蒼白の月

5







 柔らかな朝の陽光が、床にいくつもの光の帯を描いている。ガウリイは両肩を気だるそうにこきこきと鳴らしながら、その光の筋をぼんやりと眺めていた。
「一体どういう風の吹き回しでしょうかね。ガウリイ様がよりによってこんなところにいらっしゃるなんて……」
 ハルシフォムが不思議そうに呟いて、首を振った。ガウリイは傍らの本棚に寄りかかり、梯子の上で本を吟味しているハルシフォムを見上げた。樫で出来た丈夫そうな本棚には、いわくありげな古い本がぎっしりとつまっている。
「来ちゃ悪いか?」
「いいえ、別に。勉強自体は大変結構なことです。お父上もお喜びになるでしょう」
 ガウリイは答えず、ただ肩をすくめてみせた。
 確かに、幼い頃から幾人もの家庭教師をして匙を投げさせてきたガウリイは、滅多なことでもない限り書庫に訪れることはない。その彼が、朝っぱらから顔を見せて王家の歴史を調べたいと言ったことに、ハルシフォムは心底驚いているようだった。
 しばらくしてから、ハルシフォムが片手に古めかしい本や書類の束を抱えながら、ゆっくりと梯子から下りてきた。
「こちらが家系図、こちらが戸籍の写し、そしてこちらが我が国の史料です。他に何かご要望は?」
「いや、ひとまずはこれでいい。ありがとう」
「そうですか、ではごゆっくり」
 ハルシフォムは会釈して、その場から去って行った。ガウリイはひとつため息をつくと、机の上に家系図を広げた。
 家系図は入り組んだ迷路のように細かく枝分かれしていた。やれやれ、こりゃ砂浜から針を見つけようとするのに似ているな、とガウリイは思った。


『何であたしがあんたに説明なんかしなきゃなんないわけ?』
 「説明してほしい」と言ったガウリイを、リナはにべもなく突き放した。ぷいっとそっぽを向いて、ガウリイの方を見ようともしない。 
『あたしのことが知りたかったら、自分で調べたら?』
『調べるって、どうやって?』
 思わずリナにとりすがったガウリイに、ゼル――本名はゼルガディスというらしい――が助け船を出した。
『家系図を見てみろよ』
『――ゼル!』
 リナが咎めるようにゼルガディスを睨みつけたが、ゼルガディスは意に介さなかった。
『家系図って、俺んちの?』
『そうだ。ひょっとしたら、面白い発見があるかもしれないぜ』
 そう言ってゼルガディスはにやりと笑った。なんとなく意味ありげな感じのする笑みだった。
『もういいでしょ。とっとと戻りなさいよ』
 リナは冷ややかに言い放ち、くるりとガウリイに背を向けた。


 また来てもいいが昼間は絶対に来るなよ、とゼルガディスに念を押されてから、ガウリイは早々に地下室を追い出された。
 ガウリイは軽くため息をついた。あんな風に冷ややかな目で見られ、邪険にあしらわれ、邪魔だと言わんばかりに追い出されたのは初めてだった。小さな少女にそんな態度をとられると、何だか自分が猿にでもなったような気がした。
 そう、あんなに幼い少女に……。
 ガウリイはさっきから幾度も舌の上で転がしていた名前を、小さく呟いた。
「リナ……」
 ガウリイは目を閉じた。胸の奥が熱く震えるのが感じられた。リナ。いい名前だ。いままでに聞いた名前のなかで一番いい。簡潔で、美しくて、音の響きが素晴らしくロマンティックだ。
 ガウリイは閉じた瞼の裏に、リナの姿を思い描いた。昨夜一晩中そうしていたように。濡れたように輝く大きな瞳、桜色の唇、子鹿のような脚。咄嗟に掴んだ細い腕の柔らかさ。あの体をぎゅっと抱きしめたらどんな感じがするんだろうと想像するだけで、いてもたってもいられないような思いにかられる。唇はどんな味がするだろう? そしてあの細い腰……。
「……はっ、いかんいかん。真面目に調べないとな、うん」
 そこで急に我に返ったのか、ガウリイはぶるぶると首を振った。一睡もしていないせいか、自分の感情がいまひとつセーブできない。そして、この行動の動機が恋なのか好奇心なのか義務感なのか同情心なのかをなるべく考えないようにしながら、黙々と家系図を調べ始めた。
 しばらくしてから、ガウリイの視線がある一点でぴたりと止まった。彼は二、三度瞬きしてから、ゆっくりと目を見開いた。そして、じっとその一点を凝視した。長い指が、紙の上に書かれた短い文章をそっとなぞった。
「これは……」
 ガウリイが思わず呟いたとき、こつん、と靴底が床を叩く音が近くで聞こえた。ガウリイは顔を上げた。
「おはようございます、ガウリイ様」
 目の前で、シルフィールがにっこりと微笑んだ。









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