空と文字(SEA)


MARCH物語

ヨットMACHの誕生から現在までの足跡




MARCHは居酒屋からはじまった。

MARCHはひょんなことから生まれました。
1984年の事でした。スキー仲間だった、とよさんと、しっちゃんが居酒屋で一杯やっていた時、どういうわけかヨットの話題となりました。
しっちゃんの父親は、以前からヨット持っていて、しっちゃんも父親のヨットに乗せてもらう事はありましたが、自分一人でヨットを操船する事は、出来ませんでしたし、ましてや自分でヨットを持つことなどその時まで考えもしていませんでした。
しかし、酒に酔った勢いで、その時二人は50万円づつ出し合って、中古のクルーザーを買うことと、小型船舶免許を取ることを約束してしまいました。

免許をとるならいっそのこと1級免許を取ろうということになり、二人して大阪南港にある日本船舶職員養成学校に通いました。
夜間と土日の講習を約2ヶ月ほど受講し、翌年2月免許取得しましたが、この時の講習中に、アニキ(川田)と知り会ったのです。

アニキはその時すでに、26ftのクルーザーの共同オーナーで、船は堺の出島港に係留していました。
アニキの勧めもあり、出島OPで売り出されていた、BW24を100万円で購入し、出島で係留してもらうこととなりました。

MARCHは麻亜千

初めて自分で持ったクルーザーに、どんな名前をつけようか、いろいろ考えましたが、とよさんの発案で、オーナー二人の娘の名前、麻由、亜弥、千紗の頭文字をとって、麻亜千(まあち)とすることに決定しました。いまでは英語のMARCHを艇名として使っていますが、当初は漢字の麻亜千を船首に書いていました。

亜千の名前の由来の3人娘。右から麻由、亜弥、千




MARCH-1世(BW24



初代MARCHのBlueWater24は、武市設計のクルーザーで、当時でも建造後10年以上経っていたが、がっちりした若干重目の船体で、中強風では良く走る船でした。
この船で大阪湾に繰出し、いろんな所へ行きました。
何をするにも初めてのことで、とんでもない失敗もたくさんやらかしましたが、どれもこれも皆新鮮で、楽しい思い出を作ってくれました。。
今では何でもないことですが、出島から淡輪まで、自分たち2人の力だけで行けた時は、すごく長い距離を航海してきたように、感激したのを覚えています。

クルージングだけでなく、出島のクラブレースにもこの船で参加しました。



MARCH-2世




MARCH-1世の支援船として、ヤマハの24フィートのモーターボート Fー24を買った。そしてその船にも麻亜千と名付けて2世とした。
この船では大阪湾を中心に友ケ島、沼島、明石等に船釣りに出掛けたり、大阪港から安治川を逆のぼって、中之島公園のバラ園に、コーヒーを飲みにいったりした。


中之島でのスナップ


モーターボートは、目的地へ行くための交通手段としては、速くて便利であり、一時期はこの船ばかり乗っていた。
しかしモーターボートの走行中は、振動と、騒音で、とてもクルージングを楽しむと言うことは不可能で、燃料代や消耗品の費用のかさみ、またヨットのような荒天での信頼性にも自信がもてなかったため、次第に乗船する機会も減ってきた。
最終的には沼島で係留中に、ちょっとした不注意から浸水し、沈没する事故があったことを機に売却してしまい、短命に終わった。
結局、ヨットとモーターボートを、同時に所有することは、いろんな意味で無理だとよくわかった。






MARCHー3世



麻亜千1世は確かに丈夫で良い船であり、満足していたが、なにぶん微風で鈍足で、クラブレースではいつも、ごぼう抜きにされる状況で、フラストレーションを感じるようになってきて、速く走れる船が欲しくなってきた。
ちょうどその頃、ヨットの大先輩が、Farrー920を購入されたことに刺激され、どうしても同じ型の船が欲しくなり、色々と中古艇を探し、最終的には九州まで出掛けて、同型の中古艇を購入し、MARCH−3と命名した。


ハルの塗装を新しくしたMARCHー3世


このFarrデザインの船は、カスタムマリーンで建造され、建造当時は関西地区を中心に、ハーフトンレースを荒らし回った快速艇である。
しかしながら、この艇を購入当時の我々の操船技術は、相当お粗末なもので、トールリグに改造されたこのジャジャ馬の艇を、コントロールするのに随分苦労した。 もちろん技術のある人が操船すれば、レースでそれなりの結果も出るようになってきた。

この艇でレースに出るには、最低5ー6人の乗員は必要となり、それを契機に、」次第に仲間が増えていき、現在のMARCHファミリーの基礎が出来あがってきた。

この艇ではいろんなエピソードがあるが、レースにクルージングにと、本当に数々の思い出を作ってくれた艇である。最終的には広島の人に売却したが、自分たちの手で広島まで回航出来たし、最後まで我々を楽しませてくれた艇である。




MARCH 4世



MARCHー3世用のテンダーボートとして、6人乗りの船外機付きのゴムボートを購入したが、日本の法律では、こんなに小さなゴムボートでも船検の対象となり、定係港の指定から、船名まで付けなければいけないので、便宜上、麻亜千として登録したので、MARCH−4世とした。
このボートでも、色々な思い出があるがその話は”海その愛”のページ載せる予定です。
このMARCH4世は、現在でもクルージングの時の足船として活躍している。


MARCH−3世に曳航されているゴムボートがMARCHー4世です。






MARCH-5世



人間の欲求は限りがないのか、MARCH−3に満足しつつも、どうしても、もうひとまわり大きな艇が欲しくなっていた頃、旧WILL(その時にはCHAMPOSA)と改名していた)が売りに出されていることを知り、色々なツテをたどって、幸いにも安価で手に入れることができた。

この艇はブルース ファアー設計で、ヤマハが初めて作った本格的ワントンレーサーであり、その建造には、ファー設計事務所から技術者が来日し、直接指導したかいもあって、船体にはケブー繊維やビニルエステル樹脂という、当時としては最高級の材料を使用し、パルピットやスタンション、大型ブロック等は、すべてチタンを使い軽量化を計っていた。

しかし、それ以後に建造された先鋭のIOR艇のように、軽量化を計るために、耐久性を無視して、ハニカム構造物を使用するといった、極端な工法はとっておらず、おかげで、今現在でも非常に強固で、まったく衰えをみせていない。。

また旧オーナーが、いろいろと手を掛けていて、セールも新旧あわせて30枚以上もあるという、 我々にはもったいない様なであった。

しかし、先鋭レーサー艇の宿命で、居住性はまったく無視されており、バウハッチもなく、トイレもむき出しのポータブルで用を足すといった具合であった。

そこで我々は旧オーナーには誠に申し分けなかったが、この艇を長期クルージングも出来るよう、いろいろな改造(改悪?)を施していった。

まずバウハッチを取付けて、通気を良くし、トイレも一般のスルハル式にかえた。 また取り外されていた底板や、パイプバースを取付けたりして、居住性をアップさせた。 現在ではカセットステレオをはじめ、各種調理器具や冷蔵庫まで装備してあり、かつての先鋭レーサーの面影はなくなっている。

そうはいっても、やはり天才ブルース ファーの設計の船だけあって、つぼにはまれば、相当の走りをする。
最新のIMSレーサーにはかなわぬものの、クラブレースではそこそこ前を走れる潜在能力はある。

この船で、いろいろな所へクルーシングにでかけたが、相当の荒天でも、安心出来る走りをするので、長距離の帆走も可能となり、四国周回や、鹿児島への回航などを楽しむことが出来た。最近では、セール大阪の鹿児島ー大阪のレグに参加し、3日3晩の40ノットを越える荒天にも耐えて、無事ゴールすることができた。






MARCH-6世
1999年なって夏のクルージングが終わり、すべてが何となく一段落した時に、またぞろ「新しい船に乗り換えたい病」が発病した。そして8月の末、はるばる岩国まで、44フィートのレーサー艇を見に出かけ、そのキャビンの広さに一目惚れ、どうしても手に入れたくなった。帆走性能より、広いキャビンで鍋料理を食べたいというのが、偽らざる本心だった。それからというもの、単一思考の艇長は、約2ヶ月の間、この船を手に入れる為に、奔走し、MARCHファミリーのメンバーに、大いに迷惑をかけながら、10月17日ついに MARCH−6世としてデビューすることとなりました。

何分、単純頭脳の艇長がただ単に鍋料理が食べたい為に買った艇ですから、今後どうなるかは、良くわかりませんが、また素晴らしい思いで作りが出来る、そんな船にして行きたいと願っています。


概観は紺色のハルでスマートだが実はでっかい。


デッキの広さに圧倒される単純頭脳。


森ちゃんも小さく見えます。デッキ上にあるのはスペアマスト。


きれいなキャビンには高級な計器盤もあります。

帆走中の写真はまだ一枚もありません。請うご期待。

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