蒼白の月

7








 紺碧の夜空にほんの少し欠けた月が煌々と輝く頃になると、ガウリイは待ちかねたように、白亜の城から飛び出した。
 草かげ青む黒葡萄の園を抜け、蒼光る小道を通り、静かにそびえたつ例の屋敷へと辿りついた。そのまま裏口にまわって屋敷に入ろうとしたとき、何かひやりとした硬いものが、肩口に押しあてられるのを感じた。すぐ背後で、誰かが佇んでいる気配がした。それが誰なのかは、振り返らなくてもわかった。ガウリイはため息をついた。
「何だよ、おい……穏やかじゃないな」
「……何だ、お前か?」
 ゼルガディスが拍子抜けしたように言って、すっと剣をひいた。
「何だとはご挨拶だな」
 ガウリイは憮然とした顔でゼルガディスを振り返った。ゼルガディスは昨夜と同じような暗い色のローブに身をつつみ、つまらなさそうな表情で剣を鞘におさめた。
「まさか本当に来るとはな。王子様ってのはそんなに暇なのか?」
 切れ長の瞳にかかる銀色の髪をかきあげながら、ゼルガディスはガウリイに向き直った。ガウリイは顔をしかめた。改めて屋外で見ると、鋭すぎる双眸の持ち主ではあるが、なかなかの美青年だった。
「ずいぶん言ってくれるじゃないか……まあいいや、それよりも聞きたいことがある」
 ガウリイはふと顔を引き締め、ゼルガディスを見据えた。
「お前に言われたとおり、家系図を調べてきたんだけどな」
「……ほう?」
 ゼルガディスが面白そうに唇の端を吊り上げた。どことなくやくざな感じのする笑い方だった。
「それが、いまひとつよくわからんのだがな、ひとつだけ気になったことがある。俺のじいちゃんの末子に、リナって名前の子がいたんだが……ひょっとして、それが……」
「ご明察。そいつがあのリナだ」
「おい、ちょっと待てよ。それじゃ辻褄が合わない。だって、そのリナは、15年前に流行り病で死んだって書いてあるんだぜ?」
「そういうことになっているだけだ。世間的にはな」
 ゼルガディスは素っ気無く言い放ち、すたすたと屋敷のなかに入っていった。ガウリイも慌てて後につづく。
「おい、それって……どういうことなんだ?」
「彼女は15年前に死んだことになっている。でも本当は生きている。生きていて、幽閉されている」
 ゼルガディスは玄関ホールを横切り、廊下を渡って例の部屋までずかずかと歩いて行った。その後を、ガウリイが大股でついて行く。
「そんなことはわかってる。俺が聞きたいのは、誰が、何の目的で、ってことだ」
 ゼルガディスは近くのテーブルに置いてあった燭台の蝋燭に火をつけ、片手で捧げ持った。そして、ガウリイに向き直った。あやうげな月の光が窓から差し込み、ゼルガディスの姿を青白く照らし出した。
「本当に聞きたいのなら、教えてやろう。ただし、後悔はするなよ」
 ガウリイはかすかに眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
「命を惜しむ者、禁忌に触れるなかれ」
 そう言って、ゼルガディスはひそやかに笑った。ガウリイは苛立たしげに口を開いた。
「……あのな、俺は仮にも王族の一員なんだぜ。この俺に出来ないことなんて……」
「親父に逆らうことぐらい、か?」
 ゼルガディスが隠し扉を押し開けながら言った。ガウリイは思わず押し黙った。ゼルガディスはガウリイを振り返り、黙ってその姿を見つめた。しばらくしてから、彼は口を開いた。
「その禁忌に触れる覚悟はあるか?」
 ガウリイはかすかに目を見開いた。
「……まさか、親父が……?」
 ゼルガディスは軽く肩をすくめてみせると、さっと隠し扉をくぐってしまった。ガウリイも後につづくようにして、素早くその扉をくぐった。
ゼルガディスは既に階段を下り始めていた。
「おい、さっきの話だが……」
「話すと長くなる。詳しいことは姫君に聞いてくれ」
 ゼルガディスは後ろを振り返りもせずに言葉を返した。
「姫君って?」
「リナに決まってるだろう。他に誰がいる? まあ、『かつての』姫君だけどな」
 ガウリイはふと足を止めた。ゼルガディスも足を止め、ガウリイを振り返った。
「どうした。引き返すのか?」
「――まさか」
 ガウリイは短く答えて、再び歩き始めた。
 近づかないほうがいい、引き返したほうがいいと、わずかな理性がかぼそく警笛を鳴らしているのが、彼には聞こえないでもなかった。だがその警笛は激しい恋慕のほむらのかげで、見る影もなくかすんでしまった。ガウリイは頭を振ってその警笛を追い払った。
 いまいちどあの少女の顔が見られるなら、あの声を聞けるのなら、俺は、どんな恐ろしい事実だって引き受けられる。
 そして、ガウリイは再び長い螺旋階段を下りていった。








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