ始めたのはよかったが、いつの間にかあちこちに関わりができ、のんびりしているうちに夏のタイムリミットが来て終了。結局ゴールの銭函に辿り着いたのは翌94年シーズンの終わりかけだった。
94年は雑誌『RISE』からパドリングガイドを出すことが決まって川へ海へと大忙しだった。今ではよく知られることだが、大好きな遊びを収入源にしてしまうと面白くも何ともなくなる。
「領収書下さい」が口癖になったこの年、これは本職にしちゃいかんな、と悟ったのだった。

1994
だんだんこなれてきた。二度目の知床で


1996年
沖縄に通い始めたのは92年だったと思う。北海道一周を試みたおかげで、遅ればせながら南の島々にも気持ちが向きだしてしまった。
最初は西表島にいきなり突撃し、その後は慶良間などに足を広げながら毎年通うことになる。特に写真の96年は『沖縄カヤックセンター』でしばらくツアーの手伝いをしたり、9月には逆に客として参加したりと南の海ざんまいだった。
このツアーにはその後『LAIDBACK』として独立した駒崎さんも来ていた。

1996
慶良間の渡嘉敷島南端にあるシブガキ島


1998年
北海道リレー縦断を決行したこの年、大学の連中と西表島でしばらく暮らした。
いつもお世話になっている『南風見ぱぴよん』のツアーに便乗してパナリ(新城島)へ渡ったりして遊んでいた。
この年は北海道縦断完結後、当面の生活費だけ稼いで西表に舞い戻った。「原稿執筆のため」とうそぶき、年も越して北へ帰ったのは2月になってからだった。

1998
大学ワンゲル部の遠い後輩たちと新城へ


2000年
99年は川取材の日々。翌年は何故かテレビ出演ということになって、なかなか自分の遊びができない。
この間、御無沙汰にしていた沖縄で色々と変化があって、ぱぴよんにいた安本さんは『さこな』の名前で独立し、仲良しの大城さんもカヤックセンターを辞めてしまった。しかし彼も『漕店』の名前で後に独立を果たした。ちなみにぼくたちは三人とも同い年なのである。

2000
北海道横断テレビの終点、納沙布岬を前に


2002年
ぼくの相棒が山口県出身で、2002年の正月は向こうで過ごした。
ついでに、というわけでもないが、広島の久保田さんがやっている『パドルパーク』に潜入して、初詣ツアーに便乗した。
「え? 参拝って、ほんとにカヤックでくぐるの?」…本当でした。

2002
日本三景の一つ宮島をカヤックで通過した


 

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