ビースト 







 ぱちん、と薪のはぜる音で、リナははっと我に返った。
 しんとした、暗い夜のなかで、目の前の焚き火だけが赤々と燃え盛っている。焚き火のむこうに、ガウリイが横たわって寝入っているのが見える。
 リナは目をこすりながら、半身をおこした。
 浅い眠りのなかで、何か夢をみていたような気もするが、記憶はぼんやりとしている。でも、あの夢でなかったことは確かだ。
 あの夢をみたあとはいつも嫌な汗をかいて目がさめる。一月前までは、毎晩がそんな調子だった……。
 リナはぶるっと首を振り、その考えを頭から追い出した。
 もういい。たくさんだ。起きているあいだくらい、別のことを考えよう。
「顔でも洗ってこようかな……」
 ふと呟いて立ち上がりかけたそのとき、体の奥を激痛が稲妻のように走り抜けた。

「……!」

 声もなく硬直し、その場に崩れ落ちる。リナは地面に額をこすりつけるようにして、体を丸めた。
「……く、あ!」
 痛みは正確には下腹部のものだった。心臓の鼓動に合わせて、そこがどくん、どくんと大きく波打っている。
 額に汗が滲むのにもかまわず、リナは微動だにせずにその苦痛の嵐に耐えていた。
 ……そうして、どれくらいの時間が経ったのか。焚き火のむこうでガウリイが身動きする気配に、リナは思わずはっとした。
「……う」
 かすかに声をもらし、ガウリイが寝返りをうつ。
 リナは後ずさるようにあわてて立ち上がった。

(……いけない。ここを離れなければ)

 突如として、そんな考えがリナの頭に閃く。何故、反射的にそう思ったのかわからなかった。それでも足は勝手に動き出し、森の奥へと駆けて行く。
(はやく行かなきゃ。ガウリイに見られてはいけない)
 どうして行かなきゃいけないの? どうしてガウリイに見られたらいけないの? 頭のどこかで、べつの声が必死で叫んでいる。それでも、体は迷いもなく懸命に走りつづける。
(はやくガウリイから離れて、できるだけ遠いところ、誰もいないところで……。はやく、間に合ううちに行かなきゃ!)
 遠いところ? そこであたしは一体何をしようっていうの? 一体、あたしに何が起こっているの!?

 無論、その声に応えるものは誰ひとりとしていなかった。





 林を抜け、茂みをかきわけ、リナは小川のそばのひらけた場所へと辿り着いた。
 靴といつもの服を放り出すように脱ぎ捨て、ほとんど裸のような格好で、ざぶざぶと小川のなかに入っていく。そうしながらも、何故自分がそんなことをしなければならないのか、リナにはさっぱりわからなかった。
(……ここなら、大丈夫)
 一体何が大丈夫だっていうの? ここで一体何が始まるの? あたしはどうしてこんなところにいるの?
 頭の奥で理性が途方にくれたような声をあげたとたん、再びあの凄まじい痛みが下腹部を駆け抜けた。急激に心拍数があがるのと同時に、目の前に光の斑点がちらついた。
 胸のなかで、喉の奥で、静脈洞のなかでさえも、心臓の鼓動が高鳴っている。
 そして、ぬるりとしたものが下肢を伝い落ちる感触。
 ……リナはゆっくりと目を見開いた。

 ……まさか。

(いえ、あたしは知っている。これから何が起こるかを知っている)

 ……まさか。だって、あれは夢だった。

(違う、あれは現実だった。あれは、あたしに本当に起こったことだった)

 でも。それでも、ありえない、そんな筈がない、だって、あれは……!

(……人間じゃなかった)



 そして次の瞬間、おとずれた衝撃に、リナは目をかっと見開き、口を大きく開けて絶叫した。
 
 その叫びは空気を引き裂き、闇を震わせ、森に反響して消えていった。




 そして、リナは目を閉じた。







つづく

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