旧日本海軍 潜水艦 伊16 & 伊58

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太平洋戦争が始まった時、日本海軍は63隻の潜水艦を持っていました。この数は第2次大戦が始まった時のドイツ海軍の潜水艦の数と同じでしたがその内容はとても違ったものでした。ドイツ海軍の潜水艦は、350トン級の小型艦や700トン級の中型のものが主になっていたのですが、日本の潜水艦は、1000トン級11隻、1400トン級4隻、そして1700〜1800トン級21隻、2000トン以上21隻と大型のものばかりだったのです。それは日本とドイツでは潜水艦の役目が違っていたからです。ドイツでは、敵の武器や物の輸送をくいとめるために輸送船などを攻撃する通商破壊戦が潜水艦の主な役目でしたが、日本では艦隊どうしが戦う時に、前もって敵の戦艦や空母などを攻撃して敵艦隊の力を弱めておき、味方の艦隊を助けるという役目や、遠くアメリカ本土のそばまで行って出撃してくる敵艦隊を攻撃するという任務が考えらたため、強い武装や遠くまで航行できる航続力、荒れた海でも活動できる優れた航洋性が必要とされて大型の潜水艦となったのです。
このような日本の潜水艦の中心は、昭和12年の第3次軍備補充計画で作られた伊−9型(甲型)、伊−15型(乙型)、伊−16型(丙型)の13隻でした。この13隻の潜水艦は、型によって使われ方が違い、魚雷発射管の数など、いろいろな装備が少しづつ違っていましたが、どの潜水艦も、日本の潜水艦の技術のすべてをつぎ込んで作られたすばらしい艦ばかりで、性能でも、世界のいろいろな国の潜水艦よりも、いっそう優れたものばかりでした。
≪伊−16潜水艦について≫
昭和12年の第3次軍備補充計画(B計画)では、甲型、乙型、丙型の三種類の艦が計画されました。甲型が、潜水艦隊の旗艦になることを主な任務として計画され、乙型偵察が主な任務として計画されたのに対し、丙型は、もっぱら攻撃を専門とする強い武装を持つ潜水艦として計画されました。
魚雷発射管8門をすべて艦首に集めて装備するという日本の潜水艦では初めての配置をとり、世界で最も強い武装を持つ潜水艦と言われました。その丙型の1番艦として昭和15年3月30日に完成したのが伊−16潜水艦です。伊−16は開戦時から戦闘に参加、特殊潜航艇(甲標的)を積んで真珠湾を攻撃しました。続いてインド洋作戦に加わり、マダガスカル島のディエゴスワレズ湾を甲標的で攻撃してイギリスの戦艦ラミリーズ、潜水艦ブリティッシュを撃破し、タンカー1隻を撃沈しました。更に昭和17年11月28日にはルンガ岬沖で甲標的によってアメリカの貨物船アルキバを大破させましたが昭和19年5月14日、ブインに物資の輸送のためトラック島を出発したまま伊−16は行方不明となったのです。アメリカの記録では駆逐艦イングランドに撃沈されたとなっています。
≪伊−58潜水艦について≫
昭和12年の第3次軍備補充計画で作られた潜水艦は、甲型、乙型、丙型の三つに分けられますが、伊−58は、その乙型の潜水艦です。この乙型は、更に昭和16年の計画で伊−40型が6隻、伊−54型が3隻作られることになり、伊−58はその伊−54型の第3番艦として昭和19年9月7日に誕生しました。大きな特徴は、零式小型水偵1機と水偵の発進用カタパルトを備えていたことで、これは、伊−58をはじめとする乙型の潜水艦が、偵察を主な任務としていたためです。魚雷発射管は6門、これは艦首の両側に3門づつ備えられていました。昭和20年1月、伊−58は人間魚雷と言われる回天の母艦として初めて戦いに参加しました。回天特別攻撃隊金剛隊に加わり、グァム島のアブラ港を4隻の回天で攻撃したのです。続いて沖縄方面に出撃、7月には多門隊に加わって東カロリン諸島方面に出撃しました。そして7月30日、パラオ島の北方で、アメリカの重巡洋艦・インディアナポリスを魚雷で攻撃し、撃沈するという大戦果をあげたのです。このような活躍を残して昭和20年8月14日、母港の呉に帰った伊−58は、そのまま翌日の終戦を迎えることになりました。
※ キット同梱の「伊−16&伊−58 日本潜水艦」組み立て解説書より抜粋
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