ダウンタウン物語

8








 ビルの中に入って地下へとつづく階段を降りていくと、ものものしい感じのドアに突き当たった。
 ドアの目の高さの場所に、内側からだけ開けられる小さな窓がある。リナがベルを鳴らすと、その窓が開いて中からぎょろりとした目が覗いた。その目がリナの姿を確認すると、ドアがゆっくりと開けられた。
 店のなかに足を踏み入れると、賑やかなざわめきや煙草の匂いや軽快なピアノやトランペットの音色がいっきに押し寄せてきてリナを包んだ。
 ここは、この街に何十とあるもぐり酒場のうちのひとつ、「ロワイヤル」である。
 それほど大きな店構えではないが、こやかましいフラッパー達の歌の代わりに本格的なジャズを聞くことができる点がリナの気に入っている。
 ドアを開けた男が愛想良くリナに微笑みかけた。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
「ええ、ありがとう」
 軽く受け流して歩き出したリナの背に、「ミスター・キャスパーにどうぞよろしく!」という声がかかった。
 店内は煌々として明るく、楽しげな雰囲気に包まれていた。男たちは皆ぱりっとしたスーツに身を固めて、煙草やグラスを片手に談笑している。美しく着飾った女達が、その風景に華やかな彩りを添えている。
 常連しか入れないだけあって、どこかで見たような客が多い。時折、リナの姿を見て軽く会釈をする男もいる。
 リナは店の奥へと進みながら、きょろきょろとあたりを見回している。
 首をひとめぐりさせて店のなかを眺めていると、ひときわ目につく図体の男が奥のテーブルに座っているのが目にとまった。
 ――いた。
 リナは思わず足をとめて彼を眺める。
 彼はひっそりと酒を飲んでいた。
 見上げるような大男で、体つきは頑丈そのもの。
 ハンサムだけど、若い女の子達が騒ぎ立てるようなにやついた顔立ちではない。きりっとした男っぽい顔つきをしている。
 この店にしょっちゅう来ているようだけど、誰かといっしょにいるのは見たことがない。あまり、仲間と騒いだりするのは好きじゃないみたいだ。
 でも、リナが声をかけるとちゃんと相手をしてくれる。
 どうってことない他愛無い話をするだけだが、いつのまにかリナはここでガウリイと会うのを楽しみにするようになっていた。
 ガウリイといっしょにいると、何だかほっとする。気取ったり、猫をかぶったりする必要がないからだろうか。張りつめてぴりぴりしている神経が、すこし和らぐような気がするのだ。
 ガウリイがふと視線に気づいてリナの方を見た。
「よう、リナ!」
 気取りのない笑顔を浮かべて、リナにむかって片手をあげる。
 リナがボスの情婦だからといって、変に気を回したり距離を置いたりしない。彼のそういうところも、リナは好きだった。
「久しぶり。元気だった?」
 ガウリイの向かいに座りながら、リナは小首をかしげて彼を見つめた。
「うん、まあな。お前さんは?」
「勿論、元気よ。あれから物騒なこともないしね。キャスパーもすこし様子を見るって言ってたし、まあしばらくは大人しくしてるんじゃないの?」
「そうか……」
 彼はあやふやに微笑むと、すこし黙り込んだ。それから、ややきまり悪そうに口を開いた。
「実は、そのことなんだが。さっきな、ボスの事務所に行ってきたんだ」
 リナが顔を上げた。
「それで、ボスからお前さんの護衛をするように頼まれたんだけど……ボスから聞いてたか?」
「知ってるわよ。あたしが提案したんだもの」
「……へ? そうなのか?」
 リナはこくんと頷いた。
 だが、ガウリイの表情を見て、慌てて付け加える。
「あ、でも、あんまり楽しい仕事じゃないし、嫌だったら別に引き受けなくていいわよ。あたしからキャスパーに言っておくから。ね」
「いや、そうじゃないんだ」
 ガウリイはリナの言葉を遮った。
「俺が心配したのは、ほら、護衛って四六時中ついてまわらなきゃならん訳だろう? もし、お前さんがそういうの嫌がったら、と思ってさ」
「じゃあ……引き受けてくれるの?」
「お前さんの頼みだろ? 勿論、引き受けるよ」
 その言葉に、リナは心から嬉しそうに笑った。ほんとうに、嬉しかったのだ。
「良かった。あんたが護衛なら、あたしも安心だわ」
 ガウリイもにっこり笑い、持っていたグラスを軽く掲げた。
「じゃ、とりあえず、乾杯」
 リナも照れ笑いしつつ、それにならった。
「乾杯」


 すこし離れた場所で、タキシードに身を包んだピアニストが優しくレイジーなジャズを演奏している。
 ガウリイは音楽に聞き入っているリナを横目で見ながら、昨夜のゼルガディスとのやりとりを思い返していた。
 あのときは話半分に聞いてすげなく追い返してしまったが、確かにあいつの言う通り、よくわからないことが多いような気がする。
 ボスの態度もどこかおかしかった(「彼女をくれぐれもよろしく頼む」、と繰り返していた)し、何か隠しているのは確かなようだ。
 だが、今こうしてうっとりとピアノの音色に耳を傾けているリナの姿を見ていると、そんな疑念や「用心しろよ」というゼルガディスの言葉なんかどうでもよくなってくる。
 歌手になりたくて田舎から飛び出してきたと言った女の子。
 くるくると表情が変わり、よく食べて、威勢がよくて、ガウリイの前でにこにこと笑う、あどけない顔立ちの女の子。
 曲が終わり、リナはピアニストに拍手を送っている。とても嬉しそうだ。少なくとも、リナの笑顔にはひとかけらの嘘や偽りがないように思える。厚い雲の切れ目から太陽の光が差し込んでくるような笑い方だ。その笑顔を見ていると、自分の心まで明るく照らし出されるような気がする。
 リナが何者かなんてわからない。ボスが何を隠しているのかも知らない。せいぜいわかるのは、この街にきな臭い風が吹き始めたということ、それはリナが原因かもしれないということぐらいだ。
 ガウリイはリナと笑みを交わしつつ、考えた。
 たとえその通りだとしても、俺はリナを守るだろう。

 ボスから頼まれたからじゃないということは、本人が一番よくわかっていた。




 同時刻、キャスパーの事務所には、ひとりの男が訪れていた。
 男は、屈強そうなお供を従えつつ、事務所のソファーにゆったりと腰掛けている。
 若い男だ。まだ20代だろう。肩で切り揃えた黒髪とあっさりした顔立ち、アーモンドのような切れ長の瞳が、彼が東洋人であることを示唆している。
「――何にしても」
 男は足を組み替えながら口を開いた。見ようによっては優雅とも言える動作だった。
「ルール破りは罰しなければなりません。例外を許していると、組織というものが成り立ちませんからね」
 ばか丁寧だが、どこか人を馬鹿にしたような口調だ。
 窓の外を眺めていたキャスパーがゆっくりと振り向いた。
「だから、俺の家に暗殺者を送りこんでもいいと言う訳か?」
 ゼロスは肩をすくめた。
「やだなあ、あれはただの脅しですよ。まさか、返り討ちにあうとは思ってもみませんでしたがね」 
「よくものうのうとそんなことが言えるものだな」
 キャスパーは憎々しげに吐き捨てた。怒りで顔が真っ赤になっている。
「帰ってくれ。中国にでも帰って虎でも追っかけていろ。いいか、貴様のような奴に決してリナは渡さん。何があっても、だ」
 ゼロスの目がすいっと細められた。
「……交渉の余地はない、というわけですね?」
「そうだ。交渉の余地はない。俺の答えは100パーセント、ノーだ。わかったらとっとと失せるんだ」
 しばし、二人は黙った。
 怒りに燃えたキャスパーの瞳と、冷ややかなゼロスの瞳が長いことぶつかりあった。
 ゼロスは突き放すように言い放った。
「いいでしょう。ただし、今度は脅しではすみませんよ」
「その汚い舌をひっこめて、とっとと出て行け。俺を怒らせたらどんなことになるか、たっぷり思い知らせてやるぞ」
 ゼロスは立ち上がり、お供を連れて部屋を横切った。
 ドアを開けて立ち止まり、キャスパーに背中を見せたまま、ゼロスは低く呟いた。
「後悔するのはあなたの方ですよ」
 ぱたんとドアが閉まり、ゼロス達の足音が次第に遠くなっていくのを聞きながら、キャスパーはぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
「若造が……!」
 ひとり、広い部屋のなかで、彼はいつまでも立ち尽していた。









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