ダウンタウン物語
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| 1920年代、禁酒法下のアメリカ東部――。 紫色の煙がゆっくりと立ち上り、夜空に滲んで消えていく。 男は安葉巻を口の端にくわえながら、その様子をぼんやりと眺めていた。 足元には、いくつもの吸殻。眼前には、寝静まった暗い海。 深夜の空気は湿っていて、彼以外は誰もいない埠頭に重くたれこめている。 男はややうんざりしたような表情で、口にくわえていた葉巻を捨てた。 ぽとり、と葉巻が地面に落ちると同時に、闇の向こうで銃声が鳴り響いた。 男は振り向きもしない。 再び銃声が鳴る。つづいて、もう一度。 決して大きくはない、だが夜を切り裂くような鋭い音。 聞こえているのか、いないのか。男は気にもせずにコートのポケットを探って葉巻を探している。が、どうやら吸い尽くしてしまったようで、ひとつも見つからない。 思わず舌打ちした男の耳に、こつ、こつ、という低い靴音が遠く聞こえてきた。 がらんとした静かな埠頭に、その音だけが妙に大きく響く。 やがて、薄霧の向こうから、一人の男が姿を現した。 仕立ての良いスーツ、きっちりと整えられたネクタイ、ぴかぴかの革靴、そして目深に被ったつば広の帽子の色はすべて黒で統一されている。 その筋の者なら、一目で「同業者」だとぴんと来る、あのおなじみの服装だ。 男は足を止めた。そして言った。 「待たせたな、ゼルガディス」 年の頃なら24、5歳か。アイスブルーの瞳にブロンドの長髪、そして何より図抜けて高い身長とがっしりした体つきの持ち主である。 「ああ、全くだ」 ゼルガディスと呼ばれた男は、待ちくたびれたと言わんばかりの表情で肩をすくめた。 こちらは同じようなダークスーツに身を包んでいるものの、痩せて眼光の鋭い、 銀色の髪の持ち主である。 「何人殺った?」 「3人」 「それはそれは。ご苦労なこった」 つまらなそうに答えた男に、ゼルガディスもさほど興味なさそうな様子で相槌を打った。 腕時計をちらりと見て、男に声をかける。 「そろそろショウの始まる時間だ。行こうぜ、ガウリイ」 ゼルに促されて、ガウリイと呼ばれた男は車に乗り込んだ。 ういいいいんという派手な音とともにエンジンがかかり、黒ずくめの二人の男を乗せた車は夜の街を走り出した。 「……おい、ゼル」 きょろきょろと車のなかを見回していたガウリイが、運転席のゼルガディスに声をかけた。 「何だ?」 「オレのアレは? お前に預けてあっただろ?」 「………」 しばしの沈黙の後、はぁぁぁぁ、と腹の底からため息をつくぜルガディス。 「………ほらよ」 言って、脇に置いてあったピンクのハイヒールを手渡す。 「お、良かった良かった。ちゃんとあったんだな♪」 浮かれた声でハイヒールを受け取るガウリイ。 ゼルガディスは心底うんざりしたような声で唸った。 「……俺は泣きたいよ」 「何でだよ?」 「あぁぁのぉぉなぁぁ、一体どこの世界に女の靴をお守り代わりに持ち歩いているヤクザがいるんだ?」 「いいじゃねえか、別に」 やや憮然とした表情でガウリイは答える。 「そんなんだから変態だって陰口叩かれるんだぜ」 「まったくひどいよなあ、こんなに可愛い靴なのに」 訳のわからない文句をぶつぶつ言いながらハイヒールを弄ぶガウリイ。 ゼルガディスはなるべくガウリイのほうを見ないようにして運転をつづける。 まったく、この若くて一流のガンマンでまずまずハンサムなヤクザのルーキー、ガウリイ=ガブリエフの唯一エキセントリックな点といえば、3ヶ月前に手に入れた片方だけのハイヒールを後生大事に持ち歩いていることだった。 おかげで大抵の仲間からは変態扱いされてひたすら不気味がられているが、本人は一向に気にしていない。 彼に言わせれば、そのハイヒールは立派な「お守り」なのだそうだ。 どういう経路でそんなものを手に入れたのかは知らないが、彼にとっては十字架のペンダントよりよっぽどありがたいものらしい。 何と言っても、そのハイヒールを手に入れてからというもの、暗殺者から襲撃を受けようがホテルの部屋に銃弾を雨あられと浴びせられようが、ガウリイだけはかすり傷ひとつ負ったことがないのだ。 一度などは手榴弾を投げつけられたにも関わらず、それが不発で命拾いをしたこともある。 事実を突きつけられては反論のしようもない。 おかげで懐疑主義者のゼルガディスもしぶしぶ「お守り」の効力を認めざるをえなかったが、しかしもうちょっとマシなものを「お守り」にすることはできなかったのかという不満は残る。 出入りで死んで警察に見られたら、洒落にもならない。 ――それにしても、いつまでこの男との仕事がつづくのだろう。 ボスからの命令だから仕方ないとは思うが、これ以上こいつと仕事をしていたら、俺のほうが頭がおかしくなりそうだ。 ゼルガディスは暗澹たる思いで、これからの仕事に思いを馳せた。 隣ではガウリイが鼻歌を歌いながらハイヒールを手のなかで弄んでいる。 ゼルガディスは頭をかきむしりたくなるのを我慢して、黙って夜の街に車を走らせつづけた。 2へ進む |