10月*日 桜の木の下には死体が埋まっている

拙者の記憶が正しければ、これは梶井基次郎氏の言。
人づてに聞いた解釈であるが、「美しい薔薇には棘がある」を
さらに深遠にしたような意味合いで、物事の二面性をなんとも的確に表していると思われる。
拙者の好きな言葉である。
これ程に美しい花を咲かせる桜。その根元に埋まる死体。
桜はその死体から毒あるいは美を吸い取って花に昇華させる。
なんと美しくも妖しい構図。
実は拙者の最も好きな花は桜である。
桜の時期になるといてもたってもいられない。とにかくどこかへ観に行きたい。
拙者の故郷山梨はフジザクラを県花としている。
甲府市内に護国神社というのがあるが、そこの桜は大木で実に見事な花を咲かせる。
7年前に亡くなったわが幼馴染の墓参りがてら、だいたい毎年観に行くようにしている。
その近くにある国立兎中学校の庭の桜も見事だった。
皮鞄の口を開け、その中に舞い散る花びらを集めて遊んだものだ。
東京でいえば、市ヶ谷近辺のお堀の周りに咲く桜。
これは中央線からよく見える。
野暮用でもこれを観られると思うと、出かける足も軽くなる。
それから代々木公園。拙者の職場の花見はいつもここであった。
今夜はらんちきになるぞと気合を入れて臨むのだが、考えることは皆同じ、
通路の反対側に上司たちがゴザを敷いて飲んでいるのだからあまりいい気はしない。
哀しきサラリーマンの時代であった。
あと有名なのは隅田川ですな。
しかし、拙者が思うに、ここの桜は花の咲き方があまり密ではない。
本数は相当のものだが、あまり迫力を感じないのは拙者だけであろうか?
桜といえば、八重咲も捨てがたし。
拙者の通っていた国立兎大学にも素晴らしい八重桜があった。
夜、楽器の練習を終えて帰途につくと、赤みがかった街灯の中に桜色がほんのり浮かび上がっている。
「桜餅食べたい・・・」などと思いながら、しばし立ち止まり
その短い花の時期を楽しんだものだった。
そういえば学校の裏のグラウンドには見事な枝垂桜が咲いていた。
毎夜のようにその下で花見をする新入生たちの姿があった。
八重桜でもうひとつ印象に残っているのは仙台秋保(あきう)温泉界隈の八重桜。
5月の末に行ったのだが、丁度見頃であった。
とにかく花一つ一つが大きい。そして色も濃い。
なんとも華やかな八重桜がそこかしこに咲いていて、拙者はとても幸せな気分になれた。
ひとつ、桜での遊戯を。「桜笛」。
きれいな花びらをひとつ拾って、それを唇に軽く当てる。
両端を両の指先で持つか押さえるかして。
そして唇を硬くして息を吹くと、「ビー」という音が出る。
口の形を微妙に変えると、それで曲を弾くこともできる。
是非一度お試しあれ。
桜のこととなるとどうも興奮していけませんな。
本日は閉店。
兎耳堂