佐多岬のことはあの日から一時たりとも忘れたことはなかったさ。
あの日。そう、話は2年前にさかのぼる。
1996年に行われた九州チャリ旅のとき。2月15日。俺は鹿児島県の佐多岬へ向かった。
しかし本土最南端であり旅人の憧れの地である岬まで数キロを残すのみとなったとき、佐多岬ロードパークの料金所のおっさんに軽車両通行不可であると止められて、そのままあきらめて帰ったのだ。(この時のことは、九州旅日記に詳しい。というか、佐多岬は人力旅人を迫害する岬ということで有名。なのに自転車少年は走らせるしドロンズはロバ歩かせるし、業界では悪名が高い。)
だから今度は、なんとかして、最南端まで行こう、と心に決めた。
しかし、また自転車で行くのも芸のない話だ。完全にカブってしまう。じゃあ、徒歩で行こう、ちゃんとしたキャンプの装備をもって、徒歩で行こう、と決めた。シェルパ斉藤や野田知佑さんがキャンプを張ってコーヒーなどを飲んでいる文章を読んで、かっこよく思っていたからだ。
それに、俺も大学を卒業する時期を迎えた。就職したら、もう長期の旅はできない。この春休みが最後のチャンスだった。卒業旅行ではなく、旅行卒業、そんな気持ちだった。
それに、鹿児島にはMBCラジオがあった。また聞きたかった。
読者的には先週だが、俺にとっては半年前、むつ市下北駅前で別れた(つーか捨てた)我が愛車、シルバーなんたら号のカギはまだ手元にあった。
そうだ、こいつも一緒に佐多岬に連れていこう、2年前に行けなかった佐多岬に。そうやって本州の北端と九州の南端にシルバーの痕跡を残そう。
ガシャポン(200円)のカプセルにカギと手紙を入れた。文面は左のとおり。
<この自転車のカギを使用したい人は、下北駅前(青森県)に行ってください。運が良ければまだそこに自転車はいると思います。銀色の自転車です。1997年9月13日に僕が置き去りにした自転車です。料金所で止められ、ここまで到達できなかった自転車です。
1998年2月 竹永英斗>
実際、カプセルを発見されるような所に置くつもりはなかったが、もし見つかったときのために手紙を書いた。
一往実家の住所も書いた。
そして、卒業旅行ということで、今までになく準備は綿密に行われた。
例によって、用意された荷物をここに記してみよう。
地図(志布志から佐多岬までコピー)
シュラフ(イスカ[アルファライト600])
テント(モンベル[ムーンライト1]一人用)
バックパック(ジャックウルフスキン[シャモニー]容量50L)
ストーブ・ガスカートリッジ(EPIストーブ用3個。一個も使い切らなかったけど念のため)
食器(チタン製。火にかけて使える。ナベ2種と蓋に使えるフライパン)・武器
シェラカップ(旅人は持たなけりゃと思って。チタン製)
水タンク(プラティパス/660ぐらい入るもの)
食料(スパゲティ・アルファ米など15食ぐらい)
マグライト(2代目懐中電灯)
乾電池(単三・単四6本ずつ。余った)
タオル(ハンドタオルを二本。使わず)
オロナイン(ほとんど使わず)・バンテリン(ほとんど使わず)・リップクリーム(ポケットに入ってた)
カッターナイフ(オルファ)
ウエットティシュ(古かったから乾いてた)・歯磨きセット(ほとんど使わず)・耳かき(もしものために)
メジャー(使わず)・サイコロ(ただ入ってた)
ロウソク(2本。ランタンを持たないため。しかしマグライトで用は足りた)
カメラ(含フィルム)
テープレコーダ(含テープ・マイク)
メモ帳(含ペン)
・手ぬぐい(いつも持ってる)・ポケットティシュ・絆創膏(使わず)
ナイロンコード(ザックの上にものを止めるときのため)
新聞紙(何かと便利)
デジタルモンスター(バンダイ。不必要)
ザックやシュラフやストーブやテントは持ってなかったので、今回新たに購入した。だから出費がかさんだ。
でも、また使えるし、こういうのを持っていた方が旅に出たくなるだろうと思って。
旅から帰ってきて、この他に必要だと思ったのは、ガムテープ・輪ゴムなど。
シュラフカバーやマットも必要といえば必要だが、別に無くても困らないと思う。万歩計を持っていくはずだったのだが、忘れた(メモ帳には歩数を書くスペースまで空けていたのに)。
2月20日は、就職するとこんなこともできなくなるのだなあ、と思って、自宅で髪を紫に染めたもののたいして色が変わらず、手間の割りにはつまらない思いをしたまま、未明に就寝。翌朝はそれほど早起きをする必要はなかったから。
2月21日(土)初日
午前中に近鉄に乗り伊勢を離れた。
梅田のアウトドアショップでまだ足りない道具や食料を買い込み、大阪の南港へ向かった。
南港かもめ埠頭から出るブルーハイウェイライン[大阪−志布志]の便に乗るからだ。
既に二等和室(雑魚寝)で予約をしていたんだけど、翌日からめちゃめちゃ苛酷な旅が待っている事を思い出し、ここで疲労するのも損だと思い、受付で二等洋室(寝台)にかえてもらう(パッキングもし易いし)。
18時出港で、[さんふらわあえりも]という名前のフェリーだった。鹿児島へ行くのに襟裳。
フェリーに乗るのは、一年前に山陰チャリ旅で使ったから、およそ一年ぶりだ。かといって、感慨深いものもない。
デジモンも一緒だ。旅先でも寝起きを共にするわけだ(しかし、実際はたいてい俺の方が先に寝てしまい、デジモンには悪いことをした)。
あとでも書くが俺はとにかく出無精なので、二等寝台などに入ると、ほとんど外へ出なくなる。この日も結局、飯も食わず何も買わず、トイレにも行かず、ずっとそこにいた。
出費
宇治山田−上本町近鉄・谷町九丁目−東梅田・西梅田−フェリーターミナル・大阪南港−志布志(近鉄・地下鉄・ニュートラム・フェリー。12210)
ゲーム(麻雀。100)
シェラカップ・カートリッジ・水入れ・武器(3412)
コーラ(220)・チョコバー・ココア・アルファ米など(15食くらい。3476)
21日の歩行距離 5キロくらい
2月22日(日)二日目
フェリーは10時に志布志に到着するということだった。
9時頃に缶コーヒーを買い、なんとなく朝気分にする。今までは早朝に着岸していたけど、やっぱ鹿児島は遠いのだな。
窓から外を見ると、曇り空、というか雨寸前という感じである。
いつものことだが、雨具のタグイをいっさい持っていないことに不安を覚えたので、とりあえず、道路地図で見た[ダイエー]へ行って傘や便所紙や食料を入手しようと決めた(便所紙は入手というか奪取というか拝借というか)。
そういえば、昨日はデジモンより先に寝てしまった。デジモンが寝たら電気を消してやらなきゃならないのに。わりいわりい、と液晶画面を見ると、幸いデジモンはまだ生きていた。というか、進化して今まで見たことのない[デビモン]になっていた。まあデビモンならそれほど丁重に扱わなくても良さそうなので(なにせデビルだからな)楽で良い。
船内には、乗船したときと同じく[さんふらわあ]の歌が流れ出した。もうすぐ到着か。
フェリーがまだ接岸もしていないのに乗客たちはどんどんと出口の方へ集まりだしていたが、そんなに急ぐ必要もないし、俺は男らしく旅慣れた感じを見せねばとじっと座って待ち、乗客としては一番最後にフェリーを降りた。
そういえばこういう港からは最寄りの駅までバスが出ているものだ。それも無料のバスが。そのバスに乗ろうと思って探すが見当たらない。どうやら、もう出たあとのようだ。ゆっくりしすぎた。旅の素人まる出し。
仕方なく有料である市バスに乗って志布志駅前に。バスからまわりを見回すが、ダイエーは見えない。[タイヨー]というスーパーだけが見つかった。もしかして、あれと間違えていたのか。(ちなみにタイヨーは鹿児島県下で展開)
仕方なく、タイヨーではない駅の近くのスーパーで、スナック菓子やチョコレートや飲み物や予備食料を購入し、スナックを食べながら歩き始めた。
子供や女子が筆者を振り返る。菓子を食いながら歩くのが珍しいのかと思ったが、食い終わってもやはり見られたので、たんに旅人が珍しかったものと思われた。というか俺が珍しかったんだろう。
目の前の道路で救急車にケガ人が搬入されている。ああはなりたくないものだ。けが人を病院まで運ぶのは大変そうだからな。
荷物は、意外と重い。
とにかく、肩が痛い。
この手のザックは肩や背中や腰にうまいこと重量を配分して軽く感じるはずなんだけど、今一つコツがつかめず、どうも肩が痛い。腰に荷重がいかない。(結局最後まで解決しなかった。体の大きさに合わないのかもしれないね。背面調節機能がついていないからね。その分軽くて安かったんだ)
11時すぎに、[サンキュー](鹿児島で展開するディスカウントショップ)志布志店で傘を購入。これで雨も大丈夫だ。というか早く降ればいいのに。
万歩計は売ってなかった。ポケットカメラを売っていたがゲームボーイを持ってきていなかったので買わなかった(結句ひと月後に購入)。
その店の前の押しボタン信号は、ボタンを押した瞬間青になる、これぞ押しボタン信号というものだった(九州には多いらしいが)。
店の前のベンチで休憩をした。珍しく、犬が近くに寄ってきた。
それからながいじかん志布志町を歩いた。
12時15分、大崎町。(今回、小まめにメモをしていた。偉い。読者は鹿児島県の地図を見て確認しろ)
しかし志布志駅前からまだ5キロばかり。10時に港に到着したはずなのに、こんなペースでいいのだろうか。肩は痛い。1時間弱に1度のペースでザックをおろして休憩する。というか、肩が1時間もたない。血が通らなくなるのか腕も上がらなくなるのだ。そうなるとウオンチューもできぬ。
14時10分、東串良町へ。たしか町長が贈収賄的なことでナニしたとこだと思ったがそれは俺が就職してからの出来事であり当時の俺はそんなことを思うはずも無かったのだった。(思ってもないことを書かないように)
雲行きは依然として、いつ降ってもおかしくない感じに見えた。まあ、傘を購入したからには一度くらいは降ってくれてもいいんだけど。