この文章は1996年「佛友新聞」というフリーペーパーの第19号から45号まで断続的に連載された「ネタ旅日記」と、1997年「不定期佛友」第10号から14号までに発表された「チャリ旅日記」を統合し、全面的に修正を加えた、ほぼ完全版です。

 そんなわけで、これは1996年2月の話。

 1994年に四国と紀伊半島を自転車でまわった俺は、次の目的地を九州に設定した。

 なんで九州なのか。

 そもそも俺は、同じ道を二度通るのは嫌というか、新鮮味がなくなってヤなのだ。
 だからこれまでも四国や紀伊半島や琵琶湖をまわった。で、大阪をでて行ける島、を考えたら、大阪南港からフェリーが出ている九州だな、と。

 だから、距離が長すぎるんじゃないかとか金銭面の余裕は、とかそういうツマラヌ要素は全く考慮に入れられなかった(普通入れるべきだと思います)。

 出発前にまず用意したのは自転車だった。四国をまわった時のは既に壊れていたし、紀伊半島をまわった疾風怒濤号は大学のある地にあったので、こんかい大阪からスタートする俺には自転車がなかったのだった。
 そこで街の自転車屋にゆき銀色のワイヤーカゴのついた3段変速のマシンに荷台をつけてもらって買った。35000円くらいだったろうか。
 俺にはとても素敵に走りそうなイイ奴に見えたが、人はこれをママチャリと呼んだ。俺はシルバーと呼んだ。結局こいつとは5000キロ以上いっしょに走って青森で別れた。

 そんな俺の荷物と自転車はまあこんな感じ。これはもうスタートして九州に上陸してから撮影。荷台に寝袋カゴにその他、これと20リットルくらいのデイパックで全荷物。
 あと、さまざまな書物を参考にして、フリーペーパー「仏友新聞」のネタになりそうなスポットをメモした。あと、各県庁所在地の駅の近くのビジネスホテルと。
 他に用意したものは今までとあまり変らぬ、ウエットティシュ、ガムテープ、ライト、メジャー、カメラ、フィルム、タオル、ラジオ、カッターナイフ、着替え、腕時計、道路地図、使い捨てカイロ、ヒザサポーター、タイツ、筆記具。
 とくに新しい装備は寝袋。
 俺は夜通し走る男なので、あまり必要性は感じられなかったのだが、やはり眠くて危なかったときもあったし、いかに九州とはいえ2月の夜は寒いだろうし、大阪市職員であるところの父が大阪市のマークの入った寝袋(災害時に使うものです ね)をもって帰ってきたのでそれで行こうと決まった。俺は大阪市民ではないが。
 そんな旅だから、普通の旅人のように一日一日をきっかりと区切りにくいので、この稿ではビジネスホテルに泊まった都市から都市までをひとつの〔節〕として話を進めていくことにしよう。

第一節
実家−大阪南港
2月10日(土)初日

 古い話になるが、ちょうどこの日、北海道のトンネルの入口で岩が崩落し、バスなどがトンネル内に生き埋めになるという事故があった。
 そんなニュースをテレビが放送していた午後2時前、俺は自宅を出発した。大阪南港から出る新門司行きのフェリーの予約は済んでいた。
 南港までの道はおおよその交叉点をメモしており、メモ通りに進んだら著いた。

まだ九州旅のスタート地点にも立ってはいない俺のヒザは少し痛んだ。
ずいぶんあとに、自転車旅の入門書的な本を何冊か読んで知ったことだが、ジーンズでサイクリングはダメだそうで、それが原因だったのかも知れない。けど当時の俺は、たんに運動不足のせいかと思ってた。

 フェリー乗船口の前にはけっこうクルマが並んでいる。
 でも、自転車はあとからきても、既に並んでいる自動車よりも先に乗船できる。問題ない。
 いちばん前にいた切符を拝見のおじさんに「ええ自転車やな」と言われた。だろ、わかる人にはわかるんだよやっぱり。
 フェリーにいちばんのりして、自転車を奥のほうの柱などに固定してもらう。

 16時半。
 二等和室(雑魚寝)に入り、奥のほうに。
 こういうところでは思わぬ素敵な出会いがあるものだと思ったが、俺のまわりはオタク男3人と、おばはんのうるさい家族づれ。俺の日記にはこの男3人のことが異常に詳しく描写されていて 面白い。

 船内のゲーセンでいつものようにシューティングゲーム「雷電」(セイブ開発)をプレイしていた。
 横から子供が覗き込んでいる。中国人だろう。
 ふむふむ俺の上手ぷりを見るがいいさ、と思ってやっていると、子供は俺のとなりに座った。そんなに俺の華麗なプレーが見たいのか、と思っていたら、彼はおもむろにコインを投入し、2Pで参加してきた。
 格闘ゲームならわかるが、シューティングゲームだ。こういうものはストイックにひとりプレーするものであり、友人と協力プレーすることはあっても他人とすることはまず無いといっていい。俺もこれが最初で最後だ。
 子供はなんか中国語でぶつぶつ言いながらプレーしていた。この状況が面白くて、俺は笑いをこらえるのに必死。パワーアップアイテムも取らずに子供にまわし、頑張ってこの日中連合軍を持続させようと努力したが、子供はすぐゲームオーバ ーになり、去っていった。

 波の揺れではないな、船の発動機だろうかの細かな振動がとても疲れたので、2等和室を使うのはこれが最後となり、いらい同じ2等でも寝台を利用するようになった。
 なんか気分を出そうと、甲板に出て缶の水割りを飲んだ。

出費
 フェリー代(自転車込み。5680) CCレモン(130) チートス(菓子/150) 白角水割(280/以上フェリー内価格)

第一節の走行距離 摂津市−大阪南港 30キロ

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2001.10/20