1997年5月に発行されたフリーペーパー「不定期仏友」第2〜6号で発表されたものをひとつにまとめるだけには飽き足らず、おおいに加筆修正してみた「独善」第4号を、ホームページに発表するにあたり世界標準化しました。本当かそれは。
 ちなみに、色が変わっている文字にポインタを合わせると、ステータスバーに注が表示されます。また、イメージが表示されてないマークが出ている所は、そこにポインタをあわせると、やはり注が表示されます。もともと画像なんてないけど注のためにおいてるんですね。

<高一の春休みを利用して僕は家出をすることにした。というのも、うちの家にはハングリーになる原因が、どこ捜してもなかったからや。オヤジもイイ人やったし、オカンも優しかった。だから反抗の理由は、こちらから用意しなければならなかったんや。>

 上の文章は、俺の敬愛するみうらじゅんが書いた「ボブ・ディランの家出」という文章の冒頭である(河出文庫『万博少年の逆襲』より)。

 そう、俺もみうらと同じだった。現状に満足しているからこそ、旅立ったんだ。

(1994年3月)

 前年、1993年の3月に自転車で琵琶湖一周したことに気をよくした俺は、またチャリ旅をしたくなった。春休みを待ったつまりこれは高校生最後の春休みであり大学生になったらこんなことはできないんじゃないかという恐れのようなものが俺にあったんじゃなかろうか。

 琵琶湖を回ったときのように、同じ道をできるだけ通らずに行けるところはないだろうか。

 そうだ、島だ。

 島なら起点と終点が同じでかつ同じ道を通らずにすむ。島を回ろう。
 でも、いちばん近所の島である淡路島は琵琶湖と大きさが変わらない。
 大丈夫だろうけど、つまんないな。
 よし、じゃあ四国もまわろう。淡路島は四国の〔ついで〕に回ろう。

 琵琶湖をまわったとき、地名がよく分からないので、案内標識を見てもどちらへ行けばいいのかわからず困った経験を踏まえて、メモ帳に地名を書き出し、案内標識を利用できるようにした。道に迷ったら標識を見て、メモにある地名のある道を選べばいいのだ。

 で、69の地名を書き出した。

<鳴門−徳島−小松島−那賀川−由岐−日和佐−牟岐−海南−宍喰(以上徳島県)−東洋−室戸−奈半利−田野−安田−安芸−芸西−夜須−吉川−物部川−桂浜−仁淀川−須崎−中土佐−興津崎−佐賀−大方−四万十川−足摺岬−千尋岬−宿毛(以上高知県)−城辺−鼻面岬−内海−由良岬−津島−宇和島−三瓶−八幡浜−保内−伊方−佐田岬−瀬戸−長浜−双海−伊予−松山−北条−菊間−波方−今治−西条−新居浜−川之江(以上愛媛県)−豊浜−観音寺−仁尾−善通寺−多度津−丸亀−坂出−大崎鼻−高松−庵治−志度−津田−大内−引田(以上香川県)

 非常に細かい(ような気がする)。淡路島や本州を無視しているが。
 よほど懲りたんだろうけど、地名の選び方がじつにめちゃくちゃだ。
 興津崎や鼻面岬は岬であり突き当りであり国道や県道の通り道ではない。つまり案内板に表示されても意味がない。行ってはいけない。

 なんでこんなことになったのかというと、参考にした地図帳でいちばん大きな四国が15センチくらいしかなかったからだ。そんなもんで旅ができるかよ馬鹿。というか地図もっていけよ

 とりあえずこの69の地名から、均等に主要な15ヶ所を選び出して、旅の予定を立てやすくした。

 琵琶湖一周で非常に苦しめられた手のひらの痛みに関しては、荷物を前カゴに入れていたからだろう、ということで、荷物は背負うことにした。
 それによって生じるケツの痛みに関しては、おばはんがサドルにつけるようなクッション的なサドルカバーをつけた。自転車は前回と同じダークジャスティスだ。

 そして寒さ対策。
 出発は3月上旬を予定していたので、琵琶湖を走ったとき(3月下旬)よりも寒いのだろうと思ったんだけど、なんとなく俺のなかで「南国土佐を後にして」という単語が大きな存在となり、というか、土佐情報ってそのぐらいしかなく、南国というんだから暖かいんだろうと高をくくって行った。というか四国=高知という発想に大きな間違いがあるといえる。

 荷物は多かった。内容は思い出せないが大きめのリュックにいっぱい荷物が入っていた。寝袋を持ってった九州旅をのぞけばこの旅が一番荷物の多かった旅となる。不思議だ。

 チャリ旅同好会会長でもあるが本来つまり原初的には仏友会主宰である俺なので、行きたい寺もきっちりチェックしている。当時は『仏像案内』(佐和隆研/吉川弘文館)だけしか持ってなかったので、それだけを参考に6つの寺を書き出した。

<香川−善通寺/愛媛−太山寺/高知−竹林寺・雪蹊寺・薬師堂・金剛頂寺>

 というか、地図も持ってないのに、名前だけで行けるものなのか。

 今回の所持金は4万円ポッキリ。そのうち1万円を封筒に入れ、リュックの奥底に「もしものため」として封印した。郵貯のカードなどを持つのはもうすこし後であり、このときは本当に4万円しか持っていかなかった。

3月1日(火)初日

 前回の反省を大いに踏まえて、ほぼ完璧であると自負できる準備を整えて、午前0時に俺は家を出た。1日の0時に出発したのは、出発後に、何日目で何時間経過したかが計算しやすいと思ったからだ。理由はそれだけだ。別に計算しやすくてもなんのメリットも無い。

 家族に心配をかけまいと、「四国に行ってくる」と書き置きを残しておいたのだが、やはり家出と間違われ非常に心配をかけた。そりゃあ、朝起きたら書き置き残していなくなってるわけだからな。

 というかなんで秘密裏に出立する必要があるのか、と思うかもしれないが、俺にとって四国一周とは途方も無く大きなものであり、ほんとにできるかどうか不安であり、できなかったらカッコワリーのでこっそり出たのだ。別にできなくてもかっこ悪くないが。

 地図が無いので、とりあえず西の方へ進むといいのだろう、という意識で西進したら、大阪府を出るだけで、おおいに時間をくってしまった。なんとかR2に乗り淡路島への玄関口である明石(兵庫県)へ向かう。

 夜中の3時ごろ、パトカーが俺を追い抜いてゆき、少し前で停まった。中の人が俺を呼びとめた。自転車が無灯火だったからまずいなと思った。
 まずそのことを注意されて、何処から来て何処へ行くのかと細かく尋ねられた。
 そりゃ大荷物で真夜中に自転車で走ってんだから怪しまれても当然なんだけど。
 なぜかおれはものすごく感じの悪い応対をした。
 何処へ行くのかという問いには、四国一周をする自信は無かったので淡路島とだけ答えた。ただ、ライトは故障していたのでパトカーの人の意に沿うことはできなかった。

 明石へは朝方に著いた。
 俺は淡路島へ渡るカーフェリーの値段しか知らず、人の使うフェリーに自転車も乗せられることを知らなかったので、3000円くらいかかるものだと思っていた。実際には人の乗るフェリーがあり、自転車込みで700円ですんだ。というか往復6000円を見越して所持金4万円って少なすぎ。というかそれが当時の全財産だったのだから仕方ないけど。
 マリンフラワーという名の船だった。

 船をおりたら、すっかり朝だった。
 すがすがしい晴天と、冷たいけどすがすがしい空気に、気分よく路線バスなどと競争気分で走る。
 当時はまめだったので道すがらにある神社を丹念に見てまわる。

 「世界平和大観音」の前を通る。これはまあ全国各地に点在する馬鹿でかい観音像のうちのひとりだ。たしか、のぼることもできる。
 俺は物心が付くか付かないかのときに見た記憶があったので入りたかったが、まだ開館時間ではなかった。待つのも面倒だし。

 10時ごろ、海辺で遅い朝食をとり、大学ノートに旅日記を記した。すでに四国一周をする気力は失せ、淡路島一周でいいかも知れぬと気弱な事を書き残している。

 津名町。おのころ愛ランド(知ってる?)を無視し、洲本市では洲本城を写真に撮り、淡路文化資料館を適当に流して(でも館は見るんだな)、走り続ける。

 午後に入り、何もないのぼり坂をぐねぐね押している俺を看板が誘う。

「朝日テレビで紹介されたナゾのパラダイス」

 朝日放送「探偵!ナイトスクープ」で紹介されたそれを、俺はもちろん知っていた。以降のネタが「パラダイスもの」と呼ばれるきっかけとなったあのナゾのパラダイス。あ、そうか、淡路島にあったんだっけ。行けるなら行きたいな。

 あと5キロ、あと2キロと、徐々に看板の表示する距離は小さくなってゆく。

 そして、山道を降っていると、料金所のような所があり、おばはんが俺を呼び止めた。
 有料道路なのかと思って自転車を停めたら、立川水仙郷に来ないかという客引きだった。
 立川水仙郷といえばナゾのパラダイスの別名(正式名称)である。ええ、喜んで行きますとも。ただ、その勧誘の仕方は紛らわしいぞ。100パーセントひっかかるぞ。

 まあ、なかなか面白かったんだけど、ここは珍名所ファンには周知のところゆえ詳しくは記さない。テレビ以前にも「BE−PAL」「Outdoor」などに紹介されていたようだし。今なら『珍日本紀行』(都築響一/アスペクトなら9800円/ちくま文庫なら上下巻各1800円)『全国お宝スポット魔境めぐり!』(別冊宝島378)で確認できる。Googleで「ナゾのパラダイス」で検索してもわんさか出る。

 俺にしては珍しいことだが、そこの主人と20分ぐらい話す。
 当時はまだそれほどメジャーではなかったようで、笑福亭学光がリスナーを連れて来たということを自慢げに語っていた。

 適度にくつろいだのち、そこをあとにする。

 くつろぎすぎた。
 淡路島南端に到着するころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
 薄暗く気乗りのしない山道をだらだらと押し進みのぼった。今でも覚えてるなあ。

 四国へ渡るために大鳴門橋に向かったのだが、その入口で、自転車は大鳴門橋を渡れないことを知った。
 俺は橋を渡って四国へ行くことしか考えていなかったので、非常に焦った。
 確かフェリーもあったはずだ、と思い、フェリー乗り場のあると思われるあたりまで行くが見つからない。どちらにしても、すでに最終便は出ていたろう。

 〔今日は四国には行けない〕という事実を、厳格かつ素直に受け入れた俺は、とにかく一晩をどこかで過ごそうと、丸山漁港の民宿の扉をたたいた。
 しかし、大荷物が家出に見えたのか、いっぱいだからと断られた。あー、だめだなと思って、1軒目であきらめた。

 しかたがないので近くにあった、物置として使われているふうの、廃マイクロバスに乗り込み、朝までをそこで過ごすことにした。レジャーシートに胎児のように身を縮めて包まるが、寒くて眠れない。

<明日、四国に行けないとわかれば西岸とおって帰る。もうあの暗い道を自転車押すのはごめんだ。人間がおかしくなる。>

 当時のメモには寒さで震えた文字でこう書かれている。精神的にかなりマイっている様子が手に取るようにわからないでもない。
 ちなみに今の俺は<暗い道を自転車押>してもなんともない。というか楽しい。朝スタートして、夜に山を押してようやく、「あー、おれ旅してるわ」と感じる。もう<人間がおかしくな>ってしまったのだろうな。

 そして、大荷物を背負ってたから、予想通り尻が痛い。肛門付近がサドルと擦れて痛い。靴擦れみたいなもんだろう。
 だから解決のしようがない。今後のチャリ旅でもやはり尻は痛かった。

 しかたなく句を詠んだ。

廃車バス 我がの尿する 枕元

 「枕元」とはいえ、本当に枕元に小便をしたわけではない。バスから降りてした。これはつまり芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕元」という句をナニしたわけだ。旅先でつい博識なところを見せてしまったわけだ。誰に。

使った金
明石フェリー料金(700)・おにぎり3個セット・パン(463)「SPA!」『耳嚢(上)』(1070)
 ほか、淡路文化資料館/ナゾのパラダイス/キーホルダー、とこの日は以上のものに金を遣った。金ないんだから、無駄遣いするなよな。『耳袋』(岩波文庫)なんか、今に至るも読んでないし。というかどっかいっちゃったし。

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