火打山  山スキー:栗原のリベンジ編         写真へ

■ 2002年5月5日(日) 晴れ時々曇り
 7:10  笹ヶ峰登山口(1320m)   8:31  黒沢渡渉点(1585m)     10:10  富士見平(2100m)   10:58 高谷池ヒュッテ(2110m) 〜11:34   12:40 火打山(2461m) 〜14:12   15:00  高谷池ヒュッテ     17:49 下山
 山スキー3名  ツボ足 2名
 メンバー  大家 栗原 渡辺(以上35期山スキー)  尚子さん(大家妻)  中村(37期)

 今回の山小屋滞在のメインイベントが、この火打山登山であった。そして、主役は栗原氏であった。昨年の同時期に一緒に登山したのだが、栗原は富士見平で下山となり、今回そのリベンジを果たすというのがひとつの目標であった。

 雨降りの4日からの天候回復が遅くなり、雨っぽい朝であったが、6日に行くと帰りが大変になるということで、若干天候が優れないなかの登山となった。

 笹ヶ峰の登山口は、昨年とは大違いで地面が見える状況であった。山もずいぶん黒く見え、この調子では十二曲がりの半分は滑れないと思われ、そこまでしてスキー担いでいくかという心境でもあった。

 栗原のペースで登るということで、トップは栗原で始まった。他のパーティも多く、ルートはしっかりしていた、と思われたのだが、なぜか本来の登山道よりもずっと東よりのルートができていて、けっこうブッシュ越えが多くてロスした。あとで思うに、小さな沢を渡るのに楽な場所を選んであのような東よりのルートができてしまったのではないかと思う。

 黒沢の橋を渡ると、十二曲がりの急斜面はステップが切れていて、楽な登りであった。しかし、その後の稜線は雪が消えていて、スキーを付けたザックには厳しい登りとなった。そんな無雪地帯は15分ほどで、あとは快適に雪の上を歩けた。
 黒沢岳のトラバースは、さすがに雪が少ないということもなく、スキーをはいて快適に通り抜けられた。

 高谷池ヒュッテで若干の時間調整。寒冷前線通過後で、風が冷たい。昼寝にはちょっと寒い。今朝山小屋で握ってきた大きなおにぎりを食べる。

 1年前に骨折の事故にあった中村は、ツボ足なので先に行ってもらう。
 11時半に高谷池を出発。朝のうちは火打の山頂も雲に隠れたりしていたが、この時間になると低い雲はなくなった。天狗の庭から見ると、夏道のルートが若干地面を現していて、そちらを登ってる人も多いようであった。しかし、スキー登山ではできるだけ雪の上を行きたいので、トラバース気味に行く。いつもよりも潅木が出ているため、そのブッシュを避けるためにけっこう無駄な歩きをせざるを得なくなる。

 前に20人くらいの集団が歩いていて、その後ろについてしまった。しかし、この集団のルートの取り方はなぜか無駄が多いように見え、キックターンを多用して折り返しているためそこを直線的に抜かさせてもらった。トップを歩いている人はあの植木毅氏であった。ブッシュのところで「どうぞ」とかいわれて道を譲られてしまった。初めから植木氏とわかってれば、もう少し離れた場所を通過したのだが。

 腐って若干横ズレする雪をトラバースして雷鳥平に着く。ここからはほぼ直登で15分くらいだ。風が強くて、そのために何度か立ち止まりながら山頂にたった。

 山頂では中村が待っていた。その隣りに、登る時に前後していたマウンテンバイカーがいた。どこかの山岳部の集団らしい。現役とOBのミックスのようだった。  MTBは峰越えするのかと思ったら、山頂から笹ヶ峰に引き返すらしかった。この時期にMTBを担ぎ上げたのは初めてではないか。山岳部のOBだが自転車の大会でも優勝してるとの話であった。

 そうこうしているうちに、植木スクールの団体が登ってきた。MTBのダウンヒルを写真に収めようと思っていたが、残念ながら撮影できなかった。

 植木スクールの一団が到着すると、とてもにぎやかになった。30人くらいか。植木氏のヨーデルが山頂に冴え渡った。 
 その一団が次々と滑り降りていき、静かになってから栗原が到着した。風が強い中、居合わせた人にシャッターを押してもらう。時刻は2時であった。

 滑りは、一応鍋倉谷の源頭を目指して滑り、登り返すことにした。植木スクールが滑っていったルートだ。トラバースして滑った栗原と天狗の庭でいっしょになった。

 高谷池ヒュッテではツボ足組の二人が待ちかねていた。
 十二曲がりの上の一部はスキーを担ぐことになったが、その後はブッシュ帯につながる雪を探しながら、なんとか下まで滑った。
 黒沢橋から下は木道もずいぶん出ていたが、何度か板をはずしながらもしつこく9割以上滑ることが出来た。