【焼き銀杏】

 今日一日、私は勤労少女。
 高校中退して、やりたいことに集中できる…ほど、うちの親は甘くない。
 これも社会勉強の一環ってことで、しっかり働きに出てるわけで……。

 朝から夕方まで働いて、
「あ〜疲れた……」
なんて一丁前なセリフを吐きながら、テコテコと歩いて家に帰る。
 家に帰れば、まさにフリータイム。
 時間はあるんだよ、時間は。
 それでも、親がうるさいから、流石に二日連続でお泊まりってわけにはいかない。
「梨華ちゃん…きょうは大丈夫かな?」
 会えないと余計に心配になるよ。

 一体、梨華ちゃんを襲ったのって、どんな奴だろ?
 梨華ちゃんに、
「セックスなんて、したいときに、 したい相手と、すればいいんじゃないの?」
なんてことを言う奴なんて、きっと外面だけはよくって、女の子を弄ぶような男に違いない。
 そんなことを考えてると、改めてムカついてくる。

 不意に携帯電話が鳴る。もう夜中の零時を回ってる。
 しかも相手は……非通知。
 こういうの、イタ電の場合が多いんだよね。
 どうしよう?
 迷っている間も、相手はかなりねばってる。
 ……取りあえず相手を確かめるかな。

 ピッ。
「…………」
『もしもし、福田さんですか?』
 女の子の声だ。
「…どちら様ですか?」
『あ、え〜と、吉澤です。吉澤ひとみです』
 吉澤さん? 梨華ちゃんと同期の?
『福田さん…福田明日香さんですよね?』
「…そうですけど」
 吉澤さんから電話なんて…何で私の番号知ってるんだろ?
『よかった〜。あ、突然ごめんなさい。ごっちん…後藤さんから教えてもらってかけさせてもらいました』
 後藤さん? 番号、教えたことあったけ?
 なっちか圭ちゃんが教えたのかな?

「あ、どうも…ご無沙汰してます」
『はい…あの…電話で突然なんですけど…梨華ちゃんのことで……』
 突然、梨華ちゃんの名前が出て、私は一気にパニックになった。
「梨華ちゃんに何かあったんですか?!」
 噛みつくように尋ねる。
『いえ、そういうわけじゃないですけど…』
 何だ。よかった……。
『…でも、何かあったと言えば、何かあったと言えなくも……』
 どっちなの、はっきりしてよ!
 まったく…イライラする。

『気になることがあるんですけど……電話だとちょっと……これから会えませんか?』
 これから? 何なの一体?……でも…梨華ちゃんのことは気になるよ。
「大丈夫ですけど…どちらに行けば?」
『私、今夜はホテル泊なんですよ。だから……』
 私は親の目を盗んで家を出て、何の疑いももたずに、指定されたホテルへと向かった。

 通りで捕まえたタクシーの中で、様々な考えが頭をよぎる。
 吉澤さんが話したいことって何なのか。
 大体、何故私に電話をしてきたのか。
 梨華ちゃんが吉澤さんに、今回のことを相談したとしても、私のことまでは話さないと思うし……。

 まあ、私のことはどうでもいい。
 吉澤さんの話が、梨華ちゃんが襲われたことに関してだとしたら、もしかしたら……梨華ちゃんを襲った男は業界の関係者なんだろうか。
 そうだとしたら、そいつのことを吉澤さんは知っているかも……。
 もちろん、
「最近、梨華ちゃんの様子がおかしいんですよ」
ってだけの可能性もあるけど……。

 まだ話も聞かないうちから、あれこれ考えても仕方ないのはわかってるけど……梨華ちゃんのことだと、どうしてもね。
 それだけ私……梨華ちゃんのことが……。
 一人で照れ笑いなんかしてる間に、ホテルへ到着した。

 エントランスを入って左右を見渡す。
 流石に午前一時前ってことで人通りはなく、ロビーのソファに腰掛けた人影が一つ。
 入ってきた私を見つけて、すっと立ち上がり近づいてきた。

「福田さん…遅くに呼び出してすいません」
 吉澤さんだった。
「ううん……気にしないでいいよ」
 私がそう言うと、安心したのかニコッと笑う。
 梨華ちゃんより、もうちょっと背が高くて、私と並ぶと頭一つくらい違う。
 自然と見下ろされる感じで……。

「部屋、15階なんで」
 エレベーターホールの方を指さして、私を案内して歩き出す。
 歩いている間も、エレベーターに乗ってからも、ずっと会話はなかった。
 エレベーターを降りた後も、二人分の足音だけが廊下に響いていた。

 ジャラッと鍵を鳴らして、吉澤さんが立ち止まる。
「ここです」
 廊下が直角に曲がった、ちょうど角の部屋。
「どうぞ」
「…失礼しま〜す」
 ドアを開けて待っていてくれる吉澤さんの脇を抜けて、私は部屋の中へと。
 背後でドアがバタンと閉まり、カチャッと鍵の下ろされる音が聞こえた。

「最近、梨華ちゃんの様子がおかしいんですよ」
 私たちはツインのベッドそれぞれに座って、向かい合っていた。
 吉澤さんの話の切り出し方は、想定していた中で、一番ノーマルなものだった。
 必要以上に緊張していた私は、ちょっと拍子抜け。

「……おかしいって?」
「いつもはそんなことないのに、楽屋で鏡に向かってボ〜ッとしてたり……私が声をかけたらものすごくビックリしたり……福田さん、梨華ちゃんから何か聞いてませんか?」
 最近ってことは、私とつき合い出してからってことだろうか?
 それにしても……。
「…何で私に聞くの?」
 吉澤さんはイタズラッぽく笑ってた。
「何でだと思います?」

 その言い方に何だか馬鹿にされたように感じて、ムッとした私は黙ってた。
 そしたら……。
「だって福田さん、梨華ちゃんとつき合ってるんでしょ?」
「……何で?」
 何で吉澤さんが知ってるの?!
 投げ出された爆弾に驚く私の表情を見て、吉澤さんは、
「やっぱり…そうなんですね」
って。
 そして、二つ目の爆弾を投げ込んできた。
「福田さん…梨華ちゃんと別れてください」

 何? 何て言ったの?
 別れる? 私と梨華ちゃんが?
 馬鹿なこと言わないで!
 何であなたにそんなこと言われなきゃいけないの?
 ――あまりにも言いたいことが多くて、どれも言葉にならなかった。

「好きなんです……」
 吉澤さんが?
 誰を?…梨華ちゃん?
 だから、私に別れろって言うわけ?
 冗談じゃ……。
「…福田さんのことが……」
 !!!!!
 何?…………。

 もし吉澤さんが
「梨華ちゃんのことが好き」
って言ったんだったら、私は、
「馬鹿言わないで!」
とか言って出ていっただろう。
 でも……頭の中が真っ白になって、何を言えばいいのか、どうすればいいのかも分からなくなった。
「…福田さんのことが……」
 その言葉を聞いた途端に、私は見えない鎖につながれていたから……。

 私はただただ吉澤さんの顔を呆然と見ていて……。
 その時もっと冷静だったら、吉澤さんの目に冷たい輝きがあったことに気がついたかもしれない。
 でも、そんなことは全然目に入ってこなかった。

「だから…梨華ちゃんと別れてください」
 吉澤さんは重ねてそう言った。
「…それで…私とつき合ってください」
「な!…そんな…だって……」
 もう私は、何が何だか分からなくなってて……。
「明日香さん…梨華ちゃんのこと、本当に好きなんですか?」
 だから、吉澤さんの呼び方が「明日香さん」に変わったことにも気づかなかった。

「好きだよ!…大好き……」
「梨華ちゃんも明日香さんのこと…好きなんだと思います」
 一旦は私の言葉を、そう受け止める。
 でも吉澤さんは、私に考えさせる間を与えないほどに畳みかけてきた。
「でも、梨華ちゃんには重すぎるんです」
 重い? 何が?

「ずっとモーニング娘。のファンだった梨華ちゃんにとって、明日香さんは伝説の存在なんです」
 嘘…だって梨華ちゃん、そんなこと一言も……。
「梨華ちゃんは言わないかもしれません……だって、憧れの明日香さんとつき合えるなんて夢ですもんね」
 何だか自分の心が読まれているみたいだった。
「でも、だからこそ…明日香さんは梨華ちゃんにとって重すぎるんです」

「…でも…もしそうだとしても…そのことは私と梨華ちゃんの間の問題で、吉澤さんとは関係ないでしょ?」
 私はやっとの思いで切り返す。
 吉澤さんは小さく首を振る。
「このままだと、いつか梨華ちゃんはつぶれちゃいますよ。一緒に仕事してる私には分かるんです。明日香さん、それでもいいんですか?」

 …「一緒に仕事してる」…この言葉が、私に重くのし掛かってきた。
 今の私には、梨華ちゃんをただ見守ることしかできなかったから。
 黙り込む私に、そっとベッドから立ち上がって、吉澤さんが隣へと移ってくる。
「私だったらそんな心配ないです。私、明日香さんと上手くつき合える自信があるんです」

 はっきり言って無茶苦茶な理屈だった。
 それでも私は何も言えなかった。
 それくらい混乱してた。
 梨華ちゃんは…私にその思いを隠してるんだろうか?
 二人は分かり合えていると思っていただけに、そんな疑問が頭を渦巻いて仕方がない。

「明日香さん……」
 ハッと気がつくと、吉澤さんが目を閉じて顔を近づけてきていた。
「だ、駄目っ!」
 唇がつく寸前で私が顔を反らして、吉澤さんのキスは頬に……。
「ごめん…やっぱり私……」
 私の声は震えていた……。

「…ちぇっ……」
 ふてぶてしい声に振り返ると、吉澤さんは立ち上がって背中を向けていた。
「きょうは…もういいです」
 反対を向いたままの吉澤さんの声は、妙に冷たく響いた。
 でも、こちらに向き直った吉澤さんの顔は、とても穏やかで……。

「明日香さんも…急なことで、混乱してるみたいだし……でも梨華ちゃんのこと、真剣に考えてみてくださいね……もちろん私のことも……」
「…うん……」
 小さくそう言って立ち上がるのが精いっぱいだった。
 吉澤さんは、そんな私をドアのところまで送ってくれた。

「ここでいいから…それじゃ……」
 部屋のドアから出たところで、そう吉澤さんに言って、返事も待たずに歩き出す。
「梨華ちゃんに…吉澤が心配してたって、伝えてくださいね」
 背後からそんな言葉が聞こえてきた。
 それからドアが閉まって……どこからか、高笑いが聞こえてきたような気がした。
 こんな夜中に高笑いなんて……錯覚だよね。
 私は、自分を失ったまま家へと足を運んでいった。

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