第1章  予感

 

−・・・ちゃん。

(・・・誰かが・・・呼んでる・・・)

−・・・ぃちゃん。

(うるさいな・・・誰だ?)

(聞き覚えがあるぞ・・・この声。)

−・・・きて・・・ぃちゃん・・・

(元気よくて、うるさくて・・・でも、どこか頼りなげで・・・)

「お兄ちゃん! 起きてよっ!」

「どわわっ!」

ドシンっ。 耳元の大声に驚いて、僕はベッドから転げ落ちた。

「・・・いててて・・・」

「なにやってんのよ、もう。早く朝ご飯食べないと、学校遅刻だよ?」

大声の主はそんな事を言いながら勢いよくカーテンを開ける。眩しい朝の日差しに目を細めながら、僕は彼女に情けない声を返した。

「今日は腰が痛いから休む・・・」

「なにバカ言ってんの。はいはい、起きた起きた!」

「・・・ふわぁ〜い。」

僕の一日は、こうして始まる。

 

僕の名は大原修平。これといって取り柄のない、平凡な高校生だ。両親と妹と4人で、特に広くも狭くもない一軒家で暮らしている。

さっきのやたら元気のいい奴は、妹のめぐみ。子どもっぽいくせに、お節介なくらい世話好きで、こうやって毎朝毎朝いったい誰の許可を得たものか僕の部屋にあがりこんで豪快に起こしてくれる。もう中三なんだから、ちょっとは色気のひとつも出てきてもよさそうなもんだが・・・。

「お兄ちゃ〜ん! なにやってるのよ!」

「わかってるよ、今いくってば・・・」

 パジャマの上着の襟を両手で引っ張ってボタンを一気に外し、素早く上着を脱ぎつつ同時に足だけでズボンを器用に脱ぐ。パジャマをまとめてベッドの横のカゴに放りこみランニングシャツにさっと頭を通す。仕上げにYシャツと制服のズボンを装着。この間ジャスト49秒。うーむ、我ながら完璧。毎日の欠かさぬ鍛練の成果だな。

 

 着替えが終わると、階段をおりて、トーストの香ばしい匂いがするキッチンに駆け込む。

「おはよう。どうだ、いつもながらこの見事な用意の早さ!」

「お兄ちゃん頭ボサボサ・・・それに靴下はどうしたのかな?」

「・・・」

「ほらほら修平、とりあえずご飯食べちゃいなさい。」

母さんが僕とめぐみのカップに温めた牛乳を注ぐ。僕は照れ隠しに、ことさら勢いよくトースターから取り出したパンにかぶりついた。

「んもう、いっつもだらしないんだからぁ。そんなことだから女の子にモテないんだゾ?」

「うるさいな。そんなことめぐみには関係ないだろ?」

「なによぉ。せっかく人が心配してあげてるのにぃ。」

「余計なお世話だ。」

まったく、こいつの世話焼きにも困ったもんだ。人の心配より自分のことを考えたらどうなんだ・・・とツッコミを入れたいところだが、その一言がその後10分くらいの口論を呼ぶのは間違いない。遅刻のピンチでもあることだし、ここは引いてやるのが兄としての務めというものだ。そう結論付け、僕は牛乳をぐっと喉に流し込んだ。

「うわあっちい〜!!」

 

「う゛ー。まだ舌がひりひりずる〜・・・」

「もー、しょうがないわねぇお兄ちゃん。いつまでたってもドジなんだから。」

 からかうようにめぐみが言う。言い返したいのは山々だが、今日はどうやら何をやっても裏目に出る日のようだ。

「・・・だいたいねえ、お兄ちゃんは・・・」

 舌の火傷も痛むことだし、ここは好きに言わせておくことにしよう。僕は黙って玄関の扉を開ける。

 途端に差し込んでくるうららかな陽光。

 暖かく頬を撫でる風。

やっぱり、春っていいよな。

後ろで騒ぎ続けるめぐみを無視し、僕は大きくのびをすると、晴れ渡った春の空気の中へ踏み出した。

「おはよう。今日も仲がいいね。」

門を出たところで、不意に声をかけられた。

ちょっと高めの、人の注意を引かずにはおかない声。よく聞き慣れた、この声は――

「あっ、弥生お姉ちゃん、おはよう。」

めぐみが挨拶を返す。

そう、この娘はお隣さんの一人娘、立花弥生。僕のクラスメートでもある。

「ねえねえ聞いてぇ。お兄ちゃんたらね、けさも遅刻ぎりぎりでね、朝ごはんのときに・・・」

「め゛ぐみ゛ー、よ゛け゛い゛な゛こ゛と゛を゛〜・・」

「あれ、どうしちゃったのその声?」

「う゛、ち゛ょ゛っ゛と゛火傷を゛・・・」

「ええっ? 大変じゃない。大丈夫?」

「もう、弥生お姉ちゃんてば。駄目だよ、お兄ちゃんを甘やかしちゃ。すぐ調子に乗るんだから。」

「でも・・・」

「あ゙あ゙、だい゙じょうぶ・・・だどお゙も゙ゔ、だぶん゙」

「・・・なら、いいけど」

弥生と僕はいわゆる幼なじみというやつだ。少し体が弱いせいか、内気で人づきあいが苦手な彼女は小さいときから女の子の友達よりも僕やめぐみと一緒にいることのほうが多かった。この朝の三人での登校は、もう何年も繰り返されてきた光景だ。

「お姉ちゃん、今晩はうちにくるの?」

「うん、そうさせて。お母さん、また取材なの。」

「わぁい。楽しみぃ。」

弥生の親父さんは彼女がまだ幼いときに病気で他界している。母親はテレビのアナウンサーという仕事の都合で家を空けることが多く、その間はいつも弥生はうちで預かっていた。そんな事情もあって、彼女のことは家族同然に思っている。めぐみにとっても弥生は実の姉のような存在であるらしく、とてもよくなついている。

 

そうこうしているうちに、僕らはめぐみの通う中学についた。二年前まで僕と弥生も通っていたこの中学校は、高校への最短ルートからは少し外れるのだが、なんとなく僕らは中学校へ寄るルートを毎日通っている。弥生に言わせれば、

「毎朝起こしてもらってるんだから、それくらいしてあげても罰はあたんないよ」

ということらしい。なんでそうなるのか、僕にはまったく分からないんだが。

「それじゃあね、お兄ちゃん、弥生お姉ちゃん。寄り道しないで帰ってくんのよ!」

「はいはい。」

「じゃあね、めぐみちゃん。」

「じゃ、行ってきまーす!」

 めぐみはそう言い残して、昇降口へ走っていく。その後ろ姿を見ながら、弥生が言った。

 「・・・相変わらず元気だね、めぐみちゃん。」

 「うるさいだけだよ。まったく、まだまだ子供なんだから。」

「そう? お兄さん思いのいい子だと思うけど・・・」

「そう見える? 僕は単なるお節介だと思うけどなあ」

「・・・まあ、修ちゃんが言うなら、そうなのかな。・・・ところで、いいの、時間?」

その言葉に、僕は左手の腕時計に目をやる。・・・HRまで後5分。ここから高校までは歩いて10分だから・・・。

「・・・うわっ、こりゃかなりヤバイぞ!」

「・・・え、ちょっと、待ってよ〜!」

 僕らは全速力で走り出した。

 

 

僕らの通う学校は海の近くにあって、春になると季節風が潮の香りをのせてやって来る。

 やわらかな風と暖かい日差しを浴びながら通学路をのんびりと歩いていくのは至上の楽しみだ。もっとも、いつも遅刻ギリギリの僕がそんな贅沢を味わえることは滅多にないのだが。

 きょうは特に余裕がなくって、まさしく間一髪で僕たちは教室に滑り込んだ。

「ハア・・・ハア・・・なんとか・・・間に合った・・・」

「危な・・・かったね・・・」

 息を切らしながら弥生の方を見ると、それはもう辛そうな顔をしている。

「なあ・・・弥生。」

「・・・え?」

顔を上げた弥生に、僕は言った。

「無理して一緒に登校することないんだよ? 特に今日みたいな日はさ、早目に家出ちゃった方がいいんじゃない?」

 体の弱い彼女を、毎朝走らせるのは酷だ。そう思って言ったのだが、弥生はゆっくり呼吸を整えてからこう言った。

「ううん・・・私は修ちゃんと一緒に来たいから。」

「でも・・・」

言い返そうとする僕を制して、弥生は言葉を継ぐ。

「気遣ってくれるんだったら、もうちょっと早く起きてね?」

「う・・・」

 そう言ってニコッと微笑まれると、何も言い返せない。

 その時、僕たちの後ろから、先生が入ってきた。

「大原、立花、席に着け。・・・HR始めるぞ、級長、号令!」

 

 授業が始まった。

 新学期がはじまった緊張感もそろそろとけてくるころ。春のうららかな陽気。そして、退屈な授業。さらに今日は睡眠不足だ。これだけの好条件を揃えられては、人として眠らない訳にはいかないだろう。それでも朝のうちは何とか耐えてはきたが、4時間目となるとそろそろ限界だ。僕は誰にともなく言い訳をして、安らかな眠りに落ちていった。

 

 

――熱い。あたりを焦がす炎の中、僕は一人立っている。

瞳に映る色は、赤。

赤、一色。

――いったい。何があったんだろう。

足元を見下ろす。

うつ伏せの人影が、二つ。

その影を染める色も、赤。

――・・・。

僕は、そこから目を逸らした。

――火の粉の爆ぜる音が聞こえる。

ふと、その中に泣き声が混じった気がして、

僕は再び視線を落とした。

倒れている人影の下で、

もぞもぞと動くもう一つの影。

――赤ん坊?

どうやら、泣き声はその子のものらしい。

僕はその子に呼びかける。

泣き声が小さくなる

一歩、近づく。

こちらに気づいたのか、ゆっくりと視線を

こちらに向けるその顔は・・・。

 

 

「・・・大原! 起きんか、大原!」

「・・・へ?」

 先生の声で、不意に我に返った。間抜けな返事に、教室のあちこちから忍び笑いがもれる。

 そうか、今は確か授業中だっけ。

 慌てて教科書をめくりながら、なぜか僕の頭からはさっきの夢のことが離れなかった。

変な夢だったなあ。それにしても・・・あの女の子、誰だったんだろう・・・?

 

 

 放課後。

教室は解放感にひたる生徒たちの話し声でざわめいている。

――ったく、用事がないんならさっさと出てけよな、邪魔なんだから・・・とか思うのは僕が今日の掃除当番を仰せつかっているからだ。

普段は僕もその中に交じっているから、あまり人のことは言えないんだが。

「修ちゃん?」

 さっさと終わらせてしまおうと掃除に励んでいると弥生が声をかけてきた。

「ん? まだ帰ってなかったの?」

「修ちゃんと一緒に帰ろうと思って・・・。掃除当番なんでしょ? 待ってたの。」

「ああ・・・ありがとう。」

 他の当番の奴らが好奇の視線を向けている。こんな冴えない男を待っててくれる女の子がいるのが不思議に思えるらしい。しかも、(普段は気にも留めないが)確かに弥生は可愛い方だし、彼氏の一人ぐらい居てもおかしくないように見える。実際、ラブレターをもらったり、告白されたりしたことも一度や二度じゃない・・・らしい。はた目には奇妙に思えても仕方ないのかもしれない。

だが、弥生はただでさえ人見知りがはげしく、同性の友達でさえ多くはない。ましてや同年代の男となると、まともに話せる相手は僕以外には無いという状態だ。そんな訳でいつの頃からか、何かあるといつも、僕は弥生を護ってやりたい、と思うようになっていた。

 そんな僕たちが恋人同士に見えたのかもしれない。実際、一年の頃には冷やかされたことも何度かあるが、そのたびに僕は弥生の耳に届くまでに何とかして騒いでいる連中を黙らせた。僕にとっては平気なからかいの言葉でも弥生の心には大きな傷を負わせてしまうに違いない。もちろん、こういった件は弥生には秘密にしている。弥生のことだから、僕に迷惑をかけていると考えて余計に気にかけるようになってしまうだろう。

・・・恋人、ねえ・・・。

「どうしたの、修ちゃん? ぼーっとして。」

「えっ・・・うわっ!」

 驚きの余り頓狂な声を上げてしまった。何しろ顔を上げると突然弥生の顔が視界いっぱいに広がっていたのだから。

「えっ? あ? ああ、な、なんでもないよ。さて、掃除もこれくらいでいいだろう! それじゃ、帰ろうか。」

・・・いったい何をあせってるんだ僕は。

動揺を隠すように、僕は箒を掃除用具入れに大きな音を立てて放り込んだ。

 

 

「お兄ちゃーん、晩ごはんできてるよー。」

 珍しく部屋にこもって宿題をしていたところに、めぐみの声が聞こえた。我に返って窓の外を見る。既に外は暗くなっていた。

ふう、もうそんな時間か。勉強の手を休めて部屋を出る。キッチンに入ると既にめぐみと弥生が食卓についていた。

「あ、弥生もう来てたんだ。」

「もう、気づかなかったの? どうせまたヘッドホンしてエッチなゲームでもやってたんでしょう。」

「違うよ、宿題やってたんだよ。まったく、何も知らない弥生が誤解するじゃないか。なあ?」

「そうだね。そういう事にしといてあげる。」

「あっ、弥生、信じてないなー?」

などと他愛ない会話をしていると、玄関の方から「ただいま。」と声がした。珍しく、父さんが早く帰ってきたらしい。母さんも、流しのほうから出て来た。今晩は、久しぶりに一家(と弥生)そろっての夕食になりそうだ。

「この肉じゃが、いつもとちょっと味が違うな。」

「今日は弥生ちゃんが手伝ってくれたのよ。立派よねえ。」

「そんな・・・失敗してないですか?」

「ぜーんぜん! すっごく美味しいよ! さっすが弥生お姉ちゃん!」

「そうそう。こんなのめぐみには絶対無理だって。」

「ひっどーい! めぐみだって、お料理くらいできるもん!」

「よくそんな事が言えるなあ。この前だって天ぷら油に火をつけてセコム作動させただろうが! まったく、長嶋さんがきたらどうすんだよ。」

「来る訳ないでしょ!」

 ずっと前から変わることのない、そしておそらくはいつまでも続くであろう和やかな家族団欒の風景が僕の目の前にある。

 母親の仕事の関係上、弥生が夕食を共にするほうが、僕にとっては、日常である。そして、この風景こそが僕の一番安心する一時なのだ。

「・・・いや、でも本当に、弥生ちゃんはいいお嫁さんになるよ。どうだ? うちに嫁にこないか?」

ブフッ! ・・・と、父さん! 何言ってんだよ、いきなり。」

 うちの親父が思いもよらないことを口にするのはよくあることなのだが、それでも今日のにはとびっきり驚かされた。弥生は確かに、家族同然だ。が、結婚云々なんて考えたこともなかった。何と言えばいいのか答えに窮しているとめぐみが・・・。

「そうよ! 弥生お姉ちゃんにお兄ちゃんはもったいなさすぎるって!」

「なにおぅ! あ・・・ いや・・・そーゆー問題じゃなくて・・・えと、その・・・」

 弥生は・・・と見ると、こちらは僕よりも真っ赤な顔で俯いている。いつもの僕ならこんな時こそ何とかしてやるのだが、あいにく今日は僕も窮地だ。まったく、何てこと言い出すんだ親父は・・・。その当のおやじは豪快に笑って言う。

「いや、弥生ちゃんがいれば安心だと思ってな。まあ、料理の上手い娘とは仲良くしておけって事だ。わっはっは。」

 

 

  波乱に満ちた夕食の後、僕は自分の部屋に戻って窓を開けていた。隣の家には弥生が住んでいる。そして僕の部屋のちょうど真向かいに弥生の部屋があって、小さい頃はよく窓越しに、弥生の部屋に遊びに行ったものだ。そして、今でも時々この位の時間になると、話をしたりするのだ。

 今日は特に弥生と話がしたくなった。夕食の時に庇ってやれなかったことをそれとなく謝りたかったし、それ以前に弥生が傷ついていないか心配だったからだ。

僕はいつものように声をかけようと、そっと窓を開けた。

「あっ。」

「あっ。」

 声を上げたのはほとんど同じ瞬間だったけれど、ぽかんとして口を開けたままの僕とは対照的に、今まで窓を開けたままぼんやりと僕の部屋を見ていたらしい弥生は、両手を口に当てて恥ずかしそうに顔を伏せ、やや上目使いで僕の方を見つめた。

「・・・・・・あ、ははははっ。」

「・・・・・・あ、ふふふ。」

 4秒ほどの不思議な沈黙をおいて、僕たちは思わず吹き出してしまった。まあいいや、呼び出す手間が省けたというものだ。

 しばらく笑った後で、僕の方から話を持ちかけた。弥生から話しかけてくるのを待つという選択肢もあったが、そうしたら、『なに? 弥生』『修ちゃんこそ何の用?』の繰り返しになることは目に見えていた。こういうとき、たいてい弥生はぼくのリードを待っている。弥生は僕と話す時いつもそうしてきたし、弥生が話そうと思っていることは確信を持って予想できた。

「今日の晩ご飯、びっくりしたね。あ、えと、あのとき僕までしどろもどろで、その・・・、何もしてやれなくてごめんな。」

「えっ、ううん。私こそ一人で真っ赤になっちゃって・・・私がもっと上手におしゃべりできたらよかったのに。ごめんね、修ちゃん・・・迷惑だよね・・・。」

「そんなことないよ。あれはどう考えたって突然ヘンなこと言い出す親父が悪い。うん、そうに決まってる。」

「・・・・・・。ありがとう、修ちゃん。」

 何だ今の沈黙は? 何かまずいことでも言ったかな?

「でもやっぱり、私ももうちょっとしっかりしなきゃ、って時々思うの。私もめぐみちゃんみたいに誰とでも明るくお話できたらいいのに・・・ってね。」

「あいつの場合は単に子どもがはしゃいでるだけだよ。それにあいつは誰にでもあることないこと喋るし、おかげで僕は大迷惑だよ。この前だって・・・」

「うふふ・・・本当に仲がいいんだね。二人を見ているとまるで・・・」

「・・・? まるで、何?」

「・・・ううん。何でもない。」

「そこまで言いかけて止めるなよ。気になるじゃないか。」

「ごめん・・でも本当に何でもないから、気にしないで。」

「ヘンな弥生。ま、いいや。」

「ごめんね、本当に。」

「・・・・・・」

「・・・どうしたの?」

「弥生、前から言おうと思ってたんだけど、その・・・すぐに謝るの、良くないよ。別に悪い事した訳じゃないんだからさ、ねっ。」

「ごめん・・・あっ。」

「あはは。まったく、少しはめぐみにも見習わせたいよ。」

「・・・・・・」

「うん、どうしたの?」

「えっ、あっ、ごめん。あの、私ちょっと疲れちゃったみたい。もう寝るね。」

「あ、話しすぎちゃったかな。体、大丈夫?」

「うん、平気。・・・じゃ、また明日。おやすみなさい。」

「あ? ああ、お休み。」

夜風が弥生の身にこたえたのだろうか? 話に夢中になって気が回らなかった。弥生の体が弱い分、僕がもっと気をつけてやらなきゃいけないのに・・・。

 

 

 それから数日後。

 いつもと同じように夕食のテーブルについた僕は、いつもと違う雰囲気に気づいた。普段のんびりテレビを見ている父さんと母さんが、まじめな顔で椅子に座っている。後から入ってきためぐみも、何やら異様な雰囲気に気づいたらしく、神妙な顔をして席に着いた。

――そのまま、沈黙が場を支配する。やがて、その静けさに耐えかねて、僕は口を開いた。

「どうしたんだい? 父さん、母さん。」

「修平・・・めぐみも、よく聞いてくれ。」

 父さんの真剣な顔に、思わずこちらにも緊張が走る。

「父さんな・・・転勤が決まったんだ。」

「ええっ! 転勤って・・・どこに?」

「ロサンゼルスだ。」

「ロサンゼルスって、アメリカの? ウソー!」

 僕よりもめぐみの方が反応が速かった。素っ頓狂な声が耳に響く。

「急な話だが、本当なんだ。それでな。どうも今回は、すぐ帰ってくるという訳にはいかなさそうなんだ。何年で戻ってこられるのかさっぱり分からん。」

そこで、父さんは口ごもり、母さんへ視線を移す。それを受けて、母さんが言った。

それで・・・単身赴任じゃなくて、一家で引っ越そうと思うの。」

「えええっ!?」

僕とめぐみの声が見事にシンクロする。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 学校は? それに、アメリカに行ったって、英語なんかできないし・・・」

「向こうにも一応、日本人学校はあるから、そっちに通えばいいわ。」

「でも・・・」

「母さんね、父さんについていきたいのよ。お願い、わかって? あなた達を、日本に置いていく訳にはいかないでしょう?」

 母さんの気持ちは確かに分かる。これまでも何回か、父さんは単身赴任をしていて、その度に母さんが寂しい想いをしてきたこともわかっている。ましてやいつ帰ってこられるか分からないとなっては・・・。

 でも、僕は・・・

 

 その時だった。じっと何事かを考え込んでいためぐみが突然立ち上がって、こう言ったのは。

「行ってきなよ、お父さん、お母さん。あたしは、お兄ちゃんとこの家に残る!」

 この時、僕にはめぐみの真意が、まったくわかっていなかった・・・・・

 

 


  つづく