小説「あすりか」(41)

【焼き銀杏】

 部屋のチャイムを押すと、すぐにドアが開いた。
「どうぞ」
 深呼吸をして心を落ち着かせて、室内へ足を踏み入れた。

 ドアを引いて招き入れる吉澤には、余裕があふれていて……。
 その見下ろすような表情に、敵地に入り込んだと感じた。
「で、話って何?」
 イスを勧めながら、自分はベッドに腰掛けて訊ねてくる。
 あの日、私が押し倒されたベッド……。

 思わず目をそらした。
「……昨日……ごっ…後藤さんが家に来たよ……」
 スッと目を細めて、吉澤は警戒の眼差し。
 その視線は、何故、ごっちんが私の所に来たのかと訊ねていた。
「何であんたの所に?」
 言葉でもその疑問を裏打ちして、私を睨め付ける。

 脅すような視線なんて、全然怖くない。
 怖いのは、その視線の底に本物の殺気が潜んでいること。
「…別に…私じゃなくても良かったんだと思うけど……」
 声が震えないようにするのがやっとで。
 それでも何とか勇気を振り絞って刺すような視線に耐えて、真っ直ぐに吉澤の眼を見返した。

「……ふ〜ん……」
 納得したのか、しないのか。
 吉澤が何を考えているのか分からないまま、私は言葉を切り出すしかなかった。
「後藤さん…あんたのこと、本気で好きみたいだよ……」
 心の中で、「私には、どこが良いのか全然理解できないけど」って付け加えて、自分自身を奮い立たせる。

 吉澤は無言で……「そんなこと、答えるまでもなく知っている」ということなのか。
 それとも……。
「あんたも…後藤さんのこと、本気で好きなんだよね?」
 表情からはうかがえない心の揺れを、私に知られないためなのか。

 私を睨んだまま、吉澤からの答えはなくて……。
 私も、それ以上言葉をつなぐことが躊躇われて、ジリジリと沈黙の時間が流れる。
「……っふぅ〜……」
 突然、吉澤が大きく息を吐いて……思わずビクッて身が震える。

「…愛してるよ……ごっちんのこと……」
 ごっちんへの思いを端的に表したその言葉だけが、二人の間にポツンと存在した。
 でも…沈黙の長さに比例して、その言葉に込めた思いの深さだけは、私にも分かった。
 吉澤が、ごっちんへの自分の思いを表すのに、いくつもいくつも浮かんでは消えて、最後に残った結晶のような言葉――。
 心の奥の方から、やっとの思いで紡ぎ出された言葉――。

 視線に込められていた殺気が問題にならないほど、その「愛してる」という思いが、私を圧倒して……身体の芯から震えていた。
 それ以上に……そこまでの「愛」を抱きつつも、キスすら躊躇ってしまうほどの吉澤自身への絶望も感じて……。
 頭で分かったつもりになっていた私を、ペシャンコに押しつぶすほど深い絶望だった。

 絶望が、強風のように私の心に吹き付けて、ちっぽけな感情を、そして私の全てを、どこかへ弾き飛ばしていった。
 ただ、私の梨華ちゃんへの「愛」だけがそれに耐えて、そこにあった。
 私は確かにここに存在する――梨華ちゃんへの「愛」が、私を支えてくれていた。
 梨華ちゃん……ありがとう……。

【チャーミー石川】

 飯田さんが言うように、私も変わったけど……明日香ちゃんもだんだん変わってきたような気がする。
 最初は、あんまり他人に左右されるような人じゃないなって感じだったけど、今は、そんなことないって知ってる。
 よっすぃ〜とごっちんの問題でも、私以上に一生懸命だし。
 …そのことは…ちょっと心配だけど……。

 明日香ちゃんが変わったのか、本当は前からそうだったのか。
 それは分からない。
 でも、そんな明日香ちゃんを見て、強い人だなって、そう思う。
 私のことで一緒になって、いっぱいいっぱい悩んでくれる。

 例えて言うと……。
 敢えて強風に向かって、顔を背けずに進んで行くような、そんな人。
 私だったら…逃げちゃうな。

 でも……今なら……明日香ちゃんと一緒なら、風に向かって挑んでいけそう。
 だって、明日香ちゃんと手をつないでだったら、すごく温かい気持ちになれるから。
 安心して進んでいけると思う。

 だからやっぱり、私は明日香ちゃんの傍にいなきゃね。
 明日香ちゃん……風に向かって進んでいく人。
 それでいて、日溜まりみたいに温かい人。
 そして……私にとって掛け替えのない人。

【焼き銀杏】

 何とか…何とかしてあげたい。
 吉澤に会いに来ようと決心した、その思いが再び私の心を満たしていた。
 憐れみでもなく、同情でもない、敢えて言えば共感。

 人を本当に愛するということに、普遍的に付きまとう恐れ。
 愛すれば愛するほど、相手を傷つけてしまうんじゃないか――その恐れが、自分を縛っていく。
 自分が自分でいられなくなるほどに。
 そのことで悩み、苦しむ……。
 それでも……いくら自分が傷ついても、どうしようもなく一緒にいたいんだよね。

 形は違っても、そのことは私も吉澤も同じだと、直感的にそう思った。
 だからこそ、何とか…何とかしてあげたい。
 ジッとしていられないほど、自分を突き動かす衝動が次々と湧き出てきて……。
 でも…何て言えばいいのか……言葉にならない苛立ちだけがグルグルと渦巻くよ。

 何をどうしたらいいのか……頭を抱えたくなるほど、私は混乱してた。
「あんた……何で?……」
 その声にハッと我に返ると、何故だか、吉澤が呆然と私を見てた。

【チャーミー石川】

 でも……もうちょっと、弱いところも見せてほしい。
 私にだけは。

 私は泣き虫だから知ってるの。
 涙が出るって、泣けるって幸せなこと。
 泣くって、心のバランスをとるのに必要なことだって。

 明日香ちゃんは強い人。
 でも、だからこそ心配だよ……。
 頑張り過ぎちゃうから。
 一人で何でもしちゃおうとするから……大抵のことは、ホントに出来ちゃうから余計にそうなんだよね。

 でも明日香ちゃん、ちょっとそこで思い出して。
 私がいつも傍にいるってことを。
 頼りにならない私だけど…一緒に頑張りたいから。
 お願い、明日香ちゃん……。

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