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【焼き銀杏】
予備校からの帰り、私は梨華ちゃんの家へと急いでた。
「梨華ちゃん、張り切ってるんだろうなあ」
その姿を思い浮かべて、ちょっとほほ笑ましくなっていた。
つきあい始めた当初は、どうなることかと思ってたけど、素の梨華ちゃんはとてもいい感じ。
ちょっと単純、良く言えば素直で、ネガティブなところもあるけど頑張り屋さんだった。
その頑張り屋さんなところが悪く作用すると、私を襲ったようなことになるわけだけど……。
性に対する考え方の違いを除けば、梨華ちゃんとは上手くやっていけそうに思う。
昨日のデートで、梨華ちゃんの可愛いところ、いっぱい見つけちゃったし、私自身も満更じゃない気がする。
その…梨華ちゃんを…好きになってきてる。
ピ〜ンポ〜ン……
そんなこんなを考えてるうちに到着。
でも、さっきからチャイムを鳴らしてるのに、梨華ちゃんは出てこない。
ピ〜ンポ〜ン……。
「おっかしいなあ……買い物かなあ?」
不審に思いながらノブを回すと、何の抵抗もなくドアが開いた。
「梨華ちゃん?」
玄関から呼びかけても返事はない。
「鍵をかけ忘れるなんて不用心だなあ」
帰ってきたら注意しなきゃ、とか考えながら、上がって待つことにする。
「お邪魔しま〜す」
部屋の中に入ると、妙なにおいがした。
生ぬるい感じの空気が、何となく酸っぱかった。
「何だろ?これ」
どこかで覚えのあるにおい……。
そのにおいの向こう側、ベッドの上に……梨華ちゃんはいた。
真っ裸で涙を流しながら、焦点の合わない目で天井を見上げてた。
「り…梨華ちゃん?!」
私の声にうつろな視線を向ける梨華ちゃん。
梨華ちゃんの変わり果てた姿に、一瞬立ちすくんじゃって…ハッと気がついて、梨華ちゃんの方へと近づい……。
「いやあ〜〜!!こないでえ〜!!」
梨華ちゃんが絶叫してた。
私を見て、叫んでた。
「だめえ〜!!!こないでえ〜〜!!」
自分の体を手で隠すようにしながら後ずさって、ベッド際で震えてた。
「梨華…ちゃん……」
呼びかけても、梨華ちゃんは身をすくめて嗚咽を漏らして、かすれる声で何かを繰り返すばかり。
「どうしたの…梨華ちゃん…しっかりして!」
ゆっくり近づいて触れようとしたとき、梨華ちゃんが繰り返している言葉が聞こえてきた。
「…ごめんなさい…明日香ちゃん…ごめんなさい…」
って……。
何で? 何で謝ってるの?
「梨華ちゃん…しっかりして。私、何にも怒ってないよ。ね?」
それでも梨華ちゃんは、涙を流して首を小さく振るだけだった。
梨華ちゃんに一体、何が起こったの?
乱れたベッド。そこからから落ちそうな服と下着。
ベッドの中央はグショグショに濡れている。酸っぱいにおいの源。
リビングを見渡すと、逆光に浮かび上がってテーブルの上に飲みかけのコップが二つ。
私が来るまでに、梨華ちゃんのほかに誰かがいた。
その誰かが…梨華ちゃんに……私の梨華ちゃんに乱暴した。
状況が疑いようのない事実を、私に告げていた。
カッと頭に血が上る。
でも…それよりも今は、梨華ちゃんの心を助けないと。
「梨華ちゃん…」
脅かさないようにゆっくりと肩に手を置く。
「…ごめんなさい…私…私…ケガレてる……」
絶望を体全体で表し続けてる梨華ちゃん。
「そんなことない!…そんなことないよ、梨華ちゃん」
肩に置いた手にグッと力を入れて引き寄せる。
自分の気持ち、今ハッキリ分かったよ。
私は梨華ちゃんのこと好きだよ。好きになっちゃったんだ。
「梨華ちゃんは梨華ちゃんのままだよ…私の好きな…大好きな梨華ちゃんのままだよ……」
額と額をつけるようにして、梨華ちゃんの瞳を真正面から見つめる。
一瞬、梨華ちゃんは目を背けようとしたけど、真っ赤な目で私を見つめ返してくれた。
今出来る最高の笑顔で、私は梨華ちゃんを見つめ続けた。
梨華ちゃんを好きな私の心は変わらないよ!
言葉じゃとても届きそうにないから、必死で梨華ちゃんを見つめてた。
キッチンから、蛇口から水の落ちるポトンッ、ポトンッて音が、一定の間隔で聞こえてくる。
梨華ちゃんの瞳が、次々に色を変えて……。
何十回、水の音が聞こえたんだろう。
「…私……」
「ん?」
聞き逃しそうなほどに細い声。
「私…明日香ちゃんのそばに…いてもいいの?」
「当たり前じゃん……それとも…梨華ちゃん、私のこと嫌いになった?」
ブンブンと首を振ってる。
「じゃ、何の問題もないじゃん…私も…梨華ちゃんのこと…大好きだよ」
私を見つめる梨華ちゃんの瞳が、また涙で曇って…何かを必死に飲み込むように喉が動いて……。
そして梨華ちゃんは……私にすがりついて泣いた。泣き続けてた。
私は…ほかに何もできないから、ギュッて強く抱いて…額にキスをしてあげた。
梨華ちゃんを守ってあげたい。
私の腕のなかで泣きながら震えてる、こんなに愛しい梨華ちゃんを傷つけるヤツは許せない!
沸々と湧き上がってくる怒りが、胸を焦がしていた。
「梨華ちゃん、体洗おう。立てる?」
梨華ちゃんは、ふるふると首を振る。
事実、足腰の自由が利かない状態みたい。
こんなになるまで……こんなになるまで、私の梨華ちゃんに何をしたっ!
改めて行き場のない怒りが湧く。
「……お風呂場まで連れていってあげる。体も洗ってあげるよ」
ポッと恥ずかしそうに顔を赤らめて、小さく肯く。
可愛いなあ…。
よいしょっと抱き上げてお風呂場まで慎重に運ぶ。
お湯の抜けた浴槽に、ゆっくりと入れてあげると、何とか縁につかまって、自分の体を支えることができた。
シャワーの温度を調節して、上半身から下半身へと、ざっとお湯をかけてあげる。
「……梨華ちゃん、気持ちいい?」
「うん。ありがとう」
ボディソープを泡立てて、スポンジで丁寧に梨華ちゃんの体を洗う。
梨華ちゃんは、かなりくすぐったかったみたい。身もだえしちゃってるけど、押さえつけるようにしてしっかり洗った。
恥ずかしいとか言ってられない。
柔らかい胸も、充血してるみたいなあそこも、全部、洗ってあげた。
嫌な記憶も一緒に流れちゃえって思いながら……。
もう一回お湯をかけてあげて、バスタオルで軽くふいてから、抱き上げた。
「明日香ちゃん、服が濡れちゃうよ〜」
「いいから。しっかりつかまって」
何とか片手で梨華ちゃんを抱いて、あいた方の手で今度はしっかりと体をふいてあげる。
こうして間近で見ると、首筋やあちこちに乱暴に付けられたキスマークが見えて、そこをふく手に力が入ってしまう。
「…明日香ちゃん……ダ…ダメ」
ハッと気がつくと、梨華ちゃんが体を震わせてる。
「ご…ごめん」
「いい…大丈夫」
力加減をしながら、全身をふいて、ソファーにそっと寝かせた。
「梨華ちゃん、着替えどこ?」
場所を聞いて、適当に見つくろって着せる。
取りあえずパジャマで済ませた。
それからベッドルームに行って、シーツを外す。丸めて敷布団まで染みたものをふいて、洗濯機に放り込む。
それでもまだ、酸っぱいにおいが残っている。
きっと梨華ちゃんは、このにおいで嫌な記憶を蘇らしてしまうに違いない。
忌々しいにおい。
…ここで寝させるわけにはいかないな…。
そう思いながらリビングへと戻った。
「どう、梨華ちゃん? 落ち着いた?」
「体、洗ってスッキリした。明日香ちゃん、ありがとう」
ソファーの下にペタンと座ると、ちょうど梨華ちゃんの顔がのぞき込める高さ。
何があったのか聞きたかったけど、思い出させない方がいいと思い返して、取りあえず笑った。
「何〜? 何か可笑しい?」
「別に〜。ただ……」
「ただ? 何よ〜」
「たださ…お風呂に入れてあげるとき、梨華ちゃんが赤ちゃんみたいで可愛かった」
「もう!」
両手で自分の顔を覆って恥ずかしがってる。手の隙間から見える肌は真っ赤だった。
「ねえ、梨華ちゃん…」
「今度は何?」
「今夜さあ……うちに泊まりに来ない?」
両手を顔から離して、ビックリした顔で私を見る。
「…今夜は…一緒にいたいんだ」
この部屋で梨華ちゃんを一人になんて、とても出来なかった。
「ね? きょうはうちに泊まりなよ」
「…うん……ありがとう…明日香ちゃん…迷惑かけて…ごめんね……」
また、梨華ちゃんが泣いちゃいそうだったから、私は
「梨華ちゃん、これからは『ごめんなさい』は禁句ね」
って言った。
何か反論したそうだったけど、梨華ちゃんは何も言わなかった。
って言うか、何も言えなかった。
何故かって言うと……私がキスで唇をふさいじゃったから。
私からした初めてのキスだった。
私は「タクシー呼ぼう」って言ったんだけど、梨華ちゃんは
「もう大丈夫」って言い張るから、ゆっくり駅まで歩いて電車でうちまで行った。
昨日のデートの時に二人で買った星形のピアス。私は、右側が空色で左が黄色。梨華ちゃんは、その逆。
おそろのピアスをして、腕を組んで歩いていった。
うちでお泊まりすることになって、梨華ちゃんは急に張り切りだした。
少し大きめのトートバッグに、着替えとかお泊まりセットを詰めるときから、
「あれがいい」
「やっぱりこっちがいい」
とか大騒ぎ。
うちに行くだけなのに、しっかりメークをやり直したり。
ピンクのフレアスカートなんて引っぱり出してきて、
「ね? 似合う?」とか言って……。
私はそこまで頑張らなくてもいいよって思ってたけど、梨華ちゃんの笑顔が見れて、ちょっと嬉しかった。
電車に揺られて一路わが家へ。
うちが近くなって、梨華ちゃんは急にそわそわしだした。
「突然お邪魔して、やっぱり迷惑だよね」
「大丈夫だって。今までも、なっちとか圭ちゃんとか、急に泊まっていったこともあるし…」
って言ったら、梨華ちゃんの目の色が変わった。
「え? 安倍さん、明日香ちゃんちに泊まったことあるの? 保田さんも?」
……梨華ちゃん…目が怖いよ。
いろいろ聞きだそうとする梨華ちゃんをかわしながら、騒がしくわが家に到着。
梨華ちゃん、結構、やきもち焼きなのかな?
ともかく、私の部屋に梨華ちゃんを通してから、台所に向かう。
特に連絡はしなかったけど、うちは弟がいるから探せば何かしら食べるものはある。
きょうの晩ご飯はハヤシライスだったらしく、コンロの上の鍋には、まだたくさん残ってた。
それを温めなおしている間に、コップとウーロン茶をペットボトルごと、部屋に持って上がる。
「ハヤシライス、残り物だけどいいかな?」
「うん……ごめんね。ご馳走するって言ってたのに……」
「今度あらためてね…それに『ごめんね』は禁句って言ったでしょ?」
いけない!って感じで口に手を当ててる梨華ちゃんも可愛い。
……何だか私、急激に梨華ちゃんに、はまってきちゃってる?
二人で食べるハヤシライス。
「おいしいね。明日香ちゃんのお母さん、お料理上手なんだね」
「どうなんだろ。でも、私は母さんの手料理、結構好きだけどね」
娘。に入って、それまでの私と一番変わったのは、こんな感じの他愛もない話が大事なんだって実感したこと。
何の意味もないのに、話をしたってしかたないじゃん、そう思ってた。
でもそうじゃなかった。
娘。として、特別な場面や時間をたくさん経験した。
手売キャンペーン、テレビやラジオへの出演、初登場一位、紅白やレコ大……もちろん、その度にメンバーとの絆は深まった。
だけど、楽屋や移動中の車、ホテルでの、何でもないおしゃべりの楽しさ。それが感じられるようになって、やっと自分も娘。の一員になれたのかなって……。
今もこうやって、梨華ちゃんと普通に話せることが嬉しい。
さっきまでの取り乱した梨華ちゃんの姿が、まだ脳裡に残っているから、余計にそう思う。
ハヤシライスを食べ終わって、二人で台所に立って後かたづけするのも楽しい。
ベッドの上に肘をついて寝そべって、テレビを見ながら、あれやこれや話すのも楽しかった。
でも……やっぱりはっきりさせておかなきゃいけないこともあるよね。梨華ちゃんにはつらい思いをさせちゃうけど……。
「……梨華ちゃん」
「何〜?」
楽しそうにしてる梨華ちゃんを見ると、やっぱり言わないでおこうかと迷ったけど…言わなきゃ。
「……きょう…誰が来てたの?」
スッと梨華ちゃんの笑顔が消えた。
「嫌なこと思い出させちゃうけど…でも、あんな梨華ちゃんをもう見たくないから……そのために私に出来ることがあるかもしれないから……」
うつむいてる梨華ちゃんが、何だか消えちゃいそうなほど、儚げで……。
「明日香ちゃん…ありがとう……でも…大丈夫だから……」
何がどう大丈夫なのか。
梨華ちゃんは何も言ってくれない。
「誰だか言いたくないなら、それでもいいけど……その人と…もう二度と会ってほしくないよ!」
「うん……もう絶対、家に上げたりしないから…安心して……」
梨華ちゃんは、「会わない」とは言わなかった。
どうしても会わなきゃならない人なの?
その人と会うたびに、梨華ちゃんは怖くなっちゃうだろうし、それにまた襲われるかもしれないじゃん。
全然安心なんて出来ないよ!
でも、それ以上は話を続けられなかった。
あまりにも梨華ちゃんがつらそうだったから。
「そう…本当に気をつけてよね?」
「うん……大丈夫! 明日香ちゃんがいるのに、浮気なんてしないよっ!」
それは、梨華ちゃんにとって精いっぱいの冗談だったんだと思う。
「ははは……」
引きつった笑顔が痛々しくて、涙が出そうだったけど、何とか笑うことが出来た。
乾いた笑い声は、どこに響いてたんだろう?
気まずい雰囲気のなかで、二人の間の沈黙が…重かった。
「…疲れたでしょ? 梨華ちゃん、ベッドで寝てよ。私、蒲団敷くから……」
ベッドから降りようとする私の腕を、梨華ちゃんが引いた。
「…一緒じゃ…ダメ?」
正直、私のベッドに二人はきつい。
でも、今夜はそんなことはどうでもよかった。
「いいよ」
手をつないだまま二人でベッドを降りて、それぞれパジャマに着替えた。
二人で寝るベッドは窮屈で、肩と肩が当たってた。
でも…それが、とても温かかった。
私がベッド脇のライトを消して戻ると、梨華ちゃんの瞳が、薄暗がりの中でキラキラ光ってた。
「明日香ちゃん……」
梨華ちゃんの声が耳元で、ポツッと聞こえる。
「ん?」
「…キス…して……」
私は返事もせずに顔を寄せて…柔らかなキスをした。
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