瀋陽ひとり歩き
瀋陽の歴史
 瀋陽は漢代は「候城」、渤海国時代や遼代は「瀋州」と呼ばれ、元代になり、瀋水(渾河)の北側に位置するため「瀋陽」と改められた。17世紀の初めに後金の太祖ヌルハチがツングース系の女真族を統一し、明王朝を破った後、1625年に瀋陽に都を置いた。1644年、清王朝の留都後は「盛都」と呼ばれた。瀋陽市内に残る瀋陽故宮は当時の王朝が置かれた所であり、興隆を極めた当時の様子を垣間見ることができる。
 日露戦争で日本が中国東北地方における主導的地位を獲得すると、本格的な都市開発が進められた。1932年満洲国建国後は都市名を「奉天」と改め、この地に遼寧省の省政府が置かれた。日中戦争の契機となった「柳条湖事件」勃発の地としても有名。
 奉天駅や大和ホテル、そして東北育才中学のある千代田小学校など、市内には満洲国時代の建築物が数多く残っている。
新中国成立後も豊富な地下資源をもとに発展を続け、中国東北部における経済、政治、交通の中心としての重要な地位を占めている。

瀋陽の地理
 北緯42度、東経123度。中国の東北地方に位置する。緯度は北海道の函館とほぼ同じ。面積は12900平方km2(左の中国東北地方地図を参照)。
 東北三省(遼寧、吉林、黒龍江)には主な都市として瀋陽、大連、長春、ハルピン等あるが、瀋陽はその内でも最大の都市であり、政治・経済・交通の中心的位置を占める。また、瀋陽は中国有数の工業都市でもあり、「鉄西地区」と呼ばれる広大な工業地帯には大中型国有企業が集中している。
 瀋陽市の人口は季節労働者などの流入人口を含めると700万人を超えるといわれ、人口第1位の上海、2位の北京、3位の天津に次ぐ中国第4の大都市である。
 瀋陽市は漢族を中心に29の民族が住む多民族都市である。少数民族の中にはツングース系の満州族をはじめ、回族、朝鮮族、シボ族、モンゴル族など、人口数万から数十万人を数えるものもある。


早朝の中山公園
 中国人の朝はとても早い。朝5時にもなれば、公園のあちこちに、ラジオ体操をする人々、バドミントンをする人々、踊りや歌のグループ、手話のグループ、太極拳や中国の剣術の練習をするグループetc…が続々と現れ、広い園内は老若男女おびただしい数の中国人で一杯になる。手ぶらでいっても退屈しない。
* 旧称千代田公園。東北育才中学校の南隣。入園料は1元だが、午前6時までに入園すればチェックがない。

夜の中山広場
 毛沢東主席の銅像で有名なこの広場は、夜になると大変な賑わいを見せる。
 広場の周りに取り付けられたスピーカーから軽やかな音楽が流れ、音楽に合わせて老人達のグループは「健康ダンス」を踊っている。バドミントンをする人、円になって「蹴羽根(中国式蹴鞠)」で遊ぶ若者たち、地面に水を使って書道をする風流人、極めつけは、像の周りでは、英語や日本語会話の練習をするサークルなどがあり、あちこちで自由な時間を満喫している。
 日本人だということが分かるとたちまち好奇心旺盛な中国人達に取り囲まれ、しばらく家に帰れなくなってしまう。


五愛市場
 五愛市場は中国有数の規模を誇る総合市場。実際、市場に一歩足を踏み入れれば、まずその規模と人の多さに圧倒されてしまう。
 衣類以外にも生活用品、文具、雑貨、インテリアなど、日用品ならば何でもあるが、実際に星の数ほどある品物の中から安くて良い物を探しだすまでには、相当の忍耐力とバイタリティーを要する。
 なお、夜、太原街あたりで露店を出している下崗者(一時解雇された労働者)達はここで品物を仕入れて売っているらしい。その他、ロシアから買い付けにきた商人達の姿もここではよく見られる。
* 朝は4時ごろから開いているが、午後2時にはほとんどの店が閉まってしまう。
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