蒼白の月

2







 冴え冴えとした月光が、夜のなかに荘厳な城の姿を浮かび上がらせていた。ガウリイは石造りの古い離れの前に立って、遠くからその城の姿を眺めていた。
 見事な城だった。芸術的といっていいくらいだった。見る者をして圧倒させ、感嘆させるものがその建築物にはあった。
 10日後には、この城で盛大な婚礼がとりおこなわれるだろう。7日つづきの宴会、城中を埋め尽くす花。贅をつくした食事、いつまでも鳴り止まぬ楽隊の演奏、異国から取り寄せた珍しい果物の数々……。
 だが、そうした想像は決してガウリイの心を浮き立たせてはくれなかった。彼はこめかみを撫でながら、ひとつため息をついた。
「マリッジ・ブルーかな、こりゃ……」
 ガウリイは冗談めかしてひとりごちた。そう、おそらくそんなところだろう。妻を迎えて夫になるってことは、他人に対して責任を持つってことだからな。つまり、もう遊びまわってばかりじゃいられないってことだ。それがちょっとばかり憂鬱なだけだ。
 ガウリイは先程のシルフィールとの会話を思い出した。勿論、シルフィ―ルが気に入らないわけじゃない。彼女は美しいし、気立ても良いし、力のある貴族の娘で、何より俺に好意を持ってくれている。申し分ない。不満と呼べるものは何一つない。
 だが……、この砂を噛んでいるような味気なさは一体何なんだろう?
 ガウリイはその考えを振り払うように首を振った。もういい、このことを考えるのはよそう。どうせいつかは結婚しなければいけないんだ。ごちゃごちゃ考えるだけ無駄た。
 ガウリイは目の前の石造りの離れに目を移した。離れといっても、それはひどく大きく、立派なものだった。4階建てで、内部はひどく入り組んでいた。彼の祖先が住んでいた屋敷という話だったが、そのわりには全く手入れされていなかった。省みられもしなかった。その屋敷はただ敷地の外れに存在していて、放置されていた。
 おかげで少年時代のガウリイは、この屋敷でたっぷりと冒険を楽しむことができた。彼は乳母兄弟と一緒に屋敷内を探検し、かなり詳細な間取り図を作った。古ぼけた絵画やら陶器やら貴金属やら、そんなものも発掘した。何しろ広い屋敷だったから、目新しいものには事欠かなかった。
 ガウリイは裏口をくぐって、屋敷のなかに足を踏み入れた。埃っぽいようなかび臭いような匂いが鼻をかすめた。懐かしい匂いだった。
 彼は玄関ホールを横切り、細長い廊下を渡って、物置小屋と化している広い部屋に辿りついた。屋敷中を探検して獲得した戦利品の数々が、十数年前と同じように、その場に放置されていた。異国の剣、鎧、調度品、象牙細工、家紋の入った旗……。
「我等が古き良き日々、か……」
 窓から差し込む月光が、古ぼけた家具とがらくたの山のなかで佇むガウリイの姿を照らし出していた。
 しばらくの間、そうやってぼんやりと郷愁に浸っていた彼の耳が、ふと何かの物音をとらえた。彼は思わず顔を上げた。
 いや、物音ではない。何かが反響しているような――梟の声だろうか? 彼は眉をひそめて、注意深く耳をすませた。鳥の声ではない。ごくごくかすかな音だが、それはまるで、歌のような響きを持っていた。
 歌だって? こんな夜更けに、誰が……?
 しかも奇妙なことに、その音は壁の奥から聞こえてくるのだ。ガウリイはしばらく近くの壁に耳をつけて、その音に耳をすませていた。
 間違いない。壁の奥から聞こえてくる。しかし、そんなことがあるのだろうか? ガウリイは近くに埋もれていた燭台を手にとり、蝋燭に火をつけてかざし、慎重に壁を調べはじめた。
 念入りに壁に目をこらしていくと、壁は全体に薄黒く汚れているのだが、ある一部分だけがいやにきれいなことに気がついた。床から1メートルほどの低い場所だ。彼はその場に屈みこみ、そっとその部分に触れた。ぱっと見ただけではわからないが、まわりの壁と微妙に質感が違っていた。ガウリイはそこを押してみた。手応えがあった。壁がへこんだのだ。ガウリイはさらに力を込めて、その場所を押してみた。重いながらも、その部分の壁はゆっくりと開いていった。
「隠し扉ってやつか……?」
 ガウリイはしばし呆然としていたが、やがて左手に燭台を持ち、腰を屈めてその隠し扉をくぐった。
 そこは、上下四方を石で囲まれた踊り場のような狭い場所だった。暗くじめじめした、陰気そうな場所だ。目の前に、下へとつづく階段があった。
 その闇の奥から、はっきりと女の声が聞こえた。決して小さな声ではない。半分歌っているような半分詠唱しているような声だ。でもその歌詞はどうやら外国語であるようだった。
 ガウリイは唾を飲み込んだ。鉛を床に叩きつけたような、ひどく大きな音がした。汗が背中をつたって流れていくのを感じた。
 しばらくの間、彼はその場に立ち尽くしていた。その間にも、女の声はつづいていた。
 ガウリイは右手を伸ばした。手のひらが、硬く冷たい石の壁に触れた。彼はゆっくりと足を動かし、一段、階段を下りた。そしてもう一段、注意深く足を前に出す。
 ガウリイは沈黙の闇のなかを壁に沿って下りていった。それ以上何も考えないようにと努めながら。考えたって仕方ない。ただ慎重に、一歩一歩足を下ろして行くことだけに集中した。
 長い長い階段だった。螺旋になっているようだったが、ほとんど目の前は見えないので、確かめようも無かった。
 気の遠くなるような長い時間、その階段を下りつづけて行くと、ふいに目の前が開けた。
 そこはまるで通路のように細長い間取りになっていた。壁や天井は階段と同じように石で出来ていて、薄暗く、かび臭い匂いがした。墓場のようだった。とても人がいるようには思えなかったが、壁の両側には、それぞれ1ダースほどの燭台が掲げられ、細長い蝋燭が燃えていた。そして女の声は、紛れもなくその奥から聞こえてきた。女の声は四方に跳ね返り、変なふうに反響して聞こえた。暗すぎて姿は見えなかったが、ずっと奥の方に、女が確かにいるようだった。
 ガウリイはほとんど何も考えずに、その奥に向かって歩き出した。声はまだ鳴り響いていた。低く高く、その声は異国の呪文だか歌だかを呟きつづけていた。ガウリイがゆっくりと奥に向かって進んでいくと、闇のなかに、ちらりと白いものが見えた。
 その正体を見極めようと、さらに足を前に踏み出したとき、ふいに女の声が止まった。ひどく唐突な、不自然な終わり方だった。かつん、と石の床を叩く鈍い靴音が、恐ろしいくらいに大きく響き渡った。ガウリイはその場に凍りついた。
 耳が痛いくらいの沈黙がその場を支配した。ガウリイは息を止めて、目の前を見た。闇の奥、鉄格子の向こう側に、女がいた。こちらに背を向けていた。
 ……鉄格子?
 思わずガウリイが足を踏み出そうとしたとき、女がガウリイを振り返った。くすんだ紅玉のような両の瞳が、鋭くガウリイを見据えた。
 女は口を開いた。
「あんた、誰?」








3につづく

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