日本海軍 戦艦 金剛

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“海を制する者、世界を制す。”との格言に因って世界各国が軍艦建造に熱中した、いわゆる建艦競争の華やかなりし明治末年、英米を初めとする先進国に一歩も引けを取るまいと必死の軍備拡張を計りつつあった日本海軍は、当時、英国海軍で建造中であった最新鋭の超弩級巡洋戦艦“ライオン型”(26800トン、13インチ砲8門)に対抗すべく排水量27900トン14インチ砲8門の巡洋戦艦4隻の建造を計画した。ちなみに巡洋戦艦とは、砲力においては戦艦と同等、速力においては遥かにこれを凌駕するも防禦力において、ある程度これを犠牲とした補助戦艦的性格の艦艇を言う。
先の計画により金剛、比叡、榛名、霧島の4艦が建造される事になる。1番艦金剛は英国バーローのヴィッカース社に発注され明治44年1月17日に起工された。当時、日本では既に戦艦、装甲巡洋艦クラスの大型艦を建造していたが、これら建艦技術を大成させる為の技術輸入を目的とする外国発注であった。この為、本艦以降の主力艦は、すべて国内建造となる。大正2年8月6日“金剛”完成。同月16日ベルファーストにおいて日本に引渡され正式に帝国海軍の一艦となった。完成時の金剛は、排水量27500トン、水線長212m、石炭専焼式汽缶により64000馬力、27.5ノットの速力を出す3本煙突、2本マストのスマートな巡洋戦艦であった。
第1次大戦の最中、大正5年6月、英、独の主力艦隊は北海西部スカラゲーク沖において史上最大の艦隊遭遇戦を展開した。世に言うジェットランド海戦である。この戦いにより近代海戦における数多くの貴重な資料が得られ、以後の日本の主力艦設計に各種の修正を要求すると共に、既存の艦艇に対しても大幅な改造が必要な事が判明した。
昭和4年9月、僚艦榛名に続き、これら戦訓を基にした金剛の第一次大改装が開始された。なお、既に16年の艦令を経た金剛は大改装直前において就役時とはかなり異なった艦形を呈していた。〔前檣は射撃指揮装置の新設によりパゴダ状となり、第一、第二煙突間には探照灯が設けられ、煙突も3本が各々、高さ、形状共に異なる。〕
昭和6年3月、金剛の第一次改装工事は完了した。改装の要点は次に示す通りである。
1:防禦装甲の強化。〔特に遠距離より大落下角で飛来する大口径砲弾に対する水平防禦及び弾火薬庫の装甲強化。〕
2:主砲角度の引き上げ。〔最大仰角を33度から45度へ引き上げ射程距離を増大して遠距離砲戦を可能にした。〕
3:舷側にバルジを装着。〔魚雷に対する水中防禦の強化及び改装による重量増加の浮力対策。〕
4:汽缶の改装。〔従来の石炭焚及び石炭重油混焼缶を換装又は改造して重油専焼式(ロ号艦本式専焼缶10基)とした。これにより焚煙が解消し、航続距離も増大した。〕
5:儀装の新式化と檣楼の整備
6:対空火器の搭載〔8サンチ高角砲7門を装備。〕
なお、この改装によって排水量が増加して33880トンとなり、この為速力は25.7ノットに低下した。外形的には煙突が2本となった事以外あまり大きな変化はない。又、防禦力の向上により戦艦と同等の性能を持つ事となった為、それまでの巡洋戦艦の呼称は廃止されて正式に戦艦として分類された。
第一次改装後の金剛は昭和7年から9年にかけて連合艦隊の旗艦をつとめる等して、当時の国民にその勇姿を親しまれた。又、この期間に高角砲の変更〔8サンチ単装7基を12.7サンチ連装4基に〕、後檣の改造〔マスト上部を取り去って背を低くした。〕等の小改装を受けている。
昭和10年6月、既に22年の艦令を経た金剛に対し機関の新式化を主目的とする第2次改装が行なわれる事になる。昭和12年1月に完了したこの改装の要点は次に示す通りである。
1:機関及び汽缶の改装。〔重油専焼式の新型汽缶8基と新型タービン機関の搭載。〕
2:副砲仰角の引き上げ。
3:水偵カタパルトの設置。
4:前檣楼の改良及び各種指揮装置の増設。
この改装により機関出力は一躍、新造時の倍もある136000馬力となり、排水量増加に対して良好な艦形を維持する為の艦尾延長工作〔約8m延長〕と合いまって30.5ノットの最大速力を出す事が可能となった。同時に水中発射管の撤去、対空兵装の強化も行なわれ、25ミリ連装対空機関砲10基が搭載された。前檣は新式の各種射撃指揮装置及び関連する諸装置の増設により複雑巨大な形状となり、戦艦として一段と力強い艦形を持つに至った。又先に改装された榛名における欠点であった凌波性の低下を改修する為、両舷最前部の副砲各一基が撤去された。
公試排水量36000トン、速力30.5ノットの高速戦艦金剛は、太平洋戦争の開始と同時に僚艦3隻と第3戦隊を編成して作戦行動を開始した。第3戦隊は当初ハワイ攻撃と南方作戦との2つの部隊に2隻づつ分配配備されたが、金剛は南方作戦支援隊の主力艦として行動した。その後ミッドウェー、南太平洋海戦に参加、17年10月13日には榛名と共にガダルカナル島の敵飛行場を砲撃、3日間に渡ってこれを使用不能とする損害を与えた。その後内地にて対空兵装の強化〔12.7サンチ高角砲12門、25ミリ機関砲94門〕を受け、19年10月のサマール島沖海戦には栗田艦隊の一艦として参加、米護衛空母ガンビア・ベイ及び護衛駆逐艦S.B.ロバーツを撃沈する殊勲をたてた。同年11月16日、同海戦の損傷を修理すべくブルネイを出航、内地へ向けて回航中11月21日台湾の基降北方60カイリにおいて米潜水艦シーライオンの攻撃を受け魚雷4本が命中、同日午前5時30分浸水により沈没した。
※ キット同梱の「シーウェイモデル 日本戦艦 金剛」組み立て解説書より抜粋
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