化蝶







 金襴の打敷、華麗な陶磁器、眩いばかりの豪奢な調度品に囲まれた空間。
 銀線細工の敷物は、複雑な模様を描きながら緋の緞帳の向こうに吸い込まれている。
 香の煙のたちこめるその部屋に、ひとりの男が立っていた。
 黄金色の髪と翡翠を埋め込んだような青い目、荒く削った彫刻のような体つきの、若い男だ。
 男は祭壇の前で祈りを捧げる祈祷師のような神妙な面持ちで、ゆっくりとその場にひざまづいた。
 鮮やかな緋色の緞帳のかげから、ゆっくりと女の脚が差し出される。
 しなやかで細い脚だった。その、絹のような光沢のふくらはぎに、男は恭しく指先で触れた。まるで、宝石を扱うような仕草だった。
 脛から足の甲をゆっくりと辿り、その先端の、銀の爪の光る足指をそっと口に含む。
 女の脚がかすかに震えた。
 男は手のひらで女の脚を撫でながら、舌で丹念に足の指を愛撫している。
 男の手がまさに女の内腿に伸びようとしたとき、部屋の奥で重い扉が軋んだ音を立てて開いた。

「奥方様」

 立っていたのは、白髪まじりの長い髭をたくわえた中年の男だった。両手を身体の前で組み合わせ、苦々しげな表情で部屋の中央にいる一組の男女を見据えている。
 奥方様、と呼ばれた女はゆっくりと緋の寝台から身体を起こした。
 長い艶やかな髪の毛、白玉の肌、朱真珠の唇。まだ少女にしか見えぬ顔の造作、身体つき。しかし、煙管を片手に持ち、鮮やかな薄い染め衣を身に纏っただけで寝台に横たわる姿が、ひどくなまめかしい印象を与える。

「ラオシェ」

 女――いや、少女は男に向かって赤い唇を吊り上げて見せた。
「奥方様、まだこのような者を飼っていらっしゃるのですか」
 ラオシェと呼ばれた男は厳しい顔つきで、金髪の若い男に目を向けた。
「ガウリイよ」
「何ですと?」
「ちゃんと名前があるのよ。ガウリイっていうの」
 ラオシェは憤慨した様子で声を張り上げた。
「名前などどうでもよろしい。奥方様、あなたはご当主の正室でありながら、こんな気味の悪い男と昼間からふしだらな行為に及んでいらっしゃる。誠に嘆かわしい」
 少女は青貝と黒曜石をちりばめた煙管を唇の端から外し、静かに白い煙を吐き出した。
「奥方様、聞いておられるのですか?」
 少女は微笑んだ。
「……あの人は元気かしら?」
 ラオシェの顔に困惑が浮かんだ。
「あ、はい、それはもう……」
「別に、あたしに遠慮することないわよ。可愛い可愛い側室に、ようやく後継ぎが生まれたんだから。おめでたいことじゃない?」
「……奥方様、たとえ御子がおられなくとも、ご当主の正室は貴方様ひとりです」
 少女はわずかに目を細めて、煙管を寝台の傍らの卓に置いた。煙管の火はとうに消えていた。
「……知ってるわ」



「……あの方のことを考えていらっしゃるのですか」
 控えめにかけられた声に、少女はふと振りかえった。彼女の従順な召使は、黄金の髪の束を頭の後ろで結い上げていた。召使用の慎ましやかな服を着ていなければ、天軍の使者かと思わせるような雄々しい容姿だった。
 ガウリイは静かに主人のもとへと歩み寄った。老僕たちが邪眼だと呼んではばからないその青い瞳は、いまは薄暗がりにまぎれて曇って見えた。
「……愛して、いらした?」
 いつもの少女ならば、召使ふぜいが知ったような口を聞いたりするのは許さなかっただろう。だが、少女は何も答えなかった。出て行けとも言わなかった。
「……だから、そんなに悲しんでいるのですか?」
 ガウリイは柳のようにほっそりした少女の後ろ姿を、切なげな瞳で見つめていた。激しい恋慕の炎をその奥に押し隠しながら。
 ふと、少女が吐き捨てるように呟いた。
「あたしたちの間に愛なんか。もう半年も会ってないっていうのに。あたしはただ……」
 少女はそこで言葉を切り、目を閉じて首を振った。
「ただ惨めなだけよ」
 少女はガウリイの身体にそっと寄りかかった。
「もう寝るわ。寝台まで連れて行って」
 ガウリイは太陽を抱くがごとくうやうやしく身をかがめて、少女の身体を抱き上げた。
 朱塗りの寝室で香を焚いていた側女は、女主人がガウリイに抱きかかえられて入ってくるのを見とめると、いつものように深々と一礼して去って行った。
 三月前、ガウリイがこの館に拾われてきたときも、召使たちは気まぐれで冷酷なここの女主人は、すぐにこの毛並みの変わった玩具に飽きるだろうと噂されていた。しかし、召使の顔ぶれが次々と変わっていくなか、女主人はガウリイだけはつねに傍に置いて手放そうとしなかった。
 いついかなるときも、月のように陰のように女主人に寄り添うガウリイを見て、奥方様は邪眼に魅入られたのだ、と彼等は互いに噂しあった。
 少女を寝台に横たえて退がろうとしたガウリイを、細い腕が押しとどめた。
 緋の掛布の上に横たわった少女が、ガウリイのうなじに両腕をまわしてその身体を引き寄せた。
「奥方、様……」
「リナと呼びなさい」
 少女の甘い声が耳元で囁いた。
 ……あの方が、そうされたように?
 ガウリイは言葉にならぬ言葉で、身体の下のリナに問いかける。
 リナは無言で、ガウリイの唇に自分の唇を重ねた。
 熱さだけを求める幼いくちづけを、ガウリイは甘んじて受け入れた。そして、若くして見捨てられた人妻の、生涯身ごもることのないだろう腰をきつく抱いた。
 腕の中の幼い少女を哀れみながら、しかし、ガウリイはその不幸を喜んでもいた。
 二度と訪れることのない夫、子を宿すことのない体、彼よりほかにすがれる者のないその孤独、それを見守りながら、ガウリイは生まれてはじめての冷酷さでそれを喜んだ。
 自分以外の者が主人を愛するべきだとは思えなかったからである。
 ガウリイは少女の秋の月の出のような丸い肩、ふくらみかけた蕾のような乳房を探りながら、彼だけの主人の名を呼んだ。
「リナ、様……」
 
 






えーと、イラストのページに置いてある「阿片窟の女主人とその奴隷」絵が元ネタです。相変わらずオチないんですが……もういいや、何だって(ヤケ)。


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