甘い生活




 ときどき神経が昂ぶって明け方まで眠れなくなることがあって、それが軽い恐怖になっているのだとリナは言った。
 きっかけはたぶんその言葉だったと思う。俺はあまり上等とはいえない酒をリナの杯に注いでやった。何度か杯を重ねるうちに、リナは酔った。
 俺はふらふらと足元のおぼつかないリナを支えて、ベッドの上に寝かせてやった。リナはそのまま眠りについた。そんなことが何度かあった。
 リナに不眠症の気があるということを俺が聞いたのはそのときが初めてだったから、ふだんはガウリイが酒の相手をしているのかもしれないと俺は思った。

 どうしてこんなことを今になって考えるんだろう。

 俺はリナの姿を眺めながらひとりごちた。横顔しか見えないがリナは晴れやかな顔をしている。ときどき声を上げて笑い、その華やかな響きがこちらの耳にまで聞こえてくる。 
 それが以前とちっとも変わらなくて、すべてがすっかりもとどおりになってしまったようだ。俺だけをひとり取り残して。

 ガウリイがいなくなって俺が自然とリナのフォローをするようになると、リナはこちらが戸惑うほど無防備な甘えたれかたをするようになった。
 それまでは俺の前で酔うことなんてなかったが、肩を抱かれて引きずられても抵抗ひとつせずにされるがままになって、目が合うとのぼせた顔でくすくすと笑った。
 リナが変わったのか、それとも俺が変わったのか。単にガウリイがいなくなってパーティーのバランスが崩れたせいなのか、それともリナが人恋しがったからなのか、何かに怯えていたからなのか。
 だが、そのどれでもいいような気がする。リナははっきりとこの俺を必要としていて、俺はその変化をいとおしんだ。
 あのときばかりは。
 ふいに、名前を呼ばれたような気がして、俺は振り返った。

「珍しいわね、酔ってるの?」

 リナの声は、明け方、遠くで鳴る鐘の音のようだ。涼やかで、よそよそしいところが似ている。まるで誰の返事も期待していないように響く。
 ガウリイがいないあいだは、その声は、俺の前でだけ、いつも細かく震えていた。ちいさなちいさな鈴をふるように、ちりちりと、頼りなく。

「そうとう、飲んだみたいね」

 俺はゆっくりと瞬きしてからリナを見た。
 真白な首が、襟からのぞいている。おどろくほど細い。
 俺は何度かその首に触れたことがあった。やわらかくて、片手だけで簡単にひねりつぶせそうだった。思わず力を入れてみたくなるような残酷な気持ちにさせる感触だった。
 俺は動揺して、こんな無防備な器官を剥き出しにして平気でいるリナに腹が立った。
 黙りこくっている俺の頭のうえで、リナが溜息をついた。

「そろそろ、戻りましょうか」

 他人行儀な声だ。俺はもうすこしで傷つきそうになった。
 リナに手を引かれるようにして俺は立ち上がった。立ち上がったとたん、足が崩れそうになった。俺はみっともない足つきのまま歩きはじめた。自分をいじめたくなるのはきっと酔っているからだろうと俺は思った。
 前を歩くリナの姿は変わらない。
 だがあのときの俺もリナも今とはまるで別人のような気がする。
 あのときのリナは暗闇の中で息を殺して座っていて、俺がその髪をかきわけて首の付け根を触ろうとしても逃げようとしなかった。
 皮膚の下にすぐ骨があって、俺は女を縛ったり鞭で叩いたりする男は気色悪い変態だと思っていたが、リナの汚れない首筋を見ているとその気持ちが理解できるような気がした。腹が立ったのはそんな自分に対してかもしれない。
 あいつもあの首に触れたことがあるんだろうか。これからはあいつがあの首に触れるんだろうか。そう考えたとたん、肋骨の下が疼くように痛んだ。
 そういう痛みは以前にも経験していたが、あいつがあの硬そうな手のひらでリナのうなじに触れているというイメージはどんな際どい想像よりもダイレクトな痛みをもたらした。
 俺はその場に立ちすくんだ。
「どうしたの?」
 振り返ったリナの顔を見たとたん咽喉奥が急激に渇いた。
 考えるよりも先に言葉が唇からすべり出た。

「飲み直そう。俺の部屋で」

 俺はいったいこいつの何が欲しいんだろう、身体が欲しいかというとそれも違う気がする、かといって嫉妬とか、あいつじゃなくて俺のことを見て俺を好いて欲しいというような切羽詰った感情はない、ただ俺は。

 ただ俺はお前をどこかへさらって身動きできないように縛りつけて一晩中そのうなじに触れていたいだけなんだ。
 ただ俺は。



 リナがゆっくりと目を閉じ、そしてもういちど目を開けた。







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