――トントントン・・・
(なんだ・・・)
――トントントン・・・
(妙な音がしたが・・・気の・・・せいか・・・?)
――ジュージュー・・・
(なんなんだ? もしかして、ラップ音と言うやつかな?)
(うんちく:ラップ音とは、物理学的に説明可能な要因なしに発生する、様々な強度の打音。)
(・・・と、そんな事は問題じゃなくて・・・)
――んにゃっ。
(何だ? 今のネコの鳴き声みたいな音は・・・?)
(考えるんだ、考えろ、修平・・。トントントンと来て、んにゃっ、と言う事は・・・)
(縁側で肩たたきをしてもらっているお婆さんの所に、ネコがやってきた・・・)
(いや、でもこれだと後のジュージューという音が判別できない・・・)
――ジュージュー・・・
(これは・・・何かを焼いている音だ。)
(ということは・・・誰かが料理をしてる?)
(なるほど、じゃあトントントンという音は、まな板の上で包丁を使っている音だな。)
(ということは、次は・・・)
――ドガーン!!
(そう、ドガーンと・・・へ?)
「きゃー!」
「・・・めぐみ!?」
第2章
convenience story
静寂を破る轟音に、思わず僕はベッドから跳ね起きた。
パジャマのまま扉を開けると、何やら焦げ臭いにおいと白い煙が二階の僕の部屋まで上がってくる。
転がり落ちるようにして、急いで階段を駆け降り、臭いと煙と轟音の出所に飛び込む。
台所、と一般には呼ばれる魔窟へ――。
「何事だ!?いったい・・・」
煙の中に見えた人影から、聞きなれた声が返ってきた。
「・・・あー・・・えーと、お兄ちゃん、おはよっ・・・ケホケホ・・・」
「めぐみ、なにやってんだよ!?」
「おはよう」
とも返さずに詰め寄る僕に、めぐみは額にジト汗を浮かべる。「・・・んー、えーっと・・・あははっ! 朝御飯つくろうとしたら、なんだか失敗しちゃったみたい!」
見ると、めぐみは手に煙の上がるフライパンを握り締めている。
「あははっ、 じゃ、なーい! なんだよさっきの爆発は!?」
「あたしだってわかんないよぉ。目玉焼き作ろうとしただけだもん・・・」
「目玉焼きが爆発するかあっ!!」
僕の名は、大原修平。
これといって取り柄のない、平凡な高校生だ。
両親と妹と4人で、広くも狭くもない一軒家で暮らして・・・いた。
一ヶ月前。
突然告げられた、父親の海外転勤。
両親は、家族みんなで向こうに移り住む意向だったが、それに異を唱えたのが、妹のめぐみ――さっき台所で騒いでいた奴だ――だった。
確かに僕も、アメリカに行くなんていやだったけど、それでも、両親と離れて残るということを考えると、かなり迷うところだ。それなのに、どちらかといえば甘えん坊のめぐみが、日本に残ることを強硬に主張したのだ。正直、訳が分からなかった――今も分からない。
むろん、父さんも母さんも、簡単にそんなことを認めるわけはない。かなりの紆余曲折を経て、結局僕とめぐみの二人は、今の学校を卒業するまでという条件で日本に残ることになった。
妹と二人だけの生活。
そして今日が、その初日だったわけだが――
「はうぅぅ。・・・うー、髪の毛がちりちりするぅ・・・」
「当たり前だ、バカ。」
激戦の痕を深く残した台所。その後片付けには結構時間がかかってしまった。
当然朝食は抜きだ。僕たちは急いで玄関を出た。
・・・それにしても、めぐみが料理を得意でないのは知っていたが、まさか卵を爆発させるとは・・・これはもう、一種の天才と言っていいかも・・などと思いつつ、僕は言葉を継ぐ。
「ったく、朝早くから起こされるわ、掃除はさせられるわ、結局朝飯にはありつけないわ・・・はぁ、初日から先行き不安だよなぁ」
「・・・そこまで言うことないでしょっ! せっかく、朝ご飯つくってあげようと思ったのに。だいたい、本当なら今日はお兄ちゃんが・・・あっ、おはよーっ!」
突然声の調子を変えて誰かに挨拶するめぐみ。そのめぐみの視線を追って僕は振り返る。・・・見なくても、それが誰かは分かってるけど。
その先にいるのは、ブレザーに身を包んだロングヘアーの女の子。隣の家の門のところに立って、こちらを見て微笑んでいたその子が、挨拶を返してくる。
「おはよう。何かあったの? 今朝すごい音がしたけど。」
「え・・・あぁ、別にたいしたことじゃないよ。」
この女の子は、立花弥生。僕と同い年の高校二年生で、僕たち兄妹の幼なじみだ。
艶やかなストレートの長い髪とヘアバンドが、なんとなく恋愛SLGのヒロインを連想させる・・・とは、自称専門家の友人の言だ。そんなものなのかな。
弥生が、首をかしげてめぐみを見る。
「・・・?」
「あ・・・あはは・・・」
困った顔で照れ笑いを浮かべるめぐみ。その表情と、少し焦げた髪を見て、弥生は大体のところを理解したらしく、
「・・・大変だね。」
と、一言、言った。付き合いの長さのなせる技だよな、うん。この辺が恋人だなんだって誤解を受ける源でもあるんだが。
「別にたいしたことないって。いつものドジだよ、いつもの。」
「いつもとはなによぉ。ちょっと間違えただけじゃない。お兄ちゃんだって・・・」
「うふふ・・・」
口喧嘩を始めた僕らを微笑みながら見ていた弥生は、やがて表情を改めて、ぽつり、と言った。
「・・・とうとう行っちゃったね、おじさんたち。」
「ん?・・・あ、ああ。」
父さんの海外転勤の話が持ち上がったとき、僕たちが日本に残れるよう、両親の説得に協力してくれたのが、他ならぬ彼女だった。両親が最も懸念していた、家事全般についての全面的な協力を申し出てくれたのだ。
「今まで、ずっとお世話になってきましたから。恩返し、させて下さい――。」
内気で、引込み思案な――と、僕はそう思っていた――弥生の、予想外の、強情なまでの強い意思に、その時、僕は喜びよりも先に、戸惑いすら感じていた。
――めぐみも弥生も一体どういう風の吹き回しなんだろう?
「驚かされてばっかりだな・・・」
回想モードに入っていた僕の独り言を弥生が聞きとがめる。
「え? ・・・何?」
「ん? あ、ああ。弥生には感謝しなきゃなって思ってね。」
「ホントホント。あたしたちが日本に残れたのも、みんなお姉ちゃんのおかげだもんね。」
「・・・え? え・・・? えっと・・・」
めぐみにも言われると、弥生は言葉の選択に困ったようで、口ごもりながら視線をさ迷わせ、やがて恥ずかしそうに笑って、
「べ、別にお礼を言われるほどのことしてないよ。それにほら、私、いっつもお世話になってるし・・・」
・・・ごにょごにょ、と聞き取れないほどの声になり、やがてうつむいて黙ってしまった。
弥生って、人に世話を焼くくせに、褒め上げられたり感謝されすぎたりすると照れて固まっちゃうんだよな。
どうしてこの弥生が、あんなことを―――
確かに言える事は、父さんたちがいなくなっても、家の外の日常に変わりはないと言う事だ。
僕らはいつものように3人で学校への道をたどる。
梅雨はまだ明けていないが、久しぶりに湿度も低く乾いた空気。空高く幾つか雲が浮かんでいるが、この時期には貴重な晴れ間。こんな朝早くからでも照りつける初夏の陽ざしは、眠い目を強烈な刺激で覚まさせてくれる。
「もう、夏も近いね。」
眩しく光る太陽に手をかざして空を見上げながら、僕の隣を歩いている弥生が言う。
「ああ、梅雨が明けたら・・・そうだな、どこか遊びにいくか?」
僕の言葉に、めぐみが僕と弥生の間で敏感に反応した。
「さんせー! あたし遊園地いきたい!」
「・・・よりによってゆーえんち、かあ?」
「・・・なによぉ、べつにいいじゃなーい!」
「ハイハイ、おこちゃまはたのちくあしょびまちょうねー。」
「・・・う゛―、またお兄ちゃんあたしのことバカにしてるぅ・・・!」
「あ、あははっ・・・ま、まあまあ、めぐみちゃん・・・」
妹をからかう僕。
すねるめぐみ。
その間で困ったように笑う弥生。
これまで何度も繰り返されてきた風景。何の変わりもない、いつもの風景。でも――
――ずっと、このままだったら、いいのに・・・。――
「へ? 弥生、何か言った?」
「え? う、ううん、何にも。」
―――意識はしてなかったけれど、その時僕は―――
――もう知っていたのかもしれない。――
――夏が、来ることを。――
―――いつもと違う、特別な夏が―――
「へえ、めぐみちゃんが自分から料理をねえ。」
昼休みの教室。
購買のパンをパクつきながら、僕は弥生と話をしていた。
弥生はお手製の弁当を、丁寧な手つきで少しづつ食べている。
「全く料理なんか出来もしないくせになあ。」
「そんなこといっちゃダメだよ。もとはといえば修ちゃんのせいだったんでしょう?」
「そりゃ、朝ご飯作ると言っといて寝坊した僕も悪いけどさあ。それにしたって、目玉焼きくらい初めてでも作れるだろ、普通は。」
「うーん・・・」
「ふう・・・前途多難だなあ。」
「じゃあ、晩ご飯作りにいきましょうか? 今日。」
それは願ってもない。
しかし、元からある程度弥生に頼るつもりであったが、この分だと彼女の双肩に僕たち兄妹の生活がかかってしまいそうだ。
なんとかしないとなあ。
その日は結局、弥生の絶品の料理を三人で美味しく頂いた。
「おいしー。ホント、お姉ちゃんって料理うまいよね。」
「そんな・・・たいしたことないわよ。」
「そんなことないって。めぐみに爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいよ。」
反撃は覚悟の上の、いつもの軽口のつもりだった。
「・・・うん、そうだね。あたしもお料理うまくなりたいなあ・・・」
・・・え?
『なによー』って来ないのか?反撃に備えていた僕は拍子抜けの顔をする。
「めぐみちゃんなら、すぐ上達するわよ。」
弥生は・・・予想通りの反応という感じの表情だ。
「ホント? じゃあお姉ちゃん、教えてくれる?」
「もちろん。」
「・・・僕からも頼むよ、弥生。ビシバシ鍛えてやってくれ。」
ようやく困惑から立ち直った僕も口をはさむ。後は、いつものように他愛無い会話をしながら、楽しい夕食の時間が続いた。
「今日ね、教育実習の先生が来たんだよ。」
「へえ。どんな人?」
「京都から来たっていう男の人なんだけどね、面白いんだよ。最初の挨拶でいきなり
『オレのことは”お兄ちゃん”と呼ぶように』って言ったの。」「・・・そ、それはまた・・・変わってるな・・・」
うーむ、マニアックな。でも、血のつながってない中学生くらいの女の子から『お兄ちゃん』とよばれるのは、結構・・・
はっ、いかんいかん。
「それでね、授業中も
『うにゃ』とか突然口走ったりね、何か変だけどすごく楽しい先生だったよ。」「で、めぐみちゃんはお兄ちゃんって呼んであげたの?」
「ううん、呼んであげようかと思ったけど、なんかその呼び方だと全然尊敬してないみたいじゃない?」
「・・・俺のことは尊敬してないのか?」
「当然じゃない。」
・・・まあ、いいか。
「さーて、それじゃ、片付けるわね。」
そう言って弥生は台所へ向かった。僕も何もしないわけにもいかないし、風呂の用意でもしようかな・・・と思った時。めぐみがすっと僕の側によってきて耳打ちした。
「安心して。あたしのお兄ちゃんは、お兄ちゃんだけだから。」
「え?」
僕のリアクションも見ずに、めぐみはきびすを返して台所へかけていく。
「お姉ちゃーん、あたしも手伝うよ!」
「そう? 助かるわ。じゃ、そのお皿洗ってくれる?」
「はーい。」
・・・。
なんなんだ?いったい・・・
「・・・ふぅ。参ったな・・・油断したなぁ・・・」
保健委員の用事があって、遅くまで学校に残された土曜日の夕方。
昇降口から空を見上げながら、僕は呟いた。
空に広がるのは一昔前の工場の煙突から立ち上ったかのような黒い雲の層。
そして、視界を遮るような大粒の水のカーテン。
雨。
それも、大雨、というやつである。
僕は当然傘など持ってきていない。
しかも、こんな時必ずしっかり傘を持ってきている弥生はとっくに帰ってしまった。
「梅雨は明けたってのに、なんでこんなに降るかな・・・」
朝晴れてたからって、天気予報もチェックせずに出てきたのは失敗だったか。
・・・仕方ない。
僕は覚悟を決めると、白く霞むシャワーの中を走り出した。校門までの並木道を全力で駆け抜け、通りへ・・・その時。
「お兄ちゃん・・・」
小さな声が僕を呼び止めた。
立ち止まった僕は周囲を見回す。
校門のところで、ずぶ濡れになって捨てられた子犬のようにぽつんと立っていた女の子。
・・・めぐみ。
「・・・何やってんだ、こんなところで?」
聞きながら、僕は妹を見る。
制服姿ではない。一度家に帰ってから来たのだろうか。
傘をさしてるとはいえ、この大雨ではそれはあまり役には立っていないらしく、ほとんどずぶぬれ状態。その左手に握られた一本の黒い棒・・・僕の傘。
「・・・まさか、僕に傘を届けるために?」
うなずくめぐみ。
「・・・ったく、何もそんなことまでしなくったって。こんな大雨ん中こんなとこまで・・・」
「・・・だって・・・」
めぐみが口を開いた。
「・・・だって、お兄ちゃん、傘持ってかなかったから・・・困ってると、思って・・・」
「だからって、お前までそんなずぶぬれになって・・・!」
叫びかけて、やめる。
こんな雨ん中わざわざ傘を届けに来てくれためぐみを叱るのは、筋違いってもんだろう。
元はといえば傘を忘れた僕が悪いんだから。
僕は、めぐみの手から傘を取って、言った。
「帰ろう。こんな所にいつまでもいると、風邪ひくぞ。」
「・・・うん・・・。」
元気なく答えるめぐみ。その、湿気を吸った短い黒髪のてっぺんをぽんぽん、と軽くたたいてやって付け加える。
「・・・傘、ありがとうな。」
「・・・うん!」
表情を明るくしためぐみを見やりながら、僕はゆっくりと傘を開いた。
・・・すでにずぶぬれだった僕には、大して役には立ちそうになかったけれど。
せっかくめぐみが持ってきてくれた傘だったが、あまりに激しい雨の前にはあんまり役に立たず、家に着く頃には二人とも服を着たまま泳いだ後みたいになっていた。
「ぷはぁーっ! やっと着いたー。」
玄関にたどり着いてようやく一息ついた僕は、その場でワイシャツを脱いでしぼる。
「うわ、すごいなこりゃ。」
「・・・」
めぐみは体だけ簡単に拭いて、何も言わずにとてとてと階段を上っていく。
・・・なんだか元気がないなあ。大丈夫かな?
こんな日に客なんて来ないだろうが、一応、ドアに鍵だけはかけて、僕はズボンとランニングも絞ってしまうことにした。
「うわ、玄関がびしょびしょだ。」
それから、タオルで体を拭いて、自分の部屋へ着替えを取りに・・・と、その前にこの服を洗濯機に入れておくか。 と、何も考えずに風呂場のドアを開ける。
「ほえ?」
「へ?」
そこにいたのは、いままさにブラジャーに手をかけようとしている下着姿のめぐみだった。
ヤバイ!
そう思ったが、体が動かない。必死に言い訳を探すけど、頭の中に何も言葉が浮かんでこない。
めぐみの方も固まってしまっている。
二人とも硬直したまま、長い長い数秒間が流れる。
先に硬直が解けたのはめぐみの方だった。左腕で胸を隠して、こちらへツカツカと歩み寄って、ニコッと笑う。
「え?」
次の瞬間。
「お兄ちゃんの・・・
ばかあああぁぁっっっっ!!!」
ぼごっ!
「ほんげええええええっっっっ!!!」
鈍い音がして、強烈なアッパーカットが、僕の体を浮き上げ、廊下の反対側の壁に叩きつける。そして、勢い良く扉は閉まり、ガチャリという鍵をかける音がした。
「げ・・・元気じゃないか・・・良かっ・・・た・・・」
それだけ言って、僕は意識を失った。
――ザーーーーーーーーーーー・・・・・・
雨はまだ降り止まない。雨戸を叩く風雨は、夜にはいってますます激しくなり、時折雷すら混じるようになってきた。
――ピカッ!
小窓から入る閃光。台風並みの荒れ方だ。
せっかく明日は日曜だってのに、ついてないよなぁ・・・。
電気を消した部屋の中、ベッドに寝転びながら、そんなことをぼうっと考えていると。
――トントン。
・・・? ノックの音・・・か?
起き上がり、電気を点けてから、扉を開ける。
「・・・お兄ちゃん、寝てた?」
ドアの外には、パジャマに着替えて枕を抱えためぐみが立っていた。
「・・・なんだよ。まださっき着替え見たこと怒ってんのか? あれは偶然だって・・・」
「違うの・・・あのね、その・・・」
そのとき、今までの中でも一番の轟音が鳴り響いた。
「きゃあああっ!」
めぐみが悲鳴をあげて、抱きついてくる。
「お、おい?!」
肩がブルブル震えている。いつもの能天気な笑顔は何処へ行ったか、雨に震える子犬のように僕にすりついてくる。
(か、かわいいかも・・・)
「・・・お兄ちゃん?」
「だ、だいじょうぶだよ。この辺うちより高い家はいくらでもあるし、落ちやしないって。」
いかん、声が裏返ってしまった。
「・・・くすっ。」
あーあ、笑われちゃった。でも、少しは落ち着いたかな。
「ね・・・」
「ん?」
「まだちょっと怖いの・・・だから・・・えっと・・・今日・・・てもいい?」
「え?」
僕が聞き返すと、めぐみは真っ赤になって、半ば叫ぶように、爆弾発言をした。
「今日、ここで寝てもいい?」
「・・・」
「お兄ちゃん?」
はっ、いかんいかん。頭が真っ白になってしまった。
「ちょっと待てよ、おい、えーと、・・・」
「・・・」
めぐみは何も言わずに、僕の背中に回した手に少し力をこめ、上目使いに僕を見上げた。
瞳が少女漫画のようにウルウルしている。
「うっ・・・」
「じー・・・」
(口で言うなよ・・・)
何か言おうとしたが、今までに見たことがないめぐみの瞳が僕の口から言葉を失わせる。
「・・・今夜だけだぞ。」
「うんっ!」
しょうがないよな。反則だよあれは、うん。
・・・あれ? 何で言い訳してるんだろう。
結局、めぐみは僕のベッドにもぐり込んでしまった。自慢じゃないがうちのベッドはそんなにサイズが大きい訳でもないので、二人で寝るにはかなり狭い。それに加えて、今日のめぐみはちっちゃく丸めた体を、ぴとっ・・・とくっつけてくる。こういうのは「猫チック」というんだろうか。犬なら聞いたことあるけどなあ。
「ね・・・」
「ん?」
「こうしてると、思い出すよね・・・」
そういえば、以前はよくこんなことがあった。泣き虫だっためぐみは、怖い夢を見たと言って泣いては、僕のベッドに潜りこんできたものだった。
ん? そういえば、確か・・・
僕は寝返りを打って、めぐみの方を向いた。そして、めぐみの手を優しく握ってやる。
「こうやると泣き止んだんだよな、いつも。」
めぐみの頬が一瞬真っ赤に染まる。
「もう、やだ・・・なんでそんなことばっかり覚えてるのよ。」
「はは・・・懐かしいよな。」
「覚えてる? 昔にもこんなことあったよね。お父さんもお母さんも居なくて、雷が鳴り出して、真っ暗で、私怖くて、独りぼっちになったみたいで・・・。でも、お兄ちゃんその時言ってくれたんだよ。」
―――独りぼっち・・・?
「え、なんて?」
「約束したでしょ! もうっ!! 覚えてないの!?」
「・・・?」
「・・・あたし知らない!!」
そう言うと、めぐみはくるりと背中を向けてしまった。
「おい、何時の事なんだ?」
「教えてあげない!」
一体いつの事だろう? 小学校? 幼稚園?
随分昔のことのようだけど、つい最近のことのようにも思える。元来忘れっぽい性質なので、昔のことなど気にしたことはなかったが、こうもさっぱり忘れてるとなんだかめぐみ悪い気がしてくる。記憶の取っ掛かりだけでも思い出そうとするが、どこにどうしまいこんだのやら少しも思い出せない。見ると、めぐみは背中を向けたまま、僕の受け応えを待っているようであった。
――そう言えば、親父たちが外国にいってからめぐみには苦労かけっぱなしだったよな・・・。
「めぐみ、もう寝たのか?」
「・・・」
答えはない。けれど、その肩がかすかに震えたのを見て、起きてると確信した僕は、かまわず言葉を継いだ。
「あした・・・」
「え?」
めぐみが振り返る。
無意識のうちに、言葉が口から出ていた。
「明日、遊園地にいこうか。もちろん、晴れたらだけどさ。」
一瞬戸惑いを見せためぐみの顔が、ぱあっと明るくなる。
「うん! 晴れるよ、きっと!!」
外はまだ叩きつけるような雨の音が響いていたが、僕は何故か、明日の天気を根拠もなく確信していた。
台風一過。・・・いや、正確には違うのだが、この清々しさを形容するにはこれが一番ふさわしい気がする。昨日の大雨が嘘のように晴れ渡った空が、僕たちを出迎えてくれた。
「わーい、遊園地だ。今日は天気がいいから、うきうきするね。」
「・・・転んでもおんぶはしてやらないぞ。」
でも本当に、いい天気で良かった。昨日は触れたら壊れそうなほど弱々しかっためぐみの顔も、今日は晴れ渡っている。
「でも残念だったね、お姉ちゃんこれなくて。」
「まあ、急な話だったからな。しょうがないよ。」
実は弥生も誘ったのだが、おばさんが珍しく休みがとれたので今日は二人で出かけているらしい。
まあ、いいことだよな。
「どっれかっら乗っろうっかなー♪」
・・・それにしても、今日はいつもにもましてはしゃいでるような気がするなあ、めぐみのやつ。
「・・・ん? ・・・どうしたの?」
自分の顔に向けられた僕の目線に気付いためぐみが、不思議そうにこちらを見上げる。
「あ、いや、何でもないよ。」
考え過ぎだよな、きっと。せっかくだから、今日は一日楽しむことだけ考えようっと。
「よーし、じゃ、ジェットコースター乗って、おばけ屋敷入って、最後に観覧車に乗るか!」
「おー!」
「きゃあああああっっっっ!」
「うわあああああっっっっ!」
「ヤッホーーー!!」
「うげええええっっっ!!」
「ゼーゼー・・・」
こ、こういうのは・・・苦手だ。
「もー、だらしないなあ。」
ジェットコースターから降りても、目がぐるぐると回って、まだまともに立てずにうずくまっている僕の側で、めぐみは平気な顔で勝ち誇っている。
「ハアハア・・・じゃ、次はお化け屋敷な。」
「へ?」
めぐみの表情がひきつる。ふふふ、こっちだって弱点くらい知っているのさ。
「え、えーと・・・もう一回乗らない? 今の。」
「ダーメ、いくの。」
呼吸も整って、立ち直った僕は、めぐみの腕をつかんで、強引に引っ張っていった。
「ふええ〜ん。」
・・・10分後。
「ふにゃ〜ん。こわかったよぉ。」
「ほんっと、怖がりだな。お前、中で泣いていただろ。」
「もぉ、お兄ちゃんのイジワル・・・。」
「さーって、次はどこいこう・・・と。めぐみ?」
「・・・え? あ、うん、そうだね。そろそろ、観覧車のってもいいんじゃない?」
言われてまわりを見回してみると、いつのまにか、陽も西に傾いてきていた。
そう、ここの遊園地の観覧車は、夕陽が綺麗に見えることで有名なので、今まで取っておいたんだった。
「そうだな、もういい時間だな。」
「よーし、じゃ、早く行こ!」
めぐみはそう言って駆け出そうとする。
「お、おい、ちょっと・・・」
待てよ、といって手をさしだそうとした・・・瞬間。
バタン。
突然、めぐみの体が力なく崩れ落ちた。
「めぐみ?!」
「まったく、無理するんだから・・・」
僕はめぐみを背負って、家へと歩いていた。
どうやら、昨日雨に打たれたのが原因らしい。今日は一日、高熱があるのを隠して無理に元気に振舞っていたという訳だ。
「・・・ごめんね、お兄ちゃん・・・。」
「いいさ。でも、どうして黙っていたんだ? 遊園地くらい、いつでも行けるだろうに。」
「だって・・・せっかくお兄ちゃんが誘ってくれたんだもん・・・」
「え・・・」
ドキッ。
胸が急に締め付けられるように苦しくなる。
なぜか急激に速くなる鼓動が、背中ごしに伝わってしまうのが何だか怖くて、僕は無意識のうちに足を速めていた。
もうすっかり暗くなってしまった海岸沿いの道を、足早に歩き続ける。
そういえば、こんな時間に歩くのは久しぶりだな、この道。
子供の頃――そう、子供の頃だ。
たしか、ずっと前にもこの道を、こうやってめぐみを背負って歩いたことがあった。
あれはいつだったか――。
そんな考えごとをしていた僕には、背中のめぐみが、こっそりつぶやいた一言は聞こえなかった。
「おにいちゃん・・・おにいちゃんはずーっと、めぐみのお兄ちゃんだよね・・・?」