私が2001年7月まで勤務していた東北育才外国語学校は京都の日本語学校が1998年に設立した私立高校である。5人の日本人教師が教えており、そのうち私を含めた4人が日本語学校からの派遣、1人は現地のコネで採用されている。全て大学や大学院を出て間もない若い教師ばかりなので、生徒達もむしろ友人のような親しみを持って我々に接してくれる。
さて、この学校の生徒は全員が卒業後日本の大学に進学することを前提に入学してくるため日本語は必修科目となっている。我々は「日本語会話」を担当しているが、1クラス50人以上いるため「会話」の授業はかなり厳しい。生徒数が多い分、授業についてはいかに生徒の年齢に適合した話題へ誘導するかが最大のネックと言えるだろう。そのためにも授業中は生徒の目線に立ち、和やかなクラスムードを作るよう常に心がけている。
私たち高校で教える日本語教師にとって「日本語を教える」という仕事以前に生徒達の生活上の指導から始めなければならないことも少なくない。一年生の頃はみな目を輝かせて授業に参加しているのだが、二年生に上がる頃から「反抗期」に入る生徒が目立ってくる。特に新任の日本人の先生が赴任してくると、以前の先生と比較するためか、生徒達が新しい先生になかなかなつかない。あるクラスでは、先生が変わったとたんに授業態度が急変、授業中に私語はもちろん、内職や昼寝、ウォークマンを聞いている者、お菓子を食べ始める者まで出てきた。なるほど、中国にも学級崩壊はあったのだ。その先生は「そのクラスは大嫌いだ」と泣いてばかりいたが、ひょっとすると生徒達も先生の心の中を覗き見ていたのかもしれない。
しかし中国だということで特別に構えることもないだろう。基本的に高校生は日本も中国も同じだということは二年間中国で教えて実感したことである。生徒達の中には日本同様イジメの問題もあれば、恋愛の悩みもある。将来に対する不安からノイローゼになる生徒もいる。ただ、他の生徒や先生にはけして相談できないことでも、外国人の先生にだけは心を開いて相談してくれる生徒も少なくない。
私たちは「日本語」教師であると同時に「日本人」教師である。これから日本と関係を持って行く中国の子供達に、日本人の先生を通して日本に関心を持つきっかけが提供できるなら、日本人教師として何よりの冥利と言えるのではないだろうか。もし何かで行き詰まった時はあまり悩み過ぎず、「状況を楽しむ」くらいの心のゆとりを持った方がいいのかもしれない。