04.7.3
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| ふるさと川公園遊園地 | ふるさと川可児川河畔 |
公園を過ぎるとすぐ子守大橋ですから、ここで右折し橋を渡ります。 広見1、広見5の信号を越え、次の信号で左折します。やがて短い登りになり、登りきったところで右に入ればすぐ
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| 子守大橋 | 熊野古墳 |
熊野古墳は広見・羽崎古墳群50基ほどの中で最も西側に位置するものである。墳丘は殆ど流出しており、 形状は不明であるが、大型の円墳であろうと考えられている。元の道に戻って少しゆけば、平成記念公園ですが、その手前で左折します。少し先左手に
本古墳の埋葬主体部は横穴式石室で奥の部屋・玄室は長さ4m、巾1.8m、通路・羨道部は長さ4.3m、巾1.4mである。 玄室の天井は巨大な1枚の割石で築かれており、岐阜県下でも有数の巨石を用いていて、巨石墳の仲間にはいる。 巨石墳の盛行して時期が7世紀であることから、この古墳も同時代の築造と考えられる。案内標識より
廣見神社の由来
廣見神社は広見・石井の産土神である、広見の村木神社、雷鳴神社、諏訪神社、津島神社、星宮神社、神明神社と 石井の神明神社が合祀し設立された。ここはもともと雷鳴神社、村木神社が祀られていた場所である。
合祀された7社も明治以来何度となく合祀が繰り返されており、判明しているだけでも20数社にのぼっている。 従って、祭神も天照大神をはじめ多数祀られている。案内標識より
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| 廣見神社 | |
もう少し行くと
身隠山古墳群は2基の円墳からなり、それぞれ古墳上に祀られていた神社の名身隠山御嶽古墳、身隠山白山古墳と呼ばれている。 この身隠山の丘陵上には他にいくつかにの古墳があったというが、今はその影も見当たらない。
身隠山御嶽古墳
丘陵の北端に位置し、貯水槽の建設で地形が変わっているが、直径36m、高さ4.5mの2段築成の円墳とみられる。
身隠山白山古墳
南側に位置し、直径42m、高さ4.5mの2段築成の円墳とみられる。案内標識より
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| 身隠山白山古墳 | 身隠山御嶽古墳 |
また歴史ゾーンには6個の歌碑がありました。
山たかく海またひろし春心 松音舎美東
象なきかなしみわけり石くれのひとつひとつにかげある夕べ 秋山千枝
松風を引いてや藤の花たかし 原十郎兵衛良節
元日や酒をくらゐのほうあかし 岡田将監善政
ふりすすぐ水に音ある鈴菜かな 千村八郎兵衛重徳
島はるか霞みて伊勢の海青し 金子正道
歴史と文化の森を出て、可児川の支流瀬田川を越え、名鉄広見線の踏切を渡って、歩行者用の橋で可児川を越え、 中恵土(なかえど)公民館の右側を過ぎ、県道122号の少し手前で斜め左に入り県道に出て左折すぐ右折すればすぐ
前方後円墳で全長81m、後円部直径46m、高8.3m、前方部幅32m、高5.9mである。
墳丘の周りには幅25m程度の堀が巡っていたようであり、後円部南東方向に幅5m前後の外堤の一部が保存されている。
墳丘は2段築成でほぼ原形を保ち、東濃地方では最大級であり、南西に位置する西寺山古墳、西方の野中古墳とともに、 前波の三ツ塚と呼ばれ古墳時代前期、4世紀末から5世紀初め頃の築造と考えられる。
国・県・市指定史跡となっている。案内標識より
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| 長塚古墳 | 川合次郎兵衛1号墳 |
長塚古墳の手前で左折、すぐ右折、すぐ左折して進めば、右手に子守会館、その向こうに
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| 子守神社 | 子守神社子授石 |
子守神社の境内には子授石なるものが鎮座してました、今更関係ないとは思いましたが、一応拝んできました。
神社に入る手前可児高校グランドの角を周り、突き当たって左折、主要地方道64号に出て右折、
中恵土の信号を渡ってから左折、右手に下の道に下りる階段がありますから、そこから下に見える道に入ります。
やがて火の見やぐらがあって、その向こうに川合区自衛消防体車庫がありますから、そこで左折した先に
次郎兵衛塚1号墳は7世紀初めに築かれたものと考えられます。1辺29.5mのほぼ正方形に造られており、 岐阜県下最大級の方墳です。この古墳には3つの部屋があり、平坦なところにもこぶし大の石が敷かれていました。 すべて川原石で葺かれた墳丘は2段に築かれており、復元を終えてみると、古墳の頂上以外で目にするものは石ばかりです。資料館の前で右折、押しボタン式信号を越え先、右手に青木神社、左手にゴールの
主室は全長15.5mあり、西副室は7.4m、東副室は1.7mで、副室は後で増築されたことが分かりました。 主室は玄室とそこえの通路(羨道・前庭部)に分かれています。更に玄室は2部屋に分かれています。 このような構造を「複室構造」といいますが、本墳のような川原石積の石室に沢山採用されています。 この構造は可児市から一宮市にかけての木曽川中流域に数多く見受けられます。案内パンフレットより
名鉄資料館は10年前、名鉄創業100周年に開館しました。
名鉄の創業は明治27年の愛知馬車鉄道の設立に遡り、明治31年には国内2番目の電気鉄道として笹島〜県庁前間の 営業を開始いたしました。その後合併、統合が進み、この地方の鉄道施設の基盤強化に力を注いでまいりました。 更に、昭和30年代半ば頃からは、パノラマカーの投入をはじめ、新線の建設、名古屋市地下鉄との相互直通運転を行うなど、 輸送力の増強とサービスの向上に努め、飛躍的な進展を遂げ、今日では鉄道・バス事業を通して、 この地方の交通の重要な担い手として大きな役割を果たしています。
この資料館では、こうした幾多の混乱期を乗り越え今日に至るまでの、名鉄の歴史を物語る数々の貴重な資料を保存展示しています。案内パンフレットより
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| 川合考古資料館 | 名鉄資料館 |
ゴールから今渡駅まではハイクングバスです。
案内標識より