<第二章・炎の基礎理論編>



前章で世間一般の妹に対する理解がいかに浅薄なものであるか、

そしてこの蒙を啓発することが私に課せられた使命である

確信するに至った過程を簡単に述べさせていただいた。


この章では炎の基礎理論編と題して、

妹という言葉に秘められた多彩かつ深奥なさまを一端なりとも紹介することにより、

読者諸兄にもこの言葉の持つ甘美な響きを、せつない想いを、

そして私の見果てぬ夢を感じていただきたい。



私が数年にわたり妹をテーマに研究を重ねてきたことは周知の通りである。

数多くの実験測定データから導かれた幾つかの仮説を打ち立てたことで

私を妹研究の権威と目する向きもあり、

読者諸兄の中には私の言葉を金科玉条かなにかのように思っている人もおられるかも知れないが、

それは違う。

私の研究はまだまだ中途であり、このエッセイを通して諸兄とともに学んでゆければと願っている。

なお、反論は認めない。





まず、妹は可愛くなければならない。


これは過去未来、または洋の東西を問わない普遍的条項であり、

何人と謂えどもこの前提を覆すことは出来ない。

妹は可愛いのだ。

そうではない血がつながっているだけの女など妹と呼ぶに値しない。

そして、妹たるもの兄を、つまるところこの私をその澄みきった瞳いっぱいに宿らせていなければならない。

そんな瞳で私だけを見上げてくれる。

これぞ私の見果てぬ、ひょっとしたら叶わぬかもしれない夢だ。

いや、諦めてはいけない。

いつかきっと私にもそんな妹が現れてくれるに違いない。


俺はそんな妹が欲しいんだーーーーーーーーーーーー!!!!!!



 第二に、妹は妹でなければならない。


そう、妹は年下の女の子でなければならないのだ。


これは至極当然のことのようであるが、果してその真なる意味を読者諸兄は理解しておられるのであろうか。

ここでいう“年下”を決める基準となるのは実年齢ではない。

むしろ性格、人柄などの言わば精神面に重みが置かれているのであり、

たとえ可愛くて年下であったとしても精神的に成熟していてはそれは妹たりえないのである。

さらに言えば血のつながりも関係無い。

私と妹を繋ぐ大切な架け橋が血液ごときに邪魔されてなるものか。


血がつながっていようがいまいがそんなことはどうでもいい。

“年下”の可愛い女の子であるならば、それは俺の妹なのだ。


一応、次章実践編の都合上血がつながっていないほうが倫理的に望ましいのだが、

もちろんそんなこと構うことはない。
世間の良識など黙っておれ。







さらに何にもまして重要な条件がある。それは、

妹は兄のことを「お兄ちゃん」と呼ばねばならない

ということである。


「兄様」や名前呼び捨てなどもってのほかである。

これこそが妹をして妹たらしめている究極の理由であり、

兄、いや私のことをこう呼ばない女には妹たる資格なしと言っても一切差支えない。

そう言えるほど私のこの願望は絶対なのである。


だから俺は「おにいちゃ〜ん」って呼んでくれる妹が欲しいんだってば。

鳴沢唯みたいな、レイチェルみたいな、そしてカレンのイベントの病気の女の子みたいな……俺はそんな妹が欲しいんだ。

可愛い女の子よ、俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれ!!!







この理論をすこしだけ発展させてみよう。

な〜に、「お兄ちゃん」と呼ばないキャラもそう呼んでいることにすればいいのだ。

高村椿だってフェンネルだって高瀬祐花だって俺の妹になってくれて構わない、いや正直なところ妹になって欲しい。

もちろん杉原真奈美だって俺の妹だ、まぁ、細かいことは問い詰めんでくれ給え。






はぁはぁ。以上で基礎理論編を終えたいと思う。

特に基本的な概念と考え方に注目したつもりであるが如何なものであろう。

紙数の都合上割愛せざるを得なかった事項もあるが、

それらに関しては周囲の反対を恐れずに次章以降で触れることにしよう。

なお著者の思い違いや校正ミスによる誤りもあると思うが、御叱正は許さない。


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