天使が隣で眠る夜
きらびやかなライトと賑やかな音楽の溢れるフロアの片隅、そこのテーブルのまわりは人だかりだった。 「すげえな、また勝ったぜ!」 若い男が出した札を見て、野次馬が口笛を吹いた。目の前で札を配っていたディーラーも目を丸くする。 「すごい、ミスター……」 「ゼルガディスだ。今夜は特別ツイている」 若い男はそう言ってにやりと笑うと、チップの山を手元に引き寄せた。そのテーブルの中で、彼の前だけにチップがうずたかく積んである。 「すごいわ、ダーリン! 信じられない!」 ゴージャスな赤いドレスに身を包んだ、一見してコールガールとわかる派手な身なりの女が、嬌声を上げて男の首っ玉に抱きついた。 ……そのまま、男の耳にキスをするように唇をつけて、誰にも聞こえないような低い声でささやく。 「……フロア・マネージャーがこっちを見てるわ。そろそろ切り上げるわよ」 「………」 男は表情を変えずに素早く周りを見回した。左斜め後ろに、この店のフロア・マネージャーが立っていて、こちらを厳しい表情で見据えながら、隣の男に耳打ちをしている。 ゼルガディスは視線をもとに戻すと、目の前のディーラーに向けてにっこりと微笑んだ。 「……そろそろ、ツキが落ちないうちに退散させていただくよ。今夜はありがとう」 ディーラーも笑い返した。 「あなたは今夜で一番ラッキーな人だ、ミスター」 若い男は機嫌よく笑いながら立ち上がり、赤いドレスの女の腰を抱いて歩き出した。 「……どうだ? こっちを見てるか?」 前を向いて歩きながら、ゼルガディスは隣の女に向かってささやいた。女はさりげなく後ろを振り向いてから、かるく肩をすくめた。 「だいじょうぶ。もう見てないわ。怪しんでたのは確かだけど」 ゼルガディスはちっと舌打ちした。 「……やりにくくなったな、この店も。監視の目が厳しくなった」 「あんたがデカく張りすぎるからよ。欲さえ出さなきゃバレっこないわ」 女の冷ややかな台詞に、ゼルガディスが顔をしかめる。 「ここはカジノだぜ。儲けないでどうするんだ」 「あのね、あんた一人が捕まるんならそれでもいいけどねえ、バレたらあたしだってただじゃすまないんだから」 「そんなドジは踏まんさ。……ほら、お前の取り分だ」 ゼルガディスは女の手にぎっしりチップのつまった箱をのせた。それを見て、女が不服そうに口を尖らせる。 「ちょっと、これだけ!? 誰のおかげで儲けられたと思ってんのよ、あたしがいなきゃとっくの昔にイカサマがバレてたわよ!?」 「……テーブルを立ったときに、お前がネコババしてったぶんも含めて、だ」 「…………。あら、何のこと?」 「とぼけるな」 苦々しく告げるゼルガディスに向かって、女はにやっと笑った。派手な化粧のせいであまり幼さは目立たないが、コールガールにしては妙にあどけない印象が残る。 「……やっぱり、気がついてた?」 「当たり前だ」 「なーんだ、知ってたのか。ごめんねえ」 てへっと可愛らしく笑い、悪戯っぽく舌を出すその顔には、何とも憎めない愛嬌がある。 「まったくもう、あんたってば抜け目ないんだから」 「どっちがだ!?」 思わず声を張り上げそうになり、ゼルガディスは慌てて口をつぐんだ。 「あん、もう、ごめんってばあ。そんなに怒んないでよ。ね、ゼルちゃん。ほらほら、笑って笑って」 「……相変わらず、呆れた女だな、お前は」 愛らしい上目遣いで謝る女――この界隈で彼女を知らぬものはないほどの女ハスラーであり、コールガールであるリナを、ゼルガディスは溜息をついて見下ろした。 「まあまあ。その女のおかげで荒稼ぎしてるんだから、いいじゃない」 リナはゼルガディスにウィンクをしてみせると、ハンドバッグから口紅を取り出して、唇を赤く塗り直した。 「さて、と。あたしはそろそろ行かないとね」 「……今夜はお得意さんと会う日だったか?」 「ええ、そうよ」 口紅をしまい、ハンドバッグの金具をパチンと閉める。それから顔を上げてゼルガディスを見た。 「ね、さっきのディーラー、どう思った?」 「ボンクラだ。札の配り方もまずい」 女はあどけない顔でにやっと笑った。 「とはいえ、役に立ちそうだわ。買収するのもカンタンそうだしね。あの男はあたしにまかせといて」 きびすを返して歩き始めた女の背に、ゼルガディスは声を張り上げた。 「――その客はここには連れて来ないのか? いつもは、カジノでさんざん散財させてポイするのがお前のやり方だろ?」 リナはゼルガディスを振り返り、無感動に肩をすくめた。 「ま、そのうちにね」 それから、ふと真顔にもどってゼルガディスを見つめた。 「いいこと、勘定したら、いつも通りディーラーとピット・マネージャーにはたっぷり金をつかませとくのよ。駐車係にもね。出す金を惜しみさえしなけりゃあたしたちは安泰だわ」 そしてそのままさっと身を翻し、すたすたと歩いていった。 「……たいした女だ」 ゼルガディスは感心したような呆れたような顔で、ひとりしみじみと呟いた。 薄暗いベッドルームの片隅、男はリナの細い首に、うやうやしくダイヤモンドをちりばめた首飾りをかけた。リナは長い睫毛を伏せて、ゆっくりとその冷たい鎖を見つめた。 白魚のような指が、自分の首にかけられた、ずっしりとした純金の重みを撫でる。 「……すごいわ。何て素敵なの」 リナは溜息まじりに呟いた。恋するようなまなざしで、うっとりとそのプレゼントを見つめている。真っ赤なスリップドレスに包まれた胸が、ちいさく上下した。 「気に入ってくれたかな?」 男の問いに、リナは満面の、天使のような笑顔を浮かべた。男の耳に唇をつけて、砂糖菓子のような甘い声で囁く。 「――最高よ。今までに最高のプレゼントだわ」 確かに、彼女が今まで貰ったものの中では、一番高く札束を積み上げたものに違いなかった。行くべきところに行って売りさばけば、たっぷりとした札束が手に入るだろう。 リナは再び、男に向かってとろけるような微笑を浮かべた。 「……一生大切にするわ。ずっと、肌身離さず身につけることにするわ」 「喜んでくれて嬉しいよ。明日の夜、出かけるときはこれをつけるといい」 「ええ、もちろんそうするわ」 リナは伸び上がり、男の頬にキスをよこした。男は笑みに崩れた顔を寄せ、リナの頬にキスを返した。「骨抜き」という言葉がぴったりなほどの表情だった。 「……でも、明日は本当に楽しみだよ。何しろ、カジノに行くのなんて本当に久しぶりだからね」 「あら、そうなの? あたしは初めてよ。……でも、ギャンブルなんてやったことないから、何だかちょっと怖いわ」 リナは小首をかしげて、不安そうに男の顔をのぞきこんだ。コールガールとはとても思えない、無邪気で、汚れない表情だった。 男は笑った。 「だいじょうぶさ。あんなのただの遊びなんだから、何にも怖いことなんてないよ。明日はふたりで楽しもう」 「そうね、あなたが言うんなら、きっとその通りだわ」 留保なしの笑顔に、男はリナを抱きしめた。 「君は可愛い。なんて純粋な女なんだ」 たくましい肩に顎をのせたリナが、赤い舌で唇をちろりと舐めたことなど、もちろん男には知る由もなかった。 つづく? |