ダウンタウン物語

4






 取り澄ました屋敷の建ち並ぶ高級住宅街のなかにあっても、ひときわ目を引く立派な家の玄関前に、ガウリイは立っていた。
 彼は今日この夜、リナに会うためにこのキャスパー邸に来たのだった。
 ネクタイを締め直し、つば広の黒い帽子をかぶり直し、ひとつ咳き払い。
 ベルを押すと、すこし年を食ったメイドがドアから顔を出した。
 広い玄関ホールに足を踏み入れると、正面階段の方から聞きなれた声がかかった。
「よう、兄貴!」
「ランツ?」
 思わずガウリイは驚きの声を上げた。
 赤い髪に愛嬌のある顔立ちをしたその男は、何度か仕事をしたことのある仲間のひとりである。
 ガウリイよりもいくらか年若く、この世界に足を踏み入れてからまだ間もないせいか、彼を「兄貴、兄貴」と呼んで慕ってくる。
「お前、こんなとこで何やってんだ?」
「おいおい、兄貴、それはこっちの台詞だぜ。兄貴こそ、わざわざこんなところまで何の用なんだ? ボスは昨夜から出かけてるって聞かなかったか?」
「いや、知ってるさ。それに、ボスに会いに来たんじゃなくて、リナに会いに来たんだ」
 ランツがにやりと笑った。
「ひょっとして、デートのお誘いか? そりゃマズイぜ。ま、気持ちはわかるけどな。けっこう可愛いし、性格も良さそうだし」
「いや、デートじゃないさ。ボスに、留守中に彼女のお守りをするように言われたんだ。食事に付き合ったり、芝居に連れていってやれだとさ」
「はあ? 兄貴もかよ?」
 ランツのすっとんきょうな声に、ガウリイは問い掛けた。
「『も』って何だ?」
「――いや、実は俺も、ボスに用心棒つーか、まあボディガードみたいなことを頼まれてるんだよ。もう一人、フィリップって奴といっしょにな。けどさあ、兄貴はデートで俺たちはただのボディガードかよ、そりゃあないよな。不公平だぜ」
 ぶちぶちと文句を言うランツの隣で、ガウリイはかすかに眉をひそめた。
 ――ボディガードが二人? 何だって二人も必要なんだ?
 三、四年前ならともかく、いまこの街には抗争のきざしも見えない。警察も市長もとっくに買収されていて、この街はキャスパーの支配下のもとにずっと平和だったのだ。ここ最近は、小競り合いだってない。
 時折、キャスパーの許可もなしにこの街で裏の商売をしたり、裏の世界のルールに反することをする者が「制裁」を下されるだけだ。
 抗争があったとしても、ボスの情婦が標的になることなんて、まずない。
 それなのに、留守中にボディガードを二人つけ、あまつさえガウリイに彼女の世話をさせるとは。
 何だろう。妙にひっかかる。
 よっぽど心配性なのか、あるいは他に理由があるのか――
「兄貴?」
 怪訝そうなランツの声に、ガウリイは我にかえった。
「どうしたんだ? めずらしく考え込んで」
「――いや、何でもない。ところで、リナはどこにいるんだ?」
「たぶん、2階の左奥の部屋にいると思うぜ。案内しようか?」
「いや、いい」
 階段に向かって歩き出そうとしたガウリイの背に、ランツが声をかけた。
「兄貴、くれぐれも間違いは起こさないようにな」
 ガウリイはランツを振り返った。
「――どういう意味だ?」
 ランツは肩をすくめただけで、それには答えなかった。


 ランツに教えてもらった部屋の前で、ガウリイは立ち止まった。
 樫材の豪奢なドアの前ですこしためらい、これはデートじゃない、デートじゃないんだ、絶対にデートじゃない、と自分に言い聞かせながら、思い切ってノックをした。
 しばしの沈黙の後、
「どうぞ」
 軽やかな声が部屋の奥から聞こえた。
 ガウリイはゆっくりとノブを回し、ドアを開けた。
 そこは、屋敷と同様に、広く立派な部屋だった。
 床には時代を感じさせるようなペルシャ絨毯が敷きつめられ、高い天井からは古いシャンデリアが下がっている。
 壁の高い本棚には、ずらりと本が並んでいる。どうやら書斎らしい。
 リナはこちらに背を向けて、革のソファに座って本を読んでいた。
「何の用――」
 事務的な声でそう言いかけたリナがこちらを振り向いて、言葉を失った。
 彼女はしばらくガウリイを見つめ、
「あなた――……確か、ガウリイだったわね」
 そう言って、愛想良く微笑んだ。声もやさしくなめらかなものに変わっていた。
 その笑顔が半月前の記憶に劣らず魅力的だったので、ガウリイは不自然な声の変化をすぐ忘れてしまった。
「久しぶりね。元気だった?」
 再び声をかけられて、ガウリイはリナに気づかれないように深呼吸をした。
 まるで、体温が2,3度くらい一気に上昇したような気がして、ひょっとして自分の頬は真っ赤になっているんじゃないだろうかとガウリイは不安になった。
「ああ。久しぶり」
 ようやくそれだけ言うと、リナは読んでいた本をそっと閉じて、しとやかな仕草で立ち上がった。
「キャスパーに会いに来たのかしら? もし、そうだったら彼は……」
「違う違う。ボスに会いに来たんじゃないんだ」
 ガウリイは慌てて言った。
「ボスから聞いてなかったのか? 俺はボスに、君の相手をしてくれと頼まれたんだ」
「……相手?」
 リナは訳がわからないというような表情で聞き返した。
「いや、だから、ボスの留守中に君が退屈しないように、ボスに言われて来たんだ。聞いてなかったのか?」
 リナは首を振り、ため息をついた。
「キャスパーがそんなことを頼んでいたなんて、知らなかったわ。ごめんなさいね、迷惑だったでしょう?」
「いや、全然」
 咄嗟にガウリイが即答したので、リナはすこし驚いた顔をしたが、控えめに微笑んだ。
「なあ、どこか食事でも行かないか? ボスから話を聞いてなかったのはともかくとして、さ。美味い店を知ってるんだ」
 美味い店、という言葉にぴくりとリナが反応したが、その直後に慌てて残念そうな顔を取り繕った。
「お誘いは嬉しいんだけど、今日は体調が悪くて。そういう気分になれないの」
「……あ、そうなのか……」
「ええ、ごめんなさいね」
 リナはとても申し訳なさそうに謝ったが、ガウリイは正直なところ、ものすごく落胆していた。
 それが表情に出ていたのだろう、リナも困ったような顔をして黙ってしまった。
 二人はそのまましばらく沈黙していた。
 ガウリイとしては、せめてもうすこし話をしていたかったが、気の利いた会話なんてひとつも思い浮かばなかった。
 壁際の大きな柱時計の音が、やけに大きく部屋のなかに響いた。
 ガウリイはそっとため息をついた。
 ――仕方ない、帰ろう。
 そう思ったとき。
 彼の耳が、ある音をとらえた。
 どすっ、という、低く鈍い音。
 決して大きくはない、常人ならば聞き取ることのできない、小さな音。
 だが、それは確かに聞こえてきた。……1階から。
 ガウリイの顔つきが変わった。不器用そうな、とっぽい青年の顔から、数々の修羅場をくぐりぬけたギャングの顔へと。
 リナが何か言おうとするのを、彼は人差し指を立てて黙らせた。
 ――音は聞こえてこない。
 だが、何か不吉な気配がする。
 ガウリイはすばやくリナを見て、低く抑えた声で言った。
「ここでじっとしていてくれ」
 そして、リナの返事も聞かずに部屋から飛び出した。


 屋敷のなかは、不気味なほどしんとしていた。 
 ガウリイは神経を集中させて、ゆっくり、ゆっくり、足音を立てないように廊下を歩いていた。
 階段にさしかかり、辺りを伺うが、人の気配はない。
 玄関ホールにも、先程までいたはずのランツの姿は見えない。
 彼はすこしためらったが、思い切って大声で呼びかけた。 
「――ランツ?」
 その声は屋敷のなかに響き渡り、はねかえり、あとには静寂だけが残った。
 誰も答えるものはなく、動くものはなかった。
 さっきまでいたはずのランツがいない。フィリップさえも。
 ……それに、さっきの音は確かに空耳じゃなかった。
 ガウリイはコートのポケットを探って銃を取り出すと、それを両手で構えた。 
 銃を構えながら、慎重に階段を降りていく。
 一段、また一段と。
 その間も油断なく辺りの様子を伺い、耳を澄ませているが、物音ひとつ聞こえてこない。
 階段を下りきって、辺りを見まわす。
 しんと静まり返ったホールは、見たところ別段変わった様子はない。だが、相変わらずランツたちの姿は見えない。
 ホールを注意深く眺めていたガウリイの視線が、ふと目の前の立派な玄関ドアで止まった。
 よく見ないと気づかないほどだったが。
 ドアは、かすかに開いていた。
 ガウリイが思わず眉をひそめたとき――
 彼の背後、正面階段の陰から、一人の男が飛び出してガウリイに向かって銃の引き金を引いた。
「!?」
 ガウリイはとっさに獣のような動きで身をひねった。
 銃弾はガウリイの脇をかすめ、真後ろの玄関ドアに命中した。
 と、同時にガウリイは片手で銃をかまえ、引き金を引く。
 耳をつんざくような鋭い音とともに、銃弾が男の胸に命中し、男は血しぶきを上げながら後ろに倒れた。
「がああああっ!」
 凄まじい絶叫と呻き声と銃声とがホールのなかに響き渡った。
 ガウリイの短銃はつづけざまに火を吹いた。銃弾が、先程倒れた男の後ろから出てきた二人の男に命中した。
「ぐわあっ!?」
 ガウリイは容赦なく銃を撃ちつづけた。
 男たちは胸から血をほとばしらせ、踊るように地面に倒れこんだ。
 倒れ伏した三人の男がぴくりとも動かなくなったとき、ようやくガウリイは撃つのを止めた。
 銃声がまだ耳奥で鳴り響いていたが、それ以外は物音ひとつ聞こえなくなった。
 屋敷は再び、井戸のなかに石を投げ込んだような沈黙に支配された。
 硝煙の匂いの充満するホールのなか、ガウリイはしずかに銃をを下げた。
 そして、銃を下げたまま、男たちの死体に歩み寄り、つぶさにその姿を眺めた。
 彼と同じく、黒いタキシード姿。三人とも東洋系の顔立ちだが、見覚えはない。
「一体、どういうことだ……?」
 ガウリイが思わずつぶやいたとき。
 2階の左奥の、リナがいる部屋から、鋭い銃声の音が響き渡った。
「リナ!」
 ガウリイは叫び、すばやい身ごなしでホールを横切り、階段を駆け上がった。
 しまった! 裏口から侵入されたか!
 ガウリイは無我夢中で廊下を走り抜け、ドアを蹴破るようにして部屋のなかに転がり込んだ。








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