イン・ザ・スープ

2





 満天の星空が頭上に広がっている。
 ベランダで煙草をふかしながら、ゼルガディスはぼんやりと空を見上げていた。
 部屋の奥のバスルームから、かすかな物音が聞こえてくる。
 ふう、とため息をつく。
 どうも弱ったことになっちまったなあ。
 ゼルガディスは頭をかきむしりながら、つい30分前のことを思い返していた。




「……ツインしか空いてない?」
 ゼルガディスが鸚鵡返しに聞き返すと、宿屋兼酒場の店主はひょいっと肩をすくめた。
「ええ、まあ。もともと部屋数が少ないもんで」
「それは……弱ったな。おい、ここらへんに別の宿屋はないのか?」
「宿場町でもあるまいし、そんなにあるわけないでしょう。うちと、あとは4軒隣の『海鴉亭』くらいですよ」
 「海鴉亭」は先程までリナたちが滞在していた宿屋だ。
 喧嘩をして飛び出て来てしまった手前、のこのこガウリイとアメリアのところに戻るのは嫌だ、とリナが言い張るので、仕方なく別の宿屋を探していたのだが……。
「なあに? なんか問題でもあるの?」
 ふと振り向くと、リナがゼルガディスの真後ろに立って、彼の顔を見上げていた。
「ああ。どうも、部屋がひとつしかないらしい」
「……へえ。そんで?」
「……。そんでって、お前な」
「ツインなんでしょ? ベッドが二つあるんだったら、別に問題ないじゃない。あたしは構わないわよ」
「俺はけっこう構うぞ」
「あたしが構わないのに、なんであんたが構うのよ。しょーがないでしょ、それくらい。子供じゃないんだから、あんまりわがまま言わないでよね」
「……………。お前ってやつは…………」




 俺だって一応男なんだがな……。
 もうすぐ18になる女が、あんな無防備でいいんだろうか。
 ゼルガディスは紫色の煙を吐き出しながら、ぼんやり考える。
 ガウリイの旦那がイラつくわけだよ。
 惚れた女がここまで無神経で鈍感で警戒心がなけりゃ、愚痴のひとつも言いたくなる。
 つらつら考えていたゼルガディスの耳に、かちゃり、というドアの開く音が聞こえる。
「あー、さっぱりした! お風呂空いたよ、ゼル」
 タオルで頭をわしわし拭きながら、ほっぺたを上気させたリナが声をかけてくる。
「どうしたの? 入らないの?」
「いや、いい」
「あら。らしくないわね。遠慮なんかしちゃって」
 リナがきょとん、とした表情でゼルガディスの顔を見つめる。
「悪かったな。遠慮くらいするさ」
「どうして?」
「どうしてって……。そりゃ、仮にもあんたは女だからな」
「……へえ。あんたがそんなにジェントルマンだなんて知らなかったわ。こんなときだけ女扱い? バッカみたい。これだけ付き合ってきて、今更男も女もないでしょーが」
「ガウリイの旦那はそうは考えないと思うぜ」
 リナは眉をひそめた。
「……どういう意味?」
「自分で考えてみろよ」
 リナはきっとゼルガディスを見上げた。
「やめてよ、そういうの。イライラするわ。どうしてあんたたちってそんなに勿体つけたがるの? あたしには何もわからないって言ったじゃない」
「あんたたち?」
 ゼルガディスが聞き返すと、リナはすこしためらい、そして言った。
「……ガウリイも、そういうこと、言うのよ」
 ああ、そういうことか、とゼルガディスは胸内で納得した。
 おそらくガウリイはこういう風に自分の気持ちを小出しにし、暗にほのめかし、しかし最終的にリナを突き放してきたのだろう。
「あんたが何もわからないのは」
 とゼルガディスは言った。
「たぶん、あんたが何も知りたくないと思ってるからだ。その方が楽ができる」
 リナはしばらくまじまじとゼルガディスを見つめた。
 やがて彼女はため息をつくと同時に言った。
「あんたって、嫌な奴」
 ゼルガディスは苦笑した。
「あんたにそう言われるとこたえるな」
「……ねえ、あたしって卑怯かな?」
 リナがベランダの手すりにもたれながら言った。
「そうかもしれない。でも、態度をはっきりさせない方も悪い。態度をはっきりさせないのは、あとあとの責任に怯えているからだ。つまるところ、自分が可愛いんだ。俺から言わせりゃ、あんたたちのは子供のままごとだ」
「あんたって、ずいぶんひどいこと言うのね、大人のくせに」
 リナが呆れたように言った。
「悪いが、俺はある種のことに関しては手加減できないんだ。自分が何をしたいのかがわかっていない人間を見るとイライラする。俺はずっと、あんたは自分が何をしたいかがわかってる人間だと思ってたんだけどな。何でガウリイの旦那のことでそんなにはっきりしないんだ?」
 ゼルガディスの問いに、リナがかすかに苦笑した。
「うーん、何かいろいろ考え出しちゃってね、最近」
「いろいろって?」
「あたしと一緒にいるかぎり、まともな暮らしなんか出来っこないでしょ。あたしはこの通りの性格で18年間生きてきて、もう変われないし、何ひとつ約束してあげられないし。だから、もっとまともな子見つけて、別の道を歩いたほうがあいつにとってはいいのかな、と思うのよ」
「殊勝だな」
「あたしだって、鬼じゃないわよ。何かね、ときどきあいつが気の毒になって、悪いなあって責任も感じるし、だから、何て言ったらいいのかな……あいつにはさ、ちゃんと幸せになってもらいたいのよ。あたしのそばにいると、あいつが駄目になりそうな気がする」
「別にいいんじゃないのか? 女に惚れて身を持ち崩すのは、男のロマンだぞ」
 ゼルガディスの言葉に、リナが呆れ顔で彼を見上げた。
「あたし、真面目に言ってんのよ」
「俺だって真面目だぜ。適当な女とぬるま湯につかって過ごすよりは、惚れた女にぼろぼろにされたほうが格好いいだろう?」
「それはあんたの意見でしょ」
「そう、俺の意見だ。でも、ガウリイの旦那だって同じようなことを考えてるんじゃないのか? 適当な女と肩を寄せ合って小さくなって生きるのは楽かもしれんが、そんなことして生きてる甲斐あるかってのは、大いに疑問だしな。旦那だってそうなんじゃないか? あんたにいじめられることなく生きるのが、旦那にとって幸せとは思えんがな」
「変な言い方しないでよ。……でも、本当にそういうもんなのかしらね」
「本人に聞いてみろよ」
 リナは黙り、ゼルガディスも黙った。
 夜風が彼等の髪をなぶった。
 ゼルガディスは、夜空を見上げているリナの横顔を眺めた。
 お世辞にも高いとは言えない鼻。ナイフで切り取ったように鋭角的な唇。小さな顎。
 横顔はちっとも変わっていない。
 はじめて会った、あの時から。
 ふいに、リナがゼルガディスを振り返った。
 ゼルガディスはわずかに息を飲んだ。
 この目もまったく変わっていない。きらきらと輝くくせに、その奥を覗き込んでも奇妙に表情のない目。
 人の心に食い込むような、そのくせ何の感情も浮かばぬ目。
 赤味がかった、不思議な光彩を放つ目。
 ガラス玉のような、曇りのない目。
 鋭い刃物のような光を持つ目。
 無心の目。
 猫の目。
 リナが口を開いた。
「あんたみたいなのが、恋人だったら良かったのに」









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ここまでの部分が「書き殴り」さんに投稿したものです。でも、けっこう加筆修正してたりしてます。