聖徳太子”ゆかり”の謎多き寺  法隆寺


法隆寺夕景(写真:ひろろん)




法隆寺中門



法隆寺東院(夢殿)

  

西大寺の大茶盛り               法隆寺講堂

薬師寺

 

   
薬師寺東塔                  大池から見た薬師寺             


〜夢殿の謎と 隠された真実〜

日本での世界遺産第1号に登録された、ここ法隆寺。
世界最古の木造建築物として、あまりに有名だが、
実は法隆寺には、昔からいくつもの不可解な謎が秘められている。

その中でも特に謎に満ちているのが、東院伽藍(
夢殿)に安置されている秘仏・救世観音だ。
この救世観音は、聖徳太子をモデルにつくられた仏像だというが、
長い間、寺の僧侶でさえ見たことはいない、秘仏中の秘仏だった。
なにしろこの像を見た者は、目をつぶされ、寺は崩壊するとずっと言われ続けてたらしい。

現に、1879年。岡倉天心とフェノロサが、なかば強引に、
仏像に巻き付けられた500メートルもの白い布を解いだとき、
法隆寺の僧たちは「寺が崩れる」といって逃げ出した、という。

なぜ、太子をモデルにした仏像が、
そんなに恐ろしいものとして後世に伝わったのだろう?

沿革によると、夢殿の創建は
739年ころ、
太子がかつて住んでいた
斑鳩の宮跡に、太子を”偲んで”僧・行信が建てたものだという。
さて、ここで疑問が残る。
太子が亡くなったのは、
622年。実に百年以上も後に、太子を”偲ん”だことになる。
これは本当に、太子を偲んで建てた寺だろうか?

実は、この739年より2年前、奈良の都では、とんでもないことが起きていた。
絶対的な権力を維持していた
藤原氏四兄弟宇合(ウマカイ)武智麻呂(ムチマロ)房前(フササキ)麻呂(マロ))が、
わずか四ヵ月の間に、全員、突然の病死&変死を遂げてしまったのだ。
大和朝廷内は、大パニックとなった。
「これは誰かのタタリに違いない」、古代人はまずそう思った。
そこで彼らが思い当たったのが、聖徳太子一族のタタリだったのである。

なぜ、彼らはそう思ったか?
それは、かつて藤原氏には、聖徳太子の子である
山背大兄皇子を王位から落としめるため、
蘇我入鹿を使って追いつめ、とうとう山背をはじめ太子一族30余名を、自害させ、
太子の血筋を絶滅させてしまった、凄惨な過去があった。(ただしこれは定説ではないが)
そして、この一族の自害して果てた場所が、
何を隠そう、
斑鳩の宮=つまり今の夢殿が建っている地なのだ。

そう考えれば、この謎は解ける。

つまり‥‥
太子をモデルにした救世観音は、実は太子自身の御霊である。
そして、太子の御霊を”仏”として崇めたてまつり、
しかし、太子の御霊は、なにがあっても”その場所”に、留めておく必要があったのだ。
なぜなら、もう2度とタタリをおこさないために、外界へ抜け出てもらっては困る。
そうして彼らは、”
夢殿”という名のお堂を建て、
そこから絶対抜けだせないように、秘仏中の秘仏としてグルグル巻きにして、
太子の怨霊を閉じ込めてしまった‥‥。

これが、夢殿と救世観音をつくったときの、隠された真実ではないだろうか。

<Top>
|縄文の常識をくつがえした 三内丸山古墳
}藤原3代の栄華をたどる  平泉
~昔語りの里        遠野
岩盤に囲まれた武士の要塞 鎌倉
皇祖神アマテラスの鎮まる社伊勢
聖徳太子”ゆかり”の謎多き寺法隆寺
古代人の歩いた道をゆく  飛鳥路
1200年の繁栄をもたらした都京都
桃太郎伝説のロマン    岡山・倉敷
I大和のとなりの国の足跡をたどる吉備路
J日本一巨大な社の謎    出雲大社
Kエネルギッシュな古代ロマン筑紫国の古墳
Lよみがえる倭人伝の世界  吉野ガ里
M国宝・謎の石仏と謎の神社 宇佐・臼杵
N450年間の琉球王朝をしのぶ首里城
O琉球の神話と文化をめぐる 本島南部/