ビースト
夢だと思っていた。あれはただの夢だと。だって、そう思っていなければ頭のどこかがおかしくなってしまいそうだった。 あのことを思い出すとき、頭の奥にある太い血管、あるいは神経の束か、とにかくこの精神をコントロールして正気を保っている場所が、じりじりと音をたてて焼き切れそうになってたまらなくなるから。 あたしにはわかる、頭の奥でそこが爆発しそうになって、そうなったが最後、もう二度と正気じゃいられなくなるってことが。 だから見て見ないふりをした。 脚のあいだのたまらない痛みにも、からだじゅうの切り傷にも、夜のいちばん深い時間に夢みては跳ね起きる、あの。 息遣い。単調な律動。けものの匂い。 思わず頭を掻きむしる。食い込んだ爪が頭皮を傷つける。でも、まるで別の誰かが頭のなかで喋っているように、思考が勝手に一人歩きする。止められない。 (あれは) もうやめて。考えたくない。考えてはいけない。思い出さないで。 (でも、あれは) お願い。やめて。考えないで。だれかあたしの声をとめて。だって、これ以上考えたらあたしは。 「いやあ……!」 (……人間じゃなかった) 考えたくない。考えたくない。もう二度と、思い出したくない。だから、考えない。 あれは夢だった。ただの夢だった。 ……はやく。はやく忘れなければ。 はやく。 「……リナ、リナだいじょうぶか?」 かるく肩を揺すられて、リナは目を覚ました。 眼前に、心配そうなガウリイの顔。その奥に広がる深い闇夜。耳をかすめるフクロウの声。 「あ……」 荒い息をつきながら呆然としているリナの顔を、ガウリイは覗き込んだ。 「ひどくうなされてたぞ。だいじょうぶか? 悪い夢でもみたか?」 「……ん」 かたい、無骨な指先がやさしくリナの頬を包み込んだ。 「なあ、ひょっとして、具合でも悪いのか? 風邪でもひいたか?」 「へいきよ……」 不安そうにリナを見つめるガウリイ。くりかえし頭を撫でている大きな手を、リナはぎゅっと握りしめている。 呼吸はまだ荒く、肺が酸素を求めて大きく動いている。汗で濡れた額には前髪がべったり張りついていた。 くりかえしくりかえし襲ってくる、あの身も凍るような夢。 目が覚めても、体の奥がまだ冷え冷えと寒くて、凍えてしまいそうで、目の前の男の温もりをわけてほしくて、リナはその胸にすがりついた。 「リナ……?」 その大きな背中に手をまわして、ぎゅうっときつくしがみつく。 ガウリイは自分の胸板に顔を埋めている少女を、戸惑ったように見下ろした。太い腕が、ゆっくりとその細い体を抱きしめる。 「リナ……どうしたんだ?」 リナは答えず、ただもっときつくガウリイにしがみつこうと腕に力をこめる。 「心配事でもあるのか?」 リナは首を振る。その頭を、ガウリイの手のひらがやさしく撫でる。 「オレに言えないようなことか?」 リナはまたも激しく首を振った。 ガウリイはため息をついた。ひょいとリナを抱えなおして、膝の上に座らせる。そして小さな栗色の頭に頬ずりしながら、リナの耳元でささやいた。 「リナ……オレは、お前さんが心配だ。いっつもひとりで解決しようとして、何も言ってくれないから……。そんなにオレは頼りないか?」 「そんなんじゃないってば」 「じゃあどんなんだ?」 「あたしは、ただ……」 リナがふと顔をあげた。その瞳を、ガウリイが覗き込む。 彼の表情を見て、リナは思わず涙ぐみそうになった。 そこに、押しつけがましさや恩着せがましさは微塵もなかった。何の留保も条件もなく、目の前の少女を案じている目だった。 やさしいガウリイ。いつもいつも、あたしを気遣い、面倒をみて、大事にしてくれるガウリイ。あたしの大好きなガウリイ。 氷のような冷えた痛みが、するどく胸の奥に突き刺さる。 ……言える、わけがない。たとえ口が裂けても。 「……ただ、こわい夢を見ただけなの」 しばしの沈黙の後、ガウリイはゆっくりとリナを抱きしめた。 「かわいそうに、リナ。かわいそうに」 つづく |