蒼白の月








 昔々、東方の山奥の彼方に、魔女の集落があった。
 他の民との交わりを断ち、周辺の支配勢力にも与せず、長きにわたって孤高を保ちつづけた一族。彼女らは異教の邪神を奉り、人間ならざる寿命を持ち、不思議な術を操ると言われ、他の民から恐れられた。
 今を遡ること数十年前、その集落で、若い魔女が人の子を孕んだ。しかし、純血の魔女ではない者が集落で生きることは許されない。子を捨てるか、それとも殺すかと迫られ、女は相手の男に子を託した。
 ところが、その男は神に仕える身の神官であり、子供を引き取って育てることの出来ない立場にあった。そこで、彼に代わって子供を引き取ったのが、男の友人であるラウディ=ガブリエフだった。



 薄暗い地下牢の中は、しんと静まり返っていた。黒々とした鉄格子の向こうで、大白百合と見まごう白い肌の少女が座っている。ガウリイは鉄格子にかじりつくようにしてその姿を見つめながら、軽く首を傾げた。
「……で、その魔女と人間のあいのこがリナってことなのか?」
「まあね」
 銀の鈴を鳴らすような愛らしい声が、ぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。
 リナはガウリイにそっぽを向いて、石の床の上で膝を抱えていた。粗末な布きれから、子鹿のような脚がすらりと伸びている。そのふくらはぎや可愛らしく尖った鼻や幼女のような顎の線を、ガウリイは半ばうっとりと眺めている。後ろのゼルガディスが、そんなガウリイを気味悪そうに眺めているのも気にならないようだった。
「だから、ラウディとは血はつながってないの。戸籍上も養女ってことになってる筈よ」
 リナの口調は相変わらず素っ気無いが、昨夜のとりつくしまもない様子に比べると、いくぶん気を許しているような気がする。先刻、ガウリイがこの地下牢に姿を現したときも、リナの反応は悪くなかった。「何よ、また来たの!?」と驚き呆れたような表情をしてはいたが、ガウリイにはそれは本気で嫌がっているというよりは、むしろ照れ隠しであるように思えたのだ。勿論、ただの気のせいである可能性も高いのだが。
「なるほど。これでようやくわかった」
「何が?」
 ガウリイの声に、リナが怪訝そうな表情で振り返った。蝋燭の仄かな明かりに、リナの幼げな顔が照らし出される。ガウリイはリナに向かって嬉しそうに微笑んだ。
「昨夜、俺の頭があやうくカニ味噌になるところだったのを救ってくれたのはお前の力だったんだな。あれは魔女の妖術か何かなのか?」
 リナは沈黙したまま、頬をかるく指先で掻いた。くりくりした瞳が、軽い驚きをたたえてガウリイを見つめている。
「……あんまり驚いてないのね、あんた」
「ん? 何が?」
「いや、別にいいんだけどさ……」
「それにしても、魔女の一族、か……ずいぶん前に絶えたって聞いてたけどなあ」
「……」
 ガウリイの言葉に、リナとゼルガディスがちらりと意味ありげに視線を合わせた。その無言のやりとりに素早く気づいたガウリイが、思いきり眉をひそめた。
「何だよ? どうかしたのか?」
 不機嫌そうに二人の顔を見比べるガウリイに、ゼルガディスが目を向けた。
「……魔女がいなくなった理由は知ってるか?」
「いや、知らない。確か、流行り病が原因じゃなかったか?」
 ゼルガディスが微妙な表情で頷いた。
「確かに、公式の記録ではそういうことになっているな。近親交配が進んだことによる個体数の減少だとか、疫病の流行だとか」
「違うのか?」
 咄嗟に聞き返した途端、嫌な予感が胸をよぎった。ゼルガディスの表情が、その予感の正しさを物語っていた。
「違う。滅ぼされたんだ。現国王にな」
 沈黙が落ちた。
「……まさか」
「ほぼ間違いない。軍上層部では半ば公然の秘密になっている。15年前、あんたの親父が国王の椅子についてからすぐのことだった」
 ゼルガディスはひとつ咳払いをし、言葉を続けた。
「もともと、魔女の一族は古くから歴代国王たちの頭痛の種だった。彼女たちはあまりにも閉鎖的、神秘主義的で頑なにすぎた。妖術使いの民として恐れられもしていた。何度か討伐めいたものが行われたが、大抵は失敗した。それでも、平和な時分には諍いはありつつも何とか共存できていたんだ」
 リナは鉄格子の奥から、じっと黙ってゼルガディスを見つめていた。
「ところが、15年前、ラウディが死んで今の国王が権力を握った時分は、近隣諸国との力関係が崩れ、政治的に不安定な状態が続いていた。現国王は就任すると同時に、国内・外交ともに今までにない強硬姿勢を打ち出した。武力に訴えて領土を拡大し、強大な権力で以て国家を統制した。勿論、魔女もその例外ではなかった。何度か懐柔策が練られたが、魔女はそれをことごとくはねつけた」
 ゼルガディスはそこで言葉を切った。
「あるとき、一夜にして魔女の集落はなくなっていた。跡形もなく、消えていたんだ」
 ガウリイはかすかに吐息をついた。
「……で、リナをここに閉じ込めた? 魔女の血をひいているから?」
「そうだ。その事件から半月後、国王はラウディという後ろ盾を失ったリナを捕らえ、ここに幽閉した。おおやけにはリナは流行り病で死んだと発表され、ご丁寧にも葬式まで行われた」
「――ひとつ、疑問が残るわね」
 それまで、じっとゼルガディスの話に耳を傾けていたリナが、ふいに口をはさんだ。まるっきり他人事のような口ぶりだった。
「どうしてあの男は、そんなしちめんどくさいことをしてまで、あたしを生かしておこうと思ったのかしら? さくっと暗殺したほうがずっと手間もはぶけたし、後々の不安要素も残らなかった筈なのに」
「そうだな、俺もそこのところがいまひとつわからん」
 ゼルガディスが首をひねりながら答えた。リナは黙り、ゼルガディスも黙った。蝋燭の頼りない明かりだけが光源の薄暗い地下牢の中に、息苦しい沈黙が流れた。
 ガウリイは疲れたような顔つきでこめかみを押さえながら、長い間じっと黙りこくっていた。








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