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【山の部屋】 |
| 尾瀬・至仏山 |
子供たちが楽しめるようにと、1日目の昼食はテンマ沢で素麺を茹でたし、2日目は小屋で作ってもらった昼食のおにぎりをほぐして、カレーライスを作った。東電小屋に泊まった翌朝は、湿原に漂うガスに朝日があたって無数のダイヤモンドの粉が光り輝くような幻想的な光景を見たり、たくさんの蜘蛛の巣が朝露に光る光景に感動したり、ナガバノモウセンゴケは食虫植物だと教えると子供たちはトンボを捕まえて食べさせてみたりと、楽しい山旅だった。 どの休憩地も水やトイレが完備し、山小屋も清潔で2日間風呂にも入れた。ごみひとつ落ちてなく、山全体が清潔で、景色は申し分ない。入山の交通機関も便利だし、体力に応じてさまざまなコースがとれる。 初めての尾瀬をたっぷりと楽しむことができて、以来、尾瀬に足繁く通うようになった。 翌年の6月には夜行日帰りで大清水から尾瀬沼を一周したが、ミズバショウの季節で、山は人、人、人の大混雑だった。 さらに翌年は、やはり夜行日帰りで今度は5月下旬に尾瀬ガ原を歩いた。 こうして尾瀬に通っているうちに、原や沼から見える山を今度は歩いてみたくなって、その年の8月に初めて至仏山に登った。まだ有給休暇などない自営業の時代で、独りで出掛けるときはいつも夜行日帰りだった。 夜行電車で沼田に着いて、すぐにタクシー相乗りで鳩待峠に向かった。峠に着いたらまだ3時。休憩所も閉まっている。寒くてじっとしていられない。パンとテルモスの紅茶で朝食をすませ、暗い中をさっそく歩き出した。 樹林の中の緩やかな道は寝不足の身体にもさほどきつくはなく、要所要所に木道も敷かれている。ところどころにある小さな湿地にはブヨがうるさく、刺されると厄介なのでそういうところは足を速めて逃げるように通った。黒木の森を抜け、森林限界を越える頃には空はすっかり明るくなったが、残念ながらガスが出て尾瀬ヶ原と燧ケ岳の展望がきかない。 オヤマ沢ノ田代で笠ガ岳への道を左に分け、小至仏山に快適に登る。このあたりから花がつぎつぎと出てきて、至仏山の頂上までの緩やかな道は花また花の楽しい道だった。蛇紋岩に咲くホソバヒナウスユキソウが見たかったが、もう時期が遅いのか、姿が見えなかった。そのかわり、タカネトウウチソウ、ヒメシャジン、ミネウスユキソウなどがよく咲いている。山頂のすぐ先の高天ガ原にはタカネナデシコがたくさん咲いて、ここでのびやかな景色を見ながらゆっくりと休んだ。早朝の至仏山は人も少なく、爽快だった。
山頂で花を楽しんだあとは、山ノ鼻へ下った。その後環境保護のためにこの道は通行禁止になってしまったが、そのころはまだ通ることができた。 高天ガ原をすこし下るとすぐに赤土の道が深く掘れた急斜面となり、これが山ノ鼻に下りきるまでつづく。花もなく、滑りやすい単調な長い下りはうんざりし、たっぷり汗をかかされた。もうこの道は二度と歩きたくないと思った。 2時間半ほどかかってようやく山ノ鼻に降り着いてほっとしたが、ここはハイカーがいっぱいいて、急に人間臭くなった。初めて尾瀬に来たときは静かだったのに、その後はいつ来ても人がいっぱいだ。当時の私は日曜日しか山を歩けなかったから、花の尾瀬を歩こうとすれば人出は我慢するしかなかった。 人でいっぱいの山ノ鼻は早々に通りすぎて、まだ時間が早いので尾瀬ガ原をすこし歩いた。上田代の湿原では定番のヒツジグサやコオニユリが見られたが、サワギキョウやワレモコウもかなり咲いていて、8月上旬だというのに早くも秋の気配を感じさせられた。
できればもう一度、7月の花の盛りに至仏山を歩いてみたいと思った。 小一時間の散策のあと、鳩待峠に戻り、タクシー相乗りで沼田に出た。 |
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| (2003年8月8日) | ||||||||||||||||||||
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| 【データ】 登高日:1983年8月7日 鳩街峠4:15→オヤマ沢田代5:40→至仏山7:50〜8:30→山ノ鼻11:10〜(上田代散策)12:20→鳩街峠13:40 |
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