ダウンタウン物語

10








「ほとんど情報が入ってこない。ゼロスの動向ひとつわからないんだ。あいつは完全に地下に潜ったみたいだ」
 葉巻に火をつけながら、キャスパーはゆっくりと呟いた。ナイトガウンを羽織り、ゆったりとくつろいでいるように見えるものの、その表情は苦々しげだ。
「思ったよりも厄介な相手だ」
 じっと窓の外を眺めていたリナが、キャスパーを振り返った。可愛らしいピンクのネグリジェを着てはいるが、その表情はキャスパーと同じく物憂げである。
「ゼロスは近いうちに動くと思う?」
 キャスパーは頷いた。
「そう思う。あいつはどう考えても、あのまま引き下がるような奴じゃない。そう遠くないうちにこっちを叩きにくるはずだ」
「――勝算は?」
「おい、俺を誰だと思っているんだ? 勿論、あるさ。いくらあいつが力をつけているからといっても、俺を叩けるほどじゃない」
 キャスパーはリナの近くに行き、彼女の顔を覗きこんだ。
「そんな顔をしなくたっていい。大丈夫、絶対におまえをあいつに引き渡したりしない。必ず守る。そのために護衛だってつけてあるんだ。……そういえば、ガウリイは?」
「今日は早めに帰ってもらったわ。そのほうがいいでしょう? 彼だって、すこしは息抜きしたいだろうし」
「そうか」
 とキャスパーは呟き、リナの髪を撫でた。
「おまえはガウリイが気に入っているようだな」
「ええ。腕も良いし、あたしの護衛をやらされても文句ひとつ言わないし」
 リナの返事に、キャスパーはあいまいに頷いた。
「そうだな、うん、確かに腕の良さはお墨付きだ。信頼もおける。だが……」
 リナはキャスパーを見上げた。
「だけど、何?」
 キャスパーはかすかに微笑んだ。何となく、引っかかるところのある笑顔だった。分厚い彼の手が伸びてきて、そっとリナの頬に触れた。
「だけど、もし俺のものを盗むようなことがあったら……」
「盗む? ガウリイが?」
 リナは眉をひそめて聞き返した。キャスパーはそれに答えようとはしなかった。
「そのときは、決して許しはしない」
 リナは「何の話?」とキャスパーに言おうとした。だがそのとき、何か奇妙な匂いが彼女鼻をかすめた。あのとき、ガウリイがこの屋敷にやってきた日にも嗅いだことのある匂い。
 ――火薬の煙の匂いだ。
 リナはキャスパーを見た。どうやら彼もその匂いに気づいたらしい。その顔は一瞬にして強張り、険しくなっていた。
 キャスパーは舌打ちした。
「こんなに早くお出ましになるとはな」
 彼は立ち上がり、リナに鋭く命じた。
「おまえは向こうの部屋に隠れていろ」
 キャスパーはベッドの下から最新式の機関銃を取り出しながら、独り言のように呟いた。
「後悔するのは、そっちのほうだ」



 


 がんがんがんっ!

 部屋中にやかましく鳴り響くその音で、ガウリイは目を覚ました。
 ぼんやりした頭のまま、ソファの上で身を起こす。どうやらいつのまにか寝てしまっていたらしい。
 ゆっくりと辺りを見まわす。相も変わらず殺風景なアパートの一室は、暗闇に包まれていた。
 
 がんがんがんがんっ!

 ドラを叩きまくっているような騒音は玄関の方から聞こえてくる。どうやら誰かがドアを激しくノックしているらしい。
「兄貴、開けてくれ! はやくはやく! 緊急事態なんだ!」
 聞き覚えのある声がドアの向こうで叫んでいる。
 ガウリイはちらりと腕時計を見てから立ち上がり、ドアまで歩いていった。
 ドアを開けると、そこには明らかに取り乱し、怯えきった表情のランツが立っていた。だが、ガウリイは特に驚かなかった。ランツのこんな様子を見るのは初めてではない。ランツは動揺しやすく、何事につけオーバー・アクトに走る傾向がある。どうせ、大した事態ではあるまい。
 今にも何か叫び出しそうなランツを、ガウリイは片手を上げて制した。
「おい、もうちょっと静かにしてくれないか。夜中に騒ぐとあとで管理人がうるさいんだ」
「兄貴、そんなこと言ってる場合じゃないんだ!」
「一体ぜんたい、何があったんだ? 人を夜中の3時に起こしておいて――」
「ボスがやられたんだ!」
 ランツは喉から声を振り絞るようにして叫んだ。
「撃たれたんだ! あいつらが来たんだよ! あの、東洋人の暗殺者たちだ! あいつら、ボスの家に押し入って銃を乱射しまくったんだ! フィリップも、他の奴らもやられちまった……けど、ボスはまだ息があったから、病院に担ぎ込まれたんだ」
 ランツはそこで息を切り、にじみでる涙をこらえようとして俯いた。
 ガウリイはしばらく呆けたようにその場に突っ立っていた。その脳裏に、半日前のリナとの会話が突如としてひらめいた。
 ……今夜はキャスパーが早く帰って来るから、あんたも早めに家に帰っていいわよ。
「……リナ」
 ガウリイは呆然たる口調で呟いた。はっと顔を上げたランツの肩を、ガウリイが物凄い力で掴んだ。
 殺気立った青い目に射すくめられ、ランツは思わず凍りついた。
「リナは!? リナはどうなった!? ボスと一緒にいたはずだ!」
 ランツは一瞬黙り込み、何かを思い出そうとしている様子だったが、すぐに目を閉じて首を振った。
「すまん、兄貴。リナがどうなったのかはわからない。思い出せないんだ。何しろ、俺たちみんな、混乱してて。でも、病院に行けば、何かわかるかも――」
「キイをよこせ」
 ガウリイはみなまで聞かずにランツの手から車のキイを奪い取ると、獣のような身ごなしで彼の脇をすり抜けて階段を駆け下りた。
「お、おい、兄貴! ちょっと待……」
 ランツの声を背に、ガウリイは外に飛び出した。アパートの前に停めてある黒塗りの車に乗り込むと、すぐさまエンジンをかけて車を走らせた。
「兄貴、おい! 兄貴ってばよ……!」
 数十秒後にランツが外へ飛び出したときには、車はすでに闇の向こうに消え去ろうとしていた。
 ガウリイを乗せた車は猛スピードで道路を疾走し、一路、病院へと向かっていた。

  
 
 






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