はじめまして。ひらです。
筆者は、いつかヨットを持ちたいと思っています。
このページでは、自己紹介を兼ねて、「ヨットオーナーへの道」を記録しています。ヨットに関係しない話題もたまに混じったりしますが……。
一番下はこちら。よろしければお付き合い下さいませ。


航海日誌ホームへ ヨットオーナーの道 1st Year<< 最終レポート<

2000 年 9 月 17 日SAYONARA
全てのことには終わりが来る。
この連載にも、ついに終了の時が来た。
ご報告します。
9 月 17 日を持って、艇は無事、土浦の京成マリーナへ移動しました。
輸送の顛末は、せっかくなのでレポートにまとめて、近々掲載したいと思います。それまで、H.P. の更新はしばしお休みの予定。

いや、それにしても長かった。
艇の購入から輸送まで、ほぼ一ヶ月半かけたわけだが、その間に知らないことを一つ一つつぶしながら、なんとか輸送までこぎつけた。人類にとっては小さな一歩だが、我々にとっては巨大な一歩でありました。股が裂けるかと思ったくらい。

洋上には台風 17 号がうろついている。丁度回航予定だった銚子沖を通過していくようだ。
結果的には、陸送で正解だったと思う。回航するなら、やはり 9 〜 10 月は避けるべきなのだろう。
陸送費用としては、業者さんが思ったより安く運んでくれたこと、船台が改造無しで京成マリーナでもつかえたこと、などがあって、予定よりも大分安く上がりそう。
反面、DIY でやろうと思っていたマスト倒しにクレーンを使ったりして、多少予期しなかった出費も発生している。トータルでどうなったかは、まだなんとも言えないところがある。これも、レポートにてご報告予定です。

さて(と、改まって)、ここから「ヨットオーナーの道」が始まる。月並みですが、終わりというものはたいていの場合は、何かの始まりなのだ。
これからヨットオーナーになられる方、および、我々自身の道が安からんことを祈りつつ、まずはこれにて、いったんお別れとしたいと思います。
ご愛読、どうもありがとうございました。
最終レポート トップへ

2000 年 9 月 13 日エンジン音が止まる。風の音がする
志賀ヨットクラブ」のホームページを見ていて、「一日体験試乗」のコーナーを見つけた。実際にはじめてヨットに乗った方の書いた記事が載っていた。
気になって読んでいたら、機走で出て、エンジンを止めた瞬間がとても印象に残ったらしいことが書いてある。
そういえば、Jo 嬢も初めて乗った後、そんなことを言っていた。くらごんさんも同意していたように覚えている。

確かに、船底のエンジン音がふっと消えた瞬間、セールが風を掴んで船体が加速を始めようとする瞬間、とても不思議な感じにとらわれることがある。
無理に表現しようとすれば、
「あれ? どうして帆走っているんだろう?」
という感じかも知れない。少し心躍る感じでもある。なんだか、とても魅力的な感じなのだ。

そういえば、はじめて乗った時に、「あ、ヨットって本当に帆とロープだけで帆走るんだ……」ということに心から納得がいって、びっくりした覚えがある。どうやら、それまで私の中のどこかが、そんな単純な事にも納得しかねていたようなのだ。
ヨットは、人間が推進するでもなく、エンジンやモーターが推進するでもない、数少ない乗り物の一つである。
風だけが船を帆走らせる。
そんな単純なことが、どうにも好きである。
我ながら、風の病気だと思う。

追伸:
ただ、体験試乗記中にあった「ヨットは男の世界……」には、どうも同意しかねます。なんだか、それでは女性セーラーの立つ瀬が無いではありませんか (^_^;;
次へ トップへ

2000 年 9 月 10 日カウントダウン−三浦半島よさらば?
生活上手9 月 10 日は、艇を出さない予定だったのだが、Jo 嬢を三崎口駅まで送っていった帰りに、富士山が見えているのを発見、大急ぎで艇を出した。
結果は、すでに雲に隠れていて富士山は見えず、ただ、伊豆半島の陸地が青く見えているだけでした。
ただ、視界がこれほど晴れたのははじめてで、青い空、穏やかな海と相まって、絶好のセーリング日和。
用事がなければ、このままセーリングしていくのに……。
まるで、ここの海域に「またいつか来いよ」と言われているような気がする。

上架後、艇を片付け、翌週マストを倒すためのクレーンの利用を申し込んでから、土浦の京成マリーナへ。
契約書に艇名を書く欄があったため、艇名はその場で「ちはや」に正式決定。
ばたばたの決定になってしまったが、結構良い名前に落ち着いたのではないか、と思っている。

さて、ここで一度三浦半島での総決算をしておこうと思ったのだが、A 氏に止められた。どうせ、最後に公開すればよいではないか、と言う。確かに、少し時期尚早だったかと思い、少し待つことにした。
ここにちらっと出ていたのですが、見た人は忘れて下さい。最後に改めて公開したいと思っています。

追伸:
前の晩は、「飛天」グループの人たちにお誘いいただいて、シーボニアマリーナ付属のリゾートマンションの一室で飲み会になった(最近、ずいぶん値崩れしたとのことで、メンバーの一人が購入して持っておられるのです)。
小網代フリートには、有名な方がごろごろしているらしく、いろいろなお話が聞けて面白かったが、中でも印象に残ったのが、「新飛天」のリストアの話だ。
なんでも、オーナーの一人である O 氏は内装が気に入って購入に OK を出したのに、軽量化のために K 氏が全部剥いでしまったそうだ。リストア後、再装着の予定。現在、「新飛天」は、内装の無い風呂桶状態になっているらしい。あらら。
それにしても「飛天」グループは、いろいろと議論しながらリストアをすすめている。
面白そうな話なので、ぜひぜひ、ホームページで公開してほしいものです。
次へ トップへ

2000 年 9 月 9 日カウントダウン−追伸
帆走中、ポートタックの方がスターボードタックよりも快適なのを発見。
何かと思ったら、ポートタックの際に、太陽がちょうどセールの影に入っていたんですね。
風の吹き抜ける心地の良い日陰で、ビールにて乾杯。
月並みなのですが、大変良かったのは事実なのです。
私のようなひねくれものには、ちょっと悔しい。
次へ トップへ

2000 年 9 月 9 日カウントダウン−乗り納め
今日は、三浦半島での「飛天」の乗り納め。
再び、浜名湖からのゲストを迎えて(くらごんさん、neko さんのご両所)の出航となった。
今日の目標は、とにかくできる限り長い区間帆走すること。
これは、前回まで機走が多く、Jo 嬢が不満の意を示していたため。
結果は、港内を除いてほとんど全区間帆走を達成。やればなんとかなるものです。

ところで、この日は、良いことがいくつも重なりました。

一つ目。天気予報が良い方に外れたこと。
台風の影響もあり、長期予報では当初、曇りのち晴れ、の予報だったのが、多少雲量は多いものの、まずまずの晴れ。
南方の台風三連星(14、15、16 号)の影響もほとんどなく、軽風でうねりもそれほどではありませんでした。
シナーラと並走中
二つ目。
以前に少し言及した「シナーラ」の帆走を見ることができました。
出港したら、折りしも沖合いから「シナーラ」が帆走して帰ってくるところ。
セールダウン後、小網代湾を機走で目指すシナーラと、一時は 30 m 程度の距離で並走。
木造大型艇の優美なラインを見ながらの帆走でした。

三つ目。
城ヶ島を目指して帆走中に、トビウオを見ることが出来ました。
艇の接近におどろいたのか、波のある水面からぴょんと飛び出ると、驚くほど長い距離を飛行。胸びれを広げて、波の上をすーっとほとんど十秒近く飛んでいたように思えました。
特にはばたいている風も無く、高度もほとんど変えず、どうしてあんなに翔んでいられるのか、不思議な魚です。

四つ目。
ついに、念願の城ヶ島一週を達成。
岸寄りは岩礁が多いと聞いていたのでおっかなびっくりでしたが、とにかく大回りしてなんとか回りきりました。水深計がこんなに頼りになるとは思わなかった。
生け簀などが多く、城ヶ島沖で散々タックさせられましたが、城ヶ島大橋下を通過中に、港に係留されている帆船「海星」を発見。ぜんぜん知らなかったので、これは望外の幸運。
練習帆船海星城ヶ島沖では、クローズホールドのこれまでの最高速、対水 6.4 knot を記録。

城ヶ島一週後、夕日を見ながらのサンセットクルーズ。もちろん帆走です。
良い仲間と夕日を見ながらのクルージング、これはなかなかの幸せです。

ちなみに、城ヶ島の内側を走る際には、機走がルールみたいです。「港内」扱いなんでしょうね。我々も、ジブセールを降ろして、メインをフリーにして機走。

出航前に、A 氏がエンジン回転数を上げすぎて桟橋に突っ込みかけたのは、黙っておくことにします……。
次へ トップへ

2000 年 9 月 8 日艇を買うということ
艇を買うとなると、止まらないものらしい。
ヨット仲間の neko さんも、言い出してから購入まであっというまだったし、最近ネットで知り合った F さんも爆走中の模様。
先日がクルーザー初体験だったらしく、こちらは結構はらはらしている。もっとも、ディンギー乗りだったそうなので、いくらかは安心なのだが……。
それにしても、我々が艇を買う、と言い出したときに、浜名湖の柴田さんが心配してくれたわけが(あっという間に)分かってしまった。F さんも、購入された後、同じような体験をされるかも知れませんよ (^_^;;

艇の購入は、目の訓練のつもりで中古艇を見に行ったりしていると、そのうち、その気になってしまうものらしい。どんどん、それがリアリティを持ってくるのだ。困ったことに、止まらない。実は、私もそうでした (^_^;;
これはもう、魔力というほかはありません。
次へ トップへ

2000 年 9 月 7 日誤解を恐れずに……
昔は、そんなことを考えもしなかったのだが、最近、どうやったらヨットがもっと盛んになるかを考えていることがある。
というのも、「ヨット乗りに行ってきました」と言うと引いてしまう人が結構多いのだ。
どうやら、「ヨット」というのは、何かの禁句(?)のなかに入っているらしい。

そういった中で、一つ思うのが、「競技をしない人」や「一般の人」を対象にしたヨット振興がもっとあっても良いのではないか、ということだ。
「舵」誌などで、「最近ヨットが盛んではない」という話が出ると、「若い競技人口を増やしたい」という話が出てくることがある。だけど、ちょっと待った。ヨットって、「競技」するために乗るものなんですか?
それは、ヨットの魅力の一部分に過ぎないと思うのだ。

例えば、ちょっとした渡し舟や観光クルーズをヨットでやってしまう(その代わり、天気や風が悪いと運休ですが)、とか、一般の人たちにもっと親しんでもらうための方法はありそうな気がする。クラブレースごとに毎回体験試乗を数名づつ募る、とか。
そうでなければ、ヨットレースの観光化は出来ないものだろうか?
距離が近ければ、結構、帆、帆、帆、といった状況で見ごたえがあるのではないかと思うのだが。クルーのご家族が見に来やすいと、ヨット乗りの裾野、広がりやすい気がしませんか? ご家族の友人が、出かけがてらに見に来てくれたりして。
例えば、海ほたる主催で、あそこのぐるりを数週するレースなんかだと、結構見やすくていいのでは?(既にあったらごめんなさい)
その他、ブルーインパルスの曲技飛行ならぬ模擬マッチレースとか、見ごたえのある見物にできないかなあ、とつい考えてしまいます(模擬タッキングマッチのクルーにはなりたくないですが (^_^;;)。

ヨットを始めるのにも、色々な道があるのではないか、と考える今日この頃です。
次へ トップへ

2000 年 9 月 6 日陸送日程
大体、陸送日程が固まりつつある。
昨日確認できたところでは、9 月 16 日搬出予定だ。
後は、マストを倒して片付ければ、業者さんが運ぶだけ。
で、はたと気が付いたのが新マリーナとの契約。
しまった、ばたばたしていて、正式に判子ついてないぞ。

追伸:
この記事は、記念すべき 50 番目の記事です。
それにふさわしからぬ(それとも、連載の本質をついた?)記事になってしまいましたが、今後も変わらぬご愛顧を、なにとぞよろしくお願いいたします……。
次へ トップへ

2000 年 9 月 5 日傾向
このホームページ、休日より平日の方がヒット数が多い気がします。
理由として推測されるのは……。

1. 見てくださっている方がヨット乗りなので、休日はヨットに行っている
2. 回線代を節約して、会社や大学から見ている人が多い

さて、どちらでしょう (^_^;;
普通は、そんなもの?
次へ トップへ

2000 年 8 月 27 日(9 月 8 日 改訂)路上教習
海上は帆影で一杯この日は、元オーナーの K さんが三崎マリンにいらっしゃる予定で、小網代フリートの夏祭りに誘っていただいていた。
9 時到着予定とのことだったのだが、少し遅れたので、直接小網代に行かれたのかなあ、と思いつつ出艇準備をしていたら、ちょうどクレーンで艇を下ろしたところで到着。
いい機会なので、一緒に小網代へ艇を回しがてら、いろいろと教えていただくことになった。
まずは、油壷湾内に艇を止めて、艤装から。
我々の方法で、やり方は大体はあってはいたのだが、ブームバングとバックステイのテンショナーを間違えてつけていたことが判明。知らずにやるとこんなものですね。
修正した後、スピンのためのシートを取り付けも教えていただいて、いざ出航。

スピンシートは、スピンを上げても上げなくても、一応配置しておくのだそうだ。
そうしておけば、いつでもさっとスピンネーカーを上げることが出来る。
K さんにとっては当たり前のことなのだが、我々初心者にとってみれば、この方がスピンの心理的な障壁がより低いことを発見。なるほど、と本来の目的とは別の面で納得した。

くるりと岬を回って、機走であっさりと小網代湾内へ。木造艇「たかとり」に横付けして停泊。
艇上で、クルーの方とビールで一杯、ひと休み。
この方曰く、「いんちき写真家」だそう。名前は脇さん。いい写真を撮られますので、ご依頼の方はメールを下さい。連絡先をお教えします。
お出迎え
「たかとり」は、オーナーさんが 7 年かけて自作された艇だそう。とても良い雰囲気の艇だ。
木造艇にははじめて乗ったが、こんなにいい感じだとは思いませんでした。雰囲気がしっとりとして、不思議な安心感がある。
FRP 艇とは、波の音まで違うのだとか。話を聞いているうちに、その波の音、聞いてみたくなりました。
「たかとり」帆走中の写真は、こちらで見られます。写真は、「たかとり」のお隣に係留しておられる「GULL」の方が撮影したもの。なかなかの勇姿。

さて、「たかとり」艇上から、三人乗るともう沈みそうなテンダーに乗って上陸、小網代フリートの夏祭りに参加。
ジャズの生演奏、信号弾の試し打ち、すいか割り、それに生ビールや焼肉、個性的なヨット乗りの方々……。
夏祭りも楽しんだが、特に目を引いたのは、周囲の環境。
深い緑に囲まれた天然の良港だ。
湾の奥の方は、ほとんどそのままの状態に見えた。こういうところを泊地にしてヨットに乗れたらいいなあ、とつくづく思う。うらやましい限り。
これなら、マリーナなんか全然要らない。自分がここで艇を持てないにしても、開発の手なんか入って欲しくない。こういうところがまだあること自体、貴重に思う。

最後は掃除午後は、K さんにお付き合いいただいて、帆走練習。
おかげさまで、スピンまで上げることができました。「飛天」はスピンの速い艇なので、ぜひともモノにしたいところ。

そうそう、エンジンの漏水だが、K さんに見ていただいて、おっかなびっくり冷却水のパイプを交換したら、ぴたっと止まりました。やってみるもんですね。DIY の勝利です。
我々の修理第一号でした。
次へ トップへ

2000 年 8 月 26 日今度は蚊取り線香
ゴキブリにバルサン、という話題を先日書いたばかりだが、今度は「蚊取り線香」のお話をする破目になってしまった。
三崎マリンのある油壷は、夏は薮蚊が多い。
白黒縞々の立派な薮蚊が、5 時を過ぎる頃から次々と出撃してくる。
前回、船中泊で散々刺された手痛い実績から、我々人間側は迎撃体勢を取ることを決意。吊り下げ式の蚊取り線香フォルダーを二つ購入して、バウのハッチと、キャビンのハッチの近くに吊り下げた。
途中一度、バウの蚊取り線香が消える、というアクシデントがあったものの、見事薮蚊の撃退に成功。
両ハッチが開いているため、程よく風もとおり、おかげさまで結構快適にすごすことができました。ただし、近くにあった帽子が一つ、蚊取り線香で燻製になった模様。

「隊長、当方損害は軽微にて、敵軍を撃退せし模様」
「うむ、ご苦労」

ヨットに乗るということは、鉄筋コンクリート暮らしでは忘れがちな、生活の知恵を取り戻す、ということなのかも知れません (^_^;;
この際、ゴキブリホイホイもどこかに仕掛けるか……。
次へ トップへ

2000 年 8 月 26 日家族旅行大作戦
シーボニアに無事到着浜名湖のヨット仲間であるくらごん氏が、千里の東名高速(みち)を超えて来訪。ご家族と一緒に三浦半島旅行、という名目で来てくれました。
8 月 16 日の柴田さんも家族旅行の名目だったので、これで二組目のご家族。この夏、三浦半島はなぜかご家族連れに人気です (^_^;;

渋滞しますよー、時間かかりますよー、と脅かしすぎたのか、なんと、くらごんさんご一家は、朝 3 時 50 分に家を出たのだそう。うひゃー。大変申し訳ないです。
結局、11 時着の予定が、9 時 30 分三浦半島着だそう。

16 日に出した時には、運良く水先案内をして下さる方が居たが、今回は完全自力。頭の中は、航路の取り方で一杯。
マリーナの方に、危険な水域を聞いて、きっちり頭に叩き込んで……とやっていたら、よりによって、艤装が終わっていない状態で、艇の下架を依頼してしまった。単機能な頭は駄目ですね。

仕方がないので、まずは前回のコースをたどって、シーボニアまで機走して昼食、そこで艤装することになった。エンジンの漏水が見つかっていたので、それもチェックしたかったのだが、やむなし。軽油の残量だけ見て、11:30 出航。

幸い、天気は上々、波も穏やかで良い日和になった……が、こちらはそれどころではない。
油壷周辺は良い漁場でもあり、油断していると、定置網をひっかけてしまう。だからといって、それをかわして陸に寄りすぎると、岩礁が待っているのだ。ほとんど、カリュプソとカリギュラの世界。
A 氏に舵を持ってもらって、バウで必死のワッチ。
シーボニアにたどり着いた時には、疲れと安心で気が抜けた。ふう。

今回は、テラスでシーボニアライス。いい風が吹いていて気持ちが良い。天気がいいせいか、眼下には沢山のヨットやボートがアンカリングして、遊んでいる。
このあたりは、やはり海が綺麗だ。
シーボニアの桟橋には、熱帯魚のような青い魚や、ウツボまで住み着いていた。環境が良いのでしょうね。きっと。
もう駄目だぁ午後からは、シーボニア−三崎マリン間の帆走。クローズホールドが 3 knot しか出ていなかったり、タックしたはずが、いつのまにか元のタックに戻っていたり(我々の間では、「フェイクタック」と言います (^_^;; 映画「WINDS」では「ダミータック」とも(!?))、と荒業が連続したが、ま、初心者の舵だとそんなものでしょうね。やれやれ、すみませんでした > くらごんさん。
途中、リーチングで波に乗ったのか、この日の最高速、7 knot(GPS 計測)を記録したりしながら、三崎マリンの桟橋に到着。
もう一人の参加者を桟橋で拾ってから、もう一度艇を出したら、既にうねりが高くなってしまっていた。帆走を断念して、16:00 頃、三崎マリンへ帰還。
ばたばたセーリングで、皆さん、結構スリリングだったのではないかと思います……。
次へ トップへ

2000 年 8 月 23 日事務諸手続き
ぼちぼち、この連載も終わりに近づいている。 どこかで区切りをつけなくてはならないので、まずは、艇を新マリーナへ輸送するところで一段落にするつもりです。

さて、艇は入手したものの、まだまだ事務的な諸手続きが残っている。
悩みの種は、保険と艇の移送。
現状、「飛天」には、船体保険込みで、およそ 4 万 2 千円の保険がかかっている。これを、大体同一条件でかけなおすつもりなのだが、新マリーナに電話して聞いてみても、今ひとつ要領を得ない印象がある。そもそも、現状の契約は、条件に比して安すぎるという。契約がある以上、「安すぎる」わけはないのだが、これが、さっぱり分からない。
仕方がないので、現状、艇のある三崎マリンで、詳細を一度聞いてみてから、新マリーナで契約を進めるのが良いかと思う。
もう一点の艇の移送は、当初、回航で考えていたのだが、最終的には陸送に落ち着いてしまった。これは、マリーナを霞ヶ浦内としたため、回航の終了する銚子から、8 時間の機走が発生してしまったためだ。
慣れない艇で、それだけの長時間機走するのは、危険ではないか、という諸方からのご指摘があって、やむなく陸送に。
現在、三崎マリン横の、「飛天」がお世話になっている山下ボートサービスさんに頼んで、陸送便を探してもらっている状態。
さて、いくらかかりますか。
次へ トップへ

2000 年 8 月 20 日総帆展帆-2
以前にちょっと触れたことがありますが(こちら)、日本丸の総帆展帆を、ついに見ることが出来ました!!

……とはいうものの、実は遅刻。
最寄り駅の桜木町に着いた時には、既にマスト上に人が登っている状態。桜木町駅前からでも、その様子が見えていました。
船員さん達が、次々にヤード(帆を吊るすための横桁)上に出て行って、普段は縛り付けてある帆をほどいていきます。
大急ぎで、日本丸まで駆けつけると、そろそろ、全員がヤードから降りて、本格的な展帆がはじまるところ。
一度、固定を解いてしまえば、あとは甲板上のロープ操作だけで帆が開けるようになっているのです。

ジブ(一番前にある三角形の帆)からはじまって、トップ(下から二番目と三番目の帆)、トゲルン(下から四番目と五番目の帆)、ロイヤル(最上段の帆)、コース(一番下の帆)……と開いてゆきます。
最後に、マスト間に架けるステイスル(支索帆。三角形の帆)をするすると上げると、普段の日本丸とは打って変わって、「帆船」日本丸が姿を現しました。
最後に、全員揃っての敬礼。総帆展帆の船員さんは、ボランティアで集めているのだそうです。

写真では、全体像を収めるために前方から撮影するのが一般的ですが、実物はその印象と大変違っていることに気が付きました。
印象として、全長がとても長く、ずっとスマートで優美なのです。
前方像が、いかに日本丸を寸詰まりに見せていたか、ということに気づいて、びっくり。
風をはらまないように、全ての帆を風に立てて、しかもぴんと張った状態にしていましたが、作業の号令、船員の掛け声、複雑な索具類、それに大きくて優美な帆、往年の日本丸をしのぶのに十分でした。
多少、帆は汚れてはいましたが。

日本丸にはエンジンも積んであり、そのエンジンは、600 馬力のディーゼルエンジンが 2 基。運転時間は、世界最長だそうです。随分長い間活躍した船みたいです。

作業中、「ハリヤード」や「ジブ」など、どこかで聞いたような(^_^;; 単語が飛び交うのが、不思議な感じでした。
「ハリヤード引っかかった、ちょっと待て」には、帆船も似たようなことをやっているのだな、と思わず苦笑。
ランニング(真追っ手)の時には前方の帆が後方の帆のブランケットに入って速力が落ちるため、少しどちらかに船首を振って航行するのも、ヨットと同じ。
ヨット乗りの皆様は、一度展帆作業を見てみるのも、興味深いかも知れません。
日本丸関係の予定表はこちら
次へ トップへ

2000 年 8 月 18 日ゴキブリ発見
そうそう、書き忘れていた。
実は、16 日の準備中に、艇の中でゴキブリを見つけてしまった。
かつてオーナーさんが発見してバルサンをたいたのだが、しぶとく生き残っていたらしい。
引き上げ際に、再度バルサン攻撃。これで退治できれば良いのだが。
ゴキブリにバルサン。
うーむ、妙に日常的(というか、世俗的というか……)な話題です……。
次へ トップへ

2000 年 8 月 16 日飛天初乗り
……という事情で、クルージングがお流れになってしまい、MAcKYII の柴田さんが急遽、飛天に乗りに来てくださることになった。ご家族旅行を兼ねて、という形だ。

あ、やった!! と思ったのもつかの間、まだ飛天の艤装の仕方もなんにも教わっていないことに気が付いた。
なにしろ、飛天は、セールや、主要な滑車を全部外した状態で、しかもブームを上下逆さにして置いてあるのだ。ブームを逆さにするのは、メインセールの入るグループ内に水がたまらないように、という配慮らしい。
大急ぎで元オーナーさん(K さん)に電話、マリーナでの艇の上げ下ろしから、艤装方法まで教えていただいた。とても助かりました。
おかげさまで、決定から出航まで二日しかなかったのだが、なんとか船を出すことが出来た。
その上、到着予定の日(8 月 15 日)は、昼間、艇の準備に来てくださっていたらしい。
運悪く、我々の方が渋滞につかまったため行き違いになってしまったが、心遣いがとても嬉しい。感謝感激です。

さて、8 月 15 日の夕方にマリーナについて、その日の晩は、艇を下ろして桟橋で船中泊。
「飛天」が水面に浮いた状態で見たことが無かったので、感激もひとしお。
本当は、試乗してから購入を決めたかったのだが、今回、話が急でそこまで出来なかったのだ。
バッテリーの充電(しばらくエンジンをかけていなかったので、上がってしまっていた)や、艤装など難しい問題はいくつもあったが、最大の問題はなんと、蚊。
K さんにも警告されていたのだが、油断していたら、一晩で随分派手にやられてしまった。
油壷で船中泊する場合、蚊の対策は必須である。それも、蚊取り線香やベープマットなどを使って、かなり本気で戦うつもりで行かなくては勝てないかも。なにしろ、敵は薮蚊だ。とても手強い。

さて、翌日朝、セールをなんとか艤装して、なんとか出航準備が整った。
海域の状況が分からないので困っていたら、飛天に興味を持ってくれた年配の方が、一緒に乗って水先案内をしてくれるという。
なんでも、「飛天」と同じマリーナ(三崎マリン)に艇を持っているのだそう。艇名は「June Bride」。結構大きな艇だ。
結局、「飛天」組二人に柴田さん、それに「June Bride」号から二人の方が案内に乗ってくれて、艇を出すことが出来た。
ヨットとは、不思議な世界だ。甘えてばかりも居られないのだが、本当に色々な方に助けていただいてばかりいる。

油壷湾を出るまでは機走したが、「飛天」のエンジン操作には、少し癖がある。
スロットルを全部戻してしまうと、エンジンが止まってしまうので、常にスロットルを少し開けておかなくてはならない。
もっとも、スロットルには螺子がついており、好きなところで固定できるため、慣れればなんとかなりそうなのだが、今はちょっと難しい。入港操作中に、うっかりスロットルが戻ってしまったりすると、エンジンが止まって恐いことになりそうだ。
そのほか、久しぶりにかけたせいか、一度は突然エンジンが停止したりして焦ったが、再始動で快調に動いてくれた。なんだか、どこかのメーカーの OS のようだ (^_^;;
このエンジン自体は、YS8 というのだそうだ。単気筒で振動が強い。「頑張って仕事をしています」というメッセージが伝わってくる、妙に愛嬌のあるエンジンだ。
スロットルとクラッチは別レバー。最近ではあまり見かけない形式だそうだが、これ自体は結構良さそう。

湾を出たところで、セールアップ。
帆走は素晴らしかった。
船型からして、もっと重ための艇だと思っていたら、風が入ると、意外なほど良くすべってくれる。ヒールもとても安定している印象を受けた。
天気は晴れ。波も穏やかで申し分無い。風は微風だったが、次第に良い風が入りはじめた。艇はとても滑らかに水上をすべる。

柴田さんご一家の乗った城ヶ島行きの遊覧船と海上でミート後、小網代の入り江にあるシーボニアマリーナまで帆走、そこで昼食。
シーボニアは、食事をすれば係船料がかからないのが魅力。レストランからは、係留してあるヨットを一面に見ることが出来る。
お勧めは「シーボニアライス」。海産物の入ったパエリア(?)なのだが、一緒に出てくる蟹風味のたれ(?)がなかなかの美味。好みもあるが、かけた方が美味しいと思う。

ついでに、シーボニアの持ち船である「シナーラ」を見物。これは、チャーチルの持ち船だったという 30 m の大型ヨット。とても味のある全木製、二本マストのケッチだ。
これぐらい立派なものだと、もう個人的には「帆船」である。シーズンオフの平日なら、3 時間 12 万でチャーターできるそうです。あこがれるなあ……(ため息)。シーボニア及びシナーラについての情報はこちら

帰りは、帆走で油壷湾の入り口まで戻り、そこでセールダウン。そこからは機走で 15:30 頃桟橋着。
桟橋からクレーンまでの機走は、スロットルとクラッチに慣れないせいもあって悪戦苦闘したが、マリーナの人が焦れるほどの超微速で寄せて、なんとか上架。スロットルを落としすぎるとエンジンが止まってしまうため、ある程度の回転を保ったままで、クラッチをちょん、ちょん、とつないであげるのが正しそう。マニュアル車の車庫入れに似ていますね!! ただ、 船にはブレーキがついていないのが難しいところ。

上架後、セールをたたみ、シート類や滑車を外して、ごしごしとデッキを洗っていたら、ぼちぼち 18:00。マリーナでシャワーを使ってから、満足して帰途につきました。

おまけ:
三崎口駅前の料理屋(定食屋?)で、まぐろ丼を食べたら、これが意外な美味。駅に向かって右手の方、寿司屋の左隣の小さな店です。疲れていたせいもあってか、ビールもうまいこと。
なんだか、台風に邪魔された割には、幸せな夏休みになってしまったのでした。
次へ トップへ

2000 年 8 月 12 〜 16 日練習ウィーク
8 月 12 日 〜 8 月 16 日は、伊豆クルージング……の予定だったのだが、台風にやられてしまった。

よりによって、やってきて、海上にその間とどまって、上陸せずに去っていかれてしまったため、なんだか納得のいかない状況になってしまった。
なにしろ、陸上では晴れ、海上は連日の波浪警報の嵐。これも、セーリングの特徴の一つなのか?
期間中、オーナーの柴田さんと空を見上げて、「うーむ、どこが台風だ」というのが日課になってしまった。恨めしき奴の名は、台風 9 号。忘れんぞ、覚えとれ。

12 日に浜名湖入りして待機していたのだが、結局クルージングはお流れ。一転して練習ウィークに。
なにしろ、桟橋から自力で艇を出して、最後まで帰ってくるのは、考えてみればはじめて。そんな状態で艇を持つなんて無謀だ、との声も聞こえてきそうだが、文字通りの乗りかかった船。ここで後へは引けない。
浜名湖内の礫島にも、艇をアンカリングし、ゴムボートを膨らませて初上陸。
昔は、観光用に猿を放していたそうだが、今はその影もない、本当に小さな島だ。
ただ、釣り人は何人か来ていた。それに、モーターボートで乗りつけたご家族連れが一組。自分としては、初上陸で、結構面白かった。

14 日の晩は、袋井の花火大会を見に行く。3 万発の花火は、なかなかの圧巻。
うーむ。天候に左右されるものだけに、ヨットは臨機応変に楽しまねば。
これもセーリングのうちとしよう。
次へ トップへ

2000 年 8 月 10 日艇名案
筆者の会社は、今日からお休み。
今朝から、艇名案をいじくり回して遊んでいる。
「飛天」が結構いい名前だと感じているので、次の名前は意外と大変なのだ。

出費の面からすると、「飛天」をそのまま使いつづけるのが楽なのだが、オーナーさんの次の艇も「飛天」になりそうなこと、艇名を考えるのは楽しいこと、などから、A 氏と相談しながら、目下アイデアの洗い出し中。
考えてみると、良さそうな名前は、結構ありがちなものだったりして、意外と難しい。

個人的には、艇名はできれば和名にしたい、と思う。
筆者に洋名のセンスがあまりない、というのもあるのだが、和名の方が、見てぱっとイメージが出そうに思うので、ここは、こだわりたいところ。

とりあえず、艇尾に入れるつもりで(「飛天」はそうなっている)、有力候補のロゴを作ってみた。
下に「Kanagawa Aburatsubo」と入っているのは、現「飛天」でそんな感じの文字が入っていたので、とりあえず、類似のもので……という、デザイン上の要請。置く港や、必要に応じて、ここは変わるはず。

やってみて思う。
お、意外といいじゃないか。
うーむ。まことに親ばか状態。
次へ トップへ

2000 年 8 月 9 日夏のクルージング
そろそろ、MAcKYII での、夏のクルージングが近づいてきた。
8/12 〜 8/16 の予定で、浜名湖−伊豆半島−駿河湾一周−浜名湖のコースの予定。
我々が艇を持つ、というのもあって、MAcKYII のオーナーである柴田さんは、いろいろな練習課題を設けて下さっているようだ。どうもありがとうございます mOm
備品リストの作成もその一つで、G.W. の鳥羽クルージングで使ったリストがあるとはいえ、それに追加して何かあるかどうかを考えるのは、なかなか修行になる。
ミスをすれば、完全に自分に降りかかってくる、と思いながらリストのチェックをしていると、クルーの視点とオーナーの視点が違うことに、いまさらながら気づく。
なるほど、オーナーになる、というのは、きっとこういったことから始まるのだ。
次へ トップへ

2000 年 8 月 7 日マリーナ巡りツアー
昨日、マリーナ巡りツアーに行って来た。
当初の目的は、銚子マリーナの状況を確認した後、横浜の舵シープラザへ行って、A 氏のライフジャケットその他を調達することだったのだが、購入後、ついでだから、もう一つの候補、土浦の京成マリーナも確認しよう、とのことになって、トータルで延々 300 km、A 氏の車でドライブする破目になってしまった。
もっとも、それなりの収穫はあった。
銚子は、やはり海が綺麗だ。
マリーナから屏風ヶ浦が見え、これはなかなか良い眺めだ。また、その領域は比較的穏やかなんだそう。
京成マリーナの方は、今回はちゃんと詳しい方に話を伺うことが出来た(前回は、遊覧船の運転手の方しかおられなかったので……)。老舗だけあって、「SK25」と言ってすぐに分かっていただけるあたり、なかなか頼もしい。
我々は、どちらにしても陸置きで検討しているため、まずは船台が問題になる。
これは、買う(マリーナで作ってもらう)と、やはり 30 万以上するそうだ。かなり高いので、やはり、現在置いてある三浦半島から、陸送で持っていくしかなさそう。また、どちらに置くにしても、船台の改造は必要なようだ。これに、費用が 1 〜 2 万。
京成マリーナに置く場合の一番のネックだった保証金(40 万)は、分割に応じてくれるそう。これは、純然たる分割払いで、利子なし。ただし、「保証金を支払った」とみなされる日付が遅れていくため、返却条件に響いてくるそうだ。年間艇置料の分割も OK だそうだ。結構融通が利くらしい。
銚子マリーナの方は、第三セクターのためか、4 月から 3 月までの料金を一括して払う方式だった(分割については聞いていない)。途中から契約の場合には月割りになるため、イニシャルコストはいよいよ安くなる。試算すると、保証金と合わせても、20 万内外で済む。最終的には、どうせ必要なお金だが、手持ちに余裕ができるのは、心強いことだ。
距離は、A 氏のところからも、私のところからも、銚子マリーナが丁度一時間ぐらいづつ遠い。
海や空は、銚子の方が魅力的。
安全なら霞ヶ浦。ただし浅いので、座礁の危険は多いかも知れない。
A 氏は、距離と安全を理由に、霞ヶ浦を推す。
私は、銚子の海が頭から離れない。トータルの料金の問題もある。
そろそろ、どちらにするか決めなくてはならないのだが……。

輸送方法は、回航にほぼ決定。
次へ トップへ

2000 年 8 月 7 日犀は投げられませんね ^_^;;
下の記事で、A 氏に間違いを指摘された。
本来、「賽は投げられた」であるべきところが、見事に「犀は投げられた」になってしまっております (^_^;;
犀は、体重 1 トンを超えると言います。とてもじゃないけれども、投げられませんね!!
では、改めて。

賽は投げられた!!(by ユリウス・カエサル)
次へ トップへ

2000 年 8 月 4 日犀は投げられた
昨晩、A 氏と最終打ち合わせ。
現状では多少、無理があるのは分かっているが、持ってみよう、との結論になった。
一番の不安材料は、やはり技術的なものだ。そのあたりのことは、良く乗せていただいている MAcKYII の柴田さんからも、ご指摘いただいている。が、これはなんとか慣れていくしかないだろうと思う。費用なら計算できるが、技術は計算できないところが難しい。
最初のうちは、マリーナ付近で小さめのセールを上げて練習、ということになりそう。徐々に、大きなセール(風に合ったセール)を上げられるようになっていければ良いと思う。これも、例えば、車の運転と同じ。技術的な裏付けが出来るまでは、無理は禁物だ。

飛天のオーナーさんにメールをして、購入の意思を伝えた。
そのメールと入れ違いに、回航計画の試案をいただいていた。とてもありがたく思う。
実際に回航(もしくは陸送)を行って、艇を自分達の活動本拠に置くまでは、まだまだ、いろいろ知らなくてはならないことがありそうだ。初心者二人で、ベテランさんのお手伝いがあったとしても、本当に回航は可能なの? という問題もある。
見落としもまだまだ多いかもしれない。
だが、これから一つ一つ解決していくしかない。

追伸:
このコーナーの連載が、あまりにも早く終わってしまうことに関して、二人の人から、「もっと続けた方が面白いんじゃない?」との言葉をいただいた。一人は、ヨット仲間のくらごんさん。もう一人は、なんと、共同オーナー予定の A 氏だ。A 氏は、口の悪いことに「どんでん返しがあったり、波瀾万丈な方が面白そう」との言葉まで添えてくれた。あのねえ、私が波瀾万丈になれば、あなたも自動的に波瀾万丈になるんですよ。自分達のヨットライフを波瀾万丈にしてどうすんですか (^_^;;
その中には、やはり、少しヨットを持つには早いのではないか、と懸念する気持ちが、冗談交じりにもあるのではないか、と思う。
白状すると、実は、自分でも半分そういう気持ちがある(で、自分の気持ちを相手に投影してしまっているだけなのかも知れないが……)。
昨晩、A 氏が「航海」が「後悔」にならないように……と言っていたが、本当にその通り。
「頑張ってください」とのメールをくれた方も居る。忠告のメールをくれた方も居る。どちらも、とても嬉しいことだ。
9 月予定のヨットの移動まで、しっかり記録をつけながらやってみたいと思う。
いや、ちゃんと全てのセールを使いこなせるようになるまで、本当のヨットオーナーとは言えないのかも知れないが。
どちらにしても、犀は投げられた。
次へ トップへ

2000 年 8 月 2 日依然、急展開中
昨晩、もう一人の友人に電話してみた。
なんとか話に乗ってくれるのではないか、と思っていたのだが、どうも仕事が忙しくて、ヨットに乗りに来る暇がないのだそうだ。残念。そのかわり、乗った時には乗船料を払う、とのお言葉。お覚悟を。

それはそれとして、ヨットユーザー ML に、銚子・霞ヶ浦への回航・マリーナの情報を教えて下さい、とのメールを出したら、早速、複数の方から情報を頂くことができた(感謝!!)。
その中でも、銚子マリーナに艇を置いている方のコメントが目を引いた。
おっ、と思っていると、飛天のオーナーさんからもメールが来ていて、銚子マリーナはどうだろう、と言う。ホームページのアドレスも教えていただいた。
思わぬ偶然の一致に大急ぎで調べてみたら、値段も安いし、設備も結構良さそうだ(ホームページはこちら。本当に、簡単に欲しい情報が手に入るようになりました……しみじみ)。
細かい条件を確認すべく、昼休みに大急ぎで電話。こういう時には、脊髄反射で動かないと、チャンスを逃す。
かけてみてびっくり。対応も良いし、なんだ、結構いいじゃないか。
「銚子」と聞いてうらぶれたイメージを持っていたのは、こちらの勝手な偏見だったようだ。
海上係留は全て埋まっているそうだが、陸置きはまだパースが空いているそう。
なによりもいいのが、現在、マリーナ契約のネックになっている保証金が安いこと。ここは、10 万くらいの保証金で OK らしい。元々の予定である土浦・京成マリーナに比べると、4 分の 1 だ。で、これに加えて、年間料金が \226,800 なり。これも安い。
艇を陸送する場合の概算料金などについても、ざっと教えていただいた。飛天が現在ある三崎マリーナからだと、15 万くらいだそうだ。回航要員を雇っても、二日で 14 万、大体同額になる模様。
これに、船台を輸送(または購入)する費用が入るわけか。買うと 30 万するそうなので、輸送かなあ……。
ふむふむ。でも、勉強になりました。聞いてみるものですね。
少し遠いが、個人的にはここでいいような気がする。海が綺麗なのが、何よりも良い。時によっては、日の出も楽しめるだろうし。
A 氏がここで OK なら良いのだが。

(ちなみに、写真は話題には関係ありません。綺麗だったので、撮ってみました。まぎらわしくて、すみません ^_^;;)
次へ トップへ

2000 年 7 月 31 日急展開
ここのところ、事態が急展開している。
帰ってみたら、飛天のオーナーさんからメールが入っていた。マリーナの方は、必要なら、9 月くらいまでは延長できるのではないか、とのこと。その間に、三崎付近でセーリングして艇に慣れつつ、置き場所を探してはどうか、と言っていただいた。

また、予定している霞ヶ浦への出入りには、マストを倒すことが必要なのだが、マストヘッドの VHF アンテナへの配線がネックになっていた。
マストそのものは、オンデッキマストで、左右のプレートではさんで、ボルトで止める形になっているので、ちょうど、そこを蝶番のようにして倒すのには問題がなさそうなのだが、VHF アンテナのケーブルが、マストの根元から、ちょうど、マストの前側(倒れるときに開く側)を通って配線されていて、切らなければ駄目かな、という話になっていた。
オーナーさんが調べてみたところ、そちらの方についても、キャビン内にケーブルの余裕があり、繰り出してやればなんとかなりそう、とのこと。

では、と勇んで共同オーナー予定の A 氏のところに電話をかけてみたら……今回は無理そう、とのことで、すでにパソコン購入に走ってしまったらしい。あらら。
確かに、一度、今回は駄目かな、という話にはなっていたし、氏のパソコンが折りしも壊れていたところだったので、A 氏は悪くないのだが……。
それにしても、決断早すぎです (^_^;; > A 氏。
それとも、私のあきらめが悪いだけかな?

現状、もう一人共同オーナーを引っ張り込むべく、友人に電話して交渉中。
年間の維持費は、なんとかなりそう。
問題は、今、現在の瞬発的な資金だ。ヨットも、クルマと同じく、継続的な資金と、瞬発的な資金が問題になる。
また、物が大きいだけに、一度齟齬が生じるとダメージが大きい。
とにかく、金曜日までに結論を出さなくてはならない。
次へ トップへ

2000 年 7 月 31 日飛天号見学
ヨットユーザー ML に、50 万で中古艇の売り出しが出ていたので、昨日、見せていただきに三浦半島へ行ってきました。
1972 年進水の加藤ボート製、SK25 という艇で、FRP のハルに、コックピットまわりなどに木を使った綺麗な艇だ。見たところ、MAcKY と良く似た V 字形の船底を持っていて、強風向けの艇に見えた。
実際、かなりの強風でも安定して走るそうだ。
古い艇だが、この三年間で、徹底的にリストアされたとのこと。新しい出物の艇が出たので、乗り換える、とのことだったのだが、船底や内装、滑車などもお金をかけて手入れされている(滑車はベークライト製だそうだ)。
きっと、かなり愛着のある艇なのではないだろうか?
耐久性の問題は良く分からないが、リストアの程度や備品からすると、この価格は安いと思う。
ただ、艇置料の問題から、今週・来週中には手放したい、とのこと。とすると、こちらの置き場の確保がまだでもあり、なにぶん、話が急で難しいか?
我々の方での、クルーザーを維持できる(特に帆走上の)技術的な裏付けがまだ出来ていないのもネックになっている。
いい艇なので、惜しいのだが……。
むー。
次へ トップへ

2000 年 7 月 27 日通販ブーム?
最近、ヨット仲間の間で、海外通販が流行って(?)いる。
そもそもの発端は、くらごんさんのクルーザー用のライフラインの調達。
クルーザー乗りは、荒れた時に備えて、体と艇をロープでつないで、落水を防ぐのだけれども(好天の時や、クラブレースなど危険の少ないときにはあまり使いません)、このロープがやたら高いのだ。日本で買うと、いいものは一万以上してしまう。
ところが、ウェストマリンの通販だと、日本で \13,500 する商品がわずか $40。これなら、輸送費込みでも、そちらのほうがはるかに安い。じゃあ、皆で買おう、というお話になった。確かに、ここまでは合理的である。
ところが、「ついでに、これも欲しい」という話が出てきたもので、話が大きくなってしまった。あちらからこの商品、こちらからこの商品、と欲しいものがぱらぱらと出てきた。
こうなると、「どうせ注文するなら、まとめて」と、本当は要らないものでも、つい、欲しくなるのが人情というもの。特に、「クルージングで使いそう」とか、「そういえば、気になってたんだよな」とか言い訳があると、効果テキメンである。
現在、くらごん氏のところには、次々と注文が舞い込んでいる状態。
なるほど、こうやってブームは起こるんですね (^_^;;
次へ トップへ

2000 年 7 月 24 日山の航海日誌?
7 月 20 日〜7 月 23 日にかけて旅行して来ました。
久しぶりに、海以外の旅行で、妙に新鮮でした。
今回は、駒ヶ岳をメインに、諏訪湖方面をうろうろとしました。
きれいに晴れたおかげで、山頂からの眺めは、素晴らしかったです。
霧ヶ峰高原では、グライダーのフライトを見物。
グライダーも面白そうですね。
でも、経験者によると、夏は太陽に照らされてじりじりと暑いらしい。はたから見ると気持ちよさそうで、本人は実は暑い、というのは、クルーザーと共通しているかも。バイクも同じだ。
写真は近々掲載予定です。
風景に撮らされた観はありますが、結構いい写真が撮れました。
次へ トップへ

2000 年 7 月 19 日見てもらうということ(いつの間にやら……3)
「見てもらう」といえば、「ネットアイドル」と呼ばれる人たちが居ることを思い出した。
彼女達(大抵、女性だ)は、インターネット上にサイトを開いて、自分の写真や感性を切り取っては、ページに貼り付けている。
露出によって、何か傷を受ける可能性よりも、何かを見てもらいたい、という気持ちの方が勝っているわけだ。
人気のある人になると、100 万ヒットを超えるサイトもあるそうだ。
きっと、メールも多いことだろうし、彼女達も返事を返しているのだろうと思う。
そのつながりは、実際に目の前に居ない、という点で、少し希薄なものにしても、きっと双方向だ。直接本人とやり取りをしている、という「生の」コミュニケーションの感覚があるのかも知れない。

でも、本当に生だろうか、とも考える。
インターネットの世界では、無意識のうちに、誰もが少し仮面をかぶっている。メールの文章と、本人の印象がころっと違うことなんか、日常茶飯事なのも、経験的に知っている。
ネットアイドルになる、ということは、自分ではない自分が居る、という感覚かも知れない。
そうは言っても、人間の「自分」というものは、状況に規制される。
ネット上の自分が「自分」でないとは、誰にも言えない。
二人の自分が一人歩きをしている恐怖はないのだろうか?
次へ トップへ

2000 年 7 月 19 日いつの間にやら……2
先日、666 アクセスの突破で喜んだと思ったら、いつの間にか 700 アクセスを突破していた。
重ね重ね、皆様、ありがとうございます。

それにしても、見てもらって嬉しい、という気持ちは妙なものだ。
そんなものだとは分かっていても、天邪鬼の自分としては、「別に、得になるわけでもないのに、何故嬉しいのか?」と、一応は斜に構えてみたくなる。

「見てもらう」といえば、Web 上の掲示板などでも、恥ずかしくて、面と向かっては議論できなさそうな話を展開しているケースもある。
おいおい、インターネットだぞ、みんなが見るんだぞ、とか思いつつも、ついつい書き込んでしまう気持ちもわからないでもない。やはり、オープンスペースで話をしたい、という欲求がどこかにあるからなのだろうか。
「みんなに分かって欲しい(認めてほしい?)」ということなのかなあ……。
その結果、自分をゆがめてまで、なにかに迎合していないといいんだけどね。

ぐちゃぐちゃ言ってますが、でも、素直に見ていただいて嬉しいです。はい。
次へ トップへ

2000 年 7 月 18 日給料カット
どうやら、二年連続で公務員の給料カットが実施される見通しらしい。
まさか、自分には響いてくるまいと思っていたら、来ました、来ましたよ、影響が。
ヨットの共同所有予定者の A 氏は、実は、茨城県でお勤めの公務員。まともにあおりをくらってしまったらしい。うわあ。
有識者の皆様が、経済波及効果を気にする理由がようやくわかりました (^_^;;(そうはいっても、私は無差別公共投資には反対なのですが。特に、干潟の干拓事業などは、次世代に残すべき貴重な資産を食いつぶす行為だと考えています。地球は、今の世代だけのものではありません)。
それで、以下の二案で揺れている。

1. 何があろうと初志貫徹
2. ディンギーを買って、状況が好転するまで耐える

2. 案は、貧乏人が一時しのぎのつもりで、軽自動車を買ったら、ステップアップできなくなってしまった、というパターンに陥るのではないか、と A 氏は心配する。
個人的には、シカーラの体験から、ディンギーにも捨てがたい魅力がある。
うーむ。
次へ トップへ

2000 年 7 月 16 日いつの間にやら……
ホームページのアクセス数が、いつの間にか 666 を超えていた。
555 は、うっかり自分でゲットしてしまったのだが、666 をゲットしたのは誰だろう?
見てくれる人が居るというのは嬉しいものです。どうもありがとうございます。
先日、ホームページを見て下さった F さんからメールを頂いた。この方も、やはりヨットを持ちたい、という(頑張れ!!)。
ヨットは、必ずしも「お金持ち」の道楽ではないと思う。
クルージングでのんびり、という側面ばかりが強調されることが多いのだが、乗ってみて、それは一つの側面に過ぎない、ということを知った。
のんびりするだけならば、帆を上げることは危なくて出来ない。なにしろ、風が入ると艇は傾くし、波に叩かれれば艇は揺れる。クルーザーとは言っても、船の世界では、やはり小型艇なのだ。
それでも乗る人が居るのは、帆走そのものの楽しみが確かに存在するからだ。風を操り、自分の目指したところまで、帆で帆走ってゆくことは、やはり楽しい(お酒や食べ物の楽しみ、の方も結構多いみたいですが ^_^;; 私もそれは好きです)。
お金は無いけれど、好きで頑張って維持している、という人は結構居る。共同オーナーの募集なども、時折 KAZI 誌に出ているみたいだ。
もっと、ヨットが持ちやすければいいと思う。
次へ トップへ

2000 年 7 月 13 日総帆展帆
ヨコハマのみなとみらいに係留されている日本丸の総帆展帆があるそうだ。
総帆展帆とは、全ての帆を開くこと。ドッグ内で、普段は開いていない帆を全て開いてくれる。もちろん、ちゃんとその時間に行けば、展帆作業自体も見られるはず。
日本丸には、全部で 29 枚もの帆があるそうだ。

それにしても、結構身近に帆船を知る機会は転がっていたんだな、と少し複雑な気分である。予定表を見ると、月に一度づつぐらい展帆してくれているようにも見えるし……。
今まで、見逃してたんだ……。しかも、ちゃんと Web 上にあった。ということは、その気になって検索をかければ引っかかったはず。うわー。
知りたい知識があるのなら、ちゃんと調べないと駄目ですね (^_^;;
近いうちに、展帆作業を見に行く予定です。
ちなみに、予定表はこちら
次へ トップへ

2000 年 7 月 13 日写真掲載……。
先日、くらごんさん宅に泊めていただいた時に撮った写真を、ホームページに掲載していただいた。左記リンク中の「家族の写真」というところ。
見直してみて思うこと。写真は、ちゃんと狙って、なおかつ体勢を整えて撮りましょう、ということ。
いやー、ぶれている写真の多いこと。出来るだけフラッシュは使わずに、その場の光で撮るようにしているので、やむをえないといえばそうなのだが、出来上がりを見てしまうと、やはり再考が必要かな……。

そうそう、カメラと言えば、一度鳥羽クルージング時に潮漬けにして、とどめをさしかけた奴(Fujifilm FinePix 1700Z)を、今も使っている(少し、発色に不満はあるのだけれど……)。
あのときは、てっきり塩水にやられたものと思っていたのだが、その後、レインコートのポケットに入れていると同じ症状が出ることが判明した。どうも、ポケット内に侵入した水分で蒸れてしまうらしい。
原因がわかれば対策はある……とかほざいていると、いずれ本当にとどめをさしそうなので、おとなしく、防水用のハウジングを探そう……。
もっとも、防水があったらあったで、自分の性格からすると、今度はディンギーの艇上に持ち込んだりして……ぽちゃん。
つける薬がありませんね (^_^;;
次へ トップへ

2000 年 7 月 9 日(7/14 改訂夜書いた文章は恐ろしい……(雑言)
今日、ひょんなことで久しぶりに「紅の豚」を見た。
この映画は飛行艇の話だが、もしかすると、自分が艇を持ちたいと思う原点の一つがここにあるのではないか、という気がする。
主人公、ポルコ・ロッソは、自分自身の力で空を飛ぶ、ということにこだわる。友人フェラーリンは、いらだたしげに彼に言う。

「冒険飛行家たちの時代は終わってしまったんだ。今は、国だの民族だの、つまらないスポンサーを背負って飛ばなければならないんだよ」

これに対して、ポルコ・ロッソはこう答えます。

「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえさ」

そして、映画のラストで、まさにお祭りの時代に幕が下ろされる。
今は、「艇を持つ」意味は昔とは違っているだろうし、艇の種類も、その額も、おそろしく違っている。
が、それでも根底にあるものは良く似ているのかも知れない。「自分の力で何かをしたい」というのは、きっと誰もが持っている望みなのだ。
そして、その山が未踏峰ではなかったとしても山頂からの眺めは自分のものであるように、帆を一杯に膨らませて走る小さな帆船の力は、やはり自分のものだとも思う。
次へ トップへ

2000 年 7 月 7 日いい小説見つけました
柴田さんに貸していただいた小説を読了。面白かった。
海洋冒険小説なのだが、無理やり海軍に放り込まれたぼんぼんが、一つ一つ危機を潜り抜けてゆく物語。主人公のちゃっかりぶりが面白い。
海軍生活は迫真。筆者は詳細な調査をしたんでしょうねえ。
帆船のマストの上は怖い。砲戦のシーンも、とてもリアリティがあってお勧めです。
ただし、シリーズものなので、結構巻数があります。お覚悟を。
一巻目は

「はみだし者の海戦」デューイ・ラムディン著 徳間文庫より
次へ トップへ

2000 年 7 月 2 日艇名決定!!
neko さんの新艇の艇名が決まった。
その名も Mayfair。奥様の命名だそう。
Mayfair は、ご存知の方も多いと思いますが、「ローバー・ミニ」の型名(?)にもなっている、ロンドンのおしゃれな一角の街名。粋ですね。
H.Y.C. のヨットレースに参加していても思ったのだが、皆さん、艇に呼びやすいいい名前を付けている。
「XX とコースがミートします!!」と叫ぶのも、名前が発音しづらいとやりにくいのだが、そんな艇、(あまり)無いもんなあ……。ややこしい艇名は、ワッチ泣かせなのです。
さて、いつか艇を買ったら、自分はどうしようか……と、ついつい取らぬ狸の皮算用をしてしまうのでした。
余談ながら、艇名を船体に入れるの、普通どうしているかと思っていたら、neko さんの場合は、購入ショップに艇名を渡して、やってもらったみたいです。デザインや色の指定とか、どこまで出来るのかな?
次へ トップへ

2000 年 6 月 30 日ついに新艇購入……仲間が
ヨット仲間の neko さんが船を買われるそう。
ヨットではなくモーターボートだが、YAMAHA SRV-23、新艇だそうだ。おお。
現在、艇名で悩んでおられるとか。うらやましい悩みではある。
次へ トップへ

2000 年 6 月 25 日三河湾レースの予定が……
初の二週続きセーリングウィーク。
今回は、浜名湖からもう少し先の三河湾まで行ってきた。
今回は、三河湾内での YAMAHA レースの予定。Festa さんの艇(YAMAHA Festa 24)で出艇予定。はじめての艇なので楽しみ。

……ところが、ところが。
またしても、雨。

前日晩から激雨としか言い様のない雨が降り始め、雨あしは衰えたものの、朝になっても降り続く。海上の風や波も変化が大きそうで、今回は参加せず、三河湾マリーナ観光となった。
三河湾にはなんといっても泊地が多い。俳優の舘ひろしさんも三河湾に艇を持っておられるのだとか。
NISSAN マリーナの「秘密基地」方式の出艇に驚いたり、J-24 のセールだけの出航風景(クルーザーは普通、港内では機走します)を見れたり、それはそれで楽しかったが、マリーナめぐりをしているうちに、雨が上がってきた。一転、艇を出すことに。

Festa 24 は、とてもコクピットの広い、ゆったりした艇である。
ところが、あ、いいな、と思ったのもつかの間、風が入るとぐいぐいヒールして、ゆったりどころではない。ワンポイントのリーフにしても、ヒールが 45°を超えてしまう場面もあった。
基本的に身の軽い船で、帰りがけは 2 ポイントリーフ。アビームだったのだが、走る、走る。

艇を出した時点では、西の海面にレース前と思われる艇団が漂っていたので、さては、スタート延期で間に合ったか、と期待したのだが、別のレース。
前出の NISSAN マリーナのレースだった。
先の J-24 も参加するらしい。奇妙な邂逅である。
YAMAHA レースは、コース短縮したらしく、東の方からスピンを上げて、ちょうど最終レグが終わるところだった。残念。
もっとも、NISSAN レースの方は、上マーク付近で参加艇が次々に回ってスピンを上げていくのを観戦できて、これはこれで面白かった。
うまい艇は回り終わると同時にスピンが上がる。これは見事の一言。
我々は、海水浴シーズン前の大島まで行って、桟橋で昼寝をして帰ってきた。大島では、ジェットスキーの兄ちゃんが、つれの女の子をきゃあきゃあ言わせていた。

今回は、くらごんさんのお宅にお邪魔して泊めていただいた。皆さまのご好意はとても嬉しいです。写真はこちら。
次へ トップへ

2000 年 6 月 17 日昔見た映画
そういえば、水上をすべるように……で、昔見た映画を思い出した。
テレビの深夜放送でやっていた映画で、しかも途中から見たので、題名もチェックできなかったのだが、ベトナムの女性とフランス人(かな?)の士官が恋に落ちるストーリー。
映画中で、二人が逃亡するシーンがあるのだが、その中でジャンク式の小型帆船に乗るシーンがあった。
前後の縦帆に穏やかな風を受け、水上をすべるように進む船上から撮ったシーンは、奇妙に美しく、忘れられない。
誰か映画の名前がわかったら教えて下さい。
他に覚えていることと言ったら、女性の名は「カミーユ」。最後、士官は死に、女性は一人で子供を育てることになったように思います。
次へ トップへ

2000 年 6 月 17 日ナイトレースの予定が……
この日はナイトレース……の予定が、朝から雨。
雨に苦戦しながら、昼過ぎに着いてみると、ナイトレース中止が決まっていた。無念。

この日は昼から「ジョナサン」という店でディンギー(シカーラ)を借りて乗る予定だったので、そちらは決行。どうせ濡れるんだし、湖水はかなり暖かい。シカーラはかなり余裕のある船なので、くらごんさんと neko さんと三人のりで出かけた。
これだけ乗っていれば、多少ブローが入ろうが、安定性は大丈夫……と思っていたら、私のヘルムの時に見事に沈。しかも完沈。やっちまいました。倒れるのは、自転車とかと違ってずっとスローモーションでしたが、手も足も出なかった。悔しい。
一度倒れてしまうと、シカーラは二人がかりでないと起こせないので、これからシカーラを手に入れる方はご注意を。
雨の中でしたが、水の上をすべるような感覚は忘れられない。何か、不思議に魅力的な感じでした。

翌日は、柴田さんと一緒に三河御津マリーナの見学。売り出していた中古艇を見る。ここでも YAMAHA MyLady とご対面。このタイプの艇には、妙に縁がある。将来買うことになるのではないか?
ここのは 140 万だそうだ。

帰りがけは、セローで三ケ日インターの近くから広域農道に入って、浜名湖を見下ろしながら走行。ここは途中から未舗装路だが、近々舗装されそう。オフロード乗りにとっては残念。
ちなみに、「シカーラ」はセミの意。
次へ トップへ

2000 年 5 月 21 日クルーザーフェスティバル
クルーザーフェスティバルは、H.Y.C. の企画するお祭りレース。
この日は、チャンピオンクラスとファミリークラスに分かれて、H.Y.C. 以外の艇も交えてレースをする。H.Y.C. には珍しく、きちんとブイを打って三角コースでやるんだそうだ。レース後はパーティー。
ただ、今回は柴田さんと参加メンバーの都合で見送り。
後で結果を見てみたら、ファミリークラスでは、普段 H.Y.C. レース時のライバル艇が優勝していて驚いた。
これなら勝てたかも……後悔先に立たずの巻、でした。
次へ トップへ

2000 年 5 月 3 日 〜 2000 年 5 月 6 日鳥羽クルージング
Jo 嬢を引っ張り込んで、初のクルージング参加。
浜名湖 − 鳥羽間は、大体 70 km 前後。浜名湖を出てから 6 knot で 7 〜 8 時間くらい。
船酔いの前科持ちなだけに、大丈夫かなーと思っていたら、やはり来た来た、船酔い。無念。
昔は車酔いも船酔いもしなかったのに、いつからこんなに弱くなったんかなー。どうして Jo 嬢はあんなに元気なんかなー?
でも、鳥羽の空気はうまかったです。もっとうまかったのは、旅館の刺身……食い気ばっかし。
柴田さんの師匠が参加してくれて、技術的にもかなり練習になりました。クルージングレポートはこちら
次へ トップへ

2000 年 4 月 16 日H.Y.C. レース第 4 戦/第 5 戦
H.Y.C. では前期・後期に分けてレースを開催していて、今日は前期の終わり。
何故か、前期と後期に一回づつ二レースの日があり、今日はその日。
参加人数は少なかったのだが、大分操作に慣れたこともあり、実質3人でかなりスムーズに艇を走らせることが出来た。
MAcKYII は、メインセールの小さなセールプランなので、どちらかというとフォアセールが重要かと思っていたら、メインでも大分走りが変わることが判明。
トリム次第ではまだまだいけそう。
今回、なんと、過去最高順位をまたしても更新。着順 10 位、修正順 11 位。しかも、修正順上の前走艇までわずか 1.4 秒という大接戦。
しかし、興奮さめやらぬ第ニレースは、柴田さんの腰が悪くなり、棄権。無念っ!!
レポートはこちら
次へ トップへ

2000 年 4 月 14 日マイレディー
Yacht-user-ML で、Yamaha MyLady の売り出しが出ていたので、連絡を取ってみた。
是非試乗に、と誘っていただいたのだが、A 氏との相談の結果、まだ資金的に厳しくて買えない、との結論になってしまった。
買えないのに試乗しに行くのは悪い気がして、結局、この話はお流れ、残念。
MyLady なら 25 feet でサイズ的には手ごろだし、なんと言ってもセールをたくさんつけていただける、というのが魅力だったのだが、ホームポートの新潟から茨城への輸送の問題もあり、腰が引けてしまった。
あーあ、船持ちになるのはなかなか難しい。近くで安い艇が出るのを気長に待つか。
次へ トップへ

2000 年 4 月 9 日マリーナ巡り
A 氏と茨城のマリーナめぐり。
本当はもう一人のクルーザーオーナー、Festa さんの方で三河湾レースがある予定だったのだが、金銭難で不参加。
次週浜名湖レースで、その日はよりによって、一日 2 レースなので、体力的にもちょっと……。
後で聞いたら、Festa 24 ではまともに帆走できないほどの風と波だったとか。おもりとして参加すればよかったかなー。少し気がとがめてしまう。
マリーナ巡りは、大洗近辺と霞ヶ浦。
狙っていたマリーナのうちの一つ、大洗マリーナはすばらしく綺麗な新しいマリーナ。ここなら、多少高くても……とか思っていると、ヨットは桟橋係留だけで、フィート数に関係なく年間 60 万なんだそうだ。完全に予算オーバー。がっくり。
受け付けの人は結構親切でよかったんだけど。
土浦の京急マリーナは、値段が手ごろ。ただ、水質がマッディーで凄い。湖上係留だと、かなり頻繁に船底掃除が必要そう。
受け付けにも人がおらず、ようやく捕まえた人は、遊覧船の運転手(?)だそうで、あまり要領を得なかった。
これでいいのか? むー。
次へ トップへ

2000 年 3 月 21 日H.Y.C. ポイントレース第三戦
共同オーナー予定の A 氏と参戦。
前日帆走練習をして当日レースに臨んだ。
帆走練習時には、浜名湖には珍しく、艇がかなりピッチングするほどの波が立っていた。風も強く、ワンポイントリーフのメインだけで 5 knot 出てしまうような状況。
初ヨットの A 氏だが、意外と楽しんでいた様子。良かった。
ところが、レースはまるっきりの無風からスタート。しかも、振れながら次第に吹き上がってくる波乱の展開。
一時、(気まぐれな風に助けられて?)10 位以内を帆走したものの、変わる風に翻弄され、最下位に沈んでしまった(18/18)。
それにしても、A 氏、一回のセーリングで無風から強風まで体験してしまったのはラッキーだったのか?
しかも、MAcKYII ではなかなか上がらないスピンネーカーまで体験している。むむむ。
レポートはこちら
次へ トップへ

2000 年 2 月 25 日H.Y.C. ポイントレース第二戦
原稿の都合で第一戦は参加し損ねたため、第二戦からの参加になってしまった。
今回は Jo 嬢も同行、初レース。
今年は、全レース参加を目指すと柴田さんは意気込んでいる。
前日に練習帆走の後、レースに参加。今回もジブトリマーとして参加。大分慣れて来て、いくらかましなタック操作が出来るようになった。
Jo 嬢はバウでワッチ。
この日は、風がかなり強く、ほとんどひっくり返されかけている艇もあった。強風に強い MAcKYII も、大きなフォアセールを上げていたので、なかなかの苦戦。
島と半島の間を抜ける狭い部分で、後続集団は観光船とミートして大慌てしていた。湖上に汽笛が響き渡る。お客さんは、周囲がヨットで埋まって、特等席だっただろう。
柴田さんは強風によるディスマストを心配していた模様。やっぱり、クルーとスキッパーの視点は違うみたい。クルーはあくまで能天気に、好成績を喜んでいたのだが……。
18 艇中 12 位。第一戦(13/18)についで、MAcKYII としては最高順位を更新。
快進撃の開始か?
次へ トップへ

2000 年 2 月マリーナの価格
A 氏の調査で、ぼちぼちマリーナの価格が分かってくる。
ヨットを置く予定の茨城県では、年間 3 〜 40 万で置ける模様。
すると、二人で割ると 15 〜 20 万程度か。
A 氏は 30ft 以上の大きめの艇が欲しい模様だが、果たして我々の腕で乗りこなせるか? 最初はおんぼろの 23ft 前後の艇がよいのではないかとも思える。
ぼちぼち広告が気になりだす。インターネットで検索してみると、23 〜 25ft 艇は 100 万 〜 150 万程度で中古艇が売りに出ている。年式などによって、全然価格が違う。
100 万を切る艇があれば楽なのだが、さて、あるかどうか。
A 氏は、無事に 4 級船舶を取れた模様。おめでとさん。
次へ トップへ

2000 年 1 月 〜 3 月カップ中毒
ふと America's Cup ホームページに行ってみたことから、うっかりはまってしまった。
この時期は、寝ても覚めてもカップ、カップ、という状態。
自分で乗るようになると、いろいろ分かること、分からないことが見えてきて、とても面白い。
マッチレースの記事に接したのもはじめてなので、記事が英語なのも忘れて熱中した。
特に、技術的な面にも興味があるので、ワンメイクではないレースは、艇のデザインの差異についてもとても楽しく、悪魔的な魅力がある。
この奮闘努力の成果がAmerica's Cup による英語版用語集になった。
いつか、MAcKY のクルーとマッチレースもやってみたいもの。
次へ トップへ

1999 年 12 月 31 日 〜 2000 年 1 月 1 日年越しクルージング
初日の出に集う初日の出を見に船を出したい、という柴田さんのご希望に便乗させていただいてしまった。
この時、Jo 嬢が初参加。
昼間、軽い帆走練習をした後、2000 年 1 月 1 日 0:00 分に、舘山寺パルパル遊園地から上がった年越し花火を湖上で見てから船中泊、翌日朝、機走で浜名湖西側(ビーチスマリーナ前)まで暗い中船を出した。
他にも初日の出クルージングに出てくる艇があり、湖上に航海灯の灯りがぽつぽつと見えて格別。
ヨットの航海灯は、マスト上と甲板上についていて、独特の光景。美しいようなものさびしいような……。 夜明け前、渡り鳥の群れが上空遥かに渡っていくのを眺めながら、初日の出。
少し雲はあったものの、ほぼ綺麗な晴れ、見事な初日の出が見れました。ヨット乗りの特権かな。
次へ トップへ

1999 年暮れ共同オーナー現る
電話で話をしているうちに、友人の A 氏もヨット所有の希望をもっていることが判明。
ただし、今のところ A 氏もヨット経験なし。危なっかしいので、しばらくは浜名湖通いで腕を磨くか?
資金的にも、現状では若干難有りなのが判明する。
とりあえず、A 氏は 4 級船舶を取る予定だそうだ。
次へ トップへ

2000 年 12 月 5 日H.Y.C. ポイントレース第十戦
二回目のレース参戦。
艇は大変快走していたのだが、風の振れにやられたのか、最下位に沈んでしまった。
もっとも、レースでははじめてジブのトリムに参加させてもらったため、トリムがまずかった可能性も高いのだが……。反省。
また、スタート前に私がウィンチハンドルを落水させてしまったりとトラブルもあり、足を引っ張ってしまった。
この時はじめて、ヨットレースでは艇速とコース(角度?)が重要であることを認識した。
どうしても細かい話が知りたくなって、色々計算をはじめる。この成果が、「物理屋さんのヨットページ」になる。
次へ トップへ

2000 年 11 月 21 日初レース参加
この日、初のヨットレース参加。H.Y.C.(浜名湖ヨットクラブ)のクラブレース。
最初はレースというので参加を遠慮していたが、お言葉に甘えて参加してみたら、たちまちにして虜になってしまった。順位はともかく、風に合わせて最大の性能で帆走させる、というのはゲームのような魅力がある。
願わくば、レースで練習し、クルージングで実践する、という基本を作っていきたいもの。
詳細レポートはこちらで公開中。
次へ トップへ

1999 年 秋(10 月 10 日)ヨットの夜明け
スパムメールの対処法について、Yacht-ML に初投稿(ヨットの話題ではなかったことがなさけない……)。
これに対して、MAcKYII のオーナー、柴田さんから返信メール。乗らないか、と言っていただいた。
浜名湖ということでかなり迷ったのだが、チャンスが巡ってきたらやらないと、いつはじめるか分からない。運命の分かれ目をえいや、と飛び越す。
10 月 10 日に初ヨットに参加。
浜名湖から外洋に出る、とのことで勇んで参加したが、船酔いでダウン。残念ながら、帆走練習にはほとんど参加できなかった。
このときから、船酔いとの戦いが始まった。
この時は、前日 MAcKYII クルーの neko さん宅で夕食としてうなぎをごちそうになった。以来、皆様のお世話になりっぱなしです。
帆走前夜、新居港にて初めての船中泊。星と夜明けが綺麗。写真はこちら
次へ トップへ

1998 暮れ 〜 1999 夏ヨット黎明期
名著「スピン・ナ・ヤーン」に出会う。
それまで、ヨットの本といえばセーリング技術書か、途方も無い冒険の本かのどちらかで、いささかうんざりしていたのだが、「スピン・ナ・ヤーン」は、ずうっと生活の合間に航海をしてきた人の帆走エッセイで、船上生活のリアリティがあって新鮮だった。
これをきっかけに、Yacht-user-ML に加入。
(話が難しかったので)もっぱら ROM を続けながら、帆船の本を探しては読む。
その過程で、「帆船は不潔で臭かった」「湿ったところに苔が……」とか「船大工が乗っていて、損傷を受けると自力で修理することも多かった」などの帆船の雰囲気を掴んでいく。
なかでも、「壊血病」は凄まじく、目的地に着いたときに、船員が半分になっている、などの記述も多い。
突然、数々の探検や測量を成功させた上に、船の衛生状態を改善し、壊血病を追放したクック船長の業績の偉大さが理解できた。従来の習慣を打ち破って、大改革をやってのけたのだ。この人は……。
この時期、ヨットの体験試乗を探すが、スケジュールの関係で一時断念。
次へ トップへ

1998 春 〜 1998 秋先カンブリア期
大航海時代 II をプレイしながら、帆船に思いを巡らせた時期。
このゲーム上では、最初は「カラベル・レドンダ」という小型船に乗っており、お金がたまると「ナオ」「キャラック(好みによってはジーベック)」「ガレオン(またはベネツィアン・ガレアス)」と乗り継いでいくのが定石。
ひねくれものの筆者は、ここから外れることを画策、快速船「ピンネース」を主軸に、「スループ」を旗艦に据えた快速艦隊での航海を目指す。快速であるため足が長く、少ない食料でより遠くと交易できる利点を発見。

やがて、「スループ」を軸とした「ラ・レアル(ゲーム中随一の快速ガレー船)」旗艦の艦隊へと発展。海賊との海戦を含めて、おおいに楽しんだ。

まず、最初の興味は、これらの帆船・ガレー船群が実際はどのような船だったのかを調べることにあった。
その過程で、「大航海時代II」の登場船は、1200 〜 1800 年代の広い範囲にわたること、船の名前は、かならずしも特定の船型を指していない場合があることなども分かってきた。
参考までに、上記各船の正体を下表にまとめました(せっかく調べた知識の使いどころがないとさびしいものです……ぜひご覧下さい)。


カラベル(キャラベル)14 〜 15 世紀頃にポルトガルやスペインを中心に使用された軽快な船。マストは 3 本くらい。
ゲーム中には、「カラベル・レドンダ」と「カラベル・ラティーナ」の二種が登場するが、これらは帆装形式の差を表している。レドンダは四角帆の横帆、ラティーナは大三角帆を指している。
コロンブスのピンタ号、ニーニャ号がこの形式。
双方、当初はラティーナ帆装だったのを、ピンタはコロンブスが関係する前に、ニーニャは出発後に、それぞれ四角帆の横帆帆装に改装されている。大きさは 2 〜 30 m くらいだったと言われる。
船の船腹を平張りする方法のことを「カーベル造り」というが、語源はこのタイプの船と言われる(これに対して、バイキング船のような鎧張りの船を「クリンカー造り」という)。
エンリケ航海王子の頃のポルトガル海軍の船でもある
ナオ/キャラック「ナオ」は、その頃のポルトガル語で「船」の意らしい(※1)
船型としては、実は「キャラック」と同一の船を指すと考えてよさそう。
船首と船尾に高いやぐらを持ち、三本または四本マストの船。1000 トンを超える船も建造されたらしい。
コロンブスの「サンタ・マリア」はこの形式の船(約 200 トン)。
高いやぐら、幅広い船腹のため、喫水は深く、帆走性能は悪く、特に風上への切り上がり性能が悪かった。
コロンブスはこの船を気に入っておらず、サンタ・マリアの座礁を機に、嬉々としてニーニャに乗り換えて、ヨーロッパに帰還した。
ジーベックラティーナ帆装の地中海船。元々、スペインや北アフリカ沿岸を本拠とする海賊が用いたものらしい。由緒正しい海賊船。ゲーム中でも、多人数が乗れるため、接舷戦闘では相当な威力を発揮する。ただし、人がそれだけ雇えれば、という話ではあるが。ジーベックの資料は手元の本にはあまり載っていないのだが、当時の絵を見ると、なかなかすっきりした船型で、帆走性能も高そう。基本的に地中海で使われた戦闘船なので、漕走も出来たのではないかと思われる。
ガレオン大航海時代の帆走艦船の代表的なもの。キャラックよりもずっと低い船首やぐら、くちばしのように突き出た船首、より細長い船体が特徴。軍用・商用の双方に用いられた。通常、3 〜 4 本のマストを持ち、前二本が横帆帆装、後檣(ミズン・マスト)はラティーナを揚げた。4 本マストの場合には、最後尾マストは「ボナベンチャー・ミズン」と呼ばれる。無敵艦隊(アルマダ)の海戦(A.D.1581)の際のイギリス側の主力になったのが、この型の船。スペイン側に無かったというわけではない。ただし、この時の海戦で、砲撃で沈んだ船はお互いに数えるほどしかなく、ほとんどは敗走時の座礁や遭難による損害だったという。戦術もまだまだ未熟で、事実上、ドレイクやプロフィッシャーといった個人の技量と奇襲に頼っていた。華々しい海戦で次々と船が沈んで……というわけではなかったらしい。
ベネツィアン・ガレアスガレー船に大砲の威力を大々的に取り入れようとした試み。当時のべネツィアの秘密兵器。大型のガレー船の前後に円柱形のやぐらを持ち、そこに全周をカバーするように大砲を据えつけた。レパントの海戦では、大きな威力を発揮したが、その直後の無敵艦隊の海戦では、イギリスの帆走軍艦に歯が立たず、本格的な大砲時代には対応できないことが判明してしまった時代の仇花。ゲーム中では、最強の軍船の一つ。
スループ歴史上は謎の船。確かに文献には登場するのだが、具体的にどのような船型を指すのかがはっきりしない。実際、スループとして知られている船の間には、船型・帆装の差が大きく見られるらしい。歴史的には、アンソンが世界周航をした際にも、偵察などの任をこなすために、スループ船「トライアル」を伴って出発している。このスループは、砲 8 門、乗員約 100 名の船だったらしい。また、アメリカ独立戦争の際には、フランスはアメリカを支援するために、「浅い海域で役に立つよう」にスループを派遣したりもしている。実際、さまざまな帆装のものが知られているようだが、近代的には、一本マスト二枚帆の縦帆船を指す。代表的にはヨットが挙げられる。ゲーム中では、最高の性能を持つ小型船として登場。
ピンネース(ピネース)小型船の一種。無敵艦隊の海戦の記述にも登場する。この時には、艦隊内での連絡に使われている。また、後の記述の中では、「ガレオンからピネースを降ろし」たりもしている。本来は、補助用に使われる小型帆船で、外洋航海や貿易に使われるものではなかった?
ラ・レアル長年の調査の末、いまだにまったく不明なのがこの形式。どなたかご存知でしたら、教えて下さい。ゲームでの登場のしかたからすると、ビスケー湾あたりで使われた快速のガレー船らしいのだが、それ以上のことは不明。
※1:総称としての「船」が言葉として定着するのは、ずっと後世のことなのかも知れない。英語の「シップ」も、昔はある特定の形式(船首・船尾やぐらを持つ三檣帆船)を指す言葉だったらしい。今でも、「シップ形式」といえば、三檣以上で、全てのマストが横帆帆装の船のことを指す。これから推すと、「ナオ」といえば、まさに「あの」形式の船だったわけであろう。
次へ トップへ

太古はじめにゲームありき
ヨットオーナーへの道が始まったのは、1998 年のこと。
邪道にも、「大航海時代 II」というゲームとであったのがきっかけでした。
「異国情緒豊かな……」とか続くと思ったでしょ? でも、変なことに、もっと奇妙な部分に惹かれたのです。
このゲームでは、海上で食料が尽きれば、乗組員の数が次々に減っていき、船が帆走できなくなって、港を前に海流に流される……といった事態が発生します。
嵐の時に無理に帆走を続ければ、たちまちにして、船はきしみを上げて水中に没してしまいます。
その他、海域によっては、神隠しにあったように僚船が消えてしまったりすることもあり、しかも「XXXX 号が見当たらない」といった文章一つで消されてしまいます。
言ってみれば、ゲームのミもフタもないところに惹かれた、と言えますが、筆者は、こういう素っ気の無いのも、変にリアリティがあって、意外と好きなのです。

こういった不条理に対処するには、より良い船による、良い船団が必要です。
普通、主人公の冒険にエピソードを添えるだけの存在、船というものが、どんどん自分の中でクローズアップされていきました。
帆船のリアリティを無性に知りたくなりました。
実際に帆船そのものを主人公にした歴史の本は、数えるほどもありません。やきもきしながら、色々な本を読み漁りました。ですが、どの本も、実際に帆船の中で生活しているような気分にはさせてくれませんでした。
どうやって帆を操ったのか? どの程度の風でどれだけの速度が出せたのか? そして、どんな型の帆船があり、どういう風にして次の形式へ進化していったのか?
もっと、「技術史」のようなものも欲しかったのですが、何一つありませんでした。

帆船への知識欲は、やがて、ある本との出会いをきっかけに、ヨットへの興味に変わります。
「スピン・ナ・ヤーン(舵社)」がそれです。
これならば、いつか現実に自分のものになるかも知れない。全てを自分で知れるかもしれない。

「いつかヨットを持ちたい」は、(邪道ながら)私にとって、そのようにして始まったのです。
次へ トップへ








■航海日誌 Sea Side:ヨットちはやと半分オーナーの航海日誌