【焼き銀杏】

 ……う〜……最悪の気分…頭がガンガンする。
 ここ…どこ?……私のベッドじゃないのは確かだけど……。
 ん〜〜……駄目だ…思い出せないよぉ。
 …とにかく…ベッドから出よう……。
 ガサゴソ。

 うぅ…気持ち悪ぃ……フラフラするし……。
 …あれ?
 私…パジャマ着てる…ちょっと丈が長いような……何で着替えてんの?……え?…着替えてるってことは…もしかしたら…脱がされたかもしれないってことで……それは…やばいじゃん……。

 頭は真っ白。
 顔色は真っ青。
 あらためて部屋をグルッと見渡して……やっぱり見覚えがない。
 カーテン越しの弱い光だけの薄暗い部屋……でも…女の子の部屋っぽいような…気がする……。
 あれ?…私…昨日……あれれ?

 何だか思い出せそうになって…そしたらドアの向こう側で物音がして…咄嗟に枕を抱え込んだ。
 ドアがガチャッて開いて、強い光を背負った小柄な男の子?が姿を現した…と思ったから、思いっきり枕を投げつけてやった。
「明日…イテッ!」
 バフッ!
 見事に顔面に命中…したらしい……私は頭が割れそうに痛くて頭を抱えてたから、はっきりとは分からなかったけど……。

「……あのねぇ…明日香……」
 あれ?…聞き覚えのある声……。
 痛む頭を抱えながら、上目遣いに見ると…紗耶香じゃん。
 枕を抱えて鼻の頭を押さえてる……。
「…何で紗耶香がいるの?」
「……私ん家だから……」
 あ…そっかぁ……だんだん思い出してきたぞ。

 昨日の夜、私は紗耶香のマンションに来て……紗耶香が作曲してることとか…吉澤のこととか…話したんだよね。
 それから……そうだっ! 紗耶香とお酒飲んだんだ!
 だから、こんなに頭が痛いのかぁ……。
「……明日香…もしかして、昨日のこと覚えてないの?」
「ううん、今思い出した…二人でお酒飲んだんだよね」
「それから?」
 え?…それからって……何?

 ポカ〜ンとして…相当、間抜けな表情だったと思う。
「その後は…覚えてないみたい…だね」
「…うん……寝ちゃったんじゃ…ないの?…私、何かしでかした?」
 酔っぱらっちゃったことなんて初めてだから、自分がどうなったか不安だよ……。

 紗耶香は……ちょっとホッとしたような…ちょっと寂しそうな顔をしてた。何でだろう?
「別に…明日香は何にもしてない……何もしてないよ…明日香はね……ずっと寝てただけ」
「ホントに? 良かったぁ…暴れたりしたんじゃないかって、不安になっちゃったよ」
 ホッとして、「パジャマ、ありがとうね」なんて言ったりして。
 紗耶香になら、パジャマに着替えさせてもらっても問題なし、だもんね。

 胃がムカムカして、何も食べられそうになかったから、シャワーだけ借りて家に帰ることにする。
 熱めのシャワーをザッと浴びて、何とか頭も目も覚めた。
 ドライヤーを片手に、
「そう言えばさぁ…いつイギリスに行くの?」
って紗耶香に聞いたら、
「……教えない」
だって。

「何で教えてくれないの? 見送りに行こうと……」
「だから教えないの! 見送りなんて……大袈裟だよ…絶対にまた帰ってくるんだから…いいの」
 ……やっぱり中身は「泣き虫紗耶香」のまんまだ。

 「…じゃ、いいや。すぐにって訳じゃないんでしょ?」
「まぁね……準備とかもあるし」
 人差し指で鼻をつつく仕種が、ちょっとカッコイイ。

 けど……膝が内側にカクッて入ってて、相変わらずクネクネしてる。
 紗耶香は関節が柔らかいのか、メンバーだった頃から真っ直ぐ立ってることが苦手だったよね。
 ずっとクネクネしててさぁ。
 みんなで「骨がない」って言ってて…本人は、「そんなことない!」って、ふくれてたけど……。

 そんなこんなが…懐かしく感じちゃうね。
「でも、向こうについたら手紙、送ってよ。私も返事書くから。エアメールって…憧れてたんだよね」
「OK! 手紙、送るよ」
 返事と一緒に親指を立てる。
「絶対だよ?」
「うん」

 キーボードの方に視線をやって……
「頑張ってね……待ってるから…歌いたくなるような曲……」
 一瞬、紗耶香の目が大きく見開かれて……。
「…うん。頑張る!」
 それ以上は……今は言えない。
 私の中の迷いが大きすぎるから……。

「……じゃ…また連絡するよ……」
「うん……本当は送って行きたいんだけど、この後すぐ出掛けなきゃいけないから……」
「いいって」
 笑いながら、玄関の方へと歩いて靴を履く。

 そしたら、背後から躊躇いがちに声が届いた。
「明日香……後藤…と吉澤のこと……客観的に見てやってよ……」
 吉澤…その名前が、何かを私の中から引きずり出しそうになって……。
 振り返ったら…「泣き虫・紗耶香」の瞳が、私を見つめてた。

「……私が?」
「無理なことを言ってるけど……明日香なら…出来ると思うから」
 だから…その目には弱いんだよ……。
「……ずるいなぁ…そういう風に言われたらさぁ……」
「ごめん……」
「…いいよ…分かった……」
 自分の中の吉澤への拒絶感は、そう簡単には払拭できないだろうけど……紗耶香に言われちゃ、頑張ってみるしかない。
 ずっと前から、あの二人の問題を解決しないと、私と梨華ちゃんも安心出来ないって思ってたし……。

 ドアを開けて外に出た私。
「ありがとう……」
 恥ずかしそうな紗耶香の呟きが……何かを思い出させそうだった。
「…今の明日香になら…吉澤の気持ち、きっと分かるようになるよ……」
 今の私なら?
 昨日の私と、今の私……何かが違う?

 グルグルと渦巻く違和感。
 何か…重大なことが、記憶から抜け落ちてるような……。
「…玄関でごめん…じゃあね」
「え?…あ、うん…またね…」
 紗耶香が送り出してくれて、反射的に返事をする。
 支えてた紗耶香の手が離れて、目の前でドアが閉まっていく。
 そのドアの隙間から聞こえたような気が……。
「…明日香…好きだよ……」

 !!!
 昨日の夜……同じ言葉を聞いたような……。
 耳元に置き去りになった紗耶香の囁き。
 ジンジンと痺れるような身体の感覚。
 夢のようなそれらの出来事が、私の中を走り抜けていった。

 私…紗耶香に……抱かれた?!
 それは…ただの夢?……もしかして…現実?!
 分からない…分からない…分からない…………分かりたくない……。
 血の気が引いたように呆然として……。

 足を引きずるようにして、フラフラとその場を立ち去ることしか出来なかった。
 梨華ちゃん……私…裏切っちゃったかも…しれない……。
 「そんなはずない!」って思いたいよ。
 でも…浮かび上がってきた感覚があまりに鮮明で……私を打ちのめしてた。
 私…私……汚れ…ちゃったかなぁ?
 今まで感じたことのない自分への嫌悪感に…押しつぶされそうだった。

【チャーミー石川】

 明日香ちゃん……連絡してきて…お願い……。
 昨日、市井さんとお話してから、ほとんど寝られなかった。
 「明日香ちゃんを信じるんだ!」っていう思いが、今回ほど揺らいだことは初めてだったから……。
 朝になって、何回も明日香ちゃんに電話しようとしたけど…指が震えてダメだった。
 だから…明日香ちゃん……連絡してきてよ…お願いだから……。

「石川…大丈夫?」
 ダンスレッスンの休憩中に、保田さんが心配そうに声を掛けてくれたのに……。
「な…何がですか? 私は全然大丈夫ですよ!」
って強がるのが精いっぱいだった。

「…ならいいけど……」
 自分じゃ、気を張って頑張ってるつもりだけど……やっぱり出来てないみたい。
 ダメだよ…仕事で心配掛けちゃ、ホントに明日香ちゃんから嫌われちゃう!
 「仕事第一!」って、押し込むように自分に言い聞かせて……それでも携帯電話が気になって、気になって……。
 もうおかしくなっちゃいそうだった。

【焼き銀杏】

 どこをどうやって帰ってきたのか……とにかく、今、私は自分のベッドに横たわってる。
 何もする気が起こらなかった。
 泣くことさえ。
 虚ろな瞳で中空を見つめてた。

 ……もう…私…駄目だ……。
 何より私を打ちのめしたのは、梨華ちゃんを裏切っちゃったっていうこと。
 紗耶香に抱かれたことっていうより、自分は…自分の身体は、こんなに簡単に信頼を裏切っちゃうようなものなんだってことが、情けなくて、悲しかった。
 自分自身を信じられなくて……私は空っぽだった。

 ただただ、目の前を梨華ちゃんの笑顔が渦巻いて、どんどんと浮かんでは…消えていった。
 そう。
 消えていっちゃうんだね。
 梨華ちゃんと二人であれもしたい、これもしたいって…そんな思いはどこかへ追いやられて…代わりに喪失感が心を埋めていく。
 この後どうなるんだろうとか、そういうことじゃなくて、今までの私じゃいられないってこと……それだけは確かで、そのこと自体が、無邪気に二人の幸福を疑いもしなかった私の…「死」を意味してた。

 何の躊躇いも無く梨華ちゃんへ笑顔を向けられた今までの自分。
 そんな私は…もういない。
 紗耶香とのことを心の奥に隠して、見せかけだけの無邪気な笑顔を梨華ちゃんに見せるなんて……考えられない。

 でも……そうしなければ…きっと梨華ちゃんを失う。
 もし…隠すことなく伝えたら……梨華ちゃんはどうなるだろう。私を軽蔑するかも。
 少なくとも、梨華ちゃんが私に抱いていた信頼感は崩壊する。

 そしてそのことは…間違いなく梨華ちゃんをものすごく傷つける……梨華ちゃんを傷つけちゃうんだ…私が……。
 護るって…梨華ちゃんを護ってあげるんだって……ずっとそう思ってたのに…そんな私が、ザックリと深い傷を梨華ちゃんに負わせてしまう。
 …そんなの…そんなの耐えられないよぉ!!

 もう、どうしたらいいのか分からなかった。
 分からなかったから……何もする気が起きなかった。
 だから……ただベッドに横たわったまま、泣くことさえせずに、虚ろな瞳で中空を見つめ続けてた。

【チャーミー石川】

 今日一日、ずっと注意力散漫なまま、飯田さんや保田さんから注意されながらの不本意な仕事をしてしまった。
 鳴らない携帯電話を、恨めしく見つめたり。
 明日香ちゃん……声が聞きたいよ……会いたいよ。
 でも…自分から電話するのは……何だか怖い……。

 迷っては電話に手を伸ばし…やっぱり手を離す。
 服も着替えずに無駄にソワソワして、歩き回ったり、ベッドに寝ころんだり……。
 繰り返す惑いのサイクルが、ますます自分を追いつめるの。
 いつの間にかベッドでトロトロとまどろんでた……。
 夢の中なら…明日香ちゃんに……会える…かな?………そしたら…思いっきり…甘えちゃお……。

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