将軍とその愛人








 獣油の匂いが鼻をつくテントの中は、野太いざわめきで満ちていた。幾人もの男たちが、浮かれ調子で酒を酌み交わし、笑い合っている。いまだ勝利の美酒の酔いさめやらず、五日前の合戦における自分の手柄話に夢中な風情だった。
 その輪の中央に、つややかな毛皮のマントに身を包んだ中年の男が見える。ガウリイはなるたけ控えめにその輪に近づいていった。黄金色の頭をうやうやしく下げ、
「ガウリイ=ガブリエフ、只今参上いたしました」
「おお!」
 男はぱっと顔を上げた。
「皆の者、英雄のお出ましだぞ!」
 男はガウリイを一目見るなり、いかにも機嫌良く声を張り上げた。周りの男たちが追従して笑いさざめき、男は満面に笑みをたたえてガウリイの目の前に立った。男の身長はかなり高い部類に入るほうだったが、それでもガウリイと並ぶと、彼を見上げるようなかたちになった。
「待ちくたびれたぞ、ガウリイ」
「遅くなりまして……」
「ああ、よいよい、気にするな。たかだか数分遅れただけで我らが英雄を咎めるほど、この国の王は気短かではない」
 王は上機嫌でガウリイの肩を叩き、彼に向き直った。嘆息するように王は口を開いた。
「……まこと、ご苦労であった、ガウリイ=ガブリエフよ。このたびの合戦にて先鋒を務め、我が軍を勝利へと導いたその功績、いくら称えても足りはせぬ。まこと、稀に見る豪胆の男よ。おぬしには戦の神とてかなうとは思われぬ」
「恐れ入ります」
「追って褒美をとらせるが、とりあえずはこれを。私からのささやかな感謝の気持ちだと思ってくれ。私物で恐縮だがな」
 王が軽く手を叩くと、傍らの従者がうやうやしくガウリイの目の前に小さな銀の小箱を差し出した。
 ガウリイが小箱の蓋を開けると、そこにはビロードの台座にきらびやかに光る見事な宝玉が収められていた。
「ほほう、これは……」
「何と、見事な……」
 周りの男たちが感嘆したように呟くのを受けて、王は満足げに頷いた。
「なかなか見事なものだろう、え? これほどの大粒には滅多にお目にかかれぬぞ」
「……生憎と、ものの価値のわからぬ人間でして。田舎者ゆえ、お許しを」
「そうか、それは残念だな」
 大して残念でもなさそうな口調で王は呟いた。
「では、女にでもくれてやるといい。おぬしが城に戻る頃までには、おぬしの多大なる貢献に見合う処置を用意しておく。楽しみに待っておれ」



 ガウリイはテントを出るなり、外で待機していた従者に先程貰った小箱を放り投げた。
「それを持ってろ。俺はこれからいつもの商人のところへ行く。馬車を用意して、野営地の外で待機してろ」
 痩せて顔色の悪い従者は、胸元でうやうやしく小箱を抱きしめながら、怪訝そうにガウリイを眺めた。
「お言葉ですが、代金の決済など、他の者にやらせれば良いのではございませんか? わざわざ旦那さまのお手を煩わせることでもありますまい」
 従者の表情には、先の合戦における英雄たる武将が雑用に奔走させられていることに対する不満がありありと見てとれた。
 ガウリイはかるく肩をすくめた。
「どうせ郷里に帰るまですることもないんだ、別に構わんさ。それに、あの商人はなかなか抜け目ない奴だからな。他の奴には危なっかしくてまかせられない。この間も変な壷を売りつけられそうになったし……」
「……旦那さま」
「まあ、俺はその点大丈夫だ。あいつのやりくちは良くわかってるからな。城のお偉いさん方みたいな上品ぶった連中の相手もそろそろ疲れてきたし、暇つぶしには丁度いい。ほら、わかったらさっさと出発の用意をしておけよ」
 ガウリイはきびきびと言いつけると、兵士たちの喧騒の横を通り過ぎて行った。



 七日ごとに大きな市の開かれる平地の片隅に、商人の邸宅があった。戦争のたびに荒稼ぎすることで有名な商人らしく、いかにも贅をこらした感じの邸宅だった。
 ガウリイたちを出迎えた商人はおおげさに喜んでみせた。深い皺の刻まれた両手を揉み合わせ、
「これはこれは、旦那さま。ささ、どうぞ……!」
 ガウリイの腕を引いて、これまた贅沢をつくした部屋に案内した。
「私のような者でも、先の合戦でのご活躍は聞き及んでおりますぞ。まさに鬼神のごとき働きぶりだったとか。さすがは旦那さまでございますな。どうぞゆっくりしていって下さいませ」
「そうしたいところだが、今日は先月購入した武器の代金を支払いにきただけだ。俺も急ぐ身なんでな、ゆっくりはしていられない」
「まあ、そう仰らずに。今はとっておきの品を取り揃えておるんですぞ。是非とも旦那さまにご覧になっていただきたいと思いましてな。何と言っても我が国の英雄ですからな」
「……ほう? 例えば、どんなものがある?」
「そうですな、三国一の刀鍛冶に作らせた名刀がございます。柄にはそれは見事な金の透かし彫りを施したもので、その切れ味といったら、斬られた者さえもその痛みに気づかないというほどの……」
「……どうせそんなことだろうと思った。おい、帰るぞ」
 立ち上がりかけたガウリイを、商人はあわてて制した。
「まあまあ、お待ち下され。今のはほんの冗談でございますよ。……全く、旦那さまには構いませんな」
 商人はガウリイを眺めながら、意味ありげな笑みを浮かべた。
「今度こそ、とっておきの品をご紹介しましょう。ご案内いたしますので、どうぞついてきてください」
 席を立ち、商人の後について歩き始めたガウリイの後ろで、一人の従者が心配げにガウリイに声をかけた。
「……旦那さま」
「何だ」
「どうにもうさんくさい感じの男ですが、おかしなものを売りつけられないよう、充分お気をつけ下さいまし」
 ガウリイはため息をついた。
「言われなくてもわかってる」



 本邸を抜け、広い庭を横切り、彼等は離れの前へと立った。商人がドアの前の見張りに何事かを耳打ちすると、見張りは鍵を使ってドアを開けた。
「では、どうぞご覧下さいませ。粒ぞろいですぞ」
 部屋の内部をのぞきこんだガウリイは、ぎょっとして思わずひるんだ。部屋のなかでは、十何人かの若い女たちが座り込んでいた。
 ガウリイは傍らの商人を振りかえった。
「……おい、これは一体どういうわけだ?」
「私が引き取ることになった娘たちでございます。敵国の要人の娘が大半ですが」
 ガウリイはこめかみを撫でながらため息をついた。
「……で、俺に買ってくれって?」
「女っ気のない戦地暮らしが続いて、何かと不自由されていると思いましてな」
「……それはそれは。有難くて涙が出そうな申し出だな」
 ガウリイは唇の端に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「生憎とだな、こっちはあんたに女を世話してもらうほど……」
 商人に食ってかかろうとしたその矢先に、視界の端に何か茶色いものがちらついた。ガウリイは何気なく視線を移してその茶色いものに目をこらした。
 他の女たちが皆一様に背を丸め、俯いているのに対し、そこには凛と顔を上げ、胸を張って立っている少女の姿。
 青い血の透けて見えそうな白い肌に、妖精を思わせるかぼそい体。不思議な光彩を放つ瞳はびっしりと長い睫毛に縁取られ、猫の目のように輝いている。利巧げな額にはつややかな栗色の髪がかかり、紅い唇はぎゅっと引き結ばれている。
 ガウリイはしばらくの間放心したようにその少女を見つめていた。あまりに長いこと見つめていたせいか、少女がふと視線に気づいたように彼を振り返った。揺らめくように光る大きな瞳がまっすぐに彼を見つめた。がちっ、とふたつの視線がぶつかりあう音が聞こえたような気がした。
 ガウリイは思わず息を呑んだが、少女は視線を外そうとはしなかった。少女はかすかに眉をひそめながら、ガウリイの顔をじっと眺めていた。
「……いかがされましたかな?」
 傍らにいた商人が、怪訝そうな顔つきでガウリイを見上げた。
「……あれは誰だ?」
 ガウリイは内心の動揺を押さえつけ、掠れ声で商人に耳打ちした。商人は女達とガウリイを見比べて、小首を傾げてみせた。
「……あれ、と申しますと?」
「あの、背の低い茶色の髪の……」
「ああ、あれでございますか。あれは……」
 商人は懐から何やら羊皮紙の束を取り出し、そのうちの一枚に目を走らせた。そして、商人はひそやかな笑みを浮かべながらガウリイの耳元で囁いた。
「さすが旦那さま、お目が高い。あれはかの国でも指折りの貴族の名門、インバース家の令嬢でありますぞ」
「……インバース家?」
「ええ、隣国へおちのびようとしていたところを捕らえられましてな、それを私が買い取ったというわけでございます。氏育ちの良さでは他の女の及ぶところではありませんな。並外れて矜持の高い娘でございまして、ずいぶんと手を焼かせられました。ここに来た当初はひどく暴れておりましてな、それ故にあの娘だけ手枷足枷をはめているのでございます。しかし、お客様のなかには、その気の強さがいたく気に入った方もいらしたようでして……」
「近くで見てみたい。構わんか?」
 商人は顔をほころばせて頷いた。
「ええ、ええ、勿論でございます。どうぞ、近くでお手にとって吟味してやって下さいませ」
 ガウリイはゆっくりと少女の傍に寄った。少女は相変わらずきつい目でガウリイを見つめつづけていた。相変わらず背筋をぴんと伸ばし、石のように硬くこわばった表情をしている。 
 ガウリイはそっと少女の顎に手をかけた。少女は露骨に顔をしかめ、ガウリイを睨みつけた。敵意に満ちた大きな瞳を見つめながら、ガウリイは問いかけた。
「……名前は?」
 少女は黙りこくったまま、ただガウリイを睨みつけていた。傍らにいた商人が慌てたように口をはさんだ。
「旦那さま、この女は名前をリナと申します。美しい名前でございましょう。今はまだ発育が遅れてはいますが、なに、あと数年もすれば大層な美女となることうけあいで……」
 商人が傍らでべらべらとまくしたてるのに耳を貸さず、ガウリイはリナの肩に目を落とした。薄紅く、みみずばれのような跡が残っている。すらりと伸びた手足にも、いくつも細長い傷跡がなまなましく残っている。おそらくは、鞭で打ち据えられた跡だろう。
 ガウリイは再びリナを見つめた。リナは烈火のごとく燃えるような瞳でガウリイを見返していた。何も言わないのに、何かを激しく訴えかけているようなその瞳。ガウリイは心を決めた。
 ガウリイは商人の腕を引いて、リナからすこし離れた場所へ連れて行った。
「あの娘が欲しい。今すぐだ」
 商人は一瞬、してやったりというような笑みを唇の端に浮かべたが、慌てて残念そうな表情を取り繕った。
「そうでございますか、気に入られましたか。しかし、今すぐお渡しするわけにはいたしかねますな。実はバーダール公もあの娘を気に入っておられましてな」
「バーダール公が?」
 おうむ返しに聞いたガウリイに向かって、商人は意味ありげな含み笑いを浮かべて言った。
「公はどうやら幼女に興味がおありのようでしてな。あの娘を2000で買い取りたいと言っておるのですが……いかがされますか?」
「倍額出す。それでいいだろう?」
「それはそれは、豪気なことで。しかし、公とも相談しないことには何とも……」
 煮え切らない商人の態度に、ガウリイは苛立たしげに眉をひそめた。だが、すぐに従者を呼びつけて何事かを言いつけた。従者はどこかへ走って行ったが、すぐに銀細工の施された小箱を持ってやってきた。
「これで手を打たないか?」
 商人は小箱を受け取り、その蓋を開いた。
「何とまあ、これはこれは見事な宝玉で……」
「売れば10000の価値はあると聞いた。これでどうだ?」
 商人は満面の笑みをたたえてガウリイに向き直った。
「勿論でございます、では、どうぞお連れ帰り下さいませ」
 商人は近くにいた使用人たちを振り返り、怒鳴った。
「これ、お前たち、そこの娘の枷を外してやりなさい」
 使用人たちがリナの足枷を外してやり、引きずるようにしてガウリイの前まで連れてきた。商人がリナの肩を抱いて、その顔をのぞきこんだ。
「娘、こちらの慈悲深い旦那さまがこれからお前の主人となる方であらせられるぞ。お前のことをたいそう気に入って下さったようだ。ご期待にそえるよう、しっかり尽くしなさい」
 リナはしばらく黙ってガウリイを見上げていたが、やがて吐き捨てるように小さく呟いた。
「バカバカしい」
「こ、これ、旦那さまに向かって何と言うことを……!」
 思わず手を上げて叱責しようとした商人の腕を、ガウリイは素早く掴んでねじり上げた。周りの人間たちが軽く緊張する気配が伝わってきた。近くで、リナがはっと息を吸い込む音が聞こえた。
 商人の片腕を掴んだまま、ガウリイは冷ややかにその顔を見下ろした。
「この娘はもう俺のものだ。つべこべ言わずにさっさと渡せ」
 地の底を這うように低いその声に、商人はたじろいだ。
「……わ、わかりました。では、ご自由に……」
 ガウリイは商人の腕を放すと、リナに手を差し伸べた。そして、うってかわって柔らかい表情で彼女に微笑みかけた。
「ほら、おいで」
 リナはしばらくガウリイを見つめていたが、やがて戸惑いがちに彼の傍へと一歩歩み寄った。
 ガウリイはリナの肩を抱き寄せたかと思うと、その体を軽々と抱き上げた。彼の腕のなかで、リナがかすかに体をこわばらせるのが感じられた。
 ガウリイは馬車に向かいながら、数人の従者に向かって言った。
「俺はこれからエル・タカに帰る。お前はそれまでにメアリ・アンに言いつけて、女物の服を揃えさせるんだ」 
 きびきびと指示を下すと、ガウリイはそのまま馬車に乗り込んだ。
 ようやく下ろされたリナが、かすかに不安そうに視線をめぐらすのを、ガウリイはかるく微笑み返した。
「待ってろ。いま、手枷を外してやるからな」
 ガウリイは先程商人から受け取った鍵を使って、後ろ手にはめられたリナの手枷を外してやった。リナはしばらく自由になった手をさすっていたが、ふと顔を上げて、ガウリイを見つめた。
「……これから、どこに行くの?」
 銀の鈴を鳴らすような、愛らしいその声音に、ガウリイは思わず口元をほころばせた。
「エル・タカっていう野営地だ。むさくるしいところで悪いと思うが、我慢してくれ」
 野営地と聞いて、リナの顔がかすかにこわばった。ガウリイはその顔を間近でのぞきこんだ。
「そんな顔しなくたっていい。確かに荒っぽい男ばっかりだが、大丈夫、お前は誰にも手出しさせたりしない。言っただろう、お前は俺のものだって」
「あたしは誰のものにもならないわ」
 リナはきっとガウリイを睨みつけて、鋭く言った。ガウリイは唇の端にかすかに笑みを浮かべながら、リナの体を抱き寄せようとした。リナはその腕から逃れようと体をよじった。そのとき、馬車が急に激しく揺れて、走り出した。リナはバランスを崩し、ガウリイの腕の中に倒れ込んだ。ガウリイはリナの体を腕のなかに閉じ込めて、その耳元に唇をつけるようにして囁いた。
「ずいぶん威勢の良い奴だな。だが、それも……」
「触らないで!」
 リナは一声叫ぶと、右手をガウリイの頬に一閃した。決して大きくはない、だがかなり鋭い音が響いた。突然の平手打ちに、ガウリイはわずかにひるんだ。
 リナは咄嗟に緩んだガウリイの腕から素早く逃れ、壁にぴったりと体を押しつけてガウリイを睨みつけた。わずかの距離でも近づいているのが耐えられない、といいたげな瞳だった。
 ガウリイはわずかに痺れの残る頬を撫でながら、にやりと笑った。
「そうこなくちゃ、面白くない」







誰か続きを書いてください(笑)。



冒頭シーンだけで終ったボツ作品でございます。何と言うか、話の展開が「蒼白の月」とちょっぴり似ている……とゆーか似すぎてます。実は最初「蒼白の月」はこの設定で連載しようかと思ったのですが、リナが奴隷という設定があんまりといえばあんまりなのと、雰囲気が淀みすぎているのと(笑)、あまりにも先が見えないのとで断念しました。個人的にはすごく好みなんですけどねえ。
しかし、我ながら病んでるなあ……(汗)。

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