夜の花
「ねえ、いいこと、このことだけはちゃんと心にとめておいてね、あたしって人間にはね、中途半端なものの言い方は通用しないの、だからもしあたしがあんたに何かを聞いたとしたら、あんたは絶対にイエスかノーで答えてくれなきゃだめよ、いい、それ以外の答えなんて問題外よ、そしてあくまでもイエスは100パーセントイエス、ノーは100パーセントノーなのよ、あたしが黒だと言ったらそれは完璧に黒だし、白だと言ったらそれは完璧に白なのよ、灰色とかそういうのは存在しないの、中間ってものはないのよ、わかるわね? つまり、あたしの要求はたったひとつなの、あんたはあたしに死ぬほど惚れてくれるか、殺すほど憎むかしてくれなきゃ駄目よ、共感とか友情とか同情とかそういう生ぬるい感情はまっぴら、虫酸が走るわ、あたしが欲しいのはあんたの愛か憎しみ、それもとびっきりのね……それだけよ」 「ねえ、どうして誰もかれもあたしから逃げていくのかしら?」 赤く腫れ上がった目尻に残る涙を拭いながら、女は男を見つめた。 「……やはり、あなたが望みすぎたのが原因かと思いますがね」 「あたしは女よ。いくら望んだって望みすぎるってことはないわ」 「……まあ、僕は人間の男でなくて良かったですよ」 男は床に散乱した皿だの花瓶だのの破片をよけながら、女のそばに近寄った。女は暗がりのなか、割れた鏡台の前で立ち尽くしている。息は荒く、丸い肩は間断なく震え、大きな両の瞳は涙の膜をたたえたまま、興奮ぎみに見開かれている。 男は女の顎をとらえ、その顔をのぞきこんだ。男の、肩で切り揃えられた黒髪がさらりと揺れて、女の頬をかるく撫でた。 男はそっと屈み込んで、女の塩辛い涙の味のする薄い瞼にくちづけた。 「地上の男には、あなたという荷は重過ぎるんですよ。あまりにもあなたが激しく、真剣で、圧倒的だから」 女はため息をついて、首を振った。 「そうね。それで、結局、見捨てられる」 男は頷いた。女は男を見上げて、薄く笑った。吐息はまだかすかに震えていた。 「あんたしか、残っていないなんてね。寂しい人生だわ」 細く白い腕が、そっと男の首にまわされた。 「それでも、誰もいないよりはましだけど」 「僕にはわかっていましたよ。いつかあなたが、地上の愛に見切りをつけて、天上の悦楽に目を向けてくれるってことがね」 男は女の首筋に顔を埋めて、その豊かな栗色の髪を噛んだ。長い両腕が女の身体を抱きしめた。 「僕たちはけっこうお似合いなんですよ。あなたは気がついてなかったみたいだけど」 たぶんこの男は、あたしを本気で誘ったりしないんだろう、とリナは考える。こいつはただ、あたしにちょっかいを出して、暇つぶしにからかって、あたしの感情をつまみ食いしているだけだ。 傷ついて、泣きべそをかいているあたしを、ただ見物しにきただけだ。 そう思っていながら、リナはなおも激しくゼロスの身体にしがみついた。 たとえ血の通わない腕の中でも、こうしていれば、最悪の寂しさからは逃れられるからか。 それとも、この男を、こんな時にしか現れないこの冷酷な男を、心ひそかに待ち望んでいたからか。 そんな疑問も、いつしか感じなくなっていた。既にそこは宿屋の部屋ではなく、鏡台も、花瓶もなかった。熱い涙も、胸を刺す痛みも、かつての恋人の面影も遠くなっていった。リナは目を閉じて、怒涛のような熱い奔流のただなかに身をまかせた。 ただ、湿った泥のような暗闇の中で、紫色の両眼が瞬きもせずに冷たく光っていた。 The end. |