旧日本陸軍 四式戦闘機 「疾風」

- 格闘性能に優れる97式戦闘機や一式戦闘機「隼」、そして速度と攻撃力を重視した二式戦闘機「鐘馗」など次々と日本陸軍主力戦闘機を生み出した中島飛行機。その中島飛行機が総力を結集し、太平洋戦争後半の陸軍主力戦闘機として開発したのが四式戦闘機「疾風」です。
疾風の開発は開戦間もない昭和16年12月末、陸軍から出された新型戦闘機キ‐84の試作内示に基づいて開始されました。その要求内容は最大速度680Km/h、高度5000mまでの上昇時間4分30秒という鐘馗を上回る高速性能と上昇力、そして隼と同等の運動性能と航続力、さらに高い攻撃力を備えるというもので、この高性能を得るため発動機には中島製ハ45が選定されました。このハ45は隼や零戦に搭載されていた16気筒の栄発動機を18気筒化し、小型軽量にまとめた2000馬力級エンジンで、特殊鋼鋳造品のクランクケースなど数々の新機軸が盛り込まれていました。そして左右の前縁が一直線となる主翼や射撃時の安定性を高めるために水平尾翼より後方に取り付けられた垂直尾翼など、隼や鐘馗の特徴を引き継ぎながら各部に改良が加えられ生産工程も大幅に低減、さらに13mm防弾鋼板や70mm防弾ガラスなど日本機として初めて操縦席周りの防弾も設計時から考慮されました。
試作一号機は昭和18年3月に完成し、翌年4月に四式戦闘機「疾風」の名称で制式採用、同年8月に飛行第22戦隊が中国大陸で初陣を飾り、その後フィリピンや沖縄、そして本土上空でのB29迎撃などに奮戦。胴体に12.7mm機銃、主翼に20mm機関砲各2門を搭載した甲型や、胴体の兵装を20mm機関砲2門に強化した対爆撃機用の乙型など各型合わせて約3500機が生産されました。
大戦末期には資材の質や加工技術の低下にともなって疾風の稼働率や性能も低下し、本来の実力を十分発揮できませんでしたが、戦後アメリカ軍によって良好な条件のもとで行なわれたテストでは、689Km/hの最大速度を記録、設計通りの高い性能を示したのです。
※ キット同梱の「疾風」組み立て解説書より抜粋
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